1589年 12月25日 京都聚楽第
「殿下、武田参議信清、ただいま、到着いたしました」
「うむ、信清殿、貴殿には前田・真田勢とは別に下野より3万の軍勢をもって上野・武蔵へ攻め込んでもらいたい」
現在、豊臣政権は関東の北條家を討つべく戦支度を整えている最中であった。
「さすれば、鹿沼・壬生などの下野の北条方の拠点は如何いたしましょう?」
「下野を落とし切っておらんかったのか」
「はっ、殿下が北条と戦われるか融和されるかが分からぬうちに攻め取っては大名間の不和の元凶となると思いまして」
嘘である。この頃の武田家は人手不足に陥りつつあった。武田信定・一条信龍・本庄繫長・木曾義昌・依田信守など歴戦の諸将もいたが、当主の信清を始め重臣の多くは30~20代であり、未だ経験不足が否めない状態にあった。
故に現在、武田家では伊達家の旧臣たちを登用しこれを城主とするなどして何とか人手を足らそうとしていた。
このような状態での所領の拡大を避けたかった信清は理由をつけて下野の北条領への攻撃を避けていたのである。
「そうか、殊勝な心掛けよ。しかし、遠慮はいらぬ北条より下野を奪い、汝の所領とせよ」
「御意」
「あっ、兵数は3万な」
「は、畏まりました」
「後、今度、信定殿を京都に連れてきてくれ、昔話が聞きたい」
「叔父は年が」
「ならば、わし自ら春日山に向かう。というか、小田原に連れてきてくれ」
「それならば」
「それから…」
「はい」
「それから…」
「はい」
この後、ほぼ半日に渡って信清は秀吉の武勇伝を聞かされ続けるのだった。
***
春日山城
「成程、前田・真田とは別方向ですか」
「はい、また佐竹・結城などの関東の反北条諸侯も合流するとのこと」
春日山城に戻った信清は早速、信定、信龍の二人を呼んで行軍経路を考え始めていた。
「結城ですか」
「ああ、結城だ」
信龍があからさまに嫌そうに声を出す。
下野での戦で、結城の下野内の領地を奪っていたためである。
「問題なかろう。こちらから手は出さぬ。向こうから手を出してくれば関白殿に伝えればよい」
「殿下です。叔父上。首が飛びますよ」
「そんなに心が狭いならば戦をすればよかろう。北条を合わせて500万石はあるはず」
「めったなことを言わないでください」
「最上はどうする」
「殿下に伝えたところ、与力とするので共に下野に向かえと」
最上義光、かつて武田から離反した男ではあるが、伊達家の滅亡後、武田家を通じて豊臣家に臣従しようとしていた。
「分かった。直接向かって話してくる」
「大丈夫なのですか。毒殺の心配は?」
「あいつは戦場以外でそのようなことせんよ。そもそも武田からの離反後も何回か会ってるし」
「まじでその謎の行動やめてください」
もちろん最上家の居城である山形城に向かってである。
武士としては敵対していたが信定と義光は個人としては仲が良かったとされている。
「一応、伊達を連れて行く」
「輝宗殿ですか」
「いや、小次郎とその母君よ。輝宗と政宗は義光とどうも折り合いが悪いと聞くからな」
「ならば、儂はその間に二階堂・田村・留守・国分などの奥州の諸将に戦支度をさせておきましょう」
「うむ、越後勢は景勝と繁長を連れて行く。信豊には春日山で留守を守らせる」
「でしたら、下野に入っとる者らには城を守らせよう。もしもの時のためにな」
かくして、武田勢3万は1590年3月頃、宇都宮に到着することとなる。
***
1590年3月 豊臣秀吉、朝敵北条氏を滅ぼすべく小田原城に向けて出陣。
その総数は20万を超える大軍となる。
東海道より進む秀吉本軍:徳川家康、織田信雄、豊臣秀次、蒲生氏郷、黒田官兵衛、宇喜多秀家などその数約17万。
水軍:長宗我部元親、加藤嘉明、九鬼嘉隆、脇坂安治など約3万5千。
北方軍:前田利家、真田昌幸など約2万5千。
関東・奥州軍:武田信清、最上義光、佐竹義重、結城晴朝など約5万3千。
対する北条方も15歳から70歳の男子を徴兵し、5万余りの大軍を小田原城に籠城させ、この他、各城にも兵を入れ、その数は総勢8万程。
主だった将は北条氏政・氏邦・氏照・氏規の兄弟、氏政の子・氏直、一門の氏房、氏勝など。譜代の大道寺・松田など。各国の国人である成田・由良など。
戦国最大の戦が始まる。
この戦の火蓋を切るのは山中城。
