1582年6月2日、本能寺において織田信長が家臣の明智光秀の謀反により横死した。
その事件は僅か1月ほどの間に日ノ本各地へと届き、日ノ本中を混乱に陥れた。
6月6日、越中において織田家臣、柴田勝家が武田信定に敗れる。
同時期に信濃の森長可、上野の滝川一益(後述の神流川の戦いから6月19日以降に撤退か)らが信濃・上野より撤退。
信濃・上野の織田領が空白地帯となる。
6月13日、織田家臣の羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興らが信長三男、織田信孝を擁し明智光秀を山崎にて敗死させる。
6月18日、甲斐において一揆が発生、甲斐の織田家臣、河尻秀隆討死。
「さて、武田の領地を取り戻すとしよう」
これらの報告を受け、6月20日、武田信清自らが率いる武田軍約2万が越後春日山城を出立、20日中に飯山、海津、深志の3城を接収。
6月21日、岩櫃・沼田城主、真田昌幸が武田家に再度降伏。
同時期に北条氏政が上野へ出兵し、神流川において滝川軍を撃破。
武蔵北部・上野南部を勢力圏に加える。
徳川家康、甲斐に進軍。
河尻秀隆亡き後の甲斐の統治に成功する。また、信濃・甲斐において旧武田家臣(ここでは甲州征伐後に織田に降ったもの、信濃・甲斐などに潜伏したものを指す)に向けて、書状を発行。
旧武田家臣を登用するが、武田軍の信濃侵攻を受けて、三井弥一郎、曽根昌世らが武田方になびく。
一方で、小笠原貞慶、下条氏などを配下にし、伊那地方と甲斐を勢力圏に加える。
これらの戦況から推測するに、1582年7月時点の旧武田領の勢力は以下のように
武田家:北信濃及び諏訪・佐久郡、上野北部
北条家:上野南部、武蔵北部
徳川家:駿河・甲斐・信濃伊那郡
木曾家:信濃筑摩郡
1582年 7月下旬 春日山城
「こんなものでよいか」
武田信定がそう呟き、筆をおく。
「何を書いてるのですか。信定様」
「現在の状況だよ、兼続。書いておかないと、作者が忘れてしまうからね。それに後世に向けてこの時はこうだったという物を残しておけば、多少は解像度という物も上がるだろ?」
「はぁ、要するに日記を書けばよいと」
「似たような物さ、この時はこんな戦況だ。この時はこうだった、何人死んだとかね」
「成程、分かりました」
ここは春日山城の執務室。
各地に放っている忍びからの報告書や民の相談、戦の状況まで大抵の武田に関することを捌いている。現代風に言えば、デスクワークである。
現在は10人弱で行っているため、多くの者が息も絶え絶えになっているが、一人だけ喜々としてそんな仕事に取り組んでいる者がいた。
名を直江兼続。
現在、この場に運ばれる書類の大半をこの男一人が捌いている。(一応信定もいるが現状を本に書き連ねているので例外)
本来は100人近くいるはずが、多くの者が信濃・上野に出兵しているため10人で行っていることも補足しておく。
「佐々成政が3千の兵で魚津城に攻め込んだとのこと」
「ぜ、是非とも…某がえん…軍に…」
真田信興が手を上げるが信定の発言で絶望する。
信興は真田信綱の子で、越後国内に所領を持っている。
「3千ならば援軍は必要ないだろ、景泰が3千で魚津にはおる。その後ろの山本寺から1千出させれば守れる」
実際、この時の佐々軍が挑発だけして撤退している。
「そろそろ、引き際では?」
「うむ、北条・徳川とは和睦し、木曾を潰す。木曾は義昌を再び入れなければならないからな」
1582年8月、武田信清が率いる武田軍2万が木曾に侵攻、これに対し上松義豊が木曾の将兵を率いるが武田方の先鋒が木曾義昌であることを知ると、その多くが戦意を失い、義豊が殺害されたことで木曾は再び、武田領となる。
その後も1582年10月頃の和睦までの間、小競り合いが武田・北条・徳川間で続くが、織田家の仲介で徳川・北条間での和睦が成立。
12月には徳川・武田間でも和睦が成立したことで、天正壬午の乱は終結する。
***
ときは経ち、1586年
武田信定が上洛し、豊臣秀吉に謁見。
越後・信濃北部4郡・信濃筑摩郡・信濃安曇郡・信濃木曾郡・会津地方・置賜地方・中通り地方・佐渡の安堵に加え、伊達領及び下野の切り取り次第を許される。
代わりに、魚津の放棄、信濃諏訪・佐久郡・小県郡、上野北部4郡の領有権の放棄が命じられた。
「その様子じゃ、かなり削られましたかな。信清」
「気づいておりましたな、真田の暗躍に」
「はっはっは、あえて指摘致しませんでした。騙されることも時には重要に。後は単純陰真田昌幸がおると、扱いにくい。あれは中々の頑固者に」
「まあよい。国に戻り次第、伊達を叩く。そのうえで那須・宇都宮の両家を叩き潰すとしよう」
「御意」
かくして、武田家は豊臣家の後ろ盾を得ることとなり、1587年4月伊達輝宗降伏。
そして1590年、豊臣秀吉の天下統一の総仕上げ小田原の陣が開戦する。
この世界線では粟ノ巣の変が起きていないので輝宗は平和に余生を過ごせるはずです。
今話終了時点の武田家の領地のイメージは蒲生氏郷期の蒲生氏+会津転封前の上杉氏です。
多分、小田原の陣はすぐに終わります。
秀次事件・関ケ原・大坂の陣、いろいろありますが、そこまで信定君の寿命は続くのか。
それ次第で今後の展開は変わると思います。(次回では終わらない気がするけど10話はかからないはず)
真田昌幸は独立させました。独立させとかないと『日ノ本一の兵』が生まれない気がするからです。
年数を一気に進めるのあり?なし?
-
あり
-
なし