――西暦一五三四年。
豊後国。
目を覚ました瞬間、視界いっぱいに広がっていたのは赤だった。
燃え盛る炎。
崩れ落ちる柱。
黒く渦巻く煙。
肌を焼くような熱気と、喉を刺すような息苦しさ。
初めは夢だと思ったが頬を撫でる熱はあまりにも生々しく、煙を吸い込んだ肺は焼けるように痛んだ。
煙のせいで涙が滲み出て咳き込みながら俺はようやく理解した。
これは夢ではなく現実なのだと。
(どうして炎が……!?いや、考えるのは後だ!まず逃げないと!!)
慌てて周囲を見渡す。
だが、そこはすでに火の海だった。
畳は燃えて壁は赤く染め上げられ柱はギシギシと軋みを上げて今にも崩れ落ちそうになっている。
出口がどこにあるのかが分からい、どちらへ逃げればいいのか思考を巡らせるだが天はその時間すら俺には与えなかった。
熱い。
苦しい。
怖い。
息を吸うたびに喉に焼けるような痛みが走り段々と足元はふらついていく。このまま焼け死ぬのか――そう思った瞬間だった。
――左方向五メートル先。まだ火の手が回っていません。そこから脱出してください。
「……ッ!?」
突然、頭の中に声が響いた。
人の声ではないことは確かだ。声に抑揚がなくどこか機械じみた声で俺に語り掛ける。
「あんたは一体……!?」
驚愕する俺を尻目に声は淡々と返す。
――説明は後です。急がなければ逃げ道が塞がれます。今は生存を最優先してください。
「くっ……そうだな!」
訳が分からない。
聞きたいことは山程ある。だがこのまま此処で立ち尽くしていれば間違いなく死ぬそう思った俺は頭の中に響く声に従い炎の中を走り出した。
火の粉が顔に当たり煙で視界が霞む中、崩れた梁を避けて焼け落ちた障子を蹴破って必死に前へ前と進む。
足が痛い。
身体が重い。
全身が悲鳴を上げている。
それでも俺は走った。
生きるために……ただ、それだけのために走り続けた。
⸻
どれほど走ったのだろう……炎に包まれた館から逃げ出して頭の中の声を頼りに無我夢中で走り続けて気が付けば俺は森の中にいた。
夜の森は暗く何も見えない。あるのは風が木々を揺らす葉音と虫の騒めきだけしか存在しなかった。だけどあの炎に比べれば、暗闇の方がまだマシだと思えた。
無我夢中で走り続けた疲れた俺は一本の木に背中を預けてそのまま崩れるように座り込む。
「ハァ……ハァ……ッ!」
先程から肺がもの凄く痛い喉も未だに焼けているようだ。
身体のあちこちがズキズキと痛む。
(ここまで来れば……安全か……?)
そう安心した途端に急激に意識が遠のき始めた。
身体中に激痛が走る。
よく見れば、手足には火傷があり、衣服は血と煤で汚れていた。
どこで負ったのか分からない刀傷まである。
「クッ……ソ……炎からは……逃げられたのに……」
視界が霞む中、立ち上がろうと腕や足に力を入れても全く動かない。
(こんな……意味も分からないところで……死ぬのか、俺は……)
こんな訳の分からないまま死ぬのかと絶望が胸を満たし瞼が落ちかけた時だった。
「おい、お主!大丈夫か!!おい!」
誰かの声が聞こえた気がした。
だけど俺には返事をする力は残っていなかった。
「これは大変だ……! 急いで手当てをせねば!」
その言葉を最後に俺の意識は闇に沈んだ。
⸻
「……あ、あれ?」
次に目を覚ました時、視界に映ったのは木造の天井だった。
ガバッと上体を起こし、慌てて周囲を見渡す。
眼が覚めた場所は炎の中でも森の中でもなくどこか古めかしいが人が暮らしている家の中だった。そこで俺は掛け布団替わりなのか着物が掛けられていた。
(今度は家の中!? 一体どうなってんだよ……!)
