ニチアサみたいな魔法少女のいる世界観なのに明らかに設定を間違えたモンスターパニック物に出てきそうな怪生物がログインしてきた話 作:二度見屋
真昼の大通りを、けたたましい重低音の悪魔アラートが切り裂いていた。
防犯カメラのネットワークと市民からの緊急通報を受信した警衛隊のシステムが、未知の脅威を自動検知して発令した国家規模の警報である。
『C地区中心部に悪魔が出現。推定脅威度は不明。周辺の一般市民は直ちに地下シェルターへ避難してください』
という無機質な合成音声が幾重にも反響しながら街を覆い尽くした。
休日の昼下がり、平和な活気に満ちていた大通りは、そのサイレンを合図に、一瞬にして阿鼻叫喚のパニック映画へと塗り替えられた。
買い物袋を放り出して金切り声を上げる主婦、スマートフォンの画面から目を離して腰を抜かす学生、互いを押し退け、時には他者を突き飛ばしてでもビルの陰へと逃げ込もうとするビジネスマンたち。
その狂乱の中心を、一つの異形が歩いていた。
先日、A地区の崩落現場で魔法少女たちと交戦した時と全く同じ、白亜の生体装甲と真っ黒な巨大複眼を持つ怪物の姿。
地球上のいかなる進化の系統樹にも属さないその威容を見た人間たちは、本能的な防衛機制として「絶対的な恐怖」のシグナルを脳髄に弾き出し、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑っていた。
ポチは一定の歩幅とリズムを崩すことなく、先日の時と同様に、パンフレットを持ちながら、ズン……ズン……とあてもなく大通りを進み続けていた。
なぜ、人類の脅威となるべき理外の怪物が、白昼堂々こんな場所を再びさまよっているのか。
その理由は数十分前、彼の拠点である廃ホテルの地下深くで下された、絶対的な命令に起因していた。
――『よし、次はこれじゃ! このイチゴの乗ったショートケーキを持ってくるのじゃ!』
しなやかな筋繊維で構築されたベッドの上で目を覚ましたカグヤは、パンフレットのある一点を指差してそう言い放った。
彼女が指差していたのは、純白の生クリームに覆われた三角形のスポンジと、その頂点に真っ赤なイチゴが乗ったショートケーキの写真だった。
ポチの脳内には、前回の回収ミッションの成功体験が絶対のルールとして刻み込まれている。
この
ポチは自身の細胞を急速に分化・合成させた。
白く泡立ったタンパク質で表面を三角形に固め、頂点に赤い色素を集中させた丸い腫瘍のような組織を配置する。見た目だけはパンフレットの写真に極めて近い「生体ショートケーキ」を、ポチは体内で合成し、口から吐き出したそれをカグヤに差し出した。
カグヤはそれを一瞥し、スゥッと息を吸い込んだ。
『舐めとるんか、おどりゃあァ!!!』
ドゴォォォォォォォンッ!!!
