深海の馬 ~記憶を探す旅~   作:D’n A

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第七章:ファーストキスは5回目に

 

「アサ!悪い!手間どっちまった!」

 

 アサの待つ喫茶店に、血塗れの黒スーツを着たデンジが飛び込んだ。真っ赤に染まった白いシャツとデンジの大声が、店に流れる落ち着いた雰囲気を破壊する。

 

「お客様、申し訳ありませんがそのようなご格好では……」

「そんなカッコでお店に入っちゃダメでしょバカ!私が出るから、外で待ってて!」

 

 入り口で店員に引き止められたデンジは、アサに叱られてうなだれながら外に出る。会計を済ませるアサを、背中を丸めて見ている。約束を守れなかった自己嫌悪も混ざり、軽く目眩も起こしていた――

 

 時刻は約二時間前に遡る。アサとの映画デートのため、待ち合わせの場所で待っていると、アサが現れた。水族館でのデートの時と同じロングスカートとブラウスに、シアターの冷房に備えたカーディガンを羽織った装いだ。デンジも、水族館のデートの時と同じ服装をしていた。

 

「あ、いたいた。デンジ」

「おう、じゃあ行こうぜ」

 

 二人とも思い入れのある服を着て、アサが提案した映画の上映館を目指して移動を始めた。その時、デンジの携帯電話が鳴った。

 

「ごめん、上司(ナユタ)だ――。はい、もしもし」

「もしもし、デンジ?悪いけど、今から出動してもらえる?」

「ええ?オレ休みなんだけど」

「いつもは休みでもノリノリでやってくれるじゃん、珍しい」

「あー……えーと、その……」

「デート?」

「……あぁ。そうだよ。オレ以外のメンツでなんとかなんねえかな」

「申し訳ないけど、かなりデカいのが出て大変なんだ。このエリアのデビルハンター全員に召集かけてる。少ない人員で無理したら、最悪死人が出るかも」

「はぁ……分かったよ。すぐ行く」

 

 デンジの電話が終わると、横で聞いていたアサは暗い顔をしていた。デンジは申し訳なさと、予定が潰れた無念に顔を歪ませて、言った。

 

「悪い……。仕事行かなきゃいけなくなっちまった。でも、すぐに片付けて戻って来るからさ!」

「みんなの安全を守る仕事だもん、仕方ないよ……。分かった。あそこの喫茶店で時間潰して待ってるから。頑張って!チェンソーマン!」

「おう!」

 

 アサに背中を押されると、デンジは走って目的地に向かった。大事な服を汚したくないので、途中の公安の拠点に寄り、制服に着替えバイクに乗って悪魔の元へと急いだ。

 部隊総出の作戦で対処にあたり、二時間にわたる長期戦の末に巨大な悪魔は討伐された。デンジは慌ててバイクに乗り、アサの待つ喫茶店へ一直線に向かったのだった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

「全く、何考えてんのよ、こんな血まみれでお店に入ってきて」

「ごめん……」

「はぁ、映画館もしまっちゃうし、どうしようか」

「ホント、ごめんな……」

「それは仕方ないじゃん、今から何するか考えよ」

 

 アサはデンジをフォローするが、言葉とは裏腹に、デンジの目に映るアサの顔は少し怖く、語気も強い。

 

「なぁ、怒ってるよな……」

「怒ってない!!」

 

 益々語気を強めるアサ。やっぱり、怒ってる――そう思ったデンジは、他に出来ることが分からず、性懲りもなく謝罪の言葉を繰り返す。

 

「ごめん」

「だから怒ってないって。どうしようもないのに、私が悪いみたいじゃん」

「そ、そっか。ごめん」

「だから――」

「映画だけじゃなくて、二時間も待たせちまったし……アサ?」

 

 デンジの言葉を聞き、アサは歩みを止めた。その両肩を震わせている。俯いた顔から、ポタポタと涙が溢れ落ちた。

 

