1592年 名護屋城 最上軍陣屋
1592年頃より秀吉は全国の大名に号令し朝鮮出兵を決行し西国の大名たちが朝鮮に渡航した。
一方、東国の大名たちも秀吉の命令で肥前国名護屋城に集結していた。
「よ~しよし、もう少しじゃな」
囲炉裏の前に座り鮭を見ながらにんまりとするこの男を最上義光と言い、出羽山形40万石の主である。
「お~い!伯父上、邪魔しますぞ!」
そう言うと、返事も待たずに隻眼の青年が入ってくる。名を伊達政宗。武田家家臣で下野那須1万石を治めている。
「おっ、鮭ではないですか!ちょうど塩が欲しかったのです。伯父上、気が利きますな」
そう言うと、政宗は鮭を一つ手に取り、義光の目の前で食べ始めた。
「わ、儂の鮭が……」
「おいしゅうございましたぞ、今度、私の食事を振舞いまする」
それだけ言うと、政宗は去っていった。
「あ、あいつは何をしに来たんじゃ」
義光はうなだれるがすぐに顔を上げる。
「ま、まだ2匹も残っておる。問題ない問題ない」
義光はまだ残っていた2匹の鮭を見つめる。
***
少し時間が経ち
「よし、いいくらい…」
「義兄上お邪魔しますぞ!」
「伯父上、お久しぶりです!」
義光が鮭を取ろうとすると、今度は親子がやってきた。
父親の方を伊達輝宗。先ほどの政宗の父親でもあり、義光の妹を妻とする。かつて、伊達家を率いて武田家と争ったが敗北して以降は武田家当主の信清の相談役として偶に登城するとき以外は鷹狩などをして隠居生活を満喫している。
息子の方を伊達清宗。輝宗の子で政宗の弟。信清の小姓を務めており、清の字は信清の偏諱である。本日は休暇であり父親とともに鷹狩りに出かけていた。
「お、おお二人とも久しいな。なんのようだ?」
義光の脳裏に蘇るのは先ほど、政宗に鮭を取られた記憶である。
「いい兎が取れましてな、義兄上にも分け与えて差し上げねばと思いまして」
「そ、そうか。それはありがたい」
「それから、鮭を食べたいと思いましてな」
「兄上が絶賛しておりましたぞ!それで是非とも食べてみたいと思いまして!」
輝宗の後ろから清宗が大きな声で言う。
「そ、そうか。残念じゃがもう食べてしまってな」
「義兄上、後ろの黒いものは何でしょうか」
「馬鹿な、まだ鮭が焦げるわけが」
「やっぱり鮭じゃないですか」
義光がしまったと思った時にはもう遅い。
輝宗が義光の部屋に押し入り、鮭を二つ手に持っていた。
「騙したな!」
「何のことやら」
「あ、ありがとうございます」
清宗が申し訳なさそうに頭を下げると義光は何故か自分が悪い気がして何も言えなくなった。
これが後の『伊達親子の鮭取り』である。
***
1592年 出羽国米沢
この頃の奥州における記録の一つに出羽国米沢近辺の最上川において武田信定が茶会を行ったとする記録がある。
主な参加者は武田家より武田信定、木曾義昌、矢沢頼康、太田資武、成田氏長。最上家より氏家光棟。
この他、留守の者達が集まった大規模な物であったと記されている。
この頃の信定の立ち位置としては下野国宇都宮10万石を養子の武田信吉(徳川家康5男、2万石分与。8歳くらいのため信定が後見か?)・武田信昌(両親不明、一説には奥平信昌の弟で奥平氏離反時に殺害された仙千代と。8万石分与)に分配し、隠居していたと考えられているが、一方で朝鮮出兵のため名護屋に在陣する武田信清の留守を預かり、政務も行っていたと伝えられる。
「お爺様、苦いです」
「確かに苦いですね」
「どうやったらこんなの出来るんですか?」
「本当に利休様に茶の湯を学んだのですか?」
「……そこまで酷い?」
「「はい」」
この茶会について書かれていることは少ない。ただ一つ確実に言えるのは信定の点てた茶が苦いことだけ。
「……うん、これは酷い」
「あの世の利休様が泣いていますぞ」
千利休、商人であり茶人。その弟子には陸奥石巻30万石・蒲生氏郷や丹後12万石・細川忠興など大名も多い茶聖。
信定も2月という短い期間であるが師事していた。
ただし、利休からも酷評されている。現代語訳にすると『死人が出る』『毒でも入ってるかと思った』などである。
利休は1年前に自害しているため既にこの世にはいないのだが。
「いいかい、駒。どれだけ美味しくなくてもね、心を込めて作れば気持ちは伝わるはずだから。何事も本気でやるんだよ」
自らのことをお爺様と呼ぶ少女に信定は諭すように言う。
「何、いいようにまとめようとしてるんですか!」
「いいこと言った気になるなぁ!」
「若作り童貞!」
「ヘタレ!」
外野は好き勝手に言う。特に義昌と信守の二人が。
「駒、いいかい。それでも騒ぐああいう輩は一回、痛い目に合わせないと分からないからね。困ったことがあれば私や義光、信清。それに最上や武田のみんなを頼りなさい。みんな、君のために力を貸してくれるだろうからね」
「はい!」
「うん、いい返事だ。では、少し私は彼らを絞めてくるとするよ」
そう言うと信定は義昌にドロップキックする。
そこからは雪合戦が始まり、大人、それも殆どが50代以上というこの時代においては十分老人に入る者達が子供のように遊んだのだった。
ついでに、鮭も取って義光に送ったとする資料もある。
***
そして3年後、1595年。
「急報!豊臣秀次様、高野山にて自害!」
「なんじゃと!」
秀吉の甥であり養子、そして関白であった豊臣秀次が高野山で自害。
「また、秀次様の妻子も悉く処刑されたとのこと。そ、その中に、駒姫様も…」
駒姫はこの数か月前、秀次に嫁ぐために出羽から京へ向かったばかりであった。
秀次との一度の面識もなかったが処刑されたと伝えられる。
「…分かっておる」
「信清様より、こちらの書状が」
「今は見る気になれぬ」
「そう言われても、読ませろと。これは主命だと」
「…分かった」
書状を手に取り、読み進めるうちに信定の顔色がより、悪くなっていく。
「この書状の中身を読んだか?」
「い、いえ、読んでおりませぬが」
「ならば、よい。すぐに各城にいる武田の重臣を集めろ」
使者の男は戸惑うが信定の目は迷えば殺すと言っているようであったため、直ぐに走り去っていく。
(本気か、信清。いや、主犯は織田かな?)
日輪は傾き始めたのである。
信定君は子供は天からの授かりものと信じているので(文字通りの意味)。謙信も多分知らない気がする(性欲あるのかな?)、一応、他にも側室はいるけど、添い寝するだけで終わってます。
信定君の茶は本当に不味いです。利休さんは初めて飲んだ後3日程寝込んだそうです。その後は努力の末、苦いけど飲める程度にはなったそうです。(蒲生氏郷の死因が毎日信定君の茶を飲んでいたからというネタ説が出来る程度にはやばめ)
そして、秀次事件まで飛ばして、ここから我々の知る歴史と離れていきます(耐えkだが残ってるのだから今更、とか言わないで)
今後の生前編の展開
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史実通り(細かい部分は異なる)
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史実無視のオリジナルストーリー
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史実で起こった事件の大きい流れを変更