全身の骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げている。
ヒカリから流れ込んでくる莫大なエネルギーは、これまでのホムラの炎とは全く異質の、極めて純度が高く鋭利な“光”の力だった。少しでも気を抜けば、俺自身の肉体が内側から弾け飛び、塵となって消滅してしまいそうなほどの暴力的な負荷。
だが、不思議と恐怖はなかった。
俺とヒカリを繋ぐキズナは、眩いばかりの黄金色へと変化し、強く太く脈打っている。俺たちの気持ちが、完全にシンクロしている証。
「……ッ、はぁ、はぁ……!」
「ちょっと、大丈夫なの玲空? だから言ったじゃない、私の出力はホムラの比じゃないって。……あんまり無理しないでよ。君が壊れたら、元も子もないんだから」
ヒカリは少し眉をひそめ、呆れたような、それでいて深い心配の色を滲ませた声で俺の顔を覗き込んだ。
だが、俺には分かっていた。痛覚を100%共有している以上、俺の肉体を襲うミシミシとした軋みと激痛は、間違いなく彼女の身体にもダイレクトに伝わっているはずなのだ。
それでも彼女は、俺を不安にさせないために、必死に平気な顔を作って強がってくれている。
「……ふぅ、大丈夫だ。じっちゃんの地獄の特訓と、ヴァンダムさんが残してくれた熱がある。お前の力くらい、絶対に耐え切って……俺がお前を、護る」
「……もう。本当に、無茶苦茶なんだから」
ヒカリは呆れたように小さく息を吐いたが、その黄金の瞳は微かに揺れ、嬉しそうに細められた。
「あの人……ホムラさんじゃ、ない……?」
「すごい、光……」
黒霧の急所へ決死の特攻を仕掛け、両脚をボロボロにした緑谷。そして、肩を崩壊され地面に倒れ伏すニアが、俺たちから放たれる神々しい光の波を前に呆然と呟いた。
それに続いて、脳無の足止めをして俺の道を切り拓いてくれた梅雨ちゃんと峰田も、少し離れた場所からこの信じられない光景を唖然として見つめていた。
「ケロ……。ホムラちゃんが、全く別の姿になったわ」
「な、なんだよアレェェェッ!? ホムラちゃんが超絶勝気な金髪美少女に変わっちまったぞ!? しかも胸のデカさとプロポーションは健在じゃねえか!! 西里のやつ、一体前世でどんだけ徳を積んだらあんな“チート”個性が発現すんだよぉ……ッ!」
恐怖と絶望のどん底にいたはずの峰田だったが、ヒカリの姿を見た瞬間、またしても煩悩が恐怖を上回ったらしい。血涙を流しながら地面を叩き始めた。
「クソッ!! ホムラちゃんと新たな美少女、オイラはどっちの女神を信仰すればいいんだ!?」
パニックと極限の興奮で鼻息を荒くする峰田だったが、すぐに梅雨ちゃんがペチッと叩いて黙らせていた。
「おい、黒霧。どういうことだ。アレはさっきまでの女とは別モノじゃないか。……バグか? 『天の聖杯』にフォルムチェンジがあるなんて、聞いてないぞ」
「……ッ、分かりません」
緑谷の捨て身の一撃を食らい、首元を必死に守りながら体勢を立て直した黒霧が、警戒心を露わにして答えた。
「ですが死柄木弔。あの姿……先程までとはまるで雰囲気が違います。気を付けた方がいいかと」
「あいつがフォルムチェンジしようが、力業でゲームオーバーにすれば関係ねぇ。……やれ、脳無、黒霧。あの鬱陶しいガキを、今度こそミンチにしろ」
「仰せのままに」
死柄木の命令が下された瞬間。
黒霧の淀んだモヤが広場一帯に広がっていく。
それに続いて、広場の端まで吹き飛ばされていた脳無も、音を置き去りにするような圧倒的スピードで、真っ直ぐに俺の眼前に迫ってきた。
「ッ!」
速い。先程までと変わらない、死を錯覚するほどの理不尽な速度。
しかし──俺の視界には、奇妙な“残像”が映っていた。黄金に輝く脳無の幻影が、俺の右側頭部を粉砕する未来が“視えた”のだ。
「ヒカリ、これは……!」
「私の力の一つ、『因果律予測』。周囲のエーテルの流れから、少し先の未来を視覚化しているの。彼らの動きの軌跡……その先を読んで、反撃して」
「未来が、視える……!」
俺は視界に映った、脳無の右ストレートの軌道を完全に読み切り、最小限の動きで頭を沈めて回避した。
空を裂くような剛腕が俺の頭上を通過した瞬間、俺はすでに反撃の体勢に入っていた。
(躱せる。躱せるどころか、敵の次の一手すら手に取るように分かる……!)