次から次へと来る不可思議な状況に混乱していると廊下の向こうから足音が聞こえてきた。
俺は反射的に身構える。なんせ訳の分からない状況が続いたのだから警戒するに越したことはない。
やがて障子が開いて水を張った桶と手拭いを持った初老の男が姿を見せた。
身長は一六〇後半ほどだろうか。
年齢はおよそ40~50代ごろ背筋は真っ直ぐ伸びており身体つきもガッシリとしていた。
ただの老人というより、長年鍛えてきた武人という印象だった。
男は俺が起きていることに気づくと目を丸くしすぐに嬉しそうな笑みを浮かべた。
「おお……!ようやく目を覚ましたか!」
「あ、あなたは……?」
「ん? 儂のことを覚えておらんか。まあ、無理もない。あの時のお主は火傷に刀傷、血まみれで酷い有様だったからのう」
その言葉を聞いた瞬間、身体が思い出したかの様に痛みが一気に蘇ってきた。
「ッ……!」
思わず身体が傾き倒れかけるも男は慌てて近づいて俺の身体を支えてくれた。
「馬鹿者!!まだ動いてはならん!お主は三日三晩、眠ったままだったのだぞ。今は安静にしておれっ!」
「三日間も……?」
「そうだあれだけの傷や火傷を負いながら命があるだけでも奇跡よ。今、薬を塗ってやる。少し沁みるかもしれんが我慢せい」
男は手慣れた様子で俺の衣服を緩めて傷口に薬を塗っていく。
塗られた部位が染みるように痛む。
染みる痛みに顔を歪めながら耐えていると其処で自分の恰好が変わっている事に気づく。
それはまるで時代劇に出て来るよう着物であり目の前の男性も着物で今の時代にしては珍しいなと思っていると?
男性は何かを察したのか何故か申し訳なさそうな表情で言う。
「お主の衣服は血と煤で汚れ、刀傷でボロボロになっておった。悪いとは思ったが、もう着られる状態ではなかったので捨てさせてもらった」
そう言って頭を下げる男性に俺は慌てて首を振る。
「そ、そんな!あなたは俺の命の恩人です!感謝こそすれ、責めるなんて絶対にしません!」
「そう言ってくれると助かるのう」
男はほっとしたように笑った。
「そうだ。腹が減っておるだろう。今、飯を持ってきてやる。大人しく寝ておれ」
そう言って部屋を出ていった。
一人になった俺は畳の上に横になりながら天井を見つめる。
(ここは一体どこなんだ……? いや、それより……あの炎の中で聞こえた声。あれは一体……)
――ようやく目が覚めましたか。
「ッ!? 誰だ!」
突然、響いた声に飛び起きようと身体を起こそうとした瞬間、全身に激痛が走った。
「痛ッ……!」
(ケガしているの忘れてた!?)
――急に動かないでください。あなたは三日間ほど生死の境を彷徨っていたのです。無理をすれば傷が開きます。
あ”ぁ”~~と痛みに悶えていると再び頭の中に声が響くそこでその声があの炎の名kで聞こえた声に凄く近い事を察した。
(あ、あんたは……もしかして炎の中で聞こえたあの時の声か!?)
――はい。私はあなたを補助するためのサポートAIです。固有名称はありません。あなたがこの時代で生きていくために必要な知識や情報を提供できます。分かりやすく言うなら、検索エンジンのような存在です。
なんか突然サポートAIだとか言ってきたぞこの声。
余りの情報量の多さに頭を抱えながら取り合えず質問をしていく。
(検索エンジン……? え~と‥‥‥つまりはグー〇ルみたいなものか?)
――概ねその認識で問題ありません。
問題ないんだ‥‥‥
そこからその声――サポートAIは淡々と説明を始めた。
俺がいるこの世界は、現代からおよそ五百年前の時代いわゆる戦国時代である事。
そして俺が今いる場所は薩摩国。現代で言えば鹿児島県にあたる場所らしい。
――あなたは元々、豊後国、現代で言えば大分県にあたる場所で目を覚ましました。その後、炎上する館から脱出し、森の中で力尽きた所を偶然通りかかったこの家の主に救われ現在に至ります。
(そうなのか……)
――因みにあのまま誰も通らなかったらケガによる出血で死んでいました。
(突然のカミングアウトッ!?)