カグヤの小さな拳から放たれた理不尽な運動エネルギーが、ポチの胸を紙屑のように粉砕した。
衝撃波が脊椎を模した骨格構造を完全に断ち切り、ポチの上半身は胸から上が千切れ飛んで、部屋の壁面に激突し、その部屋の壁面を構成するキチン質までもぶち抜いて赤黒い染みを作った。
『不正解』
そうしてポチは人型形態の個体を復活させるや否や、パンフレットを握りしめ、無言のまま天井の開口部から地上へと這い出してきたのである。
そして現在。
ポチは「ショートケーキ」という概念も、「甘い食べ物」という知識も持っていない。ただ写真に写る「下層が黄色、中層が白、頂点が赤の三角形の立体構造物」を探して、あてもなく街を歩き回っていた。
額の眼球が、道沿いに並ぶ様々な建築物を機械的に走査していく。コンクリートの壁、ガラスの反射、立ち並ぶ街路樹。
やがて、ポチの視覚情報処理ネットワークが、ある一点のオブジェクトに対して引っ掛かりを覚えた。
大通りに面したお洒落なガラス張りの店舗。その入り口の庇から垂れ下がるようにして掲げられた布製の日よけ――のれんのようなタペストリーに、ポップなタッチでデフォルメされた一つのイラストが描かれていた。
ポチは足を止め、左手のパンフレットの写真と、のれんに描かれたイラストを見比べた。
写真のリアルな陰影とイラストの抽象化された線の違いはあれど、三角形のフォルムと特徴的な配色のパターンから、ポチの脳は瞬時にそれが同一の目的物を示唆するシンボルであると判断した。
彼は迷うことなく方向を転換し、その店舗――「パティスリー・ルミエール」という金色の文字が光る高級洋菓子店へと向かった。
アラートの発令により、店内はすでにパニック状態に陥っていた。
店先には数台の自転車が倒れ、入り口のマットには誰かが落とした日傘が転がっている。
「早く! 裏口から逃げて!」
「きゃあっ! 店長、入り口に!」
逃げ遅れた店員や数名の客が、自動ドアの向こう側に立ち塞がった巨大な白い怪物の姿を見て、肺の底から絶望の悲鳴を上げる。
ポチは彼らの発する甲高い振動音を完全に無視し、ドアを蝶番ごとこじ開けて、強引に店内へと侵入した。
店内に逃げ遅れた人々の悲鳴が響き渡る中、ポチの額の眼球が、店内の最も目立つ場所に配置されたガラスのショーケースに固定された。
ショーケースの中には、色とりどりの様々な立体構造物が整然と並べられている。
ポチはその前に無言で立ち止まり、左手に持ったパンフレットをジッと眺め、目の前の物体と見比べる。
「ひぃっ……!」
カウンターの奥で身を寄せ合っていたパティシエや販売員たちが、息を呑んでその異様な光景を見つめる。
悪魔が店に侵入してきた。
残虐に殺され、喰われるかもしれない。誰もが己の死を覚悟した。
しかし、その怪物は人間を襲うどころか、ショーケースの中を眺めるばかりで、こちらには気付いた素振りすらない。
やがて、ポチの額の眼球が、ショーケースの二段目に並べられたある特定の立体構造物でピタリと止まった。
三角形の形状、表面を覆う均質な白い物質、頂点に配置された赤い謎の組織。
『これが目的の物だ』
そう確信したポチは、右手をショーケースへと真っ直ぐに伸ばした。
目の前には
ガシャァァァァァンッ!!
ポチが右拳を軽く振り抜いただけで、ガラスは薄氷のように粉砕され、店内に破片が雨のように飛び散った。
砕け散ったガラスの破片は、当然のようにショーケース内部のケーキの上にも降り注いでいる。
しかし、ポチの視覚情報は「目的の形状がそこにある」という事実だけを処理している。異物が付着しようが関係ない。
ポチはそのまま腕を伸ばし、ターゲットであるショートケーキを無造作に鷲掴みにした。
グチャッ。
湿った不快な音が鳴った。
ショートケーキは極めて柔らかいスポンジ生地とホイップクリームで構成されている。ポチの強靭な指の握力は、それがどれほど脆い物質であるかを理解する前に、対象を完全に握り潰してしまっていた。
ポチは無言で右手を自分の顔の前に持ち上げた。
指の間から、白いクリームと赤いイチゴの果肉が混ざり合った、ドロドロの塊がボタボタと垂れ落ちる。
ポチの網膜に映るその形状は、左手に持っているパンフレットの写真とは著しく乖離していた。
『……これをこのまま持っていくのは、不正解かもしれない』
ポチはそのドロドロになったケーキの残骸を無造作に床へと投げ捨てると、再びショーケースの中へと視線を戻した。
幸いにも、内部には全く同じ形状のショートケーキがまだいくつも並んでいた。
彼は今度こそ失敗しないよう、その土台ごと、ショートケーキを慎重に持ち上げた。
その一連の動作のあまりのシュールさと異様さに、奥で震えていた店員と逃げ遅れた客たちは恐怖に包まれながらも、ただ呆然とその光景を眺めることしかできなかった。
ターゲットの回収を無事に果たしたポチは、帰還するべく踵を返した。
再度動き出した怪物に、悲鳴を上げてしゃがみ込む客の横を静かに通り抜け、自らがこじ開けたドアから外へと出る。
右手には、ショートケーキ。左手には、パンフレット。
彼はただその二つを持ち、行きと同じように淡々と、周囲のパニックを一切無視して裏路地へと向かって歩き出した。
その極めて不自然な一連の行動を、大通りの反対側のビルの陰から、鋭い視線で観察している者がいた。
アキの幼馴染であり、氷の権能を操る魔法少女、マリナである。
マリナは、偶然この街へ買い物に来ていたところでアラートに遭遇した。
即座に変身して事態の収拾に当たるべき状況であったが、彼女が駆けつけるよりも早く、あの「怪物」が悠然と大通りを歩いてくるのを目撃してしまったのだ。
(あいつ……この前逃がした、あの魔力を持たない未知の怪物……!)