「そこだッ!!」
踏み込みと共に、純白の大剣を下から上へと斬り上げる。
刃に纏うのは、ホムラの爆炎ではなく、ヒカリの超高密度の光。
「グォォォォッ!?」
純白の閃光が軌跡を描き、脳無の太い右腕を肩口から綺麗に切断した。
「何……!? 脳無のスピードを、完全に読んだだと……!?」
宙を舞った脳無の腕。その切断面は光の超高熱によってプラズマのように灼かれており、自慢の『超再生』が著しく阻害されていた。炎による燃焼とは違う、細胞の結合そのものを断ち切るような純粋な光の刃。
腕を失い、それでもなお脳無が残った左腕で追撃を仕掛けようとした、その時。
脳無の足元にワープゲートが開き、その巨体を一瞬にして死柄木の傍へと強制的に引き戻した。
「黒霧、テメェ何し──」
「一度体勢を立て直します! あの二人の力、先程までとは次元が違う!」
「はぁ!? 早くあいつらを別々に飛ばせ!! 分断すれば終わるんだよ!!」
「分かっています! ですが──」
黒霧は自身の身体である霧を伸ばし、四方八方から俺たちを飲み込んで分断しようと迫り来る。
だが、因果律予測の視界を持つ今の俺たちには、どこに奴のゲートが展開されるのか、全て丸見えだった。
「彼らの反応が早すぎる……ッ! 私のゲートの発生を、全て先読みされている!?」
「遅いわね! どこを狙ってるの?」
ヒカリの勝ち気な言葉と共に、俺たちは全ての攻撃を舞うように回避していく。
ヒカリと同調した今の俺の素早さは、ホムラの時の重厚な動きとは別次元だ。まるで光の速さの様な超高速のステップと、未来視。
どんな死角からの分断攻撃も、当たらなければ、触れられなければ意味がない。
「チィィィッ!! チョコマカと……ならば、これでどうですか!」
幾度目かの攻撃を躱された黒霧が、苛立ちと共に叫んだ。
すると、周囲の空間を漂っていた霧が、爆発的な勢いで膨張し始めた。
彼が選んだ手段は、広場全体を覆い尽くすほどの莫大な質量の漆黒のモヤを展開し、俺たちを閉じ込める逃げ場のない巨大なドームを作り上げる事だった。
「ッ! 最初のヤツか……!」
「これなら、いかに動きが速かろうと、避けようがありません! 空間ごと二人まとめて飲み込み、引き剥がす!」
「確かに、これじゃあ避けようがないわね」
視界が急速に暗転していく。上下左右、全ての退路を漆黒のモヤが塞ぎ、太陽の光すらも完全に遮断されてしまった。このままじゃ、俺たちは別々の場所へと転送されてしまう。
「ああ。──けど」
だが、俺達の心に焦りはなかった。
先ほど、俺がホムラの元へ向かう道を切り拓いてくれた、緑谷の決死の特攻。あの時、緑谷は黒霧のモヤの中心──首元の金属パーツめがけて、躊躇いなく飛びかかっていた。
黒霧の身体は無敵に見えて、実は中心に“物理的な実体”を隠している。緑谷のあの捨て身の行動が、奴の決定的な弱点を俺たちに教えてくれていたのだ。つまり、この巨大な霧のドームの中に、黒霧の物理的な実体が確実に存在しているはず。
「ヒカリ」
「ええ、分かってる」
俺とヒカリは思考まで共有している訳じゃない。だが、俺とヒカリの結論は同じ場所へ辿り着いたと、迷うことすらない。
「回避できないなら、その実体をブチ抜けばいい!」
「その通りよ。合わせなさい、玲空!!」
俺は躊躇うことなく、右手に握っていた純白の大剣を、ヒカリへ向かって勢いよく放り投げた。
ヒカリは大剣を受け取ると、俺の身体強化を一時的に解除し、莫大なエーテルエネルギーを剣と身体に集中させた。
そのまま彼女は、まるで重力を無視するかのように、漆黒のドームの遥か上空へと高く跳び上がる。
「なっ……!? 上空へ!? 愚かな、そこも私のゲートの中ですよ!」
黒霧が嘲笑し、頭上のモヤがヒカリを飲み込もうと牙を剥く。
だが、ヒカリは全く動じなかった。彼女の黄金の瞳は、漆黒のドームの中で微かに蠢く金属のパーツ──黒霧の実体を正確に捉えていた。
「──見つけた」
「ッ!?」
ヒカリが上空で剣の切先を黒霧の実体へと向けると、刀身から、黄金の光の粒子が溢れ出す。
