ニチアサみたいな魔法少女のいる世界観なのに明らかに設定を間違えたモンスターパニック物に出てきそうな怪生物がログインしてきた話 作:二度見屋
その夜、セツナは街の片隅でその異変を感じ取った。
突如として、夜空を裂くように奔った、一条の閃光。
そしてそれに伴い、遠く郊外の方角から凄まじい魔力の奔流が押し寄せてきたのだ。
「……っ、なんだ、これは」
思わず息を呑む。
それは、彼女がこれまでこの街で討ち滅ぼしてきた、どの悪魔のものとも比較にならなかった。
次元が違う。
まるで空間そのものが軋みを上げたかのような、桁外れの魔力の圧。それがほんの一瞬、遠い地の底から立ち上り、そして嘘のように掻き消えた。
あれほどの力を、こうもあっさりと振るえる存在など、そうそういるものではない。
「セツナ、今の……っ」
肩口で、淡い銀の光をまとった妖精——ルミナスが、緊張した声を上げた。その小さな声は、隠しきれない確信に微かに震えている。
「間違いない。あの規模の魔力……カグヤとしか考えられない」
「ええ。……確かめに行きましょう」
迷いはなかった。セツナは、魔力の残滓がまだ微かに揺らめく、その方角へと、まっすぐ視線を向けた。
ずっと霧の向こうに隠れていた手がかりが、今、確かにその尻尾を覗かせたのだ。
胸の奥には、誰にも明かせぬ冷たい計画が眠っている。けれど、優しさを捨てたわけではなかった。
むしろ、本当に守りたい物のためにこそ、彼女は心を凍てつかせる道を選んだのだ。
その覚悟を、今宵ここで、形にするのかもしれない。
セツナは、閃光の消えた郊外へと、夜の闇を裂いて駆け出した。
魔力の残滓をたどってたどり着いたのは、街外れの、打ち捨てられた廃墟だった。
人の気配も絶えて久しい朽ちた建造物。だが、その地下深くからは、先ほどの凄まじい力の名残がまだ微かに滲み出している。
セツナは、ルミナスを伴いその地の底へと降りていった。
朽ちた配電盤と、垂れ下がるケーブルの隙間を抜け、冷たいコンクリートと鉄骨の空間を、さらに奥へ。
一歩進むごとに、足裏へ伝わる感触が、硬い無機物から、弾力を帯びた何かへと変わっていく。耳を澄ませば、地の底から、低く脈打つような鼓動が、絶え間なく響いていた。まるで、巨大な何かの体内で、その心臓の音を聞いているかのように。
やがてたどり着いた最奥に広がっていたのは、もはや人の作った地下室ではなかった。
壁も、床も、天井も、硬質なキチン質の組織で覆われ、微かに脈動している。天井からは触手のような器官が幾本も垂れ下がり、淡い燐光を放っていた。
「……これは」
ルミナスが、息を呑んだ。
異質な空洞。そこはまるでホテルの一室のようであった。
そして、空洞の中央。純白の体毛に覆われた、不気味なほど豪奢なベッドの上で、黒いワンピースをまとった八歳ほどの幼い少女が、気だるげに寝転んでいた。
——カグヤ。
長いこと、それこそ気の遠くなるほど長いこと、ルミナスが探し求めてきた、ただ一人。
その傍らには、どこにでもいそうな平凡な顔立ちの青年が一人、静かに佇んでいる。
ベッドの上の少女が、闖入者の気配に、気だるげに寝返りをうった。
「……なんじゃ。騒がしい」
探し求めた相手は、拍子抜けするほど、ただの気だるげな子供にしか見えなかった。
だが、その小さな体の奥から滲み出す、底の知れない力の質量。先刻の魔力の主がこの少女であることを、セツナの肌がぴりぴりと粟立ちながら告げていた。
間違いない。これが、ずっと追い求めてきた、あのカグヤだ。
セツナは、油断なくステッキを構えたまま、その幼い少女を見据えた。
あの絶対者の魂を、この手で確保する。そのためにはまず、傍らのあの青年──おそらくは、従者か何かだろうか──を邪魔にならないように、先に無力化しておくべきだろう。
そう考えてセツナは、青年へと意識を向け、自身の『権能』を行使した。
——その、瞬間だった。
力を伸ばし、その青年の輪郭をなぞった刹那。セツナの感覚が悍ましい認知を伝えた。
違う。これは、人間ではない。
否、一個の生命ですら、ない。
彼女の力が触れたその『青年』は、数え切れぬほど無数の微細な何かが、緻密に寄り集まり、かろうじて人の形を象っているだけの——途方もない群体である事をセツナは悟った。
そして、その認識は、津波のように一気に膨れ上がっていく。
この青年だけではない。脈打つ壁も、蠢く床も、燐光を放つ天井の触手も——今、自分を取り囲むこの空間そのものが、ことごとく、同じ生き物だ。
