死柄木の濁った瞳が、ホムラを──いや、正確にはホムラの胸元の『コアクリスタル』を食い入るように見つめる。
「異常な火力に、翠玉色のクリスタル……」
死柄木は、首をボリボリと掻きむしりながら、歓喜とも狂気ともつかない笑みを口の端に浮かべた。
「黒霧、見ろ。あれは……」
「ええ、死柄木弔。間違いないかと」
黒霧もまた、双眸を細めて俺たちを注視している。
「“先生”が前に言ってた、『天の聖杯』。へぇ……こんなところにあったのか」
「っ! なんで、その名前を……!」
俺の個性の正式名称。それを、なぜヴィランが知っている?
戸惑う俺を他所に、死柄木は、まるで新しいおもちゃを見つけた子供のように、目を血走らせて指示を出した。
「黒霧。予定変更だ。オールマイトの息の根を止める前に、まずはアレを回収するぞ」
「回収……!? 冗談じゃない、誰がお前らなんかに!」
俺がホムラを庇うように前に出ると、死柄木は首を掻く手を止め、不気味に笑った。
「強がるなよ。お前、その女から“分断”されれば、力は使えないだろ?」
「な……ッ!?」
俺の心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。
なぜ、ヴィランが俺の“弱点”を知っている?
「ん……? よく見たら、ガキの方にもクリスタルが付いてんな。そっちはアクセか……?」
(? 俺の個性を知っているのに、命の共有のことは知らないのか……?)
「まぁ、いいや。黒霧、『ワープゲート』で分断させろ。ガキの方は殺していい」
「お任せください。分断後、彼女は直ちにアジトへ転送しますか?」
黒霧の問いに、死柄木はおぞましく口角を歪めた。
「いや、俺の足元だ。レアアイテムを奪われて絶望するマヌケなプレイヤーの顔を、特等席で見下ろしてやりたいからな」
「──それに、先生が欲しがるほどのアイテムだ。これから来るオールマイトを攻略するのにも、極上の盾として使えるだろ」
「……御意」
黒霧の身体がブワッと広がり、俺とホムラの間を切り裂くように、黒いモヤが迫り来る。
「ッ、やばい! ホムラ、俺から離れるな!」
「は、はい!」
俺はホムラを左手で抱き寄せ、必死に迫り来るモヤを切り裂こうとするが、モヤはその斬撃をすり抜け俺達の中心へ。ゆっくりとワープゲートが展開されていく。
「抵抗はおやめなさい。無理に繋ぎ止めようとすれば──その腕ごと、空間を切り取ることになりますよ」
「ッ!?」
黒霧の冷徹な宣告に、背筋が凍りつく。
クラス全員をバラバラにしたワープとは違う、俺たち2人をピンポイントで引き離そうとする『ワープゲート』。もし、空間の歪みの中で強引に抵抗し続ければ、空間の裂け目によって、ホムラを抱きしめている俺の左手が文字通り消し飛ばされるのだろう。
俺が迷った、その一瞬の躊躇い。
だが、ホムラの判断は早かった。
「玲空、手を離して!!」
ホムラが自ら、俺の胸をドンッと両手で突き飛ばした。
「ホム──」
俺の伸ばした手は空を切り、ホムラの体は完全にモヤの中へと飲み込まれた。
「ホムラッ!!」
直後。数メートル離れた広場の中央──死柄木のすぐ傍にポッカリと開いたワープゲートから、ホムラの身体が吐き出された。
その瞬間、俺とホムラを繋いでいた青い光の帯──キズナが限界まで細く引き伸ばされ、プツンと音を立てて千切れた。
「ッ……!!」
途端に、手にしていた大剣が鉛の塊のように重くなり、刀身に展開されていた炎の刃が沈黙する。
「どんな気分だ? チート装備を剥がされて、レベル1のザコに成り下がった気分は」
死柄木が、ほぼ無個性となった俺を見て愉悦の声を上げる。
(クソッ! 俺が一瞬迷ったから、ホムラが……っ!)
