ピンポーンと、デンジの家の呼び鈴を鳴らす音がした。
「誰だ?」
デンジの家にパワー以外の来客など来たことがないし、パワーは呼び鈴なんて使わず叫んで呼んでくる。宅配便だとしても心当たりがない。不思議に思いながらドアに近づくと、犬の鳴き声が聞こえる。
「まさか……」
ドアを開けると、たくさんの大型犬を引き連れたナユタがいた。後ろにいる付き人は、大きな紙袋とニャーコが入ったケージを持っている。ナユタは振り向いて付き人に声をかける。
「ここまででいいよ。帰る時は一人で帰る」
「お荷物は……?」
「コレは置いていくし、ニャーコは後でパワーに取りに来てもらうから大丈夫」
「承知しました」
会話が終わると、付き人は紙袋とニャーコ入りのケージを玄関に置き、ナユタに一礼してその場を去った。
「じゃ、上がるね」
「お、オイ!」
ナユタはデンジの同意を取ることなく、ずけずけと上がる。狭い部屋に、一人の少女と七頭の犬、一匹の猫が押し寄せた。
「ナニしに来たんだよ……」
「ちょっと確認したいことがあって」
「確認?」
「とりあえず、まずはコレやろ」
ナユタは付き人が置いていった紙袋の中身を取り出す。出てきたのは、テレビゲーム機とコントローラーに、いくつかのソフトのディスクだった。
「ゲーム……?」
「やらない?」
「やる!!」
密かにゲームに憧れていたデンジは、ナユタの提案に二つ返事で乗る。犬達に囲まれながら、二人で対戦ゲームに興じた。
「あ〜っ、全然ダメだ。ヘタクソ」
「初めてだったらそんなもんじゃない?」
「こんなもんか。でも楽しいぜ、ゲームやってみたかったんだよな」
「デンジの給料なら買えるでしょ」
「買えなかねぇけど高えじゃん。金貯めて、自分のバイク欲しいんだよね」
「バイク?」
「ああ、センパイが車買ってたじゃん。カレシ乗せたりもして楽しそうでさ。だからバイクが、今の俺の夢」
「ふーん。後ろに女でも乗せたいの?」
「うっ……」
図星を突かれ、一瞬黙るデンジ。開き直って言い返す。
「ああそうだよ、悪いかよ」
「別に悪かないよ。あの女の子とはどこまでいったの?」
「どこまでって……手は繋いだよ」
「それだけ〜?」
「べ、別にいいだろ。あ、あとハグ!ハグしたよ」
ナユタはデンジの言葉を聞くと、ゲームを待機画面のまま操作せず、しばらく考え込むように黙った。なぜだか、部屋の空気が重くなる。耐えかねたデンジが口を開こうとすると、先にナユタから切り出した。
「ねぇ、私達も、ハグ……したことあるような気がしない?」
「えっ?いや、そんな訳……」
「じゃあさ、今、こーやってワンコ達に囲まれて、ゲームしてるのは?やったことある気、しない?」
「うーん……」
ナユタの声がだんだん大きくなる。言われてみると、そんな気がしてくるが、はっきりとは分からない。煮え切らない様子のデンジに、ナユタは痺れを切らすように言った。
「散歩行くよ!散歩!!」
「今から?」
「そう!」
ナユタに連れられ、犬達の散歩に出かける。腰にリードを固定し、七頭を引き連れて歩くナユタを、デンジは後ろから見守る。特に散歩のコースは示し合わせていないのに、デンジとナユタは迷うことなく道を選んでいた。ナユタが問いかける。
「ホラ、こーやって散歩するのも、一緒にしたことある気がしない?」
「さっきから聞かれるたびに、あったような、なかったようなって感じなんだよな。アサ……例の女の子と、パワーとも、初めてのはずなのに前にもやったことあるような気がしたことあってさ。ナユタが言ってるのもそれなのかな」
「何それ……私はデンジとだけだよ。あっ、コラ!」
犬達が駆け出し、ナユタが引っ張られる。ナユタは走って着いていく。そのナユタと犬達の背中を見たことがあると、デンジは今度こそはっきりと感じた。同時に、そのままどこかに行ってしまい、二度と会えない気がした。
「行かないで……」
無意識に、デンジの口から弱々しい声が漏れ出る。ナユタが振り返ると、デンジは右手を前に伸ばしながら涙を流していた。
「ちょっ、どうしたの、デンジ?!」
「分かんない……分かんにゃいけど、止まんねえ……」
犬達を連れたナユタと、涙を拭うデンジは家へ戻る。ナユタはデンジの背中をさすり、よしよしと宥めながら歩いた。
◇ ◇ ◇
