ニチアサみたいな魔法少女のいる世界観なのに明らかに設定を間違えたモンスターパニック物に出てきそうな怪生物がログインしてきた話 作:二度見屋
街外れの地下変電所跡。
朽ちた配電盤と垂れ下がったケーブルの隙間を抜け、二体の悪魔が地下深くへと降りていく。
先頭をゆくのは悪魔の王ザラキ。その背後を、ペストマスクの参謀クロウが影のように付き従っていた。
あの銀髪の魔法少女を、自分たちの力だけで討つことは叶わない。ならば、他の力を借りるしかない。
屈辱を噛み殺した末の決断が、ザラキをこの場所へと導いていた。クロウが長く監視を続けてきた「カグヤ」の潜む拠点である。
だが、主君の背を追うクロウの胸には、晴れることのない不安が澱んでいた。
かつて一度だけ、クロウはカグヤと相対したことがある。
ポチの後を追って拠点を見つけ、その最奥へと忍び込んだ折のことだ。
眠りを妨げられたあの幼い少女は、不快そうにクロウを一瞥し「汚物以下の畜生風情」と吐き捨てた。
その瞬間に放たれた、天が落ちてきたのかと見紛うほどの魔力の圧。
クロウは意思に反して膝を屈し、この少女の爪先ひとつで、己が分子の塵へと還されることを、本能で悟った。
クロウは詫びの一言をかろうじて絞り出し、命からがら逃げ出すよりほかなかった。
あの瞳が悪魔という存在をいかに見下しているか——その底知れぬ侮蔑だけは、骨身に刻みつけられている。
あれは、決して関わってよい相手ではない。
その懸念を、しかしクロウは、主君へ告げなかった。あの敗北のあと、ザラキにはもはや、他に手立てが残されていない。それもまた、動かしがたい事実だったからだ。
だからこそクロウは、危険を承知で主君に付き従うほかなかった。
やがて二体の悪魔は、拠点の最奥へとたどり着いた。
そこに広がっていた光景に、ザラキは思わず眉をひそめる。
それは、もはや人の作った地下室ではなかった。壁も床も天井も、硬質なキチン質で覆われ、微かに脈動している。
天井からは触手のような器官が幾本も垂れ下がり、淡い燐光を放っていた。むせ返るような生命の気配に満ちた、異質な空間。
ホテルの一室を模したと思われるその空間の中央に、純白の体毛に覆われた、不気味なほど豪奢な生体のベッドが据えられている。
その上で、黒いワンピースをまとった八歳ほどの幼い少女が、気だるげに頬杖をついて寝転びながら将棋盤を睨んでいた。
盤を挟んだ向かいには、どこにでもいそうな顔立ちの平凡な青年が一人。
ベッドの周りには、読み散らかされた漫画本が無造作に転がっている。
世界の裏側に巣食う悪魔の王が踏み込んだ先で待っていたのが、幼子と青年の将棋風景。あまりに場違いなその光景に、ザラキは一瞬戸惑いを覚えた。
だが。
その幼い少女へと向けた紅い瞳を、ザラキはもはや逸らすことができなかった。
桁が、違う。
少女の小さな体から、滲み出すように溢れている魔力。その途方もない質量は、ザラキ自身のそれを、文字通り桁違いに凌駕していた。
これだ。ザラキは確信した。この力さえ我が陣営に引き込めれば、あの魔法少女など、もはや恐るるに足りぬ。
ザラキは矜持を呑み込み、その少女——カグヤへと声をかけた。
「……突然の訪問を許されよ。私は、この街の悪魔を統べる、ザラキというものだ」
幼い少女の視線が、けだるげに盤上から持ち上がる。そこに宿るのは、敵意でも警戒でもない。道端の石ころでも見るかのような、底知れぬ無関心だった。
「貴殿に、一つ提案があって参った。近頃この街に、我ら悪魔を狩る魔法少女が現れてな。あれは、貴殿にとっても脅威のはず。どうだ、ここは一つ手を組み、共にあれを——」