「あ、アサ?!ごめん、ごめんって!埋め合わせはするから――」

「違う……。ずっと待ってて、ずっとデンジが来なくて……怖かったの…………」

「アサ……」

 

 アサは血塗れのデンジに、後ろから抱きついた。スーツの背中を、涙で濡らしながら呟く。

 

「生きてて……良かった…………」

 

 デンジは、本当に怒られていなかったことに安堵すると同時に、それまで以上の罪悪感に苛まれた。その罪悪感を紛らわすかのように、アサを元気づけられる言葉を必死に考える。ふと、ナユタの言葉が浮かんだ。

 

『デンジの家にアサ(ソイツ)がいる、夢みたいなもの見た』

 

 アサが自分の家にいることを想像し、浮き足だったことを思い出す。デンジは思い切って、この後の予定を提案した。

 

「なぁ、夜遅くてもいいなら……ビデオショップで映画借りて、一緒に観ねえ?」

「家で……?」

「あ、あぁ。映画館とは、雰囲気違うかもだけど……」

「じゃあ、そうしよ。デンジの家、行ってみたい」

 

 この時は、女の子が夜遅くに男の家に行くということを、二人ともあまり意識していなかった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 デンジの小さな部屋の小さなブラウン管テレビを、二人は床に腰掛けて黙って見つめている。テレビから流れているのは、少し前に流行った恋愛映画だ。レンタルショップに行ったはいいものの、二人とも特に見たい映画がなかったので、一番人気の作品を選んだ。ベッドに寄りかかるデンジとアサの肩と肩は、遠慮気味に拳ひとつぶんほどの隙間が空いている。

 鑑賞開始から一時間ほど経つと、内容にあまりピンとこないデンジは口を開いた。

 

「なぁ、コレ……どう思う?アサは、面白い?」

「ソレ、聞く……?」

「んにゃ、やっぱやめとく……」

「私、恋愛映画苦手かも。なんか見てると背中がムズムズする」

「……言うのかよ」

 

 言葉には出さないが、つまらないという感情を共有した二人。もう真剣に観る必要もないかと思ったら、キスシーンが始まり、食い入るように観てしまう。すると、デンジとアサの脳裏に、同じ光景が焼き付くように浮かび上がってきた。

 

 デンジとアサは今と同じように、部屋の中で映画を流している。服装は異なり、二人とも学生服を着ている。突然、アサはデンジの正面から這い寄る。急接近する二人の顔面、鼻先、そしてついに触れ合う唇――

 

 二人はハッと現実世界に戻る。脳裏に浮かんだ光景をなぞるように、アサはデンジの目の前まで這い寄っていた。唇と唇が触れるまで一センチ。慌てて身を引こうとするアサ。しかし、後頭部が何かに抑えられ、後ろに下がることができない。あの光景と違い、デンジが左手を伸ばしてアサの頭を引き寄せていた。お互いの顔が、はっきりとは分からないほど目と目が近づいた二人。衝動のままに、しかし今度こそ自らの意思で、二人は再び唇を近づけた。

 吐息を感じながら、二人の唇が触れる。数秒間が何分にも感じられる。二人が唇を離そうとした時、今度は別の光景が、次々とフラッシュバックした。

 

 湖のほとり、木々の密度が低く明るい林の中で仰向けになるデンジ。泣いているデンジを見て、アサは座った体勢のまま、欲望のままにデンジの唇を奪う――

 

 荒廃した町、廃墟のバルコニーで椅子に座るデンジと、背中を向けてさらにその上に座るアサ。アサはデンジの頭を引き寄せ、後ろを見上げる形でキスをする。そのまま、何度も何度も舌を触れ合わせる――

 

 雑然とした路地裏、壁際で向かい合う二人。アサの唇が、デンジの唇に数秒間触れる。続いて唇で撫で合い、舌を絡ませ、それを永遠にも思えるほど長い時間続ける。脳が蕩けてしまうような快感が二人を襲う――

 