「消し飛びなさい──『パニッシュメントレイ』!!!」
光を纏った聖杯の剣の刀身から、一発の光弾が発射された。放たれた光の弾丸は、文字通り光速で漆黒のドームを切り裂き、黒霧が密かに移動させていた金属のネックガード──その実体部分へと寸分の狂いもなく直撃した。
「ガァァァァァッ!?」
規格外の光の熱量と、実体を灼き斬られるような激痛を受けた黒霧の実体は、溶け落ちる寸前の赤熱状態になっていた。
それと同時に、彼は巨大なモヤのドームを維持できなくなり、俺たちを閉じ込めていた漆黒の空間が嘘のように霧散していった。
「黒霧ィ!!」
ドームが晴れた視界の先で、死柄木が叫ぶ。彼の首を掻き毟る手は、すでに苛立ちで血まみれになっていた。
「ふざけるな……ふざけるなふざけるな! なんだよそれ……! 聞いてた以上のチートじゃねえか……! おい、脳無! 俺と一緒にあのガキと女をすり潰すぞ!!」
「ゴアァァァァァッ!!」
主の怒りに呼応するように、脳無が咆哮を上げた。先ほど光で切断された腕は、超再生の速度が著しく落ちていたが、それでも超再生自体がなくなった訳ではない。
灼かれた断面を無理やり押し破り、グロテスクな肉塊が新たな腕を急速に形成していく。
「ショック吸収に超再生……本当に厄介な個性ね。……でも」
空中からふわりと俺の隣へ舞い降りたヒカリは、その光景を前にしても涼しい顔を崩さなかった。
ヒカリは俺に純白の大剣を手渡し、俺の背中にピタリと寄り添った。そして、その細くしなやかな両手を、剣の柄を握る俺の手の上から優しく重ねる。
「いくら超再生といっても、必ず
大量のエーテルが、俺達に繋がっている黄金に眩く輝くキズナを通して、聖杯の剣へと極限まで圧縮されていく。
腕の再生を終え、凄まじい地鳴りを立てて、一直線に突進してくる脳無。そしてその巨体の背後、死角に隠れるようにして、死柄木自身もまた五指を広げ、地を這うような不気味な速度で迫り来る。
「集中して、玲空!」
「ああ……ヒカリの力、俺が全部出し切ってやるッ!!」
俺とヒカリは、天に向かって大剣を真っ直ぐに掲げた。
すると、剣の切っ先から、上空のUSJのドーム天井を突き抜けるほどに、巨大な黄金の光の柱が立ち上る。
全身の血管が焼き切れそうなほどの負荷が走るが、俺は歯を食いしばり、両足で大地を踏み締め、ヒカリと共に剣を振り下ろす。
「「『セイクリッドアロー』!!!」」
そして、光の柱が天井付近で拡散し、無数の“光の矢”となって放たれた。
「ッ!!」
死柄木はその光景を前に思わず足を止める。
一方、脳無は止まらない。俺たちを粉砕すべく、その丸太のような腕を振りかぶり、強靭な脚力で距離を詰めてくる。
「いっけえぇぇぇッ!!」
その瞬間、頭上の光の矢が降り注ぐ。
一本一本が必殺の威力を持つ、光の矢。それが、広場一帯をヒカリの因果律予測による精密な計算のもとで爆撃していく。
「グガァァァァァッ!?」
脳無は、全身に数十の光の矢をその身に浴びた。
ショック吸収と超再生の許容量を超えた熱量が、脳無の漆黒の皮膚を次々と灼き焦がしていく。
「グォォ……ォ……」
光の豪雨を真っ向から浴び続けた脳無は、全身から凄まじい白煙を上げ、ついにその丸太のような両膝を地に屈した。
重い音を立てて、黒焦げになった巨体が広場に倒れ伏す。
生きて呼吸はしているものの、ピクリとも動かない。完全な戦闘不能状態だった。
「な……ッ!?」
一方、死柄木もまた、広範囲に降り注ぐ光の矢の余波から逃れることはできなかった。
「クソッ!! 痛ェ、痛ェ痛ェッ!!」
爆発的な熱波と光の衝撃に吹き飛ばされ、何度も地面に転がる死柄木。顔を覆っていた“手”の飾りは外れ落ち、素顔が露わになっている。黒ずんだ服は至る所が焼け焦げ、全身は擦り傷と火傷だらけ。先程までの不気味なほどの余裕は完全に消え失せ、文字通りボロボロの姿だった。
「ああ……クソ、なんてクソゲーだ……。チートにも程があるだろ……!!」
