ニチアサみたいな魔法少女のいる世界観なのに明らかに設定を間違えたモンスターパニック物に出てきそうな怪生物がログインしてきた話 作:二度見屋
世界を繋ぎ止めていた、たった一本の楔が、抜け落ちた。
ルミナスの銀の光に吸い上げられ、十二単の姫君の中から、無限の魔力が、その魂ごと、静かに引きずり出されていく。
最古の魔法少女カグヤ、不老不死であったはずの存在。
その存在が今、”死んだ”
それを。
離れた場所で、じっと事の成り行きを見つめていた、あの人型の怪物が、確認した。
自らを塵に還しうる、唯一の存在。
幾度となく理不尽に己を粉砕し、絶対の服従を強いてきた、あの枷。それが今、完全に、この世から消失したのだ。心音も止まり、呼吸音も聞こえない。
あの白い衣装の魔法少女と思われる個体が何をしたかは不明だが、とにかく、絶対的脅威であったあの存在は今、確実に死んだ。
そしてその事実は、声もなく、瞬時に伝達された。
この街の地下に。廃ビルの隙間に。下水道の暗がりに。人知れず潜んでいた、無数の分体たちへと電波器官によって知らせられる。
一つの個体が得た情報は、群体である彼らにとって、即座に全体の総意となる。指令は、瞬く間に街中へ散らばったすべての個体へと行き渡った。
眠る街の、その至るところで。息を潜めていた個体たちが、一斉にぶるりと身を震わせる。
まるで、たった一匹の、途方もなく巨大な生き物が、長い惰眠からゆっくりと目を覚ますように。
もはやそれを縛り、律するものは、この世のどこにも無かった。
この星の運命は、静かに決定づけられた。
夜の路地裏、ゴミ捨て場の陰で蠢いていた、奇怪な姿をした昆虫のなり損ないのような生物。
その表面が、ぼこり、ぼこりと泡立ったかと思うと。
ぶわり、と。
無数の、細かな粉塵のようなものを、宙へと吹き上げた。
胞子。
目には見えぬほどに微細な、ポチの細胞そのもの。
夜風に乗って、それは音もなく、街の空気の中へと、ウイルスのように広がっていく。
同じことが、街のいたるところで、一斉に起きていた。
電柱の陰から。マンホールの隙間から。空き家の軒下から。無数に吹き上がった胞子は、やがて夜の街全体を覆い尽くしていった。
誰一人、その存在にすら気づく者はいない。
寝静まった家々の、窓の僅かな隙間から。換気扇の奥から。それは静かに忍び込み、安らかに眠る人々の口へ、鼻へと、吸い込まれていった。
残業帰りの、一人の男がいた。
重い足取りで駅までの夜道を歩いていた彼は、ふと、軽く咳き込んだ。なんだか埃っぽいな。と彼は思った。
喉の奥に、痒みのような奇妙な違和感がある。風邪の引き始めだろうか、と彼は軽く咳払いをした。
だが——それは風邪などではなかった。
歩き出して数歩もしないうちに、段々と喉の奥が、火傷するかのように痛み始める。
「……げ、ほっ」
たまらず、彼は道端に膝をつく。
込み上げてくるものを、抑えきれない。げほり、と、アスファルトの上に吐き出したものを見て、彼の思考は、真っ白に凍りついた。
血だった。
どす黒く、粘つく血。それが自分の口から、止めどなく溢れ出している。
「な、なんで……ごぼっ、ごぼぉ……っ」
うろたえる彼の体の内側で、何かが、ぐちゅぐちゅと蠢いていた。
彼の吸い込んだ胞子は、既にその肺の奥で、胃の中で、血管の一本一本の中で、猛烈な勢いで増殖を始めていたのだ。
内側から、食われていく。
彼の細胞が、臓腑が、その一つ一つが片端から新たなポチの肉体を作るための「材料」として消費されていく。
皮膚の下で何かがぞろぞろと這いずり回り、腕が、腹が、いびつに膨れ上がっては、ぶつぶつと泡立った。
背骨が、めきり、と嫌な音を立ててあらぬ方向へと折れ曲がった。
膨れ上がった背中の皮を突き破り、無数の骨の棘がぶすぶすと突き出してくる。
彼という一人の人間を形作っていたものが、別の何かへと上書きされていく。
「あ、あ……ぁ……」
助けを呼ぼうにも、もはや、声を発するための喉も肺も、そう思考するための脳すらも、既に原形を留めてはいない。
かっと見開かれた両の目だけが、最後の意識にしがみつくように、夜空をさまよっていた。
