天文10年(1541年)6月
私、武田信定がこの世に生を受けて早くも18年の時が経とうとしていた。
それと同時に私の人生は終わろうとしていた。
現在、私の居城である小諸城に実に5千程の上杉軍が向かってきている。
上杉と言っても多くの人々が思い浮かべる兄上のライバルの龍ではない、後にその龍に関東管領を譲ることになる上杉憲政という男だ。
因みにこちらの兵力はすべて集めても1千に届かない上に援軍はない。
ちょうど兄上は父上、武田信虎を追放しようとしている、要するにクーデターを起こそうとしている。
その際に信濃の武田方諸将の抑えを任されたのだが…まさか、上杉が来るとは。
私にある上杉憲政という男への記憶と言えば河越夜戦で北条氏康に大敗(上杉・足利など8万対北条1万程)、その後は国を追われ長尾景虎の元へ、そして最後は景虎の死後の混乱の中で上杉景勝に殺害されると。
もう少し阿保だと思っていたんだがなぁ、甘かったか。
「望月、大井ら信濃の国衆の動きと諏訪の援軍の動きを」
「はっ、大井は上杉と通じ、こちらを裏切りました、望月はこちら方に、諏訪の援軍は敢えて時間のかかる道を通っておりますな」
「そうか、5倍の敵か」
「しかし、こちらの動きがばれていたのでしょうか」
「上杉は国土が大きい上に配下の国人には長野を筆頭に知勇兼備の者も多く居るからな、ばれていても、ばれていなくても混乱の隙は突かれたであろうよ」
長野、長野業正は上州の黄班と呼ばれ兄上からも彼がいる限り上州(現在の群馬県)には手が出せないといわれたほどの人物だ。
「城を捨てて、望月らと合流する。甲斐国境付近で迎え撃つことにする」
「しかし、それでは…」
「致し方ない、上杉は恐らくすぐに兵を退く、問題は諏訪だ、奴らだけは許さぬ。約定を破るなど、何が最短の道で到着しますだ、遠回りしてんじゃねえよ。奴らだけは許さん」
グチグチと諏訪への悪態をつく信定に側近は何も言うことが出来ず撤退の準備に取り掛かるのであった。
***
武田信定、この時18歳、後に彼ら武田家こそが最も約定を破り、そのことをネタにされることをまだ知らない。
Wiki○ediaより
海尻城の防衛線
1541年、武田晴信による武田信虎追放の混乱の最中で行われた上杉憲政による信濃侵攻によって信濃の武田軍が窮地に立たされた際、5倍の敵を前に信定は撤退を決断し、海尻城付近で守りを固めたと伝わる。
この際に、諏訪頼重率いる諏訪軍約2千を散々蹴散らした様子を見た上杉憲政は海尻城を攻めるのは諦めたとも伝えられる。
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