マリナは即座に人目を避けて変身するために、この物陰に身を潜めたが、そこで様子を伺うために怪物の方へ視線を向けて違和感を覚えた。
この前の出現時と同じく、やはり人を襲おうとはせず、むしろ人を障害物のように避けながらただ歩き続ける怪物を見て、しばらく様子見をすることに決めたのだ。
マリナは、スマートフォンのカメラ機能を使って怪物の行動を記録しながら、その生態を冷静に分析していた。
彼女の肩のバッグの中で、妖精のレミが震えながら光を明滅させ、小さい声で囁く。
「マ、マリナ……早く変身して戦うべきではありませんか……!」
「待って、レミ。あいつの行動、どう見てもおかしいわ」
マリナは冷静に、目の前で展開されている事象の違和感を次々と拾い上げていく。
絶望や恐怖を糧とする「悪魔」という存在にとって、これだけ逃げ惑う人間がいる大通りは、無尽蔵にエネルギーを摂取できる最高の狩り場であるはずだ。
人間を襲い、甚ぶり、より深い恐怖を引き出そうとするのが彼らの本能であるはず。
しかし、あの怪物は人間に一切の興味を示していない。
ただ真っ直ぐにケーキ屋に向かい、そして……ケーキを一つだけ奪って出てきた。
(人間を無視して、ケーキだけを奪う? 悪魔が人間の食べ物を欲しがるなんて……あり得ないわ)
マリナの脳裏に、怪物が左手に握りしめている「紙切れ」の存在が浮かび上がる。
魔力によって強化した視覚で確認したその紙切れは、ホテルのパンフレットのようだった。
そしてあの怪物は、そのパンフレットのショートケーキの写ったページを開いた状態で手に持っている。
(あいつは、あのパンフレットにあるものと同じものを探して回収している……?)
マリナの中で、バラバラだった情報のピースが一つの論理的な仮説へと組み上がっていく。
この怪物は、自己の欲望や本能で動いているのではない。あのパンフレットを持たせ、それと同じものを回収してこいと「指示した存在」が別にいるのだ。
(何らかの命令に従っているだけ……あいつは、ある種の悪魔が使う、使い魔のようなものなのかも……そして……あいつに指示を出している上位の存在こそが、アキが言っていたあの『黒いワンピースの少女』……カグヤ)
ここで自分が変身してあの怪物に攻撃を仕掛ければ、前回のように逃走されるか、あるいは周囲を巻き込んだ大規模な戦闘になるかの二択である。
そして、使い魔か何かでしかないこの怪物を一つ破壊したところで、親玉であるカグヤを放置しておけば根本的な解決にはならない。
(ここは泳がせるわ。あいつを尾行すれば、確実に敵の拠点……カグヤの潜伏場所に辿り着ける)
マリナは即座に決断を下した。
彼女は変身せずに、ただの一般人を装いつつ、慎重に、かつ確実に怪物の追跡を開始した。
ポチは背後からの追跡者に気づく様子もなく、複雑に入り組んだ廃ビル街の路地へと歩を進めていく。
「……あいつ、本当にただの使いっ走りなのね」
その無機質な、目的遂行にしか興味を示さない機械のような動きを見たマリナは、呆れたようにつぶやきながら、ビルの壁に身を隠しつつ一定の距離を保つ。
しばらく歩き続けたポチは、A地区の崩落現場の瓦礫の山の前に辿り着いていた。
マリナは少し離れたコンクリート塀の陰に身を潜め、息を詰めてその様子を窺っていた。
彼女の視線は、ポチの姿だけでなく、瓦礫の山の異常な光景にも釘付けになっていた。
(何あれ……?)