だが、それも数秒のこと。
ぐぶり、という湿った音を最後に、一人の男であった意識は、もうどこにも無くなっていた。
代わりに、そこへ、ゆらりと立ち上がったものがある。
ぬめる肉と、いびつな骨と、剥き出しの筋繊維とで組み上がった——新たな一体の怪物だった。
それは無数の眼のようなものをぎょろりと蠢かせ、生まれたての世界をぐるりと見回した。
そして”食べ始めた”
まず、足元のアスファルトを、次いで街路樹の幹を。植え込みの緑を。道沿いに並んだ建物そのものを。
目につく有機物を片端から分解し、己の血肉へと変えていく。
生きていようと無生物だろうと関係ない。この世の物質を、それはただ二種類としか認識しない。
己の一部となる「材料」か、そうでないか。それだけだった。
そして、貪りながら。その怪物もまた己の表面から新たな胞子を絶えず宙へと撒き散らしていく。
感染は感染を呼び、爆発的にその数を増やしていった。深夜の街を、目に見えぬ死の霞が静かに、しかし確実に覆い尽くしていく。
眠る街が地獄へと変わり果てるまでに、そう時間はかからなかった。
静まり返った住宅街を、生まれたばかりの怪物たちがのそり、のそりと徘徊しはじめる。
窓から聞こえていた家族の声が、短い悲鳴とともに消えていった。
玄関の鍵も、雨戸も、何の意味も持たない。壁や床を文字通り食い破り、空気が通れる場所ならばどこへでも感染するそれらは、安らかに眠る人々のもとへと音もなく這い寄っていく。
多くの者は目を覚ますことすらできぬまま、夢の中で静かに「材料」へと変えられていった。運悪く目を覚ましてしまった者にも、逃げ出す暇など与えられはしなかった。
——古びたアパートの、一室。
母親は幼い娘の寝ている部屋から聞こえた、ただならぬ物音で目を覚ました。
「どうしたの、こんな夜中に……」
寝ぼけ眼で隣の部屋を覗いた彼女は——凍りついた。
布団の上で、三歳になる娘が小さな体を海老のように折り曲げ、激しく咳き込んでいる。その口元からは、点々と黒い染みが飛び散っていた。
「え……っ、な、なに、これ……」
慌てて娘を抱き起こす。その腕の中で、小さな体が、びくんと大きく跳ねた。あどけなかったはずのその顔が、内側から押し上げられるように、ぼこりと歪む。
「いや……いやぁっ、うそ、うそでしょ……っ!」
母親の絶叫も虚しく。腕の中の愛しい体はみるみるうちに、崩れ、膨れ上がりながら人ならざる悍ましい何かへと変貌していく。
ぶちぶち、と皮膚の裂ける音。ぬちゃり、と骨の組み変わる音。
そして、母親自身の喉も、既に焼けるように熱を持ちはじめていた。彼女もまた、知らぬ間にあの胞子を吸い込んでいたのだ。
隣近所からも、悲鳴が次々と上がりはじめる。
壁越しに聞こえるどこかの部屋のガラスが割れる音。
誰かが階段を転げるように駆け下りる足音。
だが、それらは長くは続かず、すぐに夜の静寂の中へと掻き消されていった。
このアパートの住人が、一人残らず変わり果てるまでの、ものの数分の出来事であった。
——一方、まだ人通りの絶えぬ、夜の歓楽街。
酔客で賑わうその一角に、異変は突如として訪れた。
「ぐ……げほっ、ごほっ、ごほぉっ!」
雑踏の中で、一人、また一人と、人々が血を吐いて崩れ落ちていく。
はじめは、誰かが体調を崩したのかと、遠巻きに見ていた者たちも、倒れた者の腹が内側からぼこぼこと蠢き、そこから、その人間だったものが異形へと姿を変えるのを見て——ようやく悟った。
「う、うわああああっ!」 「悪魔だ、悪魔が出たぞぉっ!」
一瞬にして、歓楽街は阿鼻叫喚の渦と化した。
我先にと、人々が狭い路地へと殺到する。
だが、逃げ惑うその最中にも、彼らの喉は次々と火を噴くように熱を帯びていく。
走りながら血を吐き、走りながら崩れ、そのまま後ろから来た人波に踏み潰されていく者もいた。
転んだ女性が、悲鳴を上げる間もなく、湧いて出た怪物に足から丸ごと飲み込まれていく。
逃げ場を失い、ビルの壁際に追い詰められた若者たちが、押し寄せる肉の波に、ひとまとめに覆い尽くされる。
きらびやかだったネオンの光が、飛び散った血で赤黒く濁っていく。
