ニチアサみたいな魔法少女のいる世界観なのに明らかに設定を間違えたモンスターパニック物に出てきそうな怪生物がログインしてきた話 作:二度見屋
クロウは、薄汚れた雑居ビルの屋上、その縁に音もなく佇み、眼下の路地を歩く人型のポチをじっと見下ろしていた。
クロウがこの奇妙な追跡を始めたのは、数日前のことだった。
A地区の崩落現場——あの怪物とカグヤの潜む拠点。
その様子を、クロウは自らの使い魔である無数のカラスを通じて、密かに監視し続けていた。
そして、その日。クロウの使い魔は、信じがたい光景を目撃した。
武装した警衛隊の部隊が、拠点へと突入する様子。だが、作戦はあえなく失敗。地下から、全長十数メートルにも及ぶ巨大な肉の獣がせり上がり、中に取り込んだ警衛隊員たちを殺すことなく、ぬめる体液まみれにして吐き出していった。
そして怪物は、その巨体を縦横無尽に変形させ、いくつもの囮を放ちながら、夜の街を疾走して逃げ去った。
クロウは、散り散りに分かれた肉塊のうち、どれが本体であるかを、使い魔の眼を駆使して執拗に追い続けた。そしてついに、怪物が新たな潜伏先——街外れの地下変電所跡へと潜り込む瞬間を、その眼に捉えたのだ。
——あの怪物とカグヤは、A地区を捨て、あの地下変電所跡へと移り住んだ。
その事実を掴んだクロウが、引き続き変電所跡を監視していたところ、奇妙なことが起きた。
その地下施設の出入り口から、一人の人間の青年が、ふらりと姿を現したのだ。
人の気配など微塵もないはずの、怪物の巣窟。そこから、何食わぬ顔で歩み出てきた人間。
この変電所跡を監視し始めてから人の出入りなどなかった。それは確かである。
クロウは即座に、その青年が、あの怪物と無関係であるはずがないと直感した。
クロウは、その青年——人型のポチを、使い魔とともに尾行した。
そして、目撃したのである。
青年が、スーパーマーケットへと入っていったこと。そして——何も手にすることなく、手ぶらのまま、再び店から出てきたこと。
「……何をしておるのだ、あの男は」
クロウは、マスクの奥で、赤く細い双眸を訝しげに細めた。
スーパーへ堂々と入り込みながら、何も持たずに出てくる。その意味不明な行動は、かつて使い魔が目撃した、あの白い装甲の怪物が「プリンだけを持ち去った」という奇行と、どこか通じるものがあった。
この青年は、あの怪物の擬態した姿か、あるいは、あの怪物が生み出した使い魔のような存在なのではないか。
クロウの狡猾な頭脳が、めまぐるしく回転した。
主君であるザラキからは、カグヤとあの怪物には「手出し無用」と厳命されている。あれらは、放っておけば勝手に騒ぎを起こし、人間を恐怖させ、自分たち悪魔の糧となる負の感情を生み出してくれる、都合の良い存在だからだ。
だが——手出しをするな、とは言われたが、近づくなとは言われていない。
クロウは、生来の打算的な性質ゆえに、いかなる時も「保険」を求める性分であった。あの規格外の怪物と、それを従えるカグヤ。いずれ、自分たち悪魔にとって、何らかの脅威となるかもしれぬ存在。
ならば、その怪物の身内とおぼしきこの青年に、今のうちに「貸し」を作っておくのは、決して悪い手ではない。
恩を売り、信用を得ておけば、いずれそれが、思わぬ局面で役に立つこともあるだろう。
クロウは、屋上の縁から、音もなく舞い降りた。
黒い外套を翻し、人型のポチが佇む裏路地へとゆっくりと歩み寄っていく。
「……そこの貴公」
クロウは、掠れた声で、ポチの背後から呼びかけた。
「貴公、あの変電所から出てきたであろう。あの、白い怪物の——」
だが、ポチは振り返りもしなかった。
クロウの発した音声は、ポチの聴覚器官には届いていた。しかし、その意味するところは、まったく解読できない。ポチにとってクロウの声は、街に溢れる無数の意味不明な音の一つでしかなかった。
「……ふむ?」
返答がないことに、クロウは眉をひそめた。もう一歩ポチへと歩み寄り、今度はその正面に回り込む。
「聞こえておらぬのか。貴公、何者だと聞いておるのだ」
ポチは、ようやく目の前の個体——クロウの存在を視界に捉えた。
だが、ポチはただ無言で、無表情のままクロウを見つめ返すだけだった。攻撃する素振りもなければ、応答する素振りもない。ガラス玉のような瞳が、感情の一片もなく、クロウのペストマスクを映している。
そのあまりに虚ろな反応に。
クロウはふと、ある可能性に思い至った。
何度声をかけても、まったく反応がない。言葉に対する理解の片鱗すら見せない。そして、店で見せた意味不明な行動。
——まさか、こいつは。
「……言葉が、分からぬのか?」
クロウは、外套の懐から紙片を取り出し、物は試しと、人間の文字で何ヶ国語に分けて相手を罵る単語を適当に綴ってポチの眼前にかざしてみた。
だが、ポチはそれを一瞥するだけで、何の反応も示さない。
クロウは確信した。
この目の前の、人間そっくりの個体は——人間の言語というものを、一切理解していないのだ。
人間の姿を完璧に模倣しておきながら、言葉だけはまるで通じない。
だからこそ、あの店で何も買えずに追い出されたのだろう。商品を選ぶことはできても、それを購うための「言葉のやり取り」がこいつにはできなかったのだ。