えっ!?嘘ッ!?俺あのまま一人だったら死んでたの!?マジでグッチョブさっきの男の人!心の中で先程の男の人に対して感謝している。
(教えてくれてありがとうな!!‥‥‥え~と?)
――どうしました?
俺が声に詰まっているとAIが尋ねて来る。
(いや、あんた名前がないんだろ?ぞれじゃぁずっと“あんた”って呼ぶのも失礼かなって思ってな?)
――私は人工知能ですので、そのような配慮は不要です。ですが、何かしらの呼称が必要なのであれば、あなたが好きな様に呼んでください。
(そうか、じゃあ……“グウさん”なんてどうだ?)
――グウさん?
(グー〇ルっぽいから、グウさん。単純すぎるか?)
俺がそう言うとAIは黙りこくってしまう。
――……あなたは本当に……いえ、悪くありません。気に入りました。では改めまして、私はサポートAI、名をグウと申します。これからよろしくお願いします。
(おう、よろしくな。俺は――)
そこで言葉が止まってしまう。普通であれば当たり前に出て来る言葉が何故か出てこなかった。
(……あれ?俺の名前って、何だっけ?)
自分の名前が出てこない。
それどころか自分がどんな顔をしていたのかも家族の顔や
名前も思い出せない。するとグウさんが何やら補足を入れてくれる。
――仕方ありません。あなたは一度、死亡しています。その影響で前世の関する記憶が欠落している可能性が高いです。仕方のない事です。
(あっそうなんだ俺って死んだからこんな感じなのね。へ~~俺死んだんだ…‥‥‥‥・えっ!?俺、死んだの!?)
――凄い長い溜がありましたね。はい、あなたは前世において、仕事中の昼休みに屋上で休憩していたところに突然発生した雷雨による落雷を受けて死亡しました。
(雷!? あの時、雲一つない快晴だったじゃねえか! それに雷に当たるってどんな確率だよ!)
――およそ百万分の一と言われています。ある意味、非常に運が良いとも言えます。
(良くねえよ! そういう運は宝くじを買った時に発揮しろよ!)
――この時代に宝くじはありません。
(知ってるわ!)
そんな脳内漫才をしていると、先ほどの男性が飯を持って戻ってきた。
「ほれ、飯を持ってきたぞ。食えるだけ食いなさい」
出されたのは、麦や粟、稗などが混ざった雑穀飯。
それに味噌汁と漬物。
現代の食事と比べれば、決して豪華ではない。
味も薄く、硬さもある。
だが、三日間眠っていた身体には、これ以上ないご馳走だった。
「……いただきますっ!!」
俺は夢中で食べた。それは前世の食事と比べれば雲泥の差がある物だったのに何故か今の俺にはもの凄いごちそうに思えた。
「おお、良い食いっぷりだ! よほど腹が減っていたと見える!」
男は俺の食べっぷりを見て満足そうに笑う。
食事を終えた後、男は改めて姿勢を正した。
「そういえば、自己紹介がまだだったな。儂の名は斎村源三郎忠信という。お主の名は?」
「……それが、分からないんです」
「分からない?どういうことじゃあ」
俺は自分を助けてくれた男性に正直に全てを話した。
流石に未来から来たことは話せなかったが(というか話したところで頭のおかしい奴だとしか思われない)気が付けば炎の中にいたこと、それ以前のきおくが全くなく自分の名前すらも思い出せない。
全てを語り終えると目の前の男性…‥忠信さんは目をつぶりながら腕を組んでしばらく黙っていた。そしてゆっくりと口を開く。
「……そうか。自分の名すらも思い出せぬか…‥‥」
それkらまたしばらく考え込むように黙ると何かを決心したように頷いた。
「良しつ!!ならばお主、怪我が治るまでうちにいなさい」
えっ!!俺は忠信さんの意見に驚いてしまう。
「いいのですか!?」
「怪我人をこのまま放り出すほど、儂は薄情ではない。それに、お主を拾ったのも何かの縁だ。遠慮せずまずは身体を休められよ」
「っ!!ありがとうございます……!」
俺は涙を滲めながら深々と忠信さんにお辞儀した。突然戦国の世に放りだされ心ぼそかった俺にとって目の前の忠信さんは正に救世主だった。
そして俺はしばらく忠信さんの家で世話になることになった。