北条家の玄関口にあたる要衝であり、守るのは松田康長、北条氏勝、間宮康俊などの約4千。
攻めるは秀吉の養子、豊臣秀次が率いる約6万8千の大軍。
徳川家康が補佐を務め、この他、一柳直末、中村一氏ら秀次付きの大名たちが参陣する。
そしてこの要衝を巡る争いは僅か半日で決着するのである。
小田原城を除けば最大規模の兵を投入したこの山中城は攻め込まれた日のうちに陥落。
城将を始め2千の兵が討ち取られることになった。
勝利した豊臣方も一柳直末が討ち取られたものの、それ以上に北条家に大きな打撃を与えることになる。
一方、ところ変わって、下野国。
「皆の者、出陣じゃ!」
武田信清・最上義光・佐竹義重・結城晴朝ら5万3千の大軍が宇都宮より出陣。
先陣を務めるは武田家一門衆筆頭・武田信定、兵数はその数4千。
山中城陥落の一日後、これらの軍勢は下野国鹿沼城を攻め、僅か半刻でこの城を陥落させる。
さらに3日後、壬生城も陥落する。
「手ごたえがないな、信龍」
「城将の壬生某が主力を率いて小田原に入っているようですからな」
この時、下野の北条方の拠点に限らず北条方の拠点は一部を除き、城主が小田原城に籠城しており、留守を守る老兵と民などが守っているにすぎなかったのである。
結果、4月上旬には下野の北条方勢力は一掃され、関東・奥州軍は上野国館林城に到達することになる。
「落とせ!」
「攻めたてろ!」
館林城攻めを担当するのは佐竹義重が率いる1万5千。
館林城は沼地に囲まれた城であり、佐竹軍は攻めあぐねていた。
「私が出よう」
「やめてください。武功の横取り云々で喧嘩になります」
「水辺に向かわないでください」
「なんでさ」
「「あんたが行くと雷が降るからだろ!」」
武田信定にまつわる伝承の中にこのような話がある。
信定が圧勝する戦場では雷が鳴り、雨が降るという物である。
実際、信定が圧勝したとされる多くの戦で雨が降っているとする資料があるほか、雷が城門に落ち城が開城したとする話もいくつか存在する。
そのため、武田の将兵たちは出来るだけ信定を水辺で戦させようとしなかったという。
「最上殿。前線はどうであったか」
最上義光の到着を見て、信清が声をかける。
「はっ、かなり厳しいかと。鬼義重がまさかあの程度とは」
「なっ、お前もそう思うだろう、む・こ・ど・の」
「その件は破談になっておりますぞ」
「知らん知らん。子がおればお主くらいの年だっただろうからな。正直、お主は私の子供だと思っている」
「左様で、しかし、裏切り者ですぞ」
「それがどうした?了承の下でじゃ」
在りし日の春日山城での会話を思い出しながら信定が言う。
「なにさらっと、とんでもないことしてるんですか兄上!」
「もうやだこの家」
信龍が驚愕し、信清は空を見上げるのであった。
(なるほど、このような緊張感の無さが武田の強さか。儂は皆を引き締めようとし過ぎていたのかもしれぬ)
「この結城晴朝、是非とも武田様の配下に加えていただきたく」
「なんだ急に、殿下の差配次第じゃ」
陣の端に座っていた結城晴朝が急に平伏する。
この男は小田原征伐の後、徳川家康の次男を養子に迎えることになるが、家臣らに武田家についての書物をまとめさせ、その養子、後の結城秀康を武田オタクに仕立て上げることになる。
この後、5月3日、館林城陥落。
***
5月10日、関東・奥州軍、武蔵国忍城を包囲。
この頃、既に秀吉による小田原城包囲より一月が経過している。
「お味方、崩されておりますなあ」
「義昌、笑い事ではないぞ。忍城を一刻も早く落とさねば、殿下より我らは叱責を受けよう」
「さすれば、我らに対する警戒も薄まるので良いではないですか」
「殿下は我らを警戒などしておらぬ」
「どうでしょうか、殿は人が良すぎる、もう少し疑うことを覚えなされ。農民より関白になった男ですぞ、何を思っておるかなど分かりませぬ」
「それでも、私は殿下を信じる。疑うこと、警戒することはお主らに任せるさ。適材適所ってやつさ」
「はぁ、まあ、今はそれでよしとしましょう」
信清と木曾義昌が本陣で話していると伝令が入ってくる。
「下総国古河城陥落!」
忍城とは別に古河城にも兵を出しており、結城晴朝・武田信定に率いられたこの軍勢によって5月21日、古河城陥落。
