1554年 5月16日
火を体に纏い、体が炭になりつつも前進する武者が一人。
名を小梁川宗朝、伊達家11代当主伊達持宗の孫であり、小梁川家自体も伊達一門に名を連ねる名門であったが、若き頃は諸国を巡り武者修行を行ったとされる。
その後、時の将軍足利義稙に召し出され、帰国後は稙宗に仕え、幽閉された稙宗を救うなど天文の乱でも活躍、乱後、稙宗が丸森城に隠居するとこれに付き従ったとされる。
「稙宗様のため、あの方の愛された奥州のため!貴様らには消えてもらうぞ」
既に皮はなく、骨がむき出しの男は馬を駆ける、彼の愛馬は毛並みの美しさが評判の馬であったが、既にその毛は燃え付き、主人と同じく骨がむき出しになっていた。にもかかわらず、その動きは彼らの全盛期のそれを越え、まさしく軍神がこの地に降臨したかの様であった。
実際、後年、武田信定は『武田の騎馬隊は軍としては天下一だが個人で小梁川信濃守(宗朝)に勝る者は唯一人としておらぬだろう』と語ったとされる。
宗朝は約半刻に渡り、武田軍を散々に破り、一時は武田軍の中央軍を崩壊させるなどの活躍を行った。
しかし、伊達晴宗を始めとする奥州の諸将は動かなかった。
否
動けなかったというのが正しいのであろう。
宗朝が突撃したのは鋒矢の陣の左端であり、中央の先端に陣取っていた長尾景虎は宗朝に出会うことなく奥州軍の陣を蹂躙したためである。
そして、宗朝も最後の瞬間を迎えることになる。
ヒュンッ!
矢がどこからともなく宗朝に向けて飛来するが宗朝に命中する前に燃え尽きる。
「幻術の類ではないく、本当に燃えているのか!死ぬぞ!」
「この命、我が殿が愛した奥州のために散らせるのならば本望!若人よ死にたくなければそこをどけ!」
「どかぬ!我こそは武田晴信が弟、一条信龍である!」
矢の代わりに刀を構える青年の名を一条信龍。武田信虎の八男にして、室町時代に途絶えた武田家の一族・一条家の名跡を継いでいる。この戦いが初陣であり、真田幸隆の陣のすぐ側に配置されている。
「そうか、武田の…名乗ったことを後悔し、死ぬが良い」
宗朝が刃が溶けかけた刀とともに斬りかかる。
「紫電」
瞬間、紫の稲妻が駆け抜ける。
「あ、兄上!」
稲妻は信龍と宗朝の間に割って入り、土煙が宙を舞う。
その中から、人影が現れる。
「信龍、無事でよかった。とはいえ、勝手に前に出るな!」
「し、しかし」
「幸隆、連れて行ってくれ、私はこの者を倒してから向かう」
「はっ、信龍様、さあ、向こうで勉強しましょう」
「いやじゃ、勉学はいやじゃ~」
騒ぐ信龍が幸隆に連れていかれる様は周囲に戦場とは思えない空気を漂わせることになった。
「さて、待たせてしまってすまぬな。これより先は私が相手をしよう。武田晴信が弟にしてこの戦の総大将を務めておる武田信定じゃ、短い付き合いになるとは思うがよろしく頼む」
既に顔の半分ほどが灰になり、消え、話すこともできない宗朝はそれでも駆ける。
目の前にいるのが総大将となればなおのこと、欲しい、奥州のため、我が殿のため。
奴の首が欲しい。
瞬間、宗朝の脳内に流れたのはかつて主君である稙宗の隣に立ち続け、定期的に城下町に繰り出しては何らかの事件を起こす主君の後始末を行ったり、戦場において主君とともに駆けた日々。
忙しくはあったが、充実した日々の記憶。
そんな記憶が流れた時には既に宗朝は絶命していた。
「…そう…か、死んだか。天晴なり、小梁川宗朝」
小梁川宗朝、奥州最大の戦いとも言われる会津の戦いにおいて、討ち死に。
通説においては稙宗の死後、撤退する奥州軍の殿を務め、武田軍約900を斬った末に体に火を放ち立ったまま絶命したと伝えられる。 享年86。
一方、奥州軍は先述の通り、長尾景虎に蹂躙され更に、武田信定が合流したことによって、総勢3万の内、約1万が討ち死にあるいは逃亡したとされ、蘆名氏は会津から撤退。
以降、猪苗代湖近辺において蘆名・伊達連合軍は度々、武田軍と激突することになるが1563年に猪苗代を代々治めてきた蘆名家家臣の猪苗代一族が武田家に内通したことによって蘆名家は滅亡する。
一方、他の奥州の勢力はというと、会津陥落から間もなくして二階堂氏が武田家に事実上の降伏、さらにこれを受けて、白河結城氏などのこの合戦に参加していなかった奥州の豪族の一部が武田氏に事実上の従属宣言を行うことになる。
関東においては武田晴信率いる武田本軍を一度は撃退した長野業正が籠る箕輪城を除く上野西部に加え、長尾氏の影響が強かった上野北部を武田軍は攻略し、1561年に業正が死去すると、箕輪城はあっさりと陥落し、上野東部にも進行することになる。
また、北条氏康も国府台における戦いで数倍の関東諸将を討ち破り、下総の西半分を制圧。更に、古河御所にも進軍し、1562年には古河御所を陥落させるなどし、再び関東における影響力を高めつつある。
そんな少し未来の話はおいておいて、1560年。
日ノ本全土を激震させる出来事が起きる。
今川義元“討ち死に”
総勢2万5千の大軍を持って尾張に侵攻した今川義元が尾張の戦国大名、織田信長に討ち取られたのである。
そして、この織田信長こそが後世に乱世の風雲児や第六天魔王などと呼ばれ、武田氏と激戦を繰り広げることを誰も知らない。
やっぱり戦闘の描写って書くのが難しい。
今回で死亡した小梁川宗朝さんは史実では1565年に97歳で亡くなっているので10年程寿命を縮ませる結果となりました。(しかも、史実での死因は主君である稙宗の後を追っての殉死であるため、もしかしたらもっと長生きしていたかも。因みに父親と弟のせいで寿命が10年縮んだことで有名な真田信之ですが彼の享年は93歳だそうです)
伊達家は先祖代々ハッチャケてると思っています。晴宗とその正室の久保姫の話とか、伊達政宗の話だったりとか。
最後に改めて、苦手な戦闘描写頑張ったので高評価、お気に入り登録お願いします!
年数を一気に進めるのあり?なし?
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あり
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なし