1572年
遠江における徳川家の重要拠点として浜松城、掛川城、高天神城そして、二俣城が挙げられる。
このうち、既に掛川城、高天神城は陥落しており、二俣城もまた、武田家に包囲されていた。
攻め手の武田方の大将は諏訪勝頼、武田信玄の4男であり、かつて信玄が滅ぼした信濃の名門、諏訪家の当主にあたる。
対する守り手は徳川家家臣、中根正照を城主とし、青木貞治・松平康安が武将として入っている。いずれも徳川家の譜代。
攻め手も守り手もいずれも若き将が大将を務めたこの戦は水の手を断たれたことにより二俣城の開城で完結する。
しかし、先に落とされた二つの城とは異なり、10月より12月にかけ、約2か月の攻防が行われたとされる。
そして、それは織田・徳川家が戦の準備を整えるのには十分な時間であった。
***
浜松城
二俣城陥落の報を聞いた浜松城では対武田家の作戦会議が行われていた。
「ついに二俣が……」
「これで遠江の東半分は敵に落ちたとみていいでしょうな」
「武田軍は二俣城攻めの最中に二俣に集結していた様子」
「武田の本隊2万のうち、5千程度しか戦には参加していなかったとか」
「掛川、高天神を攻略し一言坂で我らを破った武田信定の部隊、山家三方衆を調略し、柿本を落とした飯富政景の部隊、遠江北部の城を攻略した馬場信春の部隊、これら全てに約2か月の休息を与えたとみてよいかと」
徳川家にとって状況が最悪であることは変わらない、この会議に参加している面々のほとんどがそう感じとる中で、織田家からの援軍である佐久間信盛が口を開く。
「皆さま、朗報に信長様がこちらに3万の兵を率いて向かっているとのこと、三河においている我らの本軍2万に信長様の3万、そしてこの城の1万を加えれば、兵の上では武田と同数になりますぞ!同数であれば我ら織田は負けることはあり得ませぬ!」
(こやつ、息を吐くように嘘をつきよる!)
(美濃で負けたりしてる気がするのは気のせいということにしておくか)
(士気を高めるための嘘のはずだ、黙っておこう)
こうして、やけに自信満々な佐久間殿に徳川家中の多くの将が不安になりつつも一応は勝機が見えたとして士気は上がるのでございました。
「康政!てめえ、勝手に人の心を読んでんじゃねえ!」
何・で・バ・レ・た・!
「?」
***
二俣城近辺の武田信定の陣
「徳川の動きはどうなっておる、望月殿」
「はっ、徳川軍は浜松に籠城する様子。籠城の準備が整えられております」
目の前にいる男女をそれぞれ望月盛時と望月千代女といい、武田家の忍びを統括する夫婦である。
「織田信長が動くと考えてよいと思うか」
「はい、織田領の歩き巫女の報告では、信長は3万の兵を集め、こちらに向かっているとのことです」
「そうか、幸隆、盛時とともに浜松城を探れ。……城の造りなどをな」
「御意」
幸隆と望月夫婦が共に出ていく。
因みに、幸隆は幸隆で真田忍軍なる独自の忍びを持っているので盛時とともによく作戦会議をしたりしている。
「さて信繁に兄上、何用でしょうか」
幸隆たちが去ってしばらくすると信繁と信廉がやってきた。
「信廉は?寝ていますよ、疲れが出たのかと」
「信定、城に良い酒があった、一緒に飲まないか?」
「敵の城にあったものなんて怖くて飲めません!」
「冗談だ、そろそろ甲斐の酒が恋しくなっただろう。久しぶりに飲まないか」
「遠慮しておきます。織田を破り、上洛したときに皆で酒を飲むとしましょう」
「…そうじゃな」
「…ならば、一刻も早く織田・徳川を破らねばなりませんな」
「ああ、勝つぞ」
兄上のため、武田のため、この戦に勝つとしよう。
それにしても兄上にそっくりだなあ。(なお、景虎にはバレた模様)
***
浜松城
「武田軍が進軍を開始し、この浜松に向かっているとのこと」
「この城で武田を足止めし、織田の本軍が到着次第、武田軍を挟み撃ちにするぞ!」
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「とか思ってるんだろうなぁ」
「例え、織田信長が来ようとも、この戦の主導権は我らが握るし、そこまでな」
「一番恐ろしいのはお館様よ、織田信長自らの援軍という情報すらも自らの策に組み込んでおられる」
「飯富に内藤、無駄話はそこまでじゃ、見えてきたぞ、家康の死地が」
武田軍約6万、三方ヶ原に布陣
「武田軍!この城を無視し、西進!」
「よし!」
「よしではない!この家康を取るに足らぬと武田は言っておるのじゃ。儂に背後を取られても痛くも痒くもないとな!出陣する!」
「殿、お待ちください。相手はあの武田信玄です。罠が仕掛けられていましょう!」
「うるさい!二郎三郎、貴様は武士ではないから分からぬのじゃ!」
「殿、聞き捨てなりませぬぞ。某は確かに農民の子でありましたが、殿に拾われて以降は武士にございます」
「農民根性が染みついておると言っておるのじゃ!」
家康と家康に瓜二つの男、世良田二郎三郎の言い合いは徐々に熱を帯びていく。
「お二方とも鎮まってくだされ、本人同士で争っている場合ではありませぬ」