 強烈な光景が瞼の裏に立て続けに映し出され、二人の理性は抑えられない。気づけば、どちらにとっても初めてのキスだというのに、舌を軽く出して触れ合わせていた。

 アサは更に顔を近づけ舌をのばし、デンジの口内に入れる。舌が絡み合うと、頭の奥が痺れるように熱くなる。続いてデンジの舌がアサの口内に入り、代わりばんこに舌を入れ合う。口の中で何がどうなっているのか分からない。息が苦しくなると、休むように二人とも舌を外に出し、お互い舌先を優しく舐め合う。もう一度口を塞いで舌を深く入れる。それを何度も繰り返し、二人は時間も、流れている映画の事も忘れ、何分も何分も熱烈なキスを続ける。二人は不思議な光景を忘れ、何も考えられない頭でただ快感に溺れていた。

 二人の唇が離れると、アサは正気に戻る。その場で座り込んで俯き、恥ずかしさと自己嫌悪に襲われていた。

 

(なにやってんの私。初めてでこんな……絶対引かれた――)

 

 恐る恐るデンジの方を見ると、まだ血塗れのスーツから着替えてなかったデンジに、両肩を掴まれた。そのまま、ゆっくりと押し倒され、床に背中をつけて仰向けになる。デンジのギロリとした左目と目が合う。開いた口から見える牙のような歯に、食べられそうな気がした――

 

「まっ、待って!」

 

 アサが声を出すと、デンジもハッと我に帰った。慣れてしまっていたシャツの血の匂いが、ぼうっとする頭を叩き起こす。アサを床に押さえつけ、襲おうとしていた自分が恐ろしくなり、慌てて身を引いた。

 

「あっ!ご、ごめん、マジでごめん!……何やってんだオレ!!」

 

 アサは寝転がったまま、黙ってデンジの弁明を聞く。

 

「違ぇんだ、こんなことがしたくて家に呼んだ訳じゃなくて、ただアサと一緒に楽しみたくて――」

 

 デンジの続く言葉に、アサの顔が曇る。仰向けの体を起こし、俯きながら言葉を返す。

 

「分かってる。デンジは連れ込んで襲おうなんてする人じゃない。だから私も、何も考えず着いてきた。私があんなキスしたせい。……痴女だって思ったでしょ?」

「……思ってねぇよ。キス、すげー良かった。気持ちよくて、イッちまいそうだったよ」

 

 デンジの明け透けな感想を聞いた瞬間、アサの顔が沸騰する。

 

「あああアアア〜!やっぱ痴女だ〜!!」

「だからそんなことねえって!…………キス、したことないから……こんな気持ちいいなんて、知らなかった」

「デンジも、初めて……?」

「うん……。アサも?」

 

 アサは羞恥心で目に涙を浮かべながら、コクリと頷いた。デンジは抱きしめたくなったが、シャツ一面に滲む血を見て、やめた。家についてから着替えなかったことを後悔する。デンジは話題を切り替えようと、キスの間見ていた光景に言及する。

 

「なぁ、オレたち、もし『前世』みたいなとこで会ってたんだとしたら……今みたいなキス、してたのかな。さっきキスしてるとき……なんか、アサといろんなところでキスしてるのが、目に浮かんでたんだ」

「私も、見てたよ。それで、気がついたら、あんなキス……してた…………」

「じゃあ、オレたち実は、初めてじゃないのかも?」

「ううん。あれが現実だったとしても、私は初めてって感じがする。なんでか分からないけど、頭に浮かんだデンジとキスする私が、私じゃない気がして……」

 

 デンジはキスの間見ていた光景を思い返す。アサの顔に、傷のようなものがあった気がした。それが何を示すのか、デンジには分からない。だが、アサもまた同じ体験をしていたことは確かだ。

 

「じゃあ、キスしたことあるけど、今日のがファーストキスってコトで。良いとこ取りしよーぜ」

「アハハ、何それ」

 