古河城は代々古河公方の拠点として機能していたが1562年に北条軍によって陥落させられ当時の古河公方・足利藤氏が切腹したことで古河公方家が途絶えて以降は北条家の直轄領となっていた。
この古河城を攻略した軍勢は古河城攻略後は忍城の包囲に戻っている。
5月23日
「どうじゃ、信龍、落ちそうか」
「兄上、中々落ちませんな。敵方の士気が異様に高く、攻めあぐねております」
忍城の士気が異様に高く、民衆が進んで戦に協力し、兵として戦っていた。
「そうか、敵将・成田季泰とは1度会ったことがあるがここまで士気を上げられるような男ではなかったと思う」
成田氏は一時期、武田家に従っていた時期があったため、信定は現当主・氏長の父・長泰とその弟であり、忍城城代を務める季泰と会い、話したことがあった。その時の感想がいたって普通の凡将であった。
「では、何か別の要因が?」
「分からぬ、故に交渉に向かう」
忍城を攻めあぐねた上方勢、武田家臣・武田信定、佐竹家臣・佐竹義久を使者とし、忍城への降伏勧告を行う。
『小田原征伐記』より(小幡憲景・著)
「やあ、久しいな季泰殿。回りくどいのはなしじゃ。単刀直入に聞く、降伏せんか?」
忍城内、成田氏の重臣たちが脇に控える中での話し合い。
そこに率直に問いかける。
「えっ、ちょっ、信定殿」
佐竹義久は慌てているが気にしない。
「もはや、貴殿らに勝ち目がないことは理解できておろう。城は包囲され、味方の城も次々に落とされておる。援軍は見込めぬぞ」
「降伏は致さぬ。援軍の見込みなしと言えども、民草のために、悪逆非道な豊臣に我らは降らぬ!」
季泰の左側に座る男が答える。
「関白殿下は民の安寧を望んでおられる」
「ならば何故、戦を行っておる。この戦でも民は傷ついておるのだぞ」
「北条が約定を破ったがため、その不義を成敗するがため」
「笑止!主家であった織田を乗っ取ったことの方がよっぽど不義であろう!」
成田の家臣らが勢いづく。
「北条に付く限り、民は傷つき続けますぞ。何故、降伏いたさぬか不肖、義久に伝授願いたい」
義久が口を開く。
「先ほども言った通りじゃ、民を苦しめる輩に我らが降伏することはない」
「ならば、何故、武田にはついたのですか。武田は常に戦を行ってきた民のことを考えぬ家です」
「おい」
信定が言うが誰も聞いていない。
「放火、人身売買はお手の物。気分で民を殺していたはずです。何故、それは許し、関白殿下が行った戦が故のことを許さぬ」
「関白は不義が故」
「武田も不義でございますぞ。同盟を破り、弱きに攻め入り、信濃・駿河の領国を得ました」
「さすがにそこまでひどくねえよ」
再び信定が言うが誰も聞いていない。
「そ、それは…」
「名門であることに鼻をかけ、下賤な身の上たる殿下を舐め腐っておるのではないか」
少しづつ、成田の家臣らの勢いも弱まる。
「季泰殿の意見や如何に」
「……儂個人の考えとしてはともかく、忍城の城代としては当主・氏長の命なく開城することはあり得ぬ」
「相分かり申した。今日のところは帰るとしましょう。行きますぞ、信定殿」
忍城に対する降伏勧告は失敗した。
「さすがにそこまでひどくねえってのに」
「少しくらい誇張した方がいいものですよ」
「悪い部分を盛るなっていっているんだ」
「諦めてください。しかし、成田、思いの外、厄介ですな。民に好かれている副官と忠義の大将と言ったところでしょうか」
「加えて、名門としてのつまらぬ矜持も持ち合わせているときた」
「民の反乱も考えにくく、家臣らの離反も恐らくない。その上、堅城と名高き忍城に立て籠っている」
「考えれば、考えるほど、戦いたくない城じゃな」
忍城降伏せず。
この忍城における戦いは6月ごろまで続くことになる。
6月12日、豊臣秀吉の本陣より石田三成、大谷義継、長束正家ら3千が到着。
以降、この忍城攻めの指揮は石田三成が担当することになる。
「あれは駄目じゃ。人を信じておらぬ、というか高圧的すぎる。あのようなものが中心におっては士気も上がらぬ。勝てる戦も勝てなくなるわ」
武田家の陣で佐竹義重がぼやく。
「佐竹殿、そう怒らずに、聞けば貴殿の子息は石田殿と昵懇だと聞きまする」
現在武田家の陣には武田信清、佐竹義重、そして上杉憲政が話し合っていた。
「しかし、まさか前の関東管領である憲政殿が生きていらっしゃるとは」
