ニチアサみたいな魔法少女のいる世界観なのに明らかに設定を間違えたモンスターパニック物に出てきそうな怪生物がログインしてきた話 作:二度見屋
人間社会の裏側、決して陽の差し込むことのない地下深くの聖堂。
その最奥に据えられた玉座で、一人の悪魔が紅い液体を満たしたグラスを気だるげに揺らしていた。
ザラキ。
吸血鬼を思わせる、酷薄なまでに整った美貌。血のように紅い双眸。
彼こそが、人間社会の裏に巣食う悪魔たちを統べる絶対的な支配者である。
その玉座の前に、黒い外套をまとい、鳥の嘴のペストマスクを被った影が、深く膝を折っていた。悪魔の参謀、クロウである。
「……それで、クロウ。貴様がわざわざ報告に参ったのだ。よほどの異変がこの街で起きているのだろうな」
ザラキが、グラスを傾けながら低く問う。
「は。……忌々しい事態にございます」
クロウは、掠れた声で淡々と告げた。
「ここ最近、この街に潜んでいた我らが同胞——それも、相応に手強い個体ばかりが、何者かによって次々と屠られております。下手人は、つい先日この街に現れた、一人の魔法少女」
「新しい魔法少女、だと」
ザラキの紅い瞳が、わずかに細められる。
「は。されど、ただの魔法少女ではございませぬ。銀の髪をした、あの小娘……使い魔の眼を通して、私もその戦いを幾度か見届けましたが。その力は……まるで道理が通じませぬ」
クロウは、ペストマスクの奥で忌々しげに声を歪めた。
「こちらの攻撃をまるで未来が見えてるかのように躱し、運良く傷を負わせたかと思えば、一瞬で傷を治癒させ、さらには不可解な方法でこちらに攻撃してくる始末。……まるで、いくつもの異なる力を同時に操っているかのような無法ぶり。私の知る、いかなる魔法少女の権能にも当てはまりませぬ」
報告を聞き終え、ザラキはしばし沈黙した。
紅い液体の揺れる水面を、その紅い瞳が静かに見つめている。
道理の通じぬ、規格外の魔法少女。それが、自分の縄張りであるこの街の同胞を、一方的に狩っている。
放置すれば、いずれその刃は自分たち悪魔のコミュニティそのものへと向かうだろう。そして何より、ザラキの矜持が、己の領域を侵す不届き者の存在を許さなかった。
「……その魔法少女を排除する」
ザラキはグラスをテーブルへと置き、ゆらりと玉座から立ち上がった。
「だが、相手は神出鬼没の魔法少女。こちらから探し回るのは効率が悪い。ならば、向こうからこちらの土俵に這い出てこさせればいい」
その紅い瞳に、酷薄な光が宿る。
「クロウ。手筈を整えろ。この街の同胞を、可能な限りかき集めるのだ。今宵——夜の街で、盛大な『宴』を催す」
「宴、と申しますと」
「大規模な暴動だ」
ザラキは、獰猛に嗤った。
「無数の悪魔を一斉に解き放ち、街を恐怖のどん底に叩き落とす。さすれば、けたたましいアラートに釣られて、魔法少女どもが雁首揃えて湧いて出る。……無論、その銀髪の小娘も、な」
人間を守るという、魔法少女の習性。それを逆手に取り、餌で釣り上げ、一網打尽にする。
己の圧倒的な力と、悪魔の物量。その二つを以てすれば、いかな規格外の小娘とて、嬲り殺しにできる。ザラキはそう確信していた。
「御意のままに、ザラキ様」
クロウは深く頭を垂れる。
だが——その胸中には、わずかな、しかし拭い去れぬ不安が、影を落としていた。
あの小娘の、道理を超えた力。あれは、ザラキと言えども、敵うものなのだろうか。その懸念を、クロウは、口にはしなかった。
その夜。
平穏なはずの夜の街は、一夜にして地獄絵図へと塗り替えられた。
街の至る所で、地の底から這い出るようにして、無数の悪魔が一斉に出現したのだ。
蜘蛛、蝙蝠、蜂——あらゆる悍ましい異形が街路に溢れ返り、逃げ惑う人々を追い立てる。
けたたましい悪魔アラートが幾重にも鳴り響き、街全体を未曾有のパニックが覆い尽くした。
そしてその混沌の只中、夜空を背に、ゆらりと一体の悪魔が舞い降りた。