タツキコーポ――デンジの暮らすアパートに戻り、玄関のドアを開ける。すると、二人の眼にそれぞれ違う光景が写り込んだ。
デンジの目には、いつも暮らしている家に、今みたいにナユタと犬達、ニャーコが暮らしている様子が映る。あるはずの1人用ベッドが無く、子供用のおもちゃが散乱し、見覚えのない集計表が壁にかかっている。そこにはデンジとナユタの名前があり、その月にオナラをした回数や犬の散歩をした回数が、競うように数えられている――
ナユタの目にも、その室内の様子は映っている。違うのは、そこに自分と犬の姿はなく、代わりに両目のあるデンジとニャーコ、そしてツインテールの女子高生がいることだ。その女子高生は、デンジとキスをしていた。自分と犬達は、今と同じように玄関の外にいる。自分は人差し指を向け、その女子高生をめがけて悪魔の力で鎖を飛ばす――
不思議な体験をした2人は、玄関前で立ったまま話し始めた。
「なあ、オレら……一緒に暮らしてたことあったか?」
「だから言ったでしょ。こーいうことやったことある気しない?って。前にデンジの記憶除いた時に、一緒に散歩してる風景が見えて。それ以来、たまに見るんだよね。デンジと一緒にワンコ達の散歩したり、買い物したり、一緒に暮らして、抱き合って寝る夢」
ナユタの言葉を聞き、デンジの中で点と点が繋がっていく。
「なんかもう、いよいよ偶然とは思えねえ。さっきも言ったけど、アサともパワーともおんなじことがあって……」
「そう、そのことだけど……アサって言った?今お熱な女の子、どんな見た目してるの?髪型とか」
「こんくらいの長さの黒い髪で、学校にいる時は二つにまとめてたな」
デンジはアサの髪型を身振り手振りで伝える。ナユタは見届けると、目を丸くして言う。
「その女とも会ったことあるような気がする。今、デンジの家にソイツがいる夢みたいなもの見た」
キスのことは言わなかった。デンジはナユタが見たものを聞くと、少しテンションが上がる。
「アサがオレの家に?!訳わかんねーけど、やっぱ運命ってやつかなぁ……あいだだだ!」
ナユタは感傷に浸るデンジの脇腹をつねる。なぜそうしたのかは、自分でも分からない。
「浮かれちゃって。とりあえず家入ろうよ」
家に入ると、非現実的な体験の連続に疲れたのか、二人は口数少なく寛いでいた。デンジは壁に寄りかかり漫画を読み、ナユタは犬達と一緒に寝転んでいる。三十分ほど経つと、ナユタは口を開いた。
「ねえ、状況整理しない?私達の間に、それとデンジとパワー、デンジの彼女との間に何が起きてるのか」
「まだ彼女じゃねぇって」
「『まだ』ねぇ……」
「いちいち冷やかすなって!……アサは『前世かも』とか言ってたぜ」
「『前世』か。デンジには教えたっけ。悪魔には『前世』があること」
「なんかパワーがそんなこと言ってたような……」
「全ての悪魔は、名前を持って生まれてくるのは知ってるよね。私なら『支配』、パワーなら『血』。悪魔が現世で死んだら地獄で、地獄で死んだら現世で生まれ変わって、その『名前』は引き継がれる。でも、記憶や経験は全て無くすから、別個体と言ってもいいね」
「じゃあ、オレらが見たりしている不思議なモンは、地獄にいた時の記憶だってのか?」
「そう思う?デンジと彼女は人間だし、見た景色は地獄のものだった?」
「地獄なんて見たことねぇから分かんねえな」
議論が行き詰まる。ナユタは結論に近づこうと、質問を続ける。
「見た夢とかでは、悪魔と戦ったりしてた?」
「パワーはそんなこと言ってたけど、オレはそういうのは無かったかな。アサと水族館でデートしてたりとか……一番分かんねえのが、パワーの夢見てさっきみたいに涙が止まんなくなったんだ」
「地獄に人間がのんびりデートできる水族館は無いよねー。その線は消えたか。私とパワーは、デンジのなんなんだろ」
ナユタは仰向けに寝転んだまま宙を見上げて、ぶつぶつと独り言を漏らしながら考え込む。デンジは頭が疲れて、肘をつきながらナユタを見ている。数分それが続くと、ナユタのギブアップの声が響いた。
「あーもう分かんない!やめやめ!とりあえず、ただの夢や幻覚じゃなさそうってことが分かっただけでも収穫か」
「前みてーにオレの頭に鎖繋いで中見るってのは?」
「そんなプライバシー覗いていいの?」