「様呼びしろと言いたいところだが、貴様らに負けてからいろいろあってな、殿呼びで許してやる。儂からの願いは一つ、関白殿下への執り成しをしてくれんか?」
上杉憲政、かつては北条・武田などと争い、一時は佐竹らと結び、北関東・南奥州を席捲したが、重臣・長野業正の死後、上野を追われ、佐竹の客将として過ごしていた。
「何も、関東管領として認めろというわけではない。ただ、上野あたりに1万石程度でもよいから所領を盛ら体だけなんじゃ」
「分かりました、できる限りのことは行いましょう」
「忝い」
小田原征伐の後、上杉憲政は秀吉より禄高3千石で召し抱えられ、秀吉のお伽衆の一人となる。
***
忍城攻めは水攻めを行うことが決定した。
豊臣秀吉の命である。
これを受け、三成は周辺の農民たちに食などを与え、4、5日ほどで堤防を作り上げ、水攻めの準備を整えた。
「三成、本当に行うのか」
「行うしかない。殿下よりの命令だ」
忍城の周りは水で満たされる事となったが本丸が沈まず、忍の浮き城と呼ばれることになる。
一方、同時期に武田信定は上杉憲政とともに小田原へ向かっている。表向きには捕らえた北条方の将の引き渡しであったが、この時に武田家の戦後の領域が確定したとみられている。
「武田信定に」
「お主が武田信定か、噂は常々聞いておったぞ」
「関白殿下に覚えていただけるなど恐悦至極に」
「そんなに畏まらんでよい。貴殿には武田の小田原征伐後の褒美を伝えたいと思っておってな」
「はっ」
得体の知れない男、それが信定から秀吉への評価であった。
対面するとより恐ろしく感じる気味の悪い男だ。
「武田には前もって伝えておる通り、下野の北条領を加増する、約10万石ほどはあろう。次にこちらが本題じゃ、徳川家康を北条領に移封する。もし、家康が挙兵すれば、其方は当主・信清を補佐し、家康を背後より討て」
「…はっ」
そう返事をすると突然秀吉の声が明るくなる。
「暗い話は終わりじゃ。どうじゃ、わしにお主の昔話を聞かせてくれんか?」
「はっ、是非とも聞いていただきたく」
これは天下人になるわけだ。
人心掌握、気づけば好きなっておる。
気をつけねば。
***
忍城 6月20日
「殿、ただいま戻りました」
「丁度よいところに来てくれましたな!」
「如何したのだ、いやな予感がするのじゃが」
忍城に帰陣した信定が見たのは成田勢の手により決壊した堤防であった。
「石田殿、気落ちなさるな。誰にでも失敗という物はあり申す」
「黙れ、殿下に失敗などあるわけがないのだ。私の指示に従った270名の者も失ったのだ。全て私の責だ」
「と、まあ、このように塞ぎ込んでしまいまして」
「鉄拳制裁?」
「敵陣に放り込む」
「布団を投げて投げて投げまくれば暑くなって出てくるじゃろ」
「女子で誘惑」
「殿下からの文」
各々、思い思いに解決策を言い合うが一向に答えは出ない。
「そもそも、忍城攻めを水攻めで行うようにと言ったのは殿下じゃろ。なら殿下のせいではないか」
「そのようなこと、三成に言えば斬られますぞ武田翁」
「私はそこの肥満体が初対面で言ってきたように時代遅れじゃからな、殴って言い聞かせることしかできん」
「えっ?私の?」
長束正家が自分に指を指す。
「まあ、ということで。ちょっくら殴ってきます」
「宣言して行かないでくれません」
「三成が死んだらどうするんです」
「大丈夫、力はない方だから」
そう言うと、信定は陣の外に出ていく。
「のう、石田殿、さっき振りじゃな」
「なんのようだ。笑いに来たのか」
「いいや、誰が笑うさ。若い日に失敗という物はしておくべきじゃぞ。私も若い時にやらかしたものじゃ。聞くか?」
「慰めの言葉などいらぬ」
そうかと信定は呟き三成の横に座る。
「では、老人の独り言じゃ、一度な、降伏した城に籠っておった者を撫で斬りにしたのよ、そしたら、兄上に怒られてしまってのう。当時の私は武田のためにと思い、汚れ役を演じた方が良いと思っておった。だが、後から聞けば、家臣らもその頃の私には極力近づかぬようにしていたという。だが、今では武田家中の皆だけでなく、他家の者達までもが御老公や武田翁などと呼んでくるようになったものじゃ。なんとなくじゃが、私とお主は似ておる気がする故な。天下の豊臣と田舎の守護大名では違うかもしれぬが」
