「―――は?」
唐突かつ、あまりにも正気とは思えないお願いに間の抜けた声を上げてしまうミカ。一瞬冗談かとも思ったが、微笑を浮かべたアリスの瞳は本気の色をしている。
「じょ、冗談だよね…?」
「ううん、本気だよ。だって、お姉ちゃんが死んでくれたらずっと一緒…綺麗で可愛い天使様とずっとずーーっと一緒に居られるもん」
それでも一縷の望みを託して聞いてみるミカだが、やはりアリスは本気の様だ。とはいえ、当然ながらミカはこんなところで死ぬ訳にはいかない。早く元の世界に帰って会いたい人がいっぱいいるのだ。
「ごめんね、そのお願いは聞いてあげられない。私はまだ死ぬ訳にはいかないから」
「え? お願い、聞いてくれないの…?」
きっぱりと首を横に振るミカ。しかし、この返答が予想外だったのかアリスは不思議そうに首を傾げながら聞いてくる。
「うん。そのお願いは聞けないよ」
ハッキリと拒絶の意思を示すミカ。そして、そんなミカを見たアリスは、
「―――やだーーっ!! アリスはお姉ちゃんと一緒がいいーーっ!! お姉ちゃんと一緒に居たいのーーっ!!」
と、駄々をこね始めたのだ。
「ちょっと、いい加減に」
「おやおやアリス。一体どうしたんだい?」
流石に怒りをあらわにし始めるミカだが、その怒りの言葉を言い終わる前にいつの間にか傍に立っていた赤伯爵がアリスに声を掛ける。
「あ! 赤おじさん! あのねー、あのお姉ちゃんがアリスの言う事聞いてくれないのーっ! アリスはただお姉ちゃんとずっとずーーっと一緒にいたいだけなのに…」
ぐずりながら私情の強い状況説明するアリスに、赤伯爵は「ほう…」と一声発してからギラリと光る瞳をミカに向ける。アリスと話すときとも、前回の対談のときとも違う、獲物を定めた狩人の目だ。
「天使を手にかけたとなると、他の天使共が群れてくるので後々面倒なのだが…。手に入れた情報を聞く限り、どうもこいつは他の天使共との関係はほぼない様だ。ならば、手にかけたところでそれ程追及もされまい…。安心しなさいアリス。アリスの願いはこの私が叶えてあげよう」
何やらブツブツと呟いたと思ったら、アリスを慰めるように話しかけ、その直後赤伯爵の全身が赤い光に包まれる。そして、その光の中から現れたのは…赤黒く禍々しい色の皮膚で全身覆われ漆黒の羽を生やした巨大な悪魔だ! かろうじて人型を保ってはいるが、それもまた禍々しい。
「これが…これが、魔界の大貴族…ベリアル!」
「何て禍々しく巨大な魔力…! 大貴族という肩書に偽り無しね…!」
「まさか…まさかこれほどまでとは…!」
赤伯爵の正体…ベリアルの威容に驚愕の声を上げる中道と愛子。法二も想像を遥かに上回ったのであろうベリアルの纏う力に真っ青の表情だ。
「死ぬ覚悟はできたか? もっとも、返答を待つ気は無いがね」
「だから! 私はまだ死ぬ訳にはいかないの!」
見下した態度で話しかけてくるベリアルに、ミカは怒りの銃撃をベリアルにお見舞いする。それを合図に後ろに控えていた中道、愛子、法二も畳みかけるように銃の連射を放ち、愛子に至っては例の電撃をも放っている。
「くっくっく…。それでお終いか? 痛くもかゆくもないぞ」
しかし、信じられない事にベリアルには全く効いていない。いままでほぼ全ての悪魔を一撃必殺してきたミカの銃も、愛子の電撃による感電も全くだ。
「なっ…!?」「そんな…!?」
驚愕の…あるいは絶望の声を上げるミカと愛子。声こそださねど、中道と法二も同じような表情だ。そんな一行に向かって、ベリアルは右手を振りぬく。
すると、その振りぬいた右手から何やら赤黒い炎が放たれ、全員の周囲を燃やし始めたのだ!
