ニアとビャッコとの邂逅から数日後。朝のHRにて、相澤先生が教卓に立ち、普段以上に低いトーンで口を開いた。
「さて。今日のヒーロー基礎学だが……」
その声のトーンに、クラス中の空気がピリッと引き締まる。
「俺とオールマイト、そしてもう一人の計三人体制で行うことになった」
「先生! 何するんですか!?」
瀬呂の質問に、相澤先生は低い声で答えた。
「災害、水難、何でもござれ。レスキュー訓練だ」
「レスキュー……! ヒーローっぽい訓練きた!!」
クラス中が興奮に包まれ、ホムラも隣で目を輝かせている。
「今回はコスチュームの着用は自由だ。中には特定の環境では動きづらいものもあるだろうからな。……訓練場は、ここから少し離れた演習場になる。バスに乗って移動するぞ。以上だ、準備しろ」
淡々と説明を終え、相澤先生は教室を出ていく。
「……よし。行くか、ホムラ」
「はい、玲空! 困っている人たちを助けるための特訓ですね!」
初めての学外演習に胸を躍らせながら、俺はコスチュームのアタッシュケースを手に取った。
***
ヒーローコスチュームに着替えた俺は、集合場所である雄英の駐車場へ向かった。
「1年A組、集合! 番号順に二列に並び、速やかにバスへ乗車するように!!」
そこでは、駐車場に停まった大型バスの前で、飯田が笛を吹きながらテキパキと指示を出していた。
しかし、いざバスに乗り込んでみると、車内は補助席を挟んだコの字型のオープンレイアウトだった。
「……せっかくの号令が意味を成さない構造だったとは……ッ!」
「まぁまぁ、気にすんなって」
ショックでうなだれる飯田を宥めながら、俺たちは適当な席に腰を下ろした。
俺の左隣にはホムラが座り、右隣には葉隠ちゃんが座っている。正面には緑谷と蛙吹さん、そして切島という配置だ。
バスが発進してしばらくすると、クラスメイトたちは思い思いの雑談に花を咲かせ始めた。
「西里ちゃん、ホムラちゃん。私、思ったことは何でも言っちゃうんだけど」
不意に、蛙吹さんが、口元に指を当てて俺とホムラを見つめた。
「あ、はい。何ですか、蛙吹さん?」
「梅雨ちゃんと呼んで」
「あ、梅雨ちゃん」
「以前、『感覚を共有してる』って言ってたわよね。それって、四六時中ずっと、全ての感覚を共有しているの? 感情とか、お風呂の時も?」
「「「ッ!!!」」」
その質問が出た瞬間、少し離れた席に座っていた上鳴と峰田が、猛烈な勢いで耳をそばだてた。向かいの葉隠ちゃんも、ビクッと肩を揺らして身を乗り出してくる。
「あ、いや……! 誤解を招くから、ちゃんと説明しておくよ」
俺は冷や汗をかきながら、慌てて両手を振った。
「俺とホムラは、普段から全ての感覚を共有してるわけじゃないんだ。まず大前提として、視覚や聴覚とかは共有されない。お互いの見てる景色や聞こえてる音が四六時中重なってたら、情報量の多さで脳がパンクしちゃうからな」
「ケロ。そうなのね」
「ああ。だから、共有されるのはあくまで味覚や触覚、それに嬉しいとか悲しいとかの感情の動きとかだな。それも普段は、上限を100%だとすると大体20%くらいに抑えられてる。……ただ、一つだけ絶対に外せない“制限”がある。それが、“ダメージや痛覚の共有”だ」
俺が少し真剣なトーンで言うと、周囲の空気が少しだけ引き締まる。
「俺が怪我をして痛みを感じれば、どれだけ離れていても、ホムラにも同じ痛みが伝わる。逆もまた然りだ。この制限だけは、常に100%なんだ」
「なるほどね。だからこそ、お互いを守り合いながら戦う必要があるわけね」
梅雨ちゃんの納得したような相槌に、俺は頷く。
すると、隣のホムラがふわりと微笑みながら言葉を継いだ。
「はい。そして、味覚や触覚、感情といった“痛み以外”の感覚は、常にその『20%』で固定されているわけではありません。私と玲空の“想いがシンクロ”するほど、二人の繋がりが強くなり、個性の出力も上がっていくんです」
「想いが、シンクロ……?」
緑谷が不思議そうに復唱する。
「はい。例えば、戦闘中に二人で一つの目標に向かって極限まで集中している時や、お互いの心──キズナが深く通じ合っている時……。そういう時は、炎の威力が上がると同時に、感覚の共有率も100%に近づいていくんです」
その言葉を聞いて、俺は二ヶ月程前の『バレンタインデーのチョコレート事件』を思い出して密かに冷や汗を流した。
あの時は、俺がチョコを食べて「ホムラのチョコ最高に美味しい! 幸せ!」と感動しすぎたせいで、俺とホムラの気持ちが完全にシンクロし、彼女に極上の甘みと快感がダイレクトに伝わってしまったのだ。
右隣に座る葉隠ちゃんも、あの時の理不尽なパニックを思い出したのか、見えない足でコツンと俺の靴を小突いてきた。
俺が内心で一人赤面していると、峰田と上鳴がワナワナと震え出した。
「てことは西里! お前が夜、一人でエッチな本を読んで興奮したら、そのスケベな感情がホムラちゃんにも流れ込んで、ホムラちゃんまで一緒にムラムラしちまうってことかよ!?」
「いやしねえよ!? さっき『お互いの想いがシンクロするほど』って言っただろ! 俺が一人で勝手に興奮したところで、ホムラが同じ気持ちになってなきゃ深く同調してないんだよ!」
俺が勢いよく立ち上がってツッコミを入れると、峰田は「ちぇっ、なんだよ。つまんねーの」と露骨に肩を落とした。
──が、その瞬間。俺の脳裏にとんでもない“数式”が浮かび上がり、思考がピタリとフリーズした。
(待てよ……? 心が完全に一つにならなくても、普段から『20%くらい』は常に感覚が繋がってるって、俺さっき自分の口で説明したよな……?)