血のように紅い双眸、酷薄なまでに整った美貌、背からは漆黒の翼が広がっている。
その身から放たれる魔力の質量は、暴れ回っている無数の悪魔たちとは文字通り「桁」が違った。
悪魔の指導者、ザラキ。
彼は半壊したビルの屋上に降り立つと、眼下に広がる混沌を睥睨し、愉悦に口の端を吊り上げる。
餌は撒いた。あとは獲物が食いつくのを待つばかり。
その頃、警衛隊の防衛線はすでに崩壊していた。
「弾幕を張れ! 市民の避難を優先しろ!」
隊員たちが撃ち込む銀の弾丸が、街路を這う悪魔たちを次々と穿つ。
低級の個体であれば、警衛隊の火力のみでも十分に撃退が可能。
だが、いかんせん数が違いすぎた。
一体を仕留める間に三体が防衛線の脇をすり抜けていく。悲鳴が飛び交い、アスファルトの上を逃げ惑う人々の背へ、無数の異形が殺到する。
そこへ、紅蓮の炎と極寒の氷が同時に降り注いだ。
「……何よこれ……っ! こんな数の悪魔見たことないわ……!」
真紅のドレスを翻し、群がる悪魔を炎でなぎ払いながら、アキが悲鳴のような声を上げる。
その隣では、青いドレスのマリナが氷の刃で応戦しているが、二人がかりでも到底捌ききれる数ではない。
「おかしいっす! こんなの明らかに普通じゃないっすよ! まるで誰かが仕組んだみたいな……!」
アキの肩口で赤い光を明滅させながら、イオが混乱の中で叫ぶ。
「……ええ。これはただの暴動ではありません。何者かの明確な意思を感じます」
マリナの傍らでレミもまた青い光を揺らし、冷静な声に緊張を滲ませた。
だが、それでも二人は退かなかった。
逃げ遅れた人々が背後にいる。ならば足を止めるという選択肢など初めから存在しない。
「東の通りをお願い! そっちにまだ人が残ってる!」
「言われなくても。……そちらこそ背中がお留守よ」
アキが振り抜いたステッキの軌跡に沿って、赤熱した火球の円環が生まれる。
数千度の熱波が路上を舐め、押し寄せる蛞蝓型の悪魔の群れを一挙に消し炭へと変えた。
「いいっすよその調子! 左からもう一体来てるっす!」
イオの警告が飛ぶ。アキは振り向きざまに炎を薙ぎ、迫っていた異形を跡形もなく焼き払った。
マリナは冷徹に視線を巡らせながら、足元のアスファルトを極低温の氷床へと変えていく。
突進してきた蚯蚓型の悪魔が、推進力を制御できず無様に滑り転がったところへ、氷の刃が容赦なく突き立った。
「魔力の消耗が早すぎます。……無理はしないでくださいね」
レミが案じるように囁く。
「分かってる。……でも今引いたら人が死ぬわ」
炎と氷。二つの権能が咬み合い、夜の街路を蹂躙していた異形の群れが確実に数を減らしていく。
「こっちは片付いたわ」
「……こっちも。ふぅ。なんとかね」
どれほどの時間そうしていただろうか。
肩で息をしながらも、二人はついに周囲の低級悪魔をあらかた駆逐しきっていた。
「やったっす! さすがっす!」
イオがぱあっと赤い光を弾ませる。
けたたましく鳴り続けていたアラートの音の合間に人々の逃げていく足音が遠ざかっていく。
守り切った。
そう二人が安堵の息を吐きかけた瞬間であった。
パチ。パチ。パチ。
乾いた拍手の音が、静まりかけた戦場へ、場違いなほど悠然と響き渡った。
「見事なものだ。実に見事」
ぞくり と。
アキの全身が本能的な恐怖に粟立った。
見上げた先。半壊したビルの瓦礫の上に、漆黒の翼を広げた美しい男の影が佇んでいる。
その身から放たれる魔力の質量が、肌を刺すような重圧となって二人へと降り注いだ。
「う、嘘でしょ……。なにあの悪魔……」
これまで相対してきたどんな悪魔とも違う。
あれは別格だと、2人は瞬時に悟った。
「……ひっ……なんすかあれ……。魔力の桁がおかしいっす……!」
先ほどまで陽気に跳ねていたイオの光がみるみる萎み、声にならぬ震えだけを漏らす。
「……あれほどの力を持った悪魔がこの街に潜んでいたなんて……っ!」