昨日まで、笑い、騒いでいた人々。その誰もが怪物の肉体の一部に変わり果てていた。
——郊外へと向かう、深夜の最終電車。
その車内でも、逃げ場のない地獄が、幕を開けていた。
ごとごとと揺れる、満員の車両。その片隅で、一人の乗客が突然、激しく咳き込んだ。誰もが顔をしかめ、迷惑そうに距離を取ろうとする。だが、逃げ場などありはしない。ドアは固く閉ざされ、次の駅までは、まだ遠かった。
咳はやがて、血へと変わった。
「ひっ……」 「な、なんだよ、こいつ……っ」
一人が血を吐いて崩れ、その体が変形し、異形へと変わっていくのを見た瞬間、車内はパニックに陥った。
人々は我先にと、反対側のドアへと殺到する。押し合い、へし合い、悲鳴が上がる。だが、そうしてもがくうちにも、感染は静かに車内へと広がっていた。
密閉された鉄の箱の中。
胞子は、逃げ惑う人々の肺へと吸い込まれていく。次々と乗客が血を吐き、倒れ、そして悍ましい何かへと膨れ上がっていった。
やがて電車が次の駅へ滑り込み、ドアが開いた時。
そこから吐き出されてきたのは、乗客ではなく——ホームへと雪崩れ込む、無数の怪物たちの群れだった。
その頃には、街のいたるところで、同じ惨劇が幾重にも繰り返されていた。
深夜の病院で。眠らぬオフィスビルで。二十四時間営業の店の中で。人が血を吐いて倒れ、そして異形へと変わっていく。助けを求める叫びも、逃げ惑う足音も。何もかもが、湿った咀嚼音の中へと、次々に飲み込まれていった。
アパートの一室では、一人の青年が、震える指でスマートフォンを握りしめていた。
「もしもし、母さん!? 逃げて、今すぐ家から逃げるんだ……! 外に悪魔が大量に……っ」
だが、電話の向こうから返ってきたのは、言葉ではなかった。激しく咳き込む音。何かが蠢く音。そして——ぶつり、と、通話は途切れた。
「……母、さん……? 母さんっ! うそだろ、なあ……っ」
呆然と立ち尽くす、その青年の背後で。玄関のドアが、めきめきと内側へたわみはじめる。彼が振り返るより早く、砕けた扉の隙間から、無数の触手がなだれ込んできた。
助けを呼ぶ声も、もう、どこにも届きはしなかった。
そして、異変の通報を受け、街にはけたたましく、あの警報が鳴り響いた。
——悪魔アラート。
国防の要たる警衛隊は、迅速に動いた。重装甲の車両が次々と現場へ展開し、隊員たちが、対悪魔用の自動小銃を一斉に構える。
「撃てぇっ!」
指揮官の号令一下。無数の、祈りを込めた銀の弾丸が、群がる怪物たちへと、雨あられと撃ち込まれた。
だが。
悪魔に絶大な効果を発揮するはずのそれは。この化け物にとっては、ただの銀の礫でしかなかった。穿たれた無数の穴は、泡立つように瞬く間に塞がっていく。
「……なぜ、倒れんっ!?」
弾幕をまるで意に介さず。怪物の群れは、津波のように防衛線へと殺到した。
ぐしゃり、と。
盾を構えていた隊員が、ケラチン質の爪を持った怪物の手によって、真っ二つに引き裂かれる。
飛び散る赤い血飛沫。別の隊員は、足を絡め取られ、為す術もなく、蠢く怪物の群れの中へと、ずるずると引きずり込まれていった。装甲車すら、触手の群れの中に取り込まれ、ゆっくりと解体されていく。
「た、隊長っ、退避を……ぎゃあああっ!」
逃げ惑う隊員たちが、怪物たちに次々に襲われ、飲み込まれていく。彼らの断末魔の悲鳴が、次々と、湿った咀嚼音の中に消えていった。
対悪魔用の小銃が効かないと見るや、彼らは他の兵器も使用して怪物を攻撃し始めたが、火炎放射器の炎も、擲弾の爆発も。一瞬は怪物を怯ませるものの、その肉はすぐに、熱にも、衝撃にも適応し、再び蠢きだす。
そして——喰われた者たちの体からも、また新たな胞子が吹き上がるのだ。
人類が誇る、精鋭の武装組織。その決死の防衛線は、ものの数分で消え去った。
最後の希望は、彼女たちだった。
悪魔アラートを聞きつけ、いち早く現場へと急行した一人の魔法少女。彼女は、変わり果てた街の惨状に、思わず息を呑んだ。
「な……なによ、これ……っ」
だが、怯んではいられない。目の前で、まだ大勢の人が喰われているのだから。彼女は、ステッキを振るい、その雷の権能を解き放った。