「そんなぷらいばしー覗くことやったじゃねえかよ」
「必要なとこだけ引っ張り出しただけだもん。記憶の隅々まで漁るのは、なんか違う気がする」
ナユタはデンジを気遣って見せるが、本当の理由は別にある。解き明かそうとしておきながら、全て知ってしまうことが怖いのだ。出来れば、自然に思い出したいと思っている。
「あ、そうだ。これだけ言っとく。私が夢とか幻覚で見るデンジ、ぜんぶ両目があるんだよね。眼帯とかしてない」
「そうなの?アサとパワーが見てるのはどうなんだろ。……右目、欲しいなぁ。オレがバカだから、しょーがねーんだけどさ……」
言わない方が良かったかな――ナユタは少し後悔しながら、帰る前に最後の要求をする。
「デンジ!私もう帰るからさ、ぎゅってして!」
ナユタは暗くなった雰囲気を吹き飛ばすように、大きな声でハグを求めた。仰向けに寝転んだまま、両の手を天井に向けて突き出す。
「えっ、なんで……」
「なんでもいいから、早く!」
デンジはやれやれとナユタに近づき、四つん這いで覆い被さって抱きしめる体制を取ろうとする。
「なぁ、これ大丈夫か?なんか犯罪感あるんだけど……」
「こんな小さい子相手にナニ考えてんのよ、ヘンタイ」
「そーいうんじゃ無ぇけどさあ」
デンジがのしかかるように抱きしめようとしたその時、デンジの目に写るナユタに、同じように寝転ぶナユタの幻影が重なった。体勢は同じ。服はパジャマを着ていて、目を瞑って寝言を呟いている。
『仕方ないにゃ……デンジちゃんは……私が一生……一緒にいてあげるよ…………。そうすればデンジも……幸せでしょ……?だって……こんなに可愛い子と…………』
デンジの目からまた大粒の涙が溢れ、ナユタの頬に落ちる。デンジは泣き崩れる形でナユタに抱きついた。ナユタの胸で声をあげて泣きじゃくるデンジの頭を、ナユタは優しく撫でながら呟いた。
「仕方ないにゃあ」
◇ ◇ ◇
あれからしばらくした後、ナユタは犬達を連れて帰ろうと立ち上がる。デンジが忘れ物を指摘する。
「ニャーコとゲーム、忘れてんぞ」
「ニャーコはパワーに取りに来てもらって。話はつけてあるから。ゲームはあげる。新しいの買ったから」
「マジで?!ヤッタァ〜!!」
デンジは子供のように喜び、紙袋の中のソフトを漁る。ナユタは、そんな様子を母親のような眼差しで見ている。デンジはソフトの一つを取り出して、ナユタに尋ねた。
「ナユタ、コレ読めるか?」
「どれ?……ああ、『
「『ノブナガのヤボウ』かぁ、ありがとな。ナユタは漢字、読めんだな。学校……行きたかったな……」
デンジは欲しかったものを手に入れて大喜びしたのも束の間、寂しそうな表情をする。ナユタはそれを見て、悲しい顔をしながら犬達を連れてデンジの家を後にした。
◇ ◇ ◇
ナユタが帰り、パワーがニャーコを引き取った後、デンジはベッドに座りながら携帯電話を握りしめている。アサに電話をかけるつもりだったが、なぜだか踏ん切りがつかない。天井を見上げて、物思いにふける。
(結局、不思議な思い出みたいなモンがあるのは、アサだけじゃ無かったな――。そういや、アサも友達と似たようなことあったって言ってたな。野郎ともそういうの、あんのかなあ。一緒に学校で勉強してる、ツラの良い男が――)
思案に暮れていると、突然、右手に握りしめる機械から大きな音が鳴った。
プルルルル――
「わっ!アサ?!……はい!デンジです!」
「もしもし、三鷹です。どうしたの?大きい声出して」
「実は、オレもちょうど電話かけようとしてて……」
「本当?偶然だね」
デンジの回答に、アサの声が浮つく。デンジもそれを察し、つられて心が躍る。
「そうそう、映画見ようって言ってたでしょ?新しい映画が週末公開されるから、見に行かない?」
「行く行く!どんなの?」
「宗教団体のドキュメンタリーで――」
なんか、つまんなそうだな――アサの長い説明を聞いて、そう思ってしまった。それでも、思い人とのデートを目の前に反論する気が起きず、アサの申し出を承諾した。
電話が終わると、入浴をしに洗面所へと向かう。眼帯を外し、鏡に映る自分に語りかける。
「なんだよ、オレ。もっと楽しそうな顔しろよ」
デンジは眼球の無い右目に手を当てて、鏡の中の自分をしばらく睨みつけていた。
(つづく)