レミの声も恐怖に震えていた。
悪魔たちの指導者ザラキ。その姿を初めて目の当たりにしたアキたちは、その圧倒的な存在感に息を呑むことしかできなかった。
「だが残念だ。私が待っていたのは貴様らのような小魚ではない」
ザラキの紅い瞳が退屈そうに細められる。
銀髪の魔法少女。それが今宵の獲物であったはずだ。
だというのに釣り上がってきたのは、どこにでも居そうな小娘が二匹。
「……つまらぬ。餌をこれだけ撒いても、肝心の魚は姿を見せぬか」
ザラキは緩慢に片手を掲げた。
「まあよい。魚は生きた餌に集まるもの。……貴様らが無様に喰われる様を見せてやれば、あの小娘とて出てこざるを得まいよ」
その瞬間。
ザラキの足元に溜まっていた深紅の液体——先ほど倒れた悪魔たちの血が、意思を持つ蛇のように膨れ上がった。
「来ます……! 避けて……っ!」
レミの絶叫と同時に、無数の血の刃が二人へと殺到する。
「くっ……!」
アキが咄嗟に炎の壁を展開する。数千度の熱波が血の刃を蒸発させ、真っ赤な霧へと変える。
だが。
「甘い」
蒸発したはずのその霧が再び凝集し、背後から二人の死角を突いた。
「うしろっす——!!」
イオの叫びは間に合わなかった。
マリナが咄嗟に氷の障壁を張るが、それごと貫かれる。肩口に鋭い痛みが走り、その体が路上へと叩きつけられた。
「大丈——!」
駆け寄ろうとしたアキの足元から、今度は闇そのものが噴き上がる。
無数の蝙蝠。夜の闇に紛れて忍び寄っていた、ザラキの眷属たちが一斉にアキへと群がった。
「うああっ……!」
牙が肌を裂く。振り払おうと放った炎は蝙蝠を焼き払いはするが、その数はあまりに多い。
「上っ……! 頭上にいます……!」
レミの警告に顔を上げた時にはもう遅かった。
いつの間にか間合いを詰めていたザラキが、漆黒の翼を広げ、アキの頭上に君臨している。
その手には血で編まれた巨大な槍が握られていた。
「一つ教えておこう小娘。……力の差というものはな。埋まらぬのだ」
無造作に振り下ろされた一撃。
「がはっ……!?」
アキの体は受け身も取れぬまま路上のアスファルトへ叩きつけられ、クレーターを穿った。
炎の魔法少女としての誇りも、積み重ねてきた研鑽も、この悪魔の前ではあまりにも無力だった。
「そんな……っ! 起きてくださいっす! お願いっすから……!」
赤い光がぼろぼろと明滅しながら、倒れたアキの頬に寄り添う。
「……あ……ぐ……っ」
「……無事なの……っ!?」
満身創痍の体を引きずるようにして、マリナがアキの傍らへ這い寄った。
視界が霞む。魔力の残量ももう底が見えている。
「……ごめんね。私……」
「まだです。まだ諦めないでください……!」
レミが必死に青い光を燃やす。だが妖精にできることなど、声を届けることしかない。
ザラキが悠然と地へ降り立った。
倒れ伏す二人の少女を見下ろし、その紅い双眸を愉悦に歪める。
「安心せよ。すぐには殺さぬ。……貴様らの悲鳴はあの銀髪を釣り上げる撒き餌として、まだ使い道がある」
ゆっくりと持ち上げられる血の槍。
その切っ先がアキへと狙いを定める。
アキは動けなかった。マリナも動けなかった。
ただ迫り来る死の光をその瞳に映すことしかできない。
——ああ。ここで終わるのか。
そう思った刹那であった。
ザラキの背後で夜空の星が唐突に翳った。
先ほどまで見えていた星空が急に曇り始め、どこからかやってきた分厚い雲が空を覆い始めている。
そして次の刹那——叩きつけるような豪雨が戦場一帯へと轟々と降り注ぎ始めた。
「……なんだ?」
不自然な天候の急変にザラキの動きが止まる。
叩きつける雨粒が血の槍を打ち据え、その輪郭を崩していく。
そして。
「——そこまでだよ」
豪雨の帳を裂いて白い影が舞い降りた。
倒れ伏す二人の少女とザラキとの間へ、音もなく降り立つ小さな背中。
翻る白のドレス。銀の髪。
「あの子……セツナ……!」
