二百分の一の王国   作:mikouri

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少し先の話:王都南東旧水路下層外痕構造体深部における白色消字外痕物発見事案

少し未来のこと。

 

 

《王都南東旧水路下層外痕構造体深部における白色消字外痕物》。

 

 その日見つかったものに王国はそう名付けた。

 ただ何か白くて巨大なものにつけるには長すぎるそれは、名前を与えないための名前だった。

 

 *

 

 乾いた空間に十余名の足音が響いている。

 靴底が床を叩くたび、音は湿り気を持たずに奥へ転がった。

 

「発見の経緯は?」

「俺を含めた冒険者パーティ四人でこの地下迷宮に潜ってました。で、この奥で不気味なものが……」

「なるほど。外痕巡回許可者の一党が、王都南東旧水路下層外痕構造体深部において、外痕を見つけた、と」

 

 歩きながら調書を取ると、証言していただらしなく髪を伸ばした男は、見るからにうんざりした表情になった。気持ちはわかる。わかるだけで特に配慮はしない。

 彼はペルク。深部で見つかった異常──外痕(スカー)の第一発見者だ。

 

「それで、あなたは接触確認担当者の職能、と」

「“スカウト”です」

 

 その呼び名に拘る理由はわからない。

 

「記録。入口より十七間。旧水路石積み、保存状態・中。湿り気なし。苔なし。水棲虫なし」

 

 測量棒の先で地下迷宮、もとい、王都南東旧水路下層外痕構造体の壁を軽く叩く。

 奥には旧学房(スクリプトリウム)の測量坑らしき滑らかな廊下が混じる。

 さらに奥へ進むと、石でも金属でもない灰色の壁が現れる。

 

 地下迷宮だろうが地下洞窟だろうが、このような場所は不快に湿っているのが普通だ。ここはそうではなくむしろ渇き、清潔さを保っていて、それが不気味だった。誰かが掃除しているわけでもあるまい。

 

「……ここから先、王国建築ではありません」

外世界(アウター)のものですか、魔術補佐官殿」

「断定はできませんね。境界的構造物と仮称します」

「細かいですね」

「ここは雑にしないほうがいいです」

 

 崩落した瓦礫の隙間に着いた。

 ペルクが指差す。

 

「ここです。この奥に、空洞があります」

 

 隙間は狭かった。僕は背嚢を下ろす。

 

「全員は入りません。僕とペルクと護衛二名。残りは外で待機。音写し札に反応がない時間が三十秒続けば撤退準備。百数えてもそうなら、入口を封鎖して王宮へ伝令」

「きゅ、救助とかは」

「ここから先は随伴しなくても構いませんよ。どうぞ、地上へと戻ってください」

 

 ペルクの質問に答える代わりに、ため息混じりにそう告げた。外痕事案で、救助という言葉はしばしば被害の拡張を意味する。彼は帰らなかった。冒険者としての意地だろう。

 

 僕は帰りたい。

 

 僕は迷宮探索ごっこのようなことがしたくて、魔術を修めたわけじゃない。ただ、魔術知識を持ち、外法の力に現場で対応できる専門家は必要で、その実務者の一人としてテオ=ラグナの名前を入れられてしまっただけだ。

 慢性的な人手不足が現王宮にはある。王国は制度を増やすのはうまくなったが、制度の椅子に座る人間を増やすのは下手だった。

 

「記録継続。狭窄部進入」

 

 瓦礫の隙間は、服の肩を擦った。

 壁に触れないようにしたかったが、完全には無理だった。

 手袋越しに壁材の冷たさが伝わる。

 向こうへ抜けた瞬間、空気が変わった。

 地下に突然、建物の内部のような広間が現れる。

 天井も壁も見えない。のっぺりとした、不安になる広さの空間だった。

 

 床は白と灰色の粉で覆われていた。粗い粉雪のようで、踏みしめると靴底が柔らかく沈む。それをどけると、薄く鈍い光を返す、巨大な金属の面がある。灯火札(ライト)の光がそこに落ちると、ぼんやりと滲んで広がった。鏡のようには映らない。表面には何か硬い箱を何度も押し込んだような平行の傷が走っていた。ところどころに白い粉が押し潰されてこびりついている。均質で冷たい板。未知の金属だった。