「……これは、これは」
クロウのマスクの奥で、赤い双眸がゆらりと興味深げに揺れた。
言語を解さぬ怪物。それは、裏を返せば——こちらの意図を言葉で悟られる心配がない。ということでもある。恩を売り込むにはこれ以上ない好都合な相手であった。
クロウは、しばし思案した後、ゆっくりとポチへと歩み寄った。
言葉が通じぬのであれば、伝える手段は一つ。身振り手振り——ジェスチャーである。
クロウは、まず、自らの外套の懐から、一枚の紙幣を取り出した。
一万円札である。
人間社会の裏に潜み、暗躍するクロウにとって、このような人間の通貨は何かと役に立つ事が多く、こうしていくらかは持ち歩くことにしていたのだ。
クロウはその紙幣を、ポチの眼前でひらひらと振ってみせた。
そして、もう一方の手で、近くに転がっていた空き缶——商品に見立てたそれを掴み取ると、ゆっくりと、わざとらしいほど大仰な動作で実演してみせた。
まず、空き缶を片手に持つ。次に、もう一方の手で紙幣を相手に「差し出す」仕草をする。そして、紙幣と引き換えに商品を「受け取る」
その一連の動作を、クロウは何度も何度も繰り返してみせた。
ポチの神経網が、その反復される動作を高速で解析した。
紙幣。商品。差し出す。受け取る。
クロウの動作には、明確な規則性があった。そして、それは——たった今、自分が店で失敗した、あの「欠落したピース」と見事に符合する。
あの店で、二足歩行個体たちが商品を持ち去る直前に、台の前に立つ
——あれは、この紙片を相手に差し出す行為だったのではないか。
ポチは、完全には理解していなかった。なぜ、この紙片を渡すことで商品が手に入るのか。その背後にある「貨幣経済」という概念など知る由もない。
だが、ひとつの相関だけは確かに掴んだ。
この紙片は、
それさえ理解できれば、十分だった。
クロウは、最後に、その一万円札をポチの手の中へとそっと握らせた。
ポチは、与えられた紙片をまじまじと見つめる。
「ふふ……さて、貸し一つだ」
クロウは、これであの怪物との間に、ささやかな「縁」を結んだことになる。
それがいつか自分の身を助ける一手となるかどうか——それはまだ誰にも分からない。クロウは黒い外套を翻すと、再び夜の闇の中へと溶けていった。
———
ポチは先ほどと同じスーパーマーケットへと、再び足を踏み入れた。
入り口でカゴを取り、デザートコーナーへ向かい、「プリン」を一つ手に取って、カゴへと入れる。
ここまでの手順は先ほどと同じ。
そして、レジへ。
先ほどと同じ女性店員が、再びやってきたポチの姿に、一瞬、警戒の表情を浮かべた。だが、ポチは今度はただ立ち尽くしてはいなかった。
店員がプリンのバーコードを読み取り、「お会計、二百三十円です」と告げた、その瞬間。
ポチは手にしていた一万円札を、無言で台の前に立つ店員へと差し出した。
クロウのジェスチャーで学んだ、あの「差し出す」動作のままに。
「……あ、はい。一万円、お預かりします」
店員は、ほっとしたように紙幣を受け取り、レジを操作した。
そして、プリンの入ったレジ袋と、釣り銭——九千七百七十円をポチへと差し出した。
「お釣り、九千七百七十円です。ありがとうございました」
ポチは、差し出されたレジ袋の中に、目当ての「プリン」が入っていることを確認すると、それを手に取った。
回収対象、確保。任務達成。
ポチの目的は「プリン」を入手すること。ただ、それだけである。
店員が差し出した釣り銭の硬貨や紙幣——それがなぜ自分に差し出されているのか、ポチにはまったく理解できなかった。「お釣り」という概念など、当然、知る由もない。
ゆえに、ポチは、その釣り銭には一切手を触れることなく。
ただ目的の「プリン」だけを携えて、くるりと踵を返し、店を後にした。
「え、ちょっ……お客様!? お釣り……!」
店員の困惑した声が、背中に投げかけられる。だが、ポチは振り返ることもなく、夕暮れの雑踏の中へと、静かに消えていった。
レジの台の上には、受け取られることのなかった九千七百七十円が、ぽつんと取り残されていた。
———
地下変電所跡。
「……ようやく戻ったか。遅いぞ、ポチ」
生体ルームのベッドの上で、一人寂しく将棋盤に向かっていたカグヤが、戻ってきた人型のポチを見て、待ちかねたように顔を上げた。
ポチが差し出したレジ袋から、カグヤはプリンを取り出してフタを開けると、つるんとした中身を一息に吸い込んだ。
「ん——っ! やはりこれじゃ、これ! ……うむ、満足じゃ」
空になった容器を床に放り投げ、カグヤは満足げに舌なめずりをした。
そんな彼女の様子を、人型のポチは、いつものように無言で見つめている。
人類の言葉を解さぬ怪物が、人類の社会の中で、人類のふりをして、人類の作った「ルール」を、一つずつ手探りで覚えていく。
貨幣の意味も、釣り銭の概念も、まだ何ひとつ分かってはいない。
それでも——理外の怪物は、この日、人間社会に溶け込むための、小さな、しかし確実な一歩を踏み出していた。
そしてその背後では、ペストマスクの鴉が、密かに「縁」という名の楔を打ち込んでいたのだった。
この女性店員ちゃんは釣り銭渡せなかった事で後で店長からめっちゃ怒られたらしい。可哀想(小並感)