閃光。轟音。彼女の放った膨大な魔力が、群がる怪物たちを、一瞬にして薙ぎ払う。焼け、砕け、怪物たちが吹き飛ばされていく。
「やった……!」
だが——その安堵は、あまりにも、早すぎた。
吹き飛ばされたはずの怪物たちの肉片が、再び、ずるずると寄り集まっていく。
そして、再生を遂げたその怪物たちは、雷に対して適応を果たしている。
どのような環境であっても適応する。
それがこの化け物の、恐るべき本質だった。
「そんな……嘘、でしょ……っ、なんで、効かないのよぉっ!?」
みるみる数を増し、適応し、じりじりと押し寄せてくる怪物の群れ。雷を放ちながら後ずさる彼女の、その足首に。
ぬるり、と。一本の触手が絡みついた。
「——っ、いやっ、いやぁあああっ!」
引きずり倒され、必死に藻掻くその体が。四方から伸びた無数の触手に、瞬く間に引きちぎられていく。
彼女の悲鳴は、骨肉が貪られる音と共に消えた。
権能を宿し、魔力によって強化された肉体さえも。この怪物にとっては、ただの「食料」の一つに過ぎなかったのだ。
街の各所に設けられた地下シェルター。悪魔アラートに従いそこへ逃げ込んだ人々は、分厚い鉄扉の内側で身を寄せ合って震えていた。
ここまで来ればもう安全なはずだ。誰もがそう信じていた。
だが——その願いは、あまりにも脆かった。
微細な胞子の前では、頑丈な扉など何の意味も成さない。換気口の僅かな隙間から、配管の継ぎ目から。それは音もなく忍び込み、閉ざされた空間を静かに満たしていった。
最初に、赤子が咳き込んだ。次いで、その母が。さらに一人、また一人と。
逃げ場のない密閉空間で始まった地獄は、外のそれよりも、さらに凄惨だった。変わり果てた者が、すぐ隣にいた家族に、友人に襲いかかる。逃げ惑おうにも、扉の外は怪物の群れ。内も外も、もはや死で埋め尽くされていた。
助けを信じて逃げ込んだその場所は、いつしか、逃げ場のない肉の檻へと変わり果てていたのだ。
夜が明ける頃には、街は、完全に、終わっていた。
見渡す限り、奇怪な植物のような肉塊ばかり。アスファルトも、ビルの壁も、赤黒い肉膜に覆われ、ぬらぬらと脈打ち、ゆっくりと食い荒らされていく。
一日前まで確かにそこにあった、人々の営み。その何もかもが、たった一晩で消え失せてしまった。
無限に増え、無限に適応する、単一の生物。
それは、人類がこれまで積み上げてきた、あらゆる対抗手段の、ことごとくを無意味なものへと変えてしまった。
むろん、この地獄から逃れようとした者も、大勢いた。
異変の報せが悪魔アラートによって広まると、街の外へと通じる高速道路には、我先にと逃げ出した車が殺到した。
だが、出口へ向かう車線はたちまち鉛の塊のごとく詰まり、どの車も身動き一つ取れなくなる。クラクションの怒号と、我が子を抱えて泣き叫ぶ声とが、あちこちで空しく交錯した。
そこへ、群れが追いついた。
渋滞の列の後方から、蠢く怪物たちが、車列を一台ずつ破壊していく。ロックされたドアがいとも容易くこじ開けられ、座席から引きずり出された人々の悲鳴が、一台、また一台と順に途切れていく。
たまらず車を捨てて走り出した者も、無事では済まなかった。走りながら胞子を吸い込み、数歩と行かぬうちに血を吐いて倒れ、後から迫る群れにあっけなく飲み込まれる。
鉄とガラスの箱の中で、人々はただ、じわじわと近づいてくる赤黒い肉の壁を、震えながら見つめることしかできなかった。
この街から外へ逃れ出ようとする試みは、ことごとく、そうして潰えていったのだ。
そして、災いは、この街だけに、留まらなかった。
海に適応した個体は、エラとヒレを得て、深い水を悠々と越えていく。
空に適応した個体は、翼を得て、空を渡っていく。
それらは瞬く間に海を越え、国境を越え、この国の外へと、静かに散らばっていった。
皮肉なことに——かつて、あれほど人類を苦しめてきた次元の穴から現れる悪魔たちすら、この災いの前では無力だった。
負の感情を糧とする彼らにとって、人類が滅び去ることは望むところではない。餌を根こそぎ奪われるに等しいのだから。