マリナが掠れた声を漏らした。
セツナはちらりと背後の二人を一瞥すると、そのまま静かに深紅の悪魔へと向き直った。
「……この騒ぎを起こした悪魔どもの頭。それがあなたか」
「ふん。貴様が新しくこの街に現れたという魔法少女か」
ザラキの紅い瞳が酷薄に細められる。
撒き餌に釣られてようやく本命が姿を現した。ならば躊躇う理由はどこにもない。
「なるほど……あなたほどの不確定要素がいたんならそりゃ僕の『眼』も濁るわけだ……。そっちから出てきてくれて手間が省けたよ」
「……その身の程知らずな力、この私が直々に無に還してくれよう」
両者が対峙する。
魔力を込め先手必勝とばかりに攻撃しようとしたザラキだったが、その時ザラキは不自然な事に気がついた。
あまりにも不自然な天候の急変もそうだが。それ以上に異様なことがあった。
傘をさしていてもずぶ濡れになりそうな程の雨の中を──目の前の銀髪の魔法少女は、一滴の水に濡れる事もなく立っている。
彼女の頭上にだけ、まるで見えざる傘でもあるかのように、ぽっかりと空洞が出来ており、雨粒が彼女を避けるかのように地へと落ちていく。
豪雨の中、セツナだけが、ただ一人、乾いたまま、静かに佇んでいた。
ザラキの紅い瞳が、わずかに揺れる。
だが、次の瞬間。
ザラキの足元に滴っていた深紅の液体——血が、意思を持つ蛇のように、無数の刃となって膨れ上がり、セツナへと殺到した。
常人ならば、一瞬で挽き肉に変わる、血の刃の嵐。
だが。
届かない。
セツナへと迫った血の刃が、ことごとく、あらぬ方向へと逸れていく。まるで、空間そのものが、彼女を避けて捻れたかのように。
「……ぬ?」
ザラキの眉が、訝しげにひそめられた。
セツナは避けてすらいなかった。ただ、静かに佇んだまま。冷ややかな瞳で、悪魔の王を見据えているだけだった。
血の操作は、吸血鬼としての肉体を持つ、自分の能力による操作だ。不具合など起きるはずもない。
しかし現に、こうして攻撃は外れている。
認識をズラされた? 何らかの干渉能力か? いや、あれらの類の権能ならば、特有の違和感があるはず。
……だが、これにはそれが無い。
「ならば——避けようのない面で潰すまで!」
ザラキが、両手を高々と掲げる。
宙に渦巻いたおびただしい血が、無数の棘となり、回避不能の豪雨となって、セツナへと降り注いだ。点ではなく、面。
回避の余地など、どこにもない、絶対の制圧攻撃。
その血の棘が、セツナの白い衣装を、確かに穿った。
「……っ」
セツナの肩から、脇腹から、鮮血が散る。
本来であれば、未来視の扱えるセツナにとって、相手の攻撃など起こる前に視通せたはずだった。
だが、この街に来てからというもの、彼女のその『眼』は、深い霧に閉ざされたように冴えない。
それゆえの手傷。
だが、それでも。
裂けたドレスが、流れた血が、まるで時を巻き戻す映像のように、元へと戻っていく。傷一つ、残さずに。
「なに……?」
ザラキの紅い瞳が、初めて、驚愕に見開かれた。
確かに刻んだはずの傷が、即座に治癒されたから。ではない。
ザラキは経験豊富な悪魔だ。過去に数度、治癒の権能を持つ魔法少女とも戦った経験がある。しかし、あれらの権能で傷を治すには、かなりの魔力消費を必要としたはず。
だが、目の前の魔法少女から感じる魔力は、それほど消費されたようにも見えない。
治癒能力でも、幻覚の類でも無い。
ならば、一体なんだと言うのか。
ザラキの胸中に、言語化出来ない疑念が重くのしかかる。
だが、彼は攻撃の手を止めることはなかった。
戦場の闇から、ザラキの操る蝙蝠の群れが、セツナの死角という死角から、一斉に襲いかかった。
不意打ち。セツナの体に、無数の牙が、突き立てられる。
だが——それすらも。刻まれた傷は、次の瞬間には、塞がっていた。何事も、なかったかのように。
そして、その時。
降りしきる豪雨の空に、目も眩むような閃光が、奔った。
——ドォンッ!!