「さて、本体の方は大人しくしてもらうぞ」
死柄木が、地に伏したホムラに向かってゆっくりと手を伸ばす。
「させないッ! ビャッコ!!」
「『ワイルドロア』!!」
鋭い咆哮と共に、ビャッコの口から、渦巻のような水のブレスが放たれる。
「ッ、黒霧!」
死柄木の短い指示。それに合わせ、黒霧が死柄木の前へとワープゲートを展開する。
激しい水流は黒霧のモヤに飲み込まれ、見当違いの方向──空中の別のゲートから吐き出されて虚しく霧散してしまった。
だが、それと同時に飛来したニアのツインリングが死柄木を牽制し、彼はホムラに触れる事ができなかった。
「鬱陶しいなぁ、おい」
死柄木が視線を向けた先では、ブーメランのように手元に戻ってきたツインリングをキャッチし、そのままの勢いで地を蹴るニアの姿があった。彼女はホムラを庇うように、ビャッコと共に一気に間合いを詰めてきたのだ。
「ホムラから離れろッ!」
まずは巨躯のビャッコが前衛として飛び込み、その鋭い爪と牙で死柄木へと襲い掛かる。だが、死柄木は軽い身のこなしで躱していく。
「お嬢様、今です!」
「ハァッ!!」
ビャッコの巨体の死角から、ニアが双刀のようにツインリングを構えて飛び出した。流れるような連撃で死柄木の急所を狙う。
だが──。
「遅い。邪魔だ、クソ猫」
死柄木は、ニアの渾身の斬撃を紙一重でスッと躱すと、彼女の懐へと潜り込み、ガラ空きになった腹部へ強烈な足刀を食らわせた。
「かはっ……!?」
肺から空気が弾き出され、ニアの体がくの字に折れ曲がる。
「お嬢様ッ!」
主の危機にビャッコが咆哮を上げ、死柄木の頭部を砕かんと前足を振り下ろす。しかし、そこに黒霧の『ワープゲート』が空間を捻じ曲げて現れ、その軌道を逸らして空を斬らせた。
「しまった……!」
体勢を崩したビャッコを、黒霧のモヤが壁のように押し留める。
ビャッコという最大の盾を失った一瞬の隙。死柄木は無慈悲にニアへと距離を詰めた。
ニアは先ほどの蹴りのダメージで痛む腹を押さえながらも、必死にツインリングを死柄木へ向けて構え直そうとする。しかし、手負いの彼女の動きよりも、死柄木の手の方が圧倒的に速かった。
「死ね」
死柄木の五本の指が、ニアの華奢な右肩をガッチリと捉えた。
「ッ!?」
「ニアッ!!」
ボロボロと。ニアの黄色のコートの生地が崩れ、その下の白い肌が、まるで乾いた砂のように崩壊を始める。
「ああぁぁぁぁッ!!」
激痛に悲痛な叫びを上げるニア。
「やめてッ!!」
ホムラが悲痛な叫びを上げ、掌から炎を放った。
俺と分断され、出力は極端に落ちているはずだ。それでも、彼女の掌から灼熱の炎が間欠泉のように噴き出し、死柄木へと一直線に襲いかかる。
「その子から、手を放しなさい!!」
「チッ……」
死柄木が不快げに舌打ちをした瞬間。
「無駄ですよ。そして──自分の力の危うさを知りなさい」
黒霧のモヤが『ワープゲート』を展開し、ホムラの放った渾身の炎をあっさりと飲み込む。
そして。
「ッ!?」
俺の目の前の空間がドロリと歪んだ。
黒霧のワープゲートが俺の至近距離に開き、そこから、ホムラが放ったはずの灼熱の炎が俺と緑谷に向かって勢いよく吐き出されたのだ。
「まじかッ!?」
「西里くん!!」
俺は鉛のように重い聖杯の剣を咄嗟に盾として構え、緑谷と共に強引に炎を防いだ。だが、防ぎきれるはずもなく、その衝撃と熱波で俺たちの体は後方へと大きく吹き飛ばされ、地面を無様に転がる。