「ぐうっ…!? なんだこれは…!?」
「か、体だけでなく、魂までも燃やされている様なこの感覚は…!?」
「はっはっは! これぞ本物の魔界の炎よ! その辺の悪魔の放つ炎などとは一味も二味も違うだろう?」
炎の放つ異質な熱気に苦し気に声を上げる中道と法二に、ベリアルは得意げに言い放つ。
「このぉっ!! 調子に乗らないでっ!!」
そんなベリアルの様子が気に障ったミカが、炎を強引に突き抜けそのままベリアルに突撃、今度はあめのむらくもで直接切り掛かろうとする。
しかし、この一撃もその巨体からは考えられない俊敏さで跳んでかわされ、そのままミカにボディプレスを仕掛けてくる。攻撃の後隙のせいで碌に動けなかったミカは、完璧に押しつぶされてしまったのだ!
「ミカ!」「ミカ様!!」
流石にこれはひとたまりもないと思ったのだろう。中道と法二が悲痛な声を上げる。しかしそう思うのも無理はない。何しろ、この一撃は中道達を覆っていた炎をも衝撃だけで消し飛ばしてしまったのだ。それだけの威力がこもった必殺の一撃なのは想像に難くない。いくら巨大とはいえ、体重だけで出る威力では間違いなくないので、恐らくは魔力を使って威力を上げるなりしたのだろう。
「ふっ、思ったより呆気なかったな。では、この死体を…ぬっ!?」
勝ち誇った様子で口を開くベリアルだが、その表情が微かに歪む。みると、ベリアルの体がブルブルと震えている。そして次の瞬間!
「う…おおおおおっ!」
ベリアルの体が宙に浮いたかと思ったら、その下からミカがベリアルの体を持ち上げて姿を現したのだ!
「ふんっ!!」
ベリアルを投げ飛ばすミカ! しかし、やはりその巨体に似合わずベリアルは華麗に着地を決めて見せる。
「ミカ!」「ミカ様!!」「何であれで生きてるのよ…あの子も大概ね…」
快哉を上げる中道と法二。一方、愛子は驚き冷や汗をかいている。
「ほっほう! 流石にミカエルと同じ力を持っているだけはある! 一筋縄ではいかんか!」
「あんな程度でやられる訳ないじゃん! まだまだ、勝負はこれからだよ!」
そして、何やら感心している様子のベリアル。これに負けじと言い返すミカ。とはいえ、未だ全くダメージを受けていないベリアルに対し、ミカは頭から血を流し、体中も細々と傷ついている。残念ながら、現時点ではミカの方が形勢が不利だ。
「ふーむ…。私個人としてはもっと遊んでやっても構わんのだが…。そろそろ結界も消える。そうなると、他の天使共が嗅ぎ付けてきて厄介だな…」
ところが、ここでベリアルが何やら思案顔になる。そして、次に炎を宿した右の人差し指を中道達三人に突き付けてきたのだ。
「聖園ミカ…だったな。貴様、大人しく我らの虜となれ。聞き入れるというなら後ろの三人は見逃してやる。しかし、断るというなら奴らを魂ごと焼き尽くす!」
「なっ…!? ひ、卑怯だよ! これは私と貴方の戦いだった筈!」
そうしながら、ミカに卑劣な取引を持ち出すベリアル。当然ミカは激昂するが、ベリアルの表情は変わらない。
「ミカ様! 僕達の事は気にしないで! この大悪魔を倒せるのはミカ様だけなんだ!!」
即座に法二が声を張り上げる。ただ、そのあまりに勝手な判断に中道と愛子が「おい!」「ちょっと!」と同時に叫んだのは言うまでもない。
「好きにしろ。とはいえ、この取引を蹴ったところで貴様が虜になるという結果は変わらんがな。何故ならこの私が敗れるなどありえんからだ」
そのホウジの声を上けても、ベリアルの態度に変化はない。その様子から、自身の強さに対する絶対の自信が伺える。
とはいえ、それはミカも同じこと。純粋な殴り合いなら絶対に負けたりはしない。そして、こんなところで死んでしまうなどありえない。しかし、人質を取られてしまっては動くに動けない。
「どうして…。どうしてそんなに私を虜にしようとするの…?」
どうするか決めかねたうえでの、思わず口から出たミカの疑問。何か…僅かでもいい。何か突破口がないかと期待しての質問だ。
「決まっている。アリスが貴様を欲しているからだ。この子もあの大破壊で一度は死んだ身。なら、二度目の人生は楽しませてやりたいと思うのは間違っているかね?」
「大破壊…ミサイルの事だよね…」
対して、確固たる信念を感じる声で答えるベリアル。残念ながら生半可な説得は通じなさそうだ。更に、その時に出た大破壊という言葉にミカの表情に陰りが混じる。その視線は、未だに状況がつかめないらしく正体を現したベリアルを茫然と見上げているアリスに向かっている。
(聖園ミカ様! 聞こえますか!?)