 アサの顔が、やっと晴れやかになった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 あれから数日後、アサは自宅のベッドで寝転んでいた。既に寝る支度は済ませて、寝るためのラフな格好に着替えている。あの日のデートのことを思い出す。

 

(そういえば、次のデートの約束しなかったな。あの日は、キスのことで頭が一杯で――)

 

 あの後、アサは家までデンジに送ってもらい、またアサの家の前で別れた。これまでは、別れる前に次のデートの内容を決めていたが、あの日のデンジは「じゃあ、おやすみ」とだけ言って帰っていった。アサはその日したキスや、押し倒されたことをずっと考えていたせいか、あまり気にも留めていなかった。今になって、次の予定がないことが不安になる。同時に、あの鮮烈なキスのことを思い浮かべる。

 

(あのキス、気持ちよかったな――)

 

 枕に顔を埋めうつ伏せになりながら、無意識で股に手が伸び、両腿で挟み込む。その時、枕元に置いた携帯電話が鳴った。アサは飛び起きて、裏返った声で電話に出る。

 

「は、ハイ!三鷹です!!」

「もしもし、デンジです。どーしたんだ?でけぇ声出して。なんか声もヘンだぞ?」

「えっ?!いやその……えっと……私もちょうど今、電話かけようとしてたから!」

 

 以前自分から電話をかけた時、同じように驚いていたデンジの言葉を借りて、嘘をついた。デンジの言葉が続く。

 

「今週末、会えねえかな。どっかカフェとかで。大事な話がしたくて――」

「うん、いいよ。じゃあ――」

 

 話し合い、日時と場所を決める。電話が終わると、なぜだかどっと疲れが襲い、またベッドに倒れ込んだ。

 

「『大事な話』、か――」

 

 気疲れとは裏腹に、緊張して眠れなくなってしまった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 アサとデンジは、落ち着いた雰囲気のカフェで他愛もない話をしている。これまでのデートの思い出とか、犬と猫どっちが飼いたいかだとか――たまに、二人で見た不思議な記憶についても話した。アサは、デンジから『大事な話』が出てくる気配がなく、やきもきしている。友人のユウコとの会話を思い出す。

 

『えー!ソレ絶対告白じゃん』

『やっぱりそうよね?!』

『三回デートして、「大事な話がある」でしょ?』

『うん』

『良い感じなんでしょ?』

『うん、多分……いや絶対!』

『じゃあ百パーそれだね。おめでとう、アサ』

『気が早いわよ』

 

「アサ……?」

「うぇっ?!あ、ごめん……ちょっと別のこと考えてた」

 

 デンジの声で、上の空だったアサは引き戻される。デンジが続ける。

 

「場所、変えねえ?近くの公園とか」

「うん、いいよ」

 

 いよいよかな――アサは期待すると同時に、デンジの表情が気にかかる。

 

(なんか今日のデンジ、ずっと大人な顔してるな――)

 

 二人がカフェを出ると、もう陽は沈んでいた。おしゃべりが楽しかったのか、時間が経つのが早く感じる。

 

(そういえば、今までのデートのこと、不思議な記憶のこと、ぜんぶ話してたな。あんなに口が止まらないデンジ、初めて見たかも)

 

 アサは会話の内容を振り返り、先を行くデンジの背中を追う。近くの小さい公園に入ると、そこは二人だけの空間だった。少ない街灯が、かろうじて二人の姿を照らす。デンジがベンチに腰掛けると、アサも隣に座った。

 それから、長い沈黙が流れている。アサは「『大事な話』って?」と切り出したくて仕方ないが、それは野暮だと思い黙って待つ。期待がだんだん不安に変わる。耐えられなくなりそうになったその時、ようやくデンジは口を開いた。

 

「なぁ、あのさ」

「うん」

「アサ、オレと」

 

 息を呑む。続く言葉を待つ。

 

 

 

 

 

 

 

「もう会わねぇ方がいいと思う」

 

 真っ暗な公園で、アサの頭の中は真っ白になった。

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