「がはッ……!」
「あ……ッ、がァッ……!」
俺が地面に叩きつけられ炎に焼かれたのと全く同時に。離れた場所にいるホムラの体にも、俺と同じ衝撃と火傷の激痛が走った。
だが、今の彼女の心を打ち砕いたのは、その肉体的な痛みではない。
「(私が、玲空を……ッ)」
自分の放った炎が、守るべき俺を傷つける結果になってしまった。その絶望的な事実と、伝わってくる俺の痛みに、ホムラは顔面を蒼白にさせ、戦意を喪失してその場に崩れ落ちた。
しかし──ホムラのその決死の攻撃は、決して無駄ではなかった。
「お嬢様ァァッ!!」
黒霧がホムラの巨大な炎をワープさせるために一瞬だけ意識を割いた、その僅かな隙。ビャッコの巨体を押し留めていたモヤの壁が、フッと緩んだのだ。
ビャッコはその隙を見逃さず、ニアの元へ巨体を撃ち出し、巨大な牙でニアのコートの襟首を咥え込んだ。そして、自らの身を挺して死柄木の指から無理やり引き剥がすように、後方へと大きく跳躍した。
接触が絶たれたことで、ニアの崩壊の伝播は肩と胸元の一部でギリギリ停止した。だが、深手を負ったニアは「かはっ……!」と血を吐き、ビャッコの足元へ力なく崩れ落ちた。
「お嬢様! しっかりなさってください、お嬢様!」
「かはっ……アタシは、大丈夫だから……アイツらを、助けな、よ……っ」
「ホムラ……! ニア……ッ!」
全身を襲う熱さと痛みに呻きながら、俺は必死に立ち上がろうとする。だが、エーテル供給を絶たれた今の身体では、距離が遠すぎる。
一方、死柄木は火傷の痛みにうずくまるホムラと、遠くで倒れ伏す俺を交互に見比べた。
「あァ……? 何してんだよ、天の聖杯。炎を食らったのは向こうのガキだろ」
死柄木は、不審そうに目を細め……やがて、その濁った瞳に愉悦の色を浮かべた。
「……ああ、そういう事か。お前ら、単に力を貸し借りしてるだけじゃないのか」
死柄木は、おぞましく口角を釣り上げ、言葉を続ける。
「ダメージを共有してるんだろ? だから、こいつが痛めば、お前も痛む。……なんて、マヌケで致命的な弱点だ」
(クソッ……! バレた……!)
痛みを堪えながら睨みつける俺に対し、死柄木は狂気に満ちた笑い声を上げた。
「じゃあ、そのガキを殺せば、本体の女も心と体がへし折れて大人しくなるってことだな。……脳無、起きろ」
死柄木の命令が下された瞬間、先ほどホムラの『プロミネンスリボルト』で吹き飛ばされ、沈黙していたはずの黒い巨体が、何事もなかったかのようにゆっくりと立ち上がった。
「ウソだろ……あんな至近距離でホムラの爆炎を食らって、なんで無傷なんだよ……!」
火傷一つ負っていない脳無の姿に、俺は絶望的な戦慄を覚えた。そんな俺の驚愕を見て、死柄木はニタァと笑みを浮かべた。
「さっき言っただろ。コイツは“アンチ平和の象徴”のチートだって。この圧倒的なパワーとスピード、『ショック吸収』の個性に加えて、どんな傷も治す『超再生』の個性も持ってる。お前らがどう足掻いたところで、最初からゲームオーバーなんだよ」
死柄木の目が、冷酷に狂気へと染まる。
「脳無、お前はあのガキを殺せ」
死柄木の命令が下された瞬間。
脳無の巨体が、フッとブレた。
「玲空ッ!」
ホムラの悲痛な叫び。
脳無の本気の圧倒的な速度に、俺の目は全くついていけなかった。気づいた時には、悪魔のような腕が、すでに眼前にまで迫っていた。
(速ッ……! 剣が、間に合わない!)