ということは、だ。
エッチな本はともかくとして、俺が夜、隣の部屋にいるホムラの抜群のプロポーションや、透明な葉隠ちゃんの匂いを思い出してムラムラし、一人でこっそり発散している時の、あの生々しい興奮や快感は、深く同調はしていないものの──
(20%くらいの出力で、毎晩リアルタイムでホムラにダイレクト送信されてたってことか……!?)
今になって、自分がこれまで積み重ねてきたあまりにも致命的な“過ち”に気づき、一気に顔面から血の気が引いていく。上限100%のうちの20%だとしても、内容が内容だけにアウトなんてレベルではない。
冷や汗をダラダラと流しながら、恐る恐る隣を盗み見てみる。
すると、ホムラは顔を耳の裏まで真っ赤に染め、どこか恥ずかしそうに指先をいじりながらも、慈愛に満ちた生温かい微笑みをこちらに向けていた。
(答え合わせ完了!! 筒抜けだったわチクショウ!!!)
「もーっ! 上鳴くんも峰田くんも、変なこと聞かないでよ!」
俺が内心でこの世の終わりのような絶望に打ちひしがれていると、何も知らない葉隠ちゃんが、空中でポカポカと拳を振り回して二人を威嚇してくれた。
「へぇー、なるほどな!」
そんな騒ぎの中、一人だけ全く違うベクトルで感心したように声を上げたのは切島だった。
「つまり、普段は少しずつ感覚を分かち合ってて、いざって時にキズナが深まって完全に一つになるってことか。自分の感覚すら相手に預けるなんて、マジで全幅の信頼がねぇとできねぇよな。やっぱお前らの個性、漢らしくてすげぇアツいぜ!」
切島の真っ直ぐでピュアなキラキラした瞳が、今の俺にはやけに眩しく、そして痛かった。
「あ、ああ……。ありがとう、切島……(ごめん切島。俺の預けてる感覚、たまに全然“漢”らしくないヤツ混ざってるわ……!)」
俺が引き攣った笑顔で必死に誤魔化していると、向かいの席では緑谷がブツブツと呟きながら、猛烈な勢いでノートに書き込みを始めていた。
「うん、切島くんの言う通り、すごく素敵な個性だね! お互いのキズナが深まれば深まるほど、まさに“二人で一つ”の戦い方ができるんだ。すごいなぁ……!」
和やかな空気が流れる中。
少し離れた席で腕を組んで窓の外を睨んでいた爆豪が、不快そうに鼻を鳴らした。
「……くだらねェ。ヘラヘラ馴れ合いやがって」
ボソリと吐き捨てた爆豪に対し、梅雨ちゃんがケロリと言い放つ。
「でも、西里ちゃんたちみたいに信頼し合ってる関係っていいわね。爆豪ちゃんはいつも怒ってるから、そういう相棒みたいな人は一生できなさそうね」
「あァ!? んだと蛙女!! 俺は一人でトップになるんだよ!! 余計なお世話だ!!」
「言葉遣いも性格も悪いしな」
「クソアホ面が!! テメェら後でぶっ殺す!!」
「おーこわ。俺、爆豪とだけは敵に回りたくねーわ」
キャンキャンと吠える爆豪を上鳴たちがからかい、車内はさらに騒がしくなる。
すると、最前列に座っていた相澤先生の低い声が響く。
「……もうすぐ着くぞ。いい加減静かにしろ」
車内の喧騒がピタリと止む。
窓の外を見ると、巨大なドーム状の施設が近づいてきていた。
***
バスを降りた俺たちは、目の前のドーム型の巨大な施設に足を踏み入れた。
水難事故を想定した巨大なプール、土砂崩れを再現した斜面、大規模火災が燃え盛るエリア、そして倒壊したビル群が連なる廃墟エリア。あらゆる災害を模した特大の箱庭。
「水難、土砂災害、火災……あらゆる事故や災害を想定し、僕が作った演習場です。その名も『ウソの災害や事故ルーム』──略してUSJ!」
ふっくらとした宇宙服のようなコスチュームに身を包んだスペースヒーロー・13号が、両手を広げて歓迎の声を上げた。
プロのレスキューヒーローの登場に、緑谷をはじめとするクラスメイトたちが感嘆の声を漏らす中、俺の隣を歩くホムラもまた、興味深そうに施設を見渡していた。
「すごい規模ですね、玲空。これほどの施設を維持するなんて、雄英高校の力は計り知れません」
「ああ、ここで人を救うための実践的な特訓ができるんだ。気合い入れないとな」