自分は今、得体の知れない怪物の、その腹の中に、無防備に立っていると、否が応でも直感させられた。
その怖気と、同時に。
「……っ、う」
ぐらり、と。足元が、世界そのものが、ぐにゃりと歪んだ。
経験したことのない凄まじい吐き気と眩暈が、突如としてセツナの全身を襲った。
伸ばした力が、対象を捉えられない。掴もうとした端から、するりと、際限なくすり抜けていく。まるで、形のない、煮え立つ混沌の渦へ、素手を突っ込んでしまったかのように。
胃の腑が裏返るかと思うほどの吐き気。立っていることすら、ままならない。これまで、どれほど格上の悪魔を相手にしても決して揺らがなかった、彼女の権能。
それが今、この青年へ向けた瞬間にだけ、根こそぎ拒絶されている。
「セツナ……っ!?」
ルミナスがその異変に悲鳴のような声を上げる。
ベッドの上で、カグヤが面倒くさそうに、セツナたちの方を見ることすらせずに口を開いた。
「ちっ……寝るところじゃったのに。安眠妨害めが」
そして、傍らの青年へと、ぞんざいに顎をしゃくる。
「……ポチ。そこのうるさいのをさっさとつまみ出さんか」
その命令を、ポチは静かに受け取った。
侵入してきたこの個体。ドレス、と言われる派手な衣装に身を纏った少女。——人間が魔法少女と呼ぶ類の存在だ。
青年の姿をした端末は、なおも彫像のように佇んだまま、硝子玉のような双眸で、ただ静かに闖入者を見据えている。
次の瞬間、二人を取り囲む肉の空洞そのものが、一斉に、意思を持って蠢き始めた。
天井から、ズルりと音を立てて一本の触手が垂れ下がる。
その根元は人の胴ほどもある太さだった。だがそこから先端へゆくにつれ、それは糸のように細く鋭く絞られている。
根元は太く、先端は細く——ただそれだけの、単純な形。
人類ははるか古代から、スピードを追求してきた。
直立二足歩行で走るようになり、自由になった両手で槍を投擲し、器用になった指で弓を射る。
そして数千年前、家畜を追う人々の手から生まれた一本の革紐――鞭。
鞭は、人類が作った道具の中で、初めて「音の壁」を破った発明である。ジェット機が空を切り裂く二千年以上も前に、人はその腕一本で音を置き去りにしていた。
天井から垂れていた触手が、鞭のようにしなり、セツナへと向かう。
根元がゆるりと動いたようにしか見えぬのに、その切っ先は既に音の壁へと迫っていた。
パアンッ、と
空洞に、乾いた破裂音が幾重にも弾けた。それは鞭を振るったときに響く、あの鋭い音とまったく同じもの。先端が空気そのものを置き去りにした証——紛れもないソニックブームであった。
「——くっ!」
咄嗟に発動していた権能を停止させ、セツナは、魔力によって強化された身体能力だけを頼りに、迫る触手をステッキで打ち払い、その隙間を紙一重で潜り抜ける。
青年の姿をした端末は、指一本動かさぬまま、硝子玉の双眸で、ただ静かにその光景を眺めている。
獲物を打ち据えるのに最適の形とは何か。
ポチはとうにその答えを導き出していた。無駄な試行に血肉を費やすまでもない。
人類から得た知識から、あるべき形を割り出す。
根元を太く、先端を細く。力を一点へ絞り、質量を捨てて速度に換える。その単純にして冷酷な解を、この怪物の肉は寸分の狂いもなく体現していたのだ。
人が革を編み、数千年をかけて磨き上げてきた道具の理。それをこの理外の生命は、己の体で難なく再発明してのけていた。
壁のキチン質がメキメキと音を立てて砕け、そこからも新たな触手が伸びてくる。それらもまた同じ形。同じ理。
一本では足らぬなら、足りるまで足すだけとでも言わんばかりに、四方八方から音を砕く切っ先が一斉に牙を剥いた。
部屋そのものが——否、この空間を形作る怪物そのものが侵入者を排除すべく、その全身で攻撃を仕掛け始めた。
一本の触手をステッキで斬り払う。だが、斬り落とされた断面をそのままに、再び襲いかかってきた。切り落とした側の触手すら、地面でのたうち回りながらこちらに向かって来る。
斬っても、潰しても、きりがない。
この怪物は、傷つけられる端からその姿を変え、適応していく。捉えどころのない、変幻自在の混沌そのものだった。
それでもなお、セツナは諦めなかった。
再び怪物へと、力を向けようとする。だが、意識を集中させた瞬間、あの猛烈な吐き気が、再び喉元までせり上がってきた。視界が大きく歪み、一瞬、足がもつれる。