「出るか、出ないか。これ如何に」
「まさか、信長様を見殺しにされるつもりか!」
「佐久間殿、落ち着きなされ」
「この佐久間信盛には分かりますぞ!徳川殿、貴殿、武田と内通しておりますな!すべて演技、追い詰められた振りをして信長様を殺すつもりでございましょう!」
「そのような事実は断じてない!この家康の裏切りを疑うのであれば、ここで儂を斬り捨てるが良い!」
「で、伝令に!武田軍がこちらに引き返しております!」
「数は!」
「そ、それが、3千程に」
場外から家康を侮る声が聞こえてくる。
曰く徳川三河は戦を知らぬ
徳川三河は戦が出来ぬ
徳川三河は人を知らぬ
徳川三河は人にあらず
徳川三河は日ノ本一の臆病者なり
「やらいでか!出陣する!」
「殿!」
三河武士も日ノ本一の臆病者なり
「やってやろうではないか!」
「おい!」
武田軍の挑発に乗った徳川軍は1万1千で出陣。
三方ヶ原の戦いが開戦する。
***
「よし、退くぞ」
「はっ」
武田軍3千が撤退を開始、その様は負け戦のようであったと記される。
「武田め、口ほどにもない!」
「武田こそ日ノ本一の臆病者よ!」
「散り散りになった者たちは捨ておけ、大将のみを討て!」
この3千の武田軍は各所に散りつつも、一つの場所に徳川軍を誘導した。
「なんじゃ、これは…」
現在、家康の目の前に広がるのは布陣を完了した武田軍の姿。
その数は約6万。
「急げ!こちらも陣を組み応戦しろ!」
「急げ!」
武田軍の本陣
「先ずは、赤備えが始める」
「出るぞ!」
「おおおおお!」
武田軍最強、赤備えの猛攻。これを防ぐは徳川家最強、本多忠勝。
「さて、手柄を立てようか。安心せよ、貴様らには諏訪大明神の加護がある!」
「おおおおお!」
「諏訪大明神万歳!諏訪大明神万歳!」
「全軍、徳川を食い破れ!」
武田軍右翼、諏訪勝頼攻勢を開始。対するは徳川軍左翼、石川数正。
「かっかっか、全員始めおったわ、さて、織田の弱兵と遊んでやるとしよう」
武田軍左翼、馬場信春攻勢を開始。対するは徳川軍右翼、織田の援軍たち。
三方ヶ原において武田軍と徳川軍が戦う中、浜松城において
「陰解除」
「便利ですよね、それ」
武田軍約3千、浜松城を奇襲し、これを陥落。
そして、三方ヶ原においても
「佐久間隊が撤退しております」
「佐久間ぁ!」
佐久間信盛の撤退が決め手となり徳川軍は敗北。
「我こそが徳川家康也!」
「いや、我こそが徳川家康也!」
徳川家の多くの家臣が家康を逃がすべく徳川家康を名乗り討死。
その中には二俣城の城将を務めた中根正照や徳川家康の影武者を務めた世良田二郎三郎も含まれていたという。
後年、家康が信定と会った際に徳川家康はあの戦で死んだという話をしたという逸話をはじめ、徳川家康が討死したとされる説も存在する。
どちらにせよ家康は浜松に向かったが浜松城は既に武田軍の手に落ちていたため、三河まで逃れることとなる。
三方ヶ原の戦いの数か月後
1573年長篠城
武田軍は1573年に入ってから三河に侵攻し、野田城などを陥落させるが、信玄の体調が悪化したことで長篠城に入り、進軍を止めることになる。
その間にも武田信定、武田信繁が遠江に残った徳川方唯一の拠点である堀江城を包囲するが撃退されるなどし、1573年3月には逆に井伊・大沢などの遠江に残った徳川方の攻勢で浜松城を奪還されている。
「兄上の調子は」
「悪化しております。これ以上の進軍は」
「某も撤退すべきかと」
「せめて家康を討ちたいが」
「持ちませぬ」
「致し方なし」
武田軍が突如として撤退を開始。
武田信玄はその道中にて病死したと伝わる。 享年53
家督は孫の武田信義が継ぎ、その後見人には武田信定、武田信繁がついたとされる。
遺言は「明日は瀬田に旗を立てよ」と一門、重臣らに伝えたとされる。
人理君「これ以上、武田が拡大すると異聞帯になりかねないからね、仕方ないね」
↓
家康(影武者)を取り逃がす。落とした城を奪還される。
それもこれも人理ってやつが悪いんですよ。家康ってfateにいたんだってなり、その設定をpixivで見た結果できたのが今日の話ってわけで、結構無理があるなと思いつつ書き上げました。三話連続3千字越えたよ。褒めて褒めて。
因みに今話で信定君がサラっと使ってた魔術『陰』は気配を隠す能力があります。(もしかしたら、他の話で言ってるかも)
現在の信定君の強さはサーヴァント相手にある程度戦える程度くらいかな。(倒せはしないけど、戦いは成立する)
全盛期(川中島時)だと一部のサーヴァントは倒せるくらい想定。(多分神性特攻は持ってる気がする)。
該当クラスは今のところキャスターとアーチャー、ライダーのどれかを想定しています。
次回は長篠になるかな?じゃあね。
年数を一気に進めるのあり?なし?
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あり
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なし