「ああ、違うだろうさ、重責も何もかも。貴殿は自ら意思で私は自らの失態だ。五郎、市助、甚兵衛、寛作……」
その後も、三成は戯言のように名を挙げていく。
「ちょっと待て、まさか、死んだ全員の名前を覚えておるのか」
「率いた者たちの名前を覚えることなど当たり前だろう。私は関白殿下の家臣なのだからな」
そう語る、三成の目は澄んでいた。
「訂正する、お主は私に似ておらぬ、私以上の将じゃ」
石田治部少輔三成、彼は後に豊臣秀吉、一の臣として名を遺す。
これはそんな男の初の戦働きにおける武功たる忍城の戦いである。
***
「皆、心配をかけた。済まん」
三成が諸将の前で頭を下げる。
「あ、あの三成が」
「あ、頭を下げただと」
普段の三成を知る大谷吉継と長束正家が驚愕する。
「ふん、若造の頭などいらんわ、軽すぎる。だが、その心意気はあっぱれ」
「おお、なんと心の広い佐竹殿か、我らが下野の貴殿の土地を奪ったこともこの軽い頭を下げれば許して下さると」
「貴様は許さんぞ、武田ぁ!そして結城ぃ!」
「なんで、儂?」
「石田殿、頭をあげて下され、誰も貴殿を責めませぬよ、敵が上手だっただけのこと、まだ若いのだ、ここからそれを越えればよい。この戦においては少なくとも我らが未熟な貴殿を支えましょう」
「最上殿、以前の私なら未熟と言われただけで怒っていたでしょう、しかし、今は貴殿らを頼りたいと思いまする。この未熟者に力を貸してくれ!奥州、関東の諸将達よ!もちろん、同僚であるお主らもだぞ」
「「おおおお!!」」
この時、堤防の決壊によって忍城の周りは泥沼のようになっていたという。
「うむ、これは馬に乗らぬ方が良いな」
「の、信定様が向かわれるので」
「問題なかろう。いざ、行かん!」
武田信定率いる武田軍約3千が先陣を務め、忍城の皿尾口より攻め寄せたという。
「よし、我らも出るぞ。泥を雪と思えば動ける!」
「雪の中で戦をしません」
「もっと動きにくいです!」
続いて、最上義光率いる2千が長野口。佐竹義重率いる3千が下忍口、石田三成率いる3千が持田口より各々攻め入る。
さらに大宮口より結城晴朝が2千、佐間口より武田信清が5千で攻撃を開始した。
残る3万5千の兵は長束正家、一条信龍、佐竹義宣らが指揮し、増援部隊とした。
かくして、忍城の戦いは最終局面を迎えることになる。
普通に7千越えちゃった。
誤字・矛盾点などがあるかもですが許してください。
後、三成がFGOに登場したときのイベントやってないので口調間違えてるかも。
忍城の戦い、小田原陥落までもっていく予定だったのですがこちらは次回。
武将説明:
最上義光
最上家当主。最上家の最盛期を築いた男。
一時は武田に臣従するが、武田が弱ると独立、どさくさに紛れて庄内地方を制圧した。
その後、再び武田家が拡大すると武田家を通じて秀吉に降る。
何気に武田からの離反後も信定とは手紙のやり取りをしていたようで、仲はいい。
信定的には自分に子供がいたら同じくらいかなと思っている。(実子のこと)
因みに、FGOにも登場している茶聖の第三再臨の父親である。(ま~じで例の事件どうしよう。多分、史実以上に秀吉が嫌われる気がする)
石田三成
秀吉子飼いの元坊主。
忍城に派遣されたのは勝てる戦で経験と実績を積ませたかった秀吉なりの親心。
他人に対する高圧的な物言いは今回の件で多少緩和された。
ついでに正則に茶を渡して話し合いたいとも思ってたり、思ってなかったり(多分、日本号を取られて機嫌が悪い正則を誘って余計に機嫌を悪くしそう。だけど、関ケ原も起こるかな?)
普通にプロットなしで書いてるせいで、上杉やら足利(古河)とかも史実と変わってるし、三成の性格軟化の結果、某関白粛清事件の方で乱が発生しかねない気もする。
ということで、アンケートです。
今後の生前編の展開
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史実通り(細かい部分は異なる)
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史実無視のオリジナルストーリー
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史実で起こった事件の大きい流れを変更