「……あー、やかましいのう」
カグヤが、ようやく口を開いた。心底どうでもよさそうなけだるげな声。ザラキの言葉など、ただの一言も聞くつもりが無いことを物語っていた。
「悪魔風情が、妾に何用かと思えば。手を組めじゃと? 気色の悪いことを抜かすな」
そう吐き捨てると、カグヤは頬杖をついたまま、空いたもう片方の手をけだるげに持ち上げた。そして、その細く白い人差し指の先を、無造作にザラキへと向ける。
「虫ケラが。妾に話しかけるでないわ」
次の瞬間、カグヤの指先から、目も眩むような閃光が奔った。
音すら、なかった。弁明の隙も、反撃の素振りも、その何ひとつとして間に合いはしない。
ただ一条の閃光が、ザラキの巨躯を、その存在ごと音もなく呑み込んだ。
幾百年を生き、この街の悪魔すべてに君臨してきた王。その絶対の威容は、弁明の隙すら与えられぬまま、まばたきひとつの間に、塵と化して跡形もなく消し飛ばされた。
そして光は、ザラキ一体を消し去ってなお止まらない。その奔流は、ザラキの背後に広がる壁——ポチの生体ルームの一部までをも、深々と抉り、跡形もなく焼き払った。
カグヤの表情は微塵も揺るがない。怒りも、興奮も、そこには何ひとつなかった。
羽虫を一匹、手で払う。この絶対者にとっては、街の悪魔すべてに君臨した王の死すらも、ただそれだけの、取るに足らない出来事に過ぎなかった。
ザラキの横に立ち、その一部始終を見ていたクロウは、声もなく戦慄していた。
抵抗すら、許されなかった。
あれほどの力を持つ絶対の主君が、弁明の隙も与えられぬまま、ただの一瞬で塵と消えた。クロウが抱え続けてきた予感は、最悪の形で的中したのだ。あの少女はやはり、決して関わってはならぬ、絶対の災厄だった。
逃げねば。今すぐ、この場から。
だが、その思考を読んだかのように、カグヤのけだるげな視線が、ぬるりと横へ滑った。
「……して。そこのもう一匹は」
物陰のクロウを、その眠たげな瞳が、寸分の狂いもなく捉える。逃げ場など、どこにもない。ザラキを消し飛ばしたあの白い指先が、今度はゆっくりと、クロウへと向けられていく。
終わりだ。クロウが己の最期を覚悟した、その時だった。
それまで微動だにしなかった青年が、音もなく、すっと立ち上がった。
そして、カグヤの指先とクロウとを結ぶ線上へ、ゆっくりと割り込むようにして、立ち塞がったのである。
青年——人間形態のポチは、その内側で、ただ静かに状況を演算していた。
今、カグヤが消し飛ばそうとしている、あの黒い個体。あれは、ポチにとって無価値な存在ではなかった。
人間社会の言葉も、その仕組みも、まるで解せなかったかつてのポチ。その学習を、決定的に押し進めたのが、他ならぬあの個体だったのだ。
「お使い」の失敗に立ち尽くしていた、あの日。あの個体は、ポチに金銭という媒介物を握らせ、身振りでもって、品物を手に入れる手順を教えてみせた。
さらには、絵と文字の対応した書物を、新聞を与え、その文字を繰り返し読み上げてみせた。あの個体が授けた数々の手がかりは、ポチが人類の言語を解き明かす速度を、飛躍的に引き上げたのである。
そして、あの個体が今後も存続することは、ポチにとって大きな利益をもたらしうる。ポチはそう考えていた。
一度得た有用な資源を、何の見返りもなく失う。それは、ポチの行動原理に照らして、最も避けるべき非効率だった。
ゆえにポチは動いた。有用な資源が、失われてしまわぬように。
無論、絶対的脅威たるカグヤの行動を、その身で妨げる以上、相応のリスクは伴う。