死柄木は血を吐きながら身をよじり、震える手で地面に落ちた手の飾りを拾い上げようとする。
そこに、先ほどヒカリに実体を撃ち抜かれ、深手を負っていた黒霧が這うようにして死柄木の傍へと現れた。
「死柄木弔……! ご無事ですか!」
「黒霧……! お前、モヤを広げろ……! あの女とガキを、今度こそチリにしてやる……!」
「なりません、ここは退きましょう!!」
血走った目で立ち上がろうとする死柄木を、黒霧が鋭い声で制止した。
「脳無は完全に沈黙しました。私自身も深手を負い、これ以上のゲート展開は不可能です……。今の我々では、あの“光”には敵わない……!」
「うるせえ……ッ! 俺はまだ……先生の命令を……ッ!!」
「生き延びてこその、コンティニューでしょう……!」
黒霧は激昂する死柄木を宥める暇すらないと判断したのか、倒れ伏す脳無を回収するのを諦め、死柄木一人の体だけを強引にモヤの中へと包み込み始めた。
空間が歪み、ワープゲートの中に身体が沈み込んでいく中。死柄木は俺とヒカリを、憎悪の全てをぶつけるように睨みつけた。
「天の聖杯……! 次は必ず、俺がそのチートごと叩き壊して、ゲームオーバーにしてやるからな……!!」
その捨て台詞を残し。死柄木と黒霧の姿は、空間の奥へと吸い込まれるように、完全に姿を消した。
轟音と閃光が吹き荒れていた広場に、嘘のような静寂が戻る。
残されたのは、黒焦げになって沈黙する脳無の巨体と、激しい戦闘の痕跡が刻まれた無残なクレーターだけだった。
「ふぅ……。手加減してあげたんだから、感謝しなさいよね」
ヒカリが小さく息を吐き出すと、俺たちが握っていた聖杯の剣が、黄金の光の粒子となって虚空へと消散した。
敵が消え去り、極限の緊張感が解けた、その瞬間。
「──ッ、あ……」
俺の全身を無理やり動かしていたアドレナリンが切れた途端、ヒカリの莫大なエネルギーを許容していた肉体に、想像を絶する反動と激痛が襲いかかってきた。
全身の筋肉が断裂したかのような痛み。肺が焼け焦げたかのような息苦しさ。
視界がグラリと揺れ、俺は立っていることすらできず、膝から崩れ落ちそうになる。
「ちょっと、玲空!?」
地面に倒れ込む寸前。
ヒカリが慌てて両腕を伸ばし、俺の身体をガシッと抱き止めてくれた。
──が、直後。
「っ……ぁ……ァッ!!」
ヒカリの顔が苦痛に歪み、彼女もまた耐えきれずに俺と一緒に地面へと膝をついた。
ダメージと痛覚の共有。俺の肉体を襲っている限界突破の激痛が、リンクしている彼女の身体にも容赦なくフィードバックされたのだ。
「っ、はぁ、はぁ……! だから、無理、するなって言ったのに……! 君の体、ボロボロじゃない……!」
自身の身体も悲鳴を上げているはずなのに。
ヒカリは痛みに顔を顰め、荒い息を吐きながらも、決して俺を突き放すことはしなかった。見上げると、勝気だったはずの彼女の黄金の瞳が、今は自身の痛みよりも、俺を心配する色で痛ましそうに揺れていた。
「はは……わりぃ。痛い、よな……。でも、なんとか……護れた」
俺が掠れた声で笑って強がると、ヒカリはギュッと唇を噛み締め、それから、倒れ込む俺の頭を自身の胸に優しく抱き寄せた。
「……ええ。本当に、痛いし……無茶苦茶よ。でも……よくやったわ、玲空」
痛みを堪える震えた声。けれど、先ほどまでの強気な態度からは想像もつかないほど、優しくて温かい響きだった。
その温もりに包まれながら、俺の意識が闇の中へと沈みかけた、その時。
「玲空くんッ!!」
聞き慣れた声が聴こえた。
声のした方向へ目を向けると、薄れゆく視界の中、俺の目を疑うような奇跡が起きた。
光の粒子が残る広場の中、その黄金の光の乱反射の中で、一瞬だけ。
本当に一瞬だけ、ノイズ混じりのホログラムのように、彼女の“素顔”が透けて見えた。
涙でぐしゃぐしゃになった、けれど、とても綺麗な女の子の顔。
「……葉隠、ちゃん……?」
それが現実だったのか、限界を迎えた俺の脳が見せた都合のいい幻覚だったのかは分からない。
その泣き顔が胸の中に焼き付いたまま、俺の意識は完全に途切れた。