 

 灯火札を掲げても、光は天井まで届かなかった。

 ただ、声の返り方でわかった。頭上には、自然の岩盤ではない、広く滑らかな面がある。見えないほど遠いのに、洞窟の天井ではなく、人工の板だとわかる。その均一さだけが、闇の奥から圧を返していた。

 記録。天井高度、測定不能。反響より広範な平面構造を推定。自然岩盤ではない可能性が高い。

 見えないものを、見えたことにしてはいけない。

 

 奥を見る。

 いや、見えたわけではない。灯火札の光はそこまで届いていない。

 だが、暗がりの奥に、闇よりもさらに不自然な白さがあった。遠すぎるのに、圧だけが近い。白い壁。角。直線。

 

 広間の奥に、何か巨大なものが横倒しになっている。

 息を殺して、護衛とともに、そこに進んでいく。

 近づくほどに、白い面の像に色が混じる。青。黒。帯状の線。

 そして、文字のような模様。

 しかし、王国の文字ではない。

 

 白い塊の縁はわずかに欠け、そこから、白い粉が床へ散っている。

 表面には、擦られた跡がある。

 顔が強張るのがわかった。

 これは遺跡でも神具でもない。

 何かに使われた跡がある。使う者がいた。

 

「記録。巨大白色外痕物。横倒し。表面に帯状色彩。青、および黒。外世界記号と推定される文字様模様あり。周辺に白色粉末。縁部に欠損。欠損部より粉末散布の可能性」

 

 護衛の一人が、小さく祈りの言葉を呟いた。

 僕は咎めなかった。

 測量。

 記録紙を出し、写し絵を描く。意味を考えるのは後にした。

 そして撤退を告げる。護衛がこちらを見た。

 

「もうですか」

「見ました。記録しました。これ以上は接触確認ではなく、欲です」

 

 *

 

 王宮西廊下。外法審議会(アウターカウンシル)の控室へ続くそこは、地下迷宮とはまるで違う。

 磨かれた赤石の床には窓格子の影が長く伸び、壁際の燭台には昼間だというのに小さな火が入っている。封蝋と香草油と、人の出入りの匂いが薄く残っていた。よく照らされ、よく管理され、しかし生活の気配がある。

 そこには誰もいない。少なくとも、僕の目に見える範囲には。

 ただ、ちりん、と、鈴の音が聞こえた。

 

「マル=シレス」

「お呼びで」

 

 声だけが返ってきた。

 

「通りすがりの、無関係な道化でございます」

 いつもの戯言なのでこれは無視。

「今回の件について、何か知っているのですか」

「存じません」

 嘘か言葉遊びだなと直感した。

「では、なぜここに」

「存じないものを見に行く方々の顔を見るのは、少々趣味がよろしいでしょう」

「それを悪趣味と言います」

「はい。私めの数少ない長所です」

 

 結局戯言を無視できていない。疲労が三倍になってのしかかってくる心地だった。

 

「私めから言えることは」

 角の向こうの声が少し潜められた。

「あれに名前をつけるのを急ぎすぎないことです。名をつければ、近くなる。あるいは遠くなる。本来の距離よりも。そこにできた空洞に、人は落ちる」

「名前をつけることで、扱えるものだと思うな、ということですか」

「あるいは畏れすぎるなということです。あれはあなたたちが畏れるほど大したものではありませんが、距離は取ったほうが良い」

「……助言ですか」

「いいえ。意地悪です」

 

 角の向こうの気配が消えた。

 

 * * *

 

 後日、外法審議会は当該物体を《王都南東旧水路下層外痕構造体深部における白色消字外痕物》として正式に封鎖管理対象に指定した。

 白色消字外痕物に関する箝口令──王国では、日々奇妙な制度が増える。

 もし名が漏れれば、誰かがそれを歌にし、旗にし、祈り、神話とするだろうから。

 外世界の日用品の名は、王国では禁じられた名になった。

 

 外世界由来、長二十八尺六寸の巨大白色外痕物──M()O()N()O()()()()()

 

 それに対抗するため、王国が用意できたものは、退屈な書類と、沈黙への報酬だけだった。

 

 

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