しかし、この気まぐれで怠惰な絶対者が、この黒い個体を殺すのを邪魔された腹いせに、街中へ散らばったポチの分体の一つ一つまでを執拗に狩り尽くすとは考えにくい。
この行動で怒りを買ったとしても、消されるのは、せいぜいこの端末と生体ルームとなっている組織のみ。
ならば、ポチという存在そのものが潰える事はない。
そもそもポチにとって、カグヤへの従属とは、忠誠でも親愛でもない。
ただ、自己の生存確率を最大化するための、合理的な手段にすぎなかった。ならば、その従属を一時的に逸脱することすらも——より大きな利益が見込めるのであれば、ためらう理由はどこにもなかった。
その演算結果に従い、ポチはただ静かに、カグヤの前へと立ち続けた。
「……なんじゃ、ポチ」
カグヤが、訝しげに形のよい眉を寄せる。
「どかんなら、お主諸共消し飛ばすぞ?」
その言葉の意味を、ポチは正確に理解していた。一週間で人類の言語を解き明かしたこの個体に、その警告が伝わらぬはずもない。
だが、それでもポチは動かなかった。カグヤの瞳をただ静かに見返したまま、一歩たりとも退こうとはしない。
その、わずかな膠着。
クロウは、その一瞬の隙を見逃さなかった。
気配という気配を殺し、影へと溶け込む。崩れた壁の裂け目を抜け、地上へと続く闇の奥へと、その姿は音もなく消えていった。
逃げ延びながら、クロウの胸に去来したのは、純粋な驚きだった。
あの青年——人間の言葉すら解さなかった、あの怪物の端末。
クロウはかつて、街をさまようその青年に、そっと金を握らせ、人間の言葉を手ほどきしてやった。
いつか、この規格外の存在が己の役に立つ日が来るかもしれぬ。そんな打算から打ち込んだ、ただ一枚の隠し札。主君にすら明かさぬまま、密かに握り続けてきた、あの怪物との「縁」だった。
まさか、その気まぐれな投資が——こんな形で、己の命を拾わせる配当となって返ってこようとは。
骨身に刻まれたのは、二つの事実。あの少女に、悪魔は決して敵わぬということ。そして——あの怪物は、ただカグヤに従順なだけの獣ではない、ということ。
その重い二つを携えて、クロウは地上の闇へと、姿を消していった。
カグヤの指先が狙っていた気配は、もう、どこにもない。
「…………ちっ」
カグヤは小さく舌打ちをすると、向けていた指を、心底つまらなそうに下ろした。
「……まぁよい。どうせ悪魔を殺したところで、すぐに帰ってくるだけじゃし」
獲物に逃げられたことなど、もうどうでもよいとばかりに。カグヤは再びけだるげに頬杖をつき、盤上へ視線を戻すと、対面の青年を顎でくいと促した。
「……ほれポチ、はよ次の手を指さんか」
ポチは静かに、元の座へと戻る。そして、たった今、目の前で悪魔の王が消滅したことなど、まるで何ひとつ無かったかのように、盤上の駒へと手を伸ばした。
傍らでは、ザラキを消し飛ばした閃光の余熱が、抉れた肉の壁の断面から、なお薄く立ち上っており、少しずつ組織が再生を始めている。
だが、その凄惨な光景に、少女が目を向けることはない。退屈そうに手で盤上の駒をつまみ上げる。ぱちり、と乾いた音が、地下の静寂に小さく落ちた。
一匹の悪魔の生死も、世界そのものの行く末も。この奇妙な静寂を前にしては、どちらも等しく取るに足らぬ些事であるかのようだった。
——だが、この静寂が、長く続くことはない。
濁った『眼』を抱え、この場所を探し続ける者の影が、刻一刻と近づいていた。
蠢く肉の空洞の底で、駒を打つ乾いた音だけが、ただ静かに、響き続けていた。