相澤先生は気怠げな視線で施設全体を見渡した後、13号先生とヒソヒソと話し始めた。
「……13号。オールマイトはどこだ? こっちで合流するはずだったろ」
「それが……通勤中にヴィランを相手にしすぎたようでして。“活動限界”ギリギリまで活動していたらしく、今は仮眠室で休んでいるとのことです」
「……あの理不尽の権化め。教育者としての自覚があるんだか無いんだか」
相澤先生は13号先生と何かを話すと、呆れたように深くため息をついた。しかし、すぐに気持ちを切り替えたように13号先生へと再び視線を促した。
「……まぁいい。それじゃあ13号、始める前にアレを」
「はい!」
13号先生は姿勢を正し、俺たち生徒に向かって真剣なトーンで語りかけ始めた。
「皆さんもご存知の通り、僕の個性『ブラックホール』は、どんなものでも吸い込み、チリにしてしまう力です。この力で、これまで数多くの災害から人々を救ってきました。……ですが、同時にこれは、一歩間違えれば簡単に人を殺せる力でもあります」
その言葉に、浮ついていたクラスの空気がスッと引き締まった。
「皆さんの『個性』も同じです。超人社会は個性の使用を厳しく資格制にし、一見成り立っているように見えますが、一歩間違えれば容易に人を殺せる凶悪な力を個々人が持っているということを忘れないでください。相澤先生の体力テストで自身の個性の限界を知り、オールマイトの対人戦闘訓練でそれを人に向ける危うさを経験したはずです」
13号先生の言葉は、俺の胸の奥に深く突き刺さった。
大気中のエーテルを無尽蔵に吸収し、規格外の炎と防壁を生み出すホムラの力。屋内戦闘訓練の時、もし俺が火力を抑えきれずに大剣を振り回していれば、ビルごと轟たちを消し炭にしていたかもしれない。
強大な力は、常に自制と背中合わせだ。
「この授業は心機一転! 人命を救うために個性をどう活用するかを学ぶ場です。君たちの力は、人を傷つけるためのものではない。救うためにあるのだと、この演習で持ち帰ってください! 以上、ご清聴ありがとうございました!」
13号先生が深々とお辞儀をすると、クラス中から割れんばかりの拍手が沸き起こった。
俺も強く頷き、隣のホムラと視線を交わした。ホムラは俺の決意を受け取るように、優しく微笑み返してくれた。
「よし、それじゃあまずは──」
相澤先生が次の指示を出そうとした、まさにその時だった。
「玲空、中央広場から……とてつもなく澱んだエーテルの反応が」
ホムラが異変を察知し、スッと俺の背後に回ってエーテルの供給態勢に入る。
「……あそこだ」
広場の中央、噴水の前に、空間を歪ませながら、濃紫色をした“モヤ”がぽっかりと口を開けた。
それは瞬く間に拡大し、歪な空間の穴を形成する。
そして──その黒い穴の中から、無数の手首を顔や体に張り付けた不気味な男や、異形の化け物たちが次々と這い出してきたのだ。
「集まれ! 動くな!!」
相澤先生がこれまで聞いたこともないような鋭い声を上げ、首に巻かれた捕縛布を構えた。
「13号、生徒を守れ!!」
「先生、あれは何ですか!? また入試の時のように、訓練が始まったんですか!?」
飯田が身を乗り出して聞くが、相澤先生は自身のゴーグルを装着しながら、冷酷な現実を叩きつけるように叫んだ。
「違う! 下がるんだ!! ……あれは、ヴィランだ!!」
その言葉に、俺の背筋に冷たい悪寒が走る。
黒いモヤから湧き出す無数の悪意。
だが、俺の視線は、ヴィランの群れの中にいた“二つの影”に釘付けになっていた。
ダボッとした黄色のコートに、ピンと立った耳。
そして、それに付き従う巨大な白い虎。
「ウソだろ……」
「玲空、あれは……!」
俺とホムラは息を呑んだ。
距離は離れていたが、間違いない。先日、路地裏で出会った少女と獣だ。
「ニア……! それに、ビャッコ!?」
俺の呟きが聞こえるはずもない距離だが。
ニアもまた、生徒たちの中にいる俺たちの姿を認めたのか、その金色の目を大きく見開いて硬直していた。
平和な訓練は終わりを告げた。
本物の悪意の侵略を前に、俺たちの死闘が幕を開けようとしていた。