と、ここで唐突にミカの脳内に声が響く。
「こ、この声は…。マンセマット?」
「ぬ!? なにやら癇に障る気が…」
ハッと顔を上げて声の主の名を口にするミカ。一方、ベリアルもマンセマットの気配を感じた様だ。
(ベリアルに対抗する手段を見つけました! なんとかその場から一時撤退し、この町の地下に来て頂く事は出来ませんか!?)
「撤退…。なら、何とかしてベリアルの気を引かないといけないね…だったら…」
マンセマットの声を受け、右手を天に、左手を己の胸に沿え、祈るように両目をつむる。
「ふっ…何をするつもりか知らんが、どうやら交渉は決裂の様だな。ならば仕方ない。一人ずつ苦しませながら燃やし尽くして………ん?」
その動作を決裂と取ったベリアルは炎を中道達に放とうとするが、そこで気づいた。何やら妙な風切り音が近づいてくることに。
そして次の瞬間。なんと天井をぶち破り隕石がベリアルめがけて落下してきたのだ!
「な、なにいいぃぃぃ!?」
これにはさしものベリアルも肝をつぶしたようだ。大声を上げると同時に、隕石に押しつぶされてしまう!
「ふっふーん! どうだ、押しつぶすのは貴方だけの得意技じゃないよ!」
流石にすぐには動けない程度のダメージは受けた様子のベリアルに、今度はミカが得意げに言い放つ。
「こんな都合よく隕石が落ちてくるなんぞありえん。つまり、アレはミカがやったという事…なんだよな?」
「ミカ様…ミカ様…! やっぱり貴女は凄い…! あのベリアルにダメージを与えるなんて…!」
「天使が放つ隕石落としなんて、もう押しつぶしなんて生易しい物じゃないわ。殆ど天罰よ…」
その、あまりに常識離れしている攻撃方法に中道も愛子も開いた口が塞がらない。ただ、法二だけは感動と尊敬の眼差しをミカに向けている。
「さあみんな! 一旦引くよ! あのマンセマットがなんか見つけたから地下に来いだって!」
言葉を言い終わるやいなや、素早くベリアルの部屋を走り去っていくミカ。他の三人も、慌ててそのミカの後を追うのだった。
ミカ達が走り去った後、部屋の仲は未だ動けぬベリアルとアリスの二人だけとなる。
「あ、赤おじさん…?」
そんな中で、アリスがベリアルに声を掛ける。が、次の瞬間!
「ぬううぅぅぅん!!」
「きゃあっ!?」
唐突に気合の声と共に上半身を起こすベリアル。そのあまりの勢いにアリスは悲鳴と共にのけぞってしまう。
「―――くっくっく…くは、ははははっ! 面白い! 私も気に入ったぞあの天使! 丁度アリスのボディーガードが欲しかったところだ! この私の攻撃を耐えた耐久力! そして、この私に痛手を与えた攻撃力! どちらもアリスのボディーガードにふさわしい! 何としても虜にしてやるぞ!!」
愉快そうに喋りながら、アリスを自分の背に乗せるベリアル。
「往くぞアリス! 必ずやあの天使を手に入れるのだ!!」
唐突なベリアルの行動に怯えた表情を見せるアリスだが、その時に話しかけてきたベリアルの表情を見たアリスの顔から少しずつ怯えの感情が消えていく。
顔だけ見れば完全に赤伯爵とは別人だ。しかし、この話しかけてきたベリアルの表情がアリスの知る赤伯爵の表情と通ずる何かがあったのだろう。
「………………うん!」
少し間を置いてから、アリスは笑顔で頷いた。