その隙を、怪物は見逃さない。横合いから薙ぎ払われた触手が、彼女の体を壁際まで容赦なく弾き飛ばした。
硬いキチン質の壁に背を打ちつけ、肺の空気が、ごっそりと押し出される。それでも倒れるわけにはいかないと、震える足を叱咤し即座に体勢を立て直す。
当のカグヤはと言えば、その必死の攻防になど微塵も関心を払わない。
退屈そうにベッドで寝たままで、こちらに注意を払っている様子もない。面倒な雑事は全て手下に任せておけばいい——そう言わんばかりの、絶対的な無関心だった。
標的に一歩も近づけぬまま、セツナの焦りだけが、刻一刻と募っていく。
戦いながら、セツナは悟っていた。
この相手には、自分の力が根本から噛み合わない。
彼女の力は、確かな『形』を持つものにこそ牙を立てる。
崩れた瓦礫を、流れた血を、定まった事象の流れを——その揺るぎない『理』を捉え、強引に書き換えることで、彼女は無敵足りえてきた。
だが、この怪物は違う。その存在の根底からして、絶えず揺らぎ、際限なく姿を変え続ける、純粋な混沌そのものなのだ。
捉えるべき形も、書き換えるべき理も、この相手には、最初から存在しない。
彼女はそう確信せざるを得なかった。
掴もうとすれば、ただ吐き気だけがこみ上げる。捻じ伏せようとすれば、対象そのものが、指の間からすり抜けていく。
『天敵』
その二文字がセツナの脳裏に過ぎる。
あらゆる悪魔を一方的に蹂躙し、無敗を誇ってきた彼女が、生まれて初めて出会う、相性最悪の宿敵。彼女を最強たらしめてきたその力は、この怪物の前では何ひとつ意味を成さないのだ。
ついに、触手の一撃がセツナの肩を掠めた。鋭い痛みが走り、白い衣装が裂け、鮮血が散る。
そして、その傷は——癒えなかった。
巻き戻るように塞がっていくはずの傷が、今はただの生傷として、じくじくと痛みを訴えている。
自身の権能が使えない空間内では、今の彼女はもはや、ただ傷つき血を流す、一人の少女に過ぎなかった。
「セツナ、退いて! このままじゃ……っ!」
ルミナスの切迫した声。
セツナにも分かっていた。この混沌の胎内で、力を封じられたまま戦い続ければ、確実に死ぬ。
「……っ、ごめん。仕切り直しだ」
セツナは奥歯を噛みしめると、襲い来る触手を渾身の力で薙ぎ払い、その反動で、来た道の闇へと身を翻した。
奇妙な事に、撤退の素振りを見せた途端、触手たちは攻撃する手を止めた。
しかしその事に気を向ける余裕すらなく、セツナは地上への一本道を無我夢中で駆け上がっていった。
力なき今、できることは、ただ振り返らず走ることだけだった。
やがて、侵入者の気配が完全に地上へと遠ざかった頃。
蠢いていた肉の空洞は、何事もなかったかのように、再び静まり返った。突き出ていた触手たち、断ち切られた触手が、ずるずると元の壁へ吸い込まれ、修復されていく。
青年の姿をした端末は、最後まで指一本動かすことなく、ただ静かに、ベッドの傍らの定位置で立っている。
侵入してきた脅威個体を撃退した。
その事実を、ただ淡々と記憶する。それ以上の感慨は、何もない。強いて言えば、前回遭遇した魔法少女の個体と違い、権能と呼ばれる物を使ってこなかった事が気になるが、戦闘向きではなかったのだろうと考えた。
「ふん、騒がしい羽虫じゃ」
カグヤは、つまらなそうに鼻を鳴らすと、再びベッドの上で眠りについた。
一方、地上へと這い出たセツナは、人気のないビルの陰で、肩で荒く息をついていた。裂けた肩の傷が、じくじくと熱を持っている。
完敗だった。あの絶対者には、指一本触れることすら、できなかった。
「……あの怪物……魔力は感じなかったのに、一体なんなの……っ」
セツナは、血の滲む肩を”元に戻しながら”静かに呟いた。
あの混沌を前にしていては、自分は何ひとつできない。あれを引き受け、足止めしてくれる、誰か。その存在がなければ、計画は一歩も前に進まない。
逆に言えば——あの怪物さえ、誰かが押さえてくれるのなら。カグヤの確保は、決して不可能ではないのだ。
自分の権能なら、あの怪物のような例外を除いて、正面から自分に勝てる存在は居ない。とセツナは自負していた。
問題は、ただ一点。あの理外の混沌を、いったい誰が引き受けるか、それだけだった。
セツナの脳裏に、いつかの夜に出会った、二人の魔法少女の顔がよぎった。
「……どうするの、セツナ」
「……背に腹は代えられない」
セツナは、痛む肩を庇いながら、ゆっくりと顔を上げた。その瞳には、迷いを振り切った固い光が宿っている。
「彼女たちに、全てを話そう」