死を覚悟した、その時だった。
「待ちなさいっ!」
ホムラの叫び声が、広場に響いた。
彼女の右手には、極限まで圧縮された高熱の“炎の刃”が握られていた。俺と分断されて出力が落ちているはずの彼女が、残された力の大半をその一刃に注ぎ込んでいる。
だが、その鋭い切っ先が向けられているのは、死柄木でも、脳無でもない。
彼女自身の胸の中央で輝く、翠玉色の『コアクリスタル』だった。
「あなた達の目的は私のはず。私を連れて行きたいのなら、私は大人しく従う。その代わり、玲空や皆の命は助けて」
ホムラの声は静かだが、絶対に揺るがない決死の覚悟に満ちていた。
「さもなければ──今ここで、私自身の炎でこのクリスタルを貫き、破壊します」
「な……ッ!? ホムラ、やめろ……ッ!!」
その言葉に、全員硬直する。
俺は叫んだ。コアクリスタルは、俺とホムラの心臓のようなもの。それを破壊すれば、彼女は完全に消滅してしまう。
「あァ? 舐めんなよ、ハッタリだろ。お前がそれを壊して死ねば、そこのガキもダメージ共有で死ぬんだろ? やれるもんならやってみろよ」
死柄木は余裕の笑みを浮かべていた。
だが、俺には分かってしまった。
彼女は、本気だ。
(……ホムラは、自分がその後どうなってもいいと思ってるんだ)
自分がこれからヴィランの手でどんな地獄を味わおうと、ただ俺を少しでも長く生かすための“取引の道具”になれるなら、それでいい。もし奴らが取引に応じず、俺が惨殺されるのを見るくらいなら──いっそ自らの手で、ためらいなく俺と自分の生命を終わらせる。
彼女は、俺たちを生かすためだけに、自分という存在の全てを完全に捨て去る覚悟を決めているのだ。
ホムラの手が、炎の刃を胸のクリスタルへと強く押し当てようとした、その瞬間。
「お待ちください、死柄木弔!」
黒霧が鋭い声で制止した。
「“あの方”のお言葉をお忘れですか。──『もし天の聖杯を見つけたら、絶対にコアクリスタルには傷をつけず、僕の元へ連れてきなさい』と。彼女が本気であのクリスタルを破壊してしまっては、あの方が何と仰るか……」
「ッ……!!」
その言葉を聞いた瞬間。死柄木の首を掻きむしる速度が、皮膚を破り血を流すほどに異常なペースへと跳ね上がった。
「“先生”の、指示……。あァ、そうかよ……。クソッ、クソッ! どうせ詰んでるんだから、大人しくリタイアしろよ……!!」
苛立ちのままに地団駄を踏み、ブツブツと呪詛を吐き捨てる死柄木。
彼にとって、目の前の
「……いいぜ。交渉成立だ。その代わり、少しでも妙な真似をしたら、即座にそこのガキ共を塵にする。大人しくこっちへ来い」
死柄木が憎々しげに言い放つと、ホムラは炎の刃を握りしめたまま、静かに頷いた。
「……はい」
「ホムラ、何言ってるんだよ! 頼むからそんなこと……!」
手を伸ばそうとする俺に、ホムラは女神のように優しく微笑んで言った。
「いいんです、玲空。……私は、ただの“個性”ですから」
「……えっ」
俺の胸に流れ込んでくる、抉られる様に重く冷たいホムラの感情。それは、今にも崩れ落ちて泣き叫びそうなほど震え、ヴィランの手に落ちることを何よりも恐れ、痛がっている。
それでも彼女の顔は、あまりにも静かで、綺麗だった。
「私は、ただの力の塊。だから、私がどうなろうと、玲空や皆さんが生きてさえいてくれれば、それでいいんです」
その言葉は、俺の心を何よりも深くえぐった。
「ッ!! ちが──」
と同時に、俺の心の奥底に潜んでいた、醜くも切実な問いが頭をもたげた。
(俺は……なんでこんなに必死になってる?)
ホムラを奪われたら、俺はまた、ただの無個性に戻ってしまうからか?
やっと近づいた、ヒーローになるっていう夢。それを失い、あの見下されていた日々に逆戻りするのが怖いからか?
ただ、“力”を失うのが惜しいから、必死に手を伸ばしているのか?
……違う。
俺の『個性』だから──便利な力だから失いたくないんじゃない。
俺に命を預けて、一緒に笑って、俺と同じ痛みを背負ってくれる。
彼女が『ホムラ』という、俺の大切な『人』だから護りたいんだ。
今も胸の奥で震えるホムラの絶望が、俺に伝わってくる。
彼女が自分のことをただの道具だと切り捨て、俺たちを生かす為に全てを諦めようとしている。
どうしようもなく、許せなかった。
彼女にそんな哀しい決断を強いるヴィランも。それをただ見ていることしかできない、俺自身も。
『お前の戦を戦え──』
激しい怒りと焦燥感が胸を焼く中、俺の脳裏に、かつて幼い俺を庇い、血塗れになって戦い、散っていった偉大なプロヒーローの姿が鮮烈にフラッシュバックした。