轟音と共に、空から落ちた一条の”雷”が、まっすぐに、ザラキの体を撃ち抜く。
「があああッ……!?」
雷火に灼かれ、ザラキの巨躯が激しく痙攣した。
落雷。
この嵐の中、よりにもよって、このザラキただ一人を、狙い澄ましたかのように、雷が降り落ちただと?
そんなこと”有り得るはずがない”
そこまでで、戦闘開始からわずか、50秒。
だが、それで、十分だった。
幾百年を生き、数多の死線をくぐり抜けてきた、悪魔の王。その経験に裏打ちされた直感が、けたたましく、警鐘を鳴らしていた。
——駄目だ。この相手は捌ききれぬ。
放った攻撃はことごとく当たらず。運良く当たったかと思えば、与えたはずの傷も即座に消え失せる。挙げ句、天候すら操って攻撃を仕掛けてくる。
相手の力の正体は、依然として、まるで掴めない。だが——己の、遥か格上であることだけは、嫌というほど思い知らされた。
ならば、取るべき道は、ただ一つ。
「……ちっ。今宵のところは、退かせてもらおうか」
ザラキは、未練がましく戦い続けるような、愚は犯さなかった。即座にその身を翻し、コウモリの群れを盾に、夜空へと飛び立とうとする。
だが。
「逃がさないよ」
豪雨を貫いて、セツナの、静かな声が、届いた。
その、瞬間。
空に飛び立とうとしたザラキの翼に、突風に巻き上げられ、どこからか飛んできたトタンの板が突き刺さり、無様に落ちる。
たまらず地に降りれば、足元のアスファルトが、まるで示し合わせたかのように陥没し、踏みとどまることすら、ままならない。
逃げ場を求めて身を翻せば。その先には決まって、周囲の悪魔の攻撃によって崩れ落ちるビルの壁が。地を抉る落雷が。
あらゆる『偶然』が、まるで彼の退路を塞ぐためだけに、次々と、立ちはだかった。
逃げる、というただそれだけの『結果』すら——この魔法少女の前では許されない。
「ぐ、おおおッ……!? おのれ、貴様一体、どうやってこんな……ッ!!」
ただ逃げ惑う、それだけのことで。ザラキの巨躯は、見る間に、無数の傷に覆われ、満身創痍となっていった。
周囲で暴れていた低級の悪魔たちを倒し尽くし、少し離れた場所からその光景を見ていたアキとマリナは、ただ、言葉を失っていた。
「な……何よ、あれ……。あれだけの悪魔が、逃げることすらできないなんて……っ」
「あの子……あんなの、もう。次元が、違いすぎる……」
味方であるはずの、あの少女の。底知れぬ力の、ほんの片鱗を前に——二人は、畏怖にも似た戦慄を、抑えることができなかった。
しかし、その時だった。
「ザラキ様ァッ!!」
戦場に、クロウの絶叫が響き渡った。
次の瞬間。
クロウの影から、これまでとは比較にならぬ、文字通り、夜空を埋め尽くすほどの、カラスの大群が噴き上がる。
本来クロウは戦闘向きの悪魔ではない。それは、己が身を削り尽くすような、まさに命がけの行使。クロウが、その全魔力を注ぎ込んだ博打だった。
黒い奔流が、戦場の一切を覆い尽くす。豪雨も、落雷も、視界の何もかもが、混沌たる黒の渦に呑まれていく。
その、あまりにも無秩序で混沌とした『揺らぎ』を前に、セツナの力が一瞬、その照準を見失った。
無数のてんでばらばらに飛び交うカラスたち。その一羽一羽の動きは、ランダムで予測不能。彼女の力をもってしても、その悉くを捉えきることはできなかった。
その刹那の隙。
「ザラキ様、こちらへ!」
