LIMINALITY   作:uso80024365

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そこには、過去があり、今があり、そしてまだ訪れない未来がある。
すべてが一瞬に溶け合い、光となって流れていく。
それを人は時空と呼び、誰かは記憶と呼ぶ。
けれど本当は、そのどちらでもない。
一つの選択が幾千の未来を生み、一つの記憶が幾億の過去を呼び覚ます。
誰かが誰かを想う、その瞬間ごとに時空は歪み――運命が、変わる。


第一話

「なぁ」

 

三日前だ。よく覚えている。

朝。三年○組の教室。海藤瞬は神妙な顔をしていた。斉木楠雄はそれを黙って見ていた。なぜなら、このあと海藤が何を言おうとしているかわかっていたから。なぜなら、斉木楠雄は超能力者で、テレパシーで筒抜けだったから。

しかし、だからといってそれにどう答えて良いかということが、わかるわけではない。

 

「斉木、お前、昨日駅前の本屋にいたよな? 声かけようと思ったんだけど、目が合ったと思ったらどっか行っちゃっただろ?」

 

僕、何か嫌なことしちゃったかな、という海藤の弱気なテレパシーを読みながら、楠雄は考えた。昨日自分が何をしていたのか。

 

『僕は、昨日本屋になど行っていない』

「あ、そうなのか?」

 

人違いだったんだな、と安堵する海藤がその安堵とともに打ち消した考えを、楠雄のテレパシーはしっかり読み取った。

 

――あんな特徴的なヘアピンつけたやつ、ほかにいるかな。

 

 

その次の日のことだ。

 

「なあ」

 

昼休み。中庭。校舎裏手から出てきた窪谷須亜蓮は、楠雄を見るなり言った。

 

「昨日はあんなところで何してたんだ?」

『……あんなところ、とは?』

「は? 町はずれの倉庫だよ」

 

そんなところでお前こそ何をしてたんだ、と聞きたかったが、その頬の絆創膏を見れば大方喧嘩だろうと予想がついたので、楠雄は何も言わなかった。そして、また考える。昨日自分が何をしていたか。

 

『昨日は家にいた』

「あ? じゃあ別人なのか」

 

窪谷須は納得したらしかった。しかし、やっぱり楠雄のテレパシーは、その納得の裏を読み取る。

 

――あの髪色とメガネは、絶対斉木だと思ったんだがな。

 

海藤と同じだ。“昨日の自分”が一体何をしていたのか。違和感が少しずつ膨らんでいく。何か、得体の知れないものが迫ってくるような、そんな気がした。

 

 

昨日のことだ。

 

「斉木くん」

 

放課後。三年○組の教室。人目を憚るように、照橋心美は楠雄に話しかけた。楠雄はなんとなく嫌な予感がした。それはいつも心美が楠雄に対して講じる策に感じるような予感ではなかった。

 

「昨日は、目があったのに話しかけられなくてごめんね。お兄ちゃんが……」

 

まただ。“昨日の自分”。

 

『何のことだ』

「昨日の、喫茶店よ。コーヒーを飲んでいたでしょう」

 

やはり楠雄は昨日の自分が何をしていたかについて考えた。

しかし何にも思い当たらなかった。

 

『いや……昨日は、行っていないな』

「あら。なら、人違いだったのかしら」

 

心美は一瞬不思議そうな顔をして、すぐにいつもの完璧な微笑みに切り替えた。

 

「じゃあ、こんどは一緒に行こうね」

 

そう言ってスカートを翻して立ち去るとき、やはり楠雄のテレパシーは心美の裏の声を読んだ。

 

――私が、人を間違うなんてあり得るのかしら。

 

楠雄は、その場でしばらく考えた。“昨日の自分”。自分がいなかったはずの場所に、自分がいたと言う友人たち。この場合、おかしいのはどちらなのか。友人たちがありもしないものでも見ているのか。それとも、自分がおかしいのか? その違和感は拭えないまま、楠雄の中で蟠った。

 

 

そして、数時間前。

 

「あ、斉木さん」

 

放課後。廊下。すれ違いざまに声をかけてきたのは鳥束零太だった。

 

「さっきは図書室にいませんでした?」

 

“昨日の自分”が、“さっきの自分”に変わったことを楠雄は理解した。

 

『……さっきって、いつだ?』

「は? つい三十分くらい前ですよ」

『それは間違いなく、僕なのか?』

「何言ってんです?」

『僕は図書室になど行っていない』

 

え、と鳥束は固まった。

 

『なぁ、幽霊に聞いてくれ。三十分前なら、僕は中庭にいた』

 

中庭のベンチで、読み終わらなかった図書室の本を読んでいた。今日は確かにこのあと図書室へ行こうと思っていたが、図書委員の当番が東野だったのでやめ(あの両親ゆえなのか、東野はあれで本に詳しかった)、中庭に移動したのだ。

 

鳥束は楠雄の剣幕に圧され、あわてて幽霊を探している。近くにいた幽霊を呼び、三十分前に中庭と図書室にいた幽霊を探してくるよう頼んでいた。

これまでの違和感が膨れ上がって、いまにも破裂しそうだった。

 

友人たちも、自分自身も、誰も認知を証明することはできない。自分を見たと思い込んでいるのだと思っていた。そこに楠雄がいなかったとしても、似たものをそう思い込んでいる。三つの点が一定の間隔で置かれていたときそれを顔だと思い込むように、要素があればそれらは簡単に何かの形をなす。人間の認知は案外覚束ないのだ。それと同じようなものだと思っていた。だって彼らは、自分に似たものを“見かけた”だけなのだ。

 

ピンクの髪、ヘアピン、緑のおもちゃのメガネ。これらの要素が酷似した人間なんてあり得ないとわかっていても、それを信じるしかなかった。だって、楠雄の記憶が途切れている場所などどこにもなかったのだから。

 

しかし人間の認知を、幽霊が証明できたら? 嘘をつかない幽霊たちが、確かにそこに楠雄がいたのだと証明してしまったら。

 

「さ、斉木さん……」

 

幽霊から話を聞いた鳥束が振り向く。驚きに目を見開いて。そして言った。

 

「いまこの学校に、斉木さんは……」

 

夕焼けが差して、二人の頬を赤く照らす。

 

「二人……以上います」

『……以上?』

 

幽霊は、楠雄の予想以上のことを証明してしまった。

 

 

いま、この世界に斉木楠雄が——複数人、いる?

 




つづきます。
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