天文11年(1543年)信濃国 長窪城
「安心なされよ、大井殿。我らの御館様は寛大なお方だ、お主一人の切腹で全ての民の命を救うそうだ」
武田信虎が追放される政変が起きてから約1年の時が経過し、武田軍はその勢いを取り戻し始めていた。
既に約定を破った諏訪頼重はこの世には亡く、諏訪氏そのものが事実上の滅亡を果たし、上杉方についた国人も既にこの長窪城の大井貞隆が残るのみとなっていた。
そして、その大井貞隆もここに降伏を宣言し、武田家の武名を再び関東・甲信一帯に轟かせたのである。
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「大井殿の遺体は丁重に扱え、降伏した民はそのままこの地で過ごすことを許す。大井の旧臣は見せしめとし、元服済みの男どもは皆処刑、女子供は今川などに売り払え」
側近の一人が止めてくる。
「お待ちを、そのようなことをすれば信を失いまする。何より、大井殿との約定はどうするのですか」
つまらないことを聞いてくるものだ。裏切り者には死を与える。恐怖で締め上げるのが一番早いからな。
「問題ない、大井との約束はあくまで民じゃ、大井の家臣のことまで儂らは約定を結んでおらん」
「…はっ」
武田家への怒りは私が全て引き受けよう。
それが私にできる兄への恩返しなのだろうから。
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甲斐国躑躅ヶ崎館
「…何用でありましょうか、御館様」
長窪城を攻略して間も無くして兄・武田晴信に呼び出された。
誰もいない。
「いや、久しぶりに二人きりで話したいと思ってな」
「そうですか」
「取り敢えず、人払いはしているからな、昔みたいに兄上と呼んでくれ」
「はぁ、既に家督を継いだ方のことを兄などと」
「あのバカ真面目な次郎ですら兄上と呼んでくれてるんだ、お前も呼べ!命令だ!」
10分後
「…あ、兄上」
「それでいい!」
やっぱりこの人には敵わないな
「さて、ふざけすぎたし、そろそろ本題に入るとしようか。大井の旧臣を皆殺しにしたそうだな」
そう言う兄上の表情は兄としての顔から武田家の当主としての顔に変わっていた。
「はっ、裏切り者共に見せしめは必要でしょう」
甲斐を武田を守るためにも、裏切り者にも敵対者にも容赦はいらない。どれだけ私が恨まれようとも。
「見せしめは確かに必要だ。だがな、お前の心はどうだ。割り切れていないのだろう、すり減っているのだろう」
言葉が出なかった。気づいていないふりていた。
戦国の世に転生し、兄に出会いこの人を天下人にしたいと思った。
思ってしまった。
気づいてしまえば歩みが止まってしまう。
歩みが止まれば史実のような滅亡が待っているだけだ。
「お前にばかり、つらい役目を押し付けてすまなかった。もう大丈夫だ、手を汚すのは俺だけでいい、お前はお前のやりたいようにやれ」
ああ、やはり、この方を支えていたいと思ってしまう。
「ありがとうございます、もう大丈夫です。兄上」
せめて、兄上が死ぬその時まで私のやり方で精一杯、兄上を支えようと思う。
***
時は流れ1553年 葛尾城
「敵襲!村上義清、長尾景虎の支援を受け、こちらに向かっているとのこと。その数5千!」
「幸隆、勝てるかな」
「勝てましょう」
「ならばよし、皆の者、兄上が到着するまで持ちこたえるぞ!」
「「「おお~!」」」
葛尾城城代 武田信定、この時、30歳。
武田晴信の弟にして、信濃惣大将。
後に第一次川中島の戦いと呼ばれることとなる一戦の前哨戦が始まろうとしていた。