混沌の中、クロウは、満身創痍となったザラキの体を、その背の翼で、しっかと抱え込んでいた。
「……クロウ……済まぬ……」
ザラキのかすかな声。
二体の悪魔の姿は、カラスの黒い渦に紛れて、その場から、掻き消えていた。
やがて、嵐のようなカラスの群れが霧の晴れるように散り去った後。
戦場には、ただ静寂だけが残されていた。ザラキの気配はもうどこにもない。
「……逃げられた、か」
セツナは、誰もいなくなった戦場を静かに見渡した。
だが、その表情に悔しさの色は無い。
あの悪魔の王とて、彼女にとっては、しょせん『露払い』の一つ。本当の目的、カグヤの在り処を掴むことに比べれば些事に過ぎなかった。
セツナは白いドレスを翻し、何も言わず、夜の闇へと姿を消した。
後に残された、アキとマリナ。二人は、しばらくその場から動くことができなかった。
あの、見るからに強大な力を持った悪魔と、それを赤子のようにあしらった謎の魔法少女。
今夜、自分たちが目の当たりにしたものの、あまりの規格外さに、胸の奥で得体の知れぬ不安だけが静かに渦巻いていた。
人知れぬ、廃地下聖堂。
命からがら逃げ帰ったザラキは、玉座に深く身を沈め、肩で、荒く息をついていた。
その全身についた傷は、吸血鬼としての再生力で既に回復しているが、自慢の衣服は見る影もなく引き裂かれている。
これほどの傷を負ったのは——気の遠くなるほどの、長い生の中で初めてのことだった。
「……化け物め」
ザラキは低く吐き捨てた。
あの小娘の力の正体を明かす事すら叶わず、こんな無様な姿を晒し、逃げ帰ることしか出来なかったという屈辱。
ただ、あの魔法少女を自分たちだけの力で討つことなど不可能。その事実だけは、嫌というほど、思い知らされた。
「ザラキ様。あの小娘をこのまま放置すれば。いずれ、我ら悪魔のコミュニティそのものが根絶やしにされかねません」
傍らに控えるクロウもまた、魔力を使い果たして疲弊した様子で、掠れた声を絞り出す。
「……分かっておる」
ザラキの紅い瞳が、聖堂の闇の奥をぎらりと睨んだ。
ならば、屈辱的だが、他の存在の力を借りるしかない。
かつてクロウが報告し、以来、ひそかに監視を続けさせてきた、規格外の魔力を持つという幼き少女の姿をした謎の存在。
「……あの、カグヤとやらの力。利用させてもらうとしよう」
ザラキの紅い瞳が、ぎらりと酷薄に光る。
カグヤの正体については未だ検討もついてないが、聞けば彼女は、世界征服を望む存在。
それならば、魔法少女は共通の脅威であるはず。ならば、手を組まぬ道理はない。ザラキはそう打算した。
その傍らで、クロウのペストマスクの双眸が、ほんの微かに、揺れた。
かつて、あの地下で対峙した時に、肌で感じた——あの絶対者の『怒り』
あのような存在に関わる事自体が、クロウからしてみればリスキーに思えた。
だが、他に手が無いという事も事実である。
ゆえにクロウは、ただこう答えるに留めた。
「……御意。奴らへの監視は、今も続いております」
クロウは、静かに地下変電所跡を見張っているカラスにその視界を同調させた。
セツナの権能についてなんですが、結構ややこしい権能となっています。この時点でどういう権能で、どうやって色んなことをやれているのか当てれる人がいたら結構凄いかも。
コピー能力や複数能力持ちではなくて、権能は一つです。ただ、未来視は「本来の権能の副次効果」なので、実質二つじゃんと言われたら反論できない。