瓦礫の隙間から、周囲の景色とは明らかに異質な、樹木の幹に似た太い円柱状の組織が数本、天に向かって不気味に伸びていたのだ。
その先端には薄く巨大な膜組織が広がり、太陽の光を浴びて微かに脈打っている。まるで植物が光合成を行っているかのような、人工物と生体組織が融合したおぞましい光景だった。
ポチはその巨大な植物のような器官の根元、人間が容易には入れないような瓦礫のトンネルの前で立ち止まると、身を屈めて暗闇の中へと滑り込んでいった。
(あそこが、入り口……!)
街を一つ壊滅させるほどの力を持つ未知の怪物と、その背後にいる最悪の親玉。
その潜伏拠点を、ついに特定したのだ。
マリナはすぐさま通話アプリを起動し、アキの連絡先をタップした。
数回のコールの後、焦ったようなアキの声が繋がる。
『マリナ!? どこにいるの!?C地区のアラートで来たんだけど、悪魔も何もいなくて……!』
「アキ、落ち着いて聞いて。アラートの原因は前に遭遇した二足歩行の怪物よ」
マリナは冷徹な、しかし確信に満ちた声で告げた。
「奴の尾行に成功して、潜伏場所の特定を完了したわ。……あいつ、隠れるつもりも無いのかしら。今すぐ座標を送る。ここで合流して、一気に親玉ごと叩き潰すわよ」
一方その頃、地下の生体ルーム。
天井の開口部からドスンと飛び降りてきたポチは、ベッドの上でゴロゴロと転がっていたカグヤの前に無言で立ち、右手に持ったショートケーキを差し出した。
「おお! 遅かったではないかポチ! 待ちくたびれたぞ!」
カグヤはベッドから飛び起きると、ポチの手からショートケーキをひったくった。
「よしよし、美味そうじゃ! さっそく……」
そう言いながらカグヤは、ガラスまみれのショートケーキを、かぶりつくように口の中へと放り込んだ。
「んん〜っ! この甘さ、最高じゃ……って、ん?」
カグヤが咀嚼を始めた瞬間、口の中からガリッ、ジャリッという、ケーキにはあるまじき不快な摩擦音が響いた。
ケーキの上に降り注いでいたショーケースのガラス片を、クリームごと噛み砕いた音である。
「なんかシャリシャリしとるのう……。クリームの口当たりが最悪じゃ。ハズレじゃなぁこのケーキは」
常人なら血まみれになるであろうそのケーキを、結局カグヤはその異常に気付くことすらなく完食したのだった。
カグヤが「食感が悪い」とブツブツ文句を言いながらも、手を止めることもなくガラストッピングのショートケーキを味わっていたその頃。
ポチが立ち去ったケーキ屋の前に、けたたましいサイレンを鳴らしながら警衛隊の重装甲車両が複数台到着した。
黒いタクティカルギアに身を包んだ隊員たちが次々と飛び降り「銀の弾丸」が装填されたアサルトライフルを構え、厳重なフォーメーションを組んで店内へと突入する。
「悪魔の居場所の特定と負傷者の救護を急げ! 被害状況を報告しろ!」
隊長が怒号を飛ばしながら店内を見回すが、そこに広がっていたのは彼らが想定していたような光景ではなかった。
飛び散った血痕も、引き裂かれた死体も、悪魔によって破壊された痕跡すら一つもない。
ただ、カウンターの奥で腰を抜かして震えている数名の逃げ遅れた店員と客がいるだけだった。
隊長が警戒を解かずに銃口を下げ、最も近くにいた女性店員に声をかける。
「怪我はないか!? 悪魔はどこへ行った!」
「あ、悪魔は……」
女性店員は青ざめた顔で力なくショーケースを指差した。
「ケーキを……持って、出ていきました……」
「……は?」