悪魔たちもまた、己の存亡をかけてあの怪物の群れへと牙を剥いた。だがその結末は、魔法少女たちと何ら変わらなかった。
どれほどの力をぶつけようと、あの底知れぬ適応の前では意味を成さない。
抗った悪魔たちは、次々と組み伏せられ、その身を貪り喰われ、あの肉塊の新たな一部へと変えられていった。
人々の恐怖を刈り取るより早く、その恐怖を抱くはずの人間そのものが、この世から消え失せていったのだ。
各国の政府は当初、この未曾有の事態を、悪魔の仕業だと考えた。悪魔アラートが鳴り響き、対悪魔の部隊が次々と投入されていく。
だがじきに誰もが気づきはじめた。これは、これまでの悪魔とは決定的に何かが違う。恐怖を糧に人を襲うはずの悪魔たちまでもが、この怪物に喰われているという、信じがたい報告が次々と上がってきたのだ。
「悪魔では、ない……だと? ならばあれは……あれは一体、なんだというのだ!」
指導者たちの驚愕は、やがて底知れぬ恐怖へと変わっていった。正体も、弱点も、何一つ分からぬまま。それでも人類は、生き延びるために持てる総力を挙げて、この見えざる敵へと立ち向かうしかなかった。
各国の軍が、ありったけの火力を怪物の群れへと叩き込む。ミサイルが、砲弾が、雨のように降り注ぎ、大地を抉り、焼き払った。世界中の魔法少女たちもまた、己の権能を振り絞り、必死に抗い続けた。
世界は、事の重大さに気づき、総力を挙げて、これに立ち向かった。
だが——無駄だった。
大陸の巨大都市が一夜にして肉の色へと沈んでいった。摩天楼の窓という窓から、触手のような組織が溢れ出し、街全体を繭のように包んでいく。
大海原の只中でも同じだった。押し寄せる群れを迎え撃った各国の艦隊は、次々と沈められていく。
海に適応した個体が、鋼鉄の船体をよじ登り、甲板の兵士たちを片端から海へ引きずり込んだ。
空を舞う戦闘機さえ、翼を得た個体によって空中に張られた蜘蛛の巣のようなもので絡め取られ、まるで虫のように食われていく。
祈りを捧げる大聖堂も、鉄壁を誇った要塞も。人々が最後の望みを託したあらゆる場所が、同じように、静かに奇怪な生物的な組織に食い尽くされて消えていった。
倒しても、倒しても、湧いて出る。焼いても、凍らせても、次の瞬間には適応し、平然と起き上がる。
ある国は、都市ごと焼き払う決断を下した。ある国は、海峡を封鎖しようと足掻いた。だが、そのどれもが、焼け石に水でしかなかった。ほんの一片でも生きた肉が残れば、それはまた寄り集まり、また増えるのだから。
追い詰められた末に、ある国はついに、禁断の一手へと踏み切った。
核。
目も眩む閃光が大地を灼き、蠢く怪物の群れごと、街の一つを丸ごと蒸発させ、巨大なきのこ雲が天へと立ち昇った。
だが——それでもなお足りなかった。
爆心から離れた場所にいた個体や、海へ逃れていた個体は、その業火をやり過ごし、平然と生き延びていたのだ。
そして生き残ったほんの僅かな個体から、侵略はまた静かに再開される。
そこに至って、人類はようやく完全に悟った。この怪物を根絶する術など、もうどこにも残されてはいないのだと。
完全に滅ぼしきる。そんなことは、もはや、カグヤという絶対的脅威の居なくなった今では、この地上の誰にも不可能だった。
戦線は、ずるずると後退していく。人類最後の砦は、一つ、また一つと、あっけなく陥落していった。安全な土地は、日を追うごとに塗り潰されるように消えていく。
最初の一週間で、いくつもの小国が地図の上から消え去った。半月が過ぎる頃には、大陸のほとんどがあの奇怪な組織に覆い尽くされていた。
人類の叡智を結集した、あらゆる兵器も、あらゆる策も。この単一の生命が増え広がる速度の前には、もはや時間稼ぎにすらならなかったのだ。
テレビも、ラジオも、ネットワークも。世界を繋いでいたあらゆる声が、一つ、また一つと途絶えていく。
最後まで気丈に状況を伝え続けた放送局も、やがてぷつりと砂嵐に飲まれた。生き残った者たちは、暗闇の中で、ただ、怯えることしかできなかった。
人類はその数を、日ごとに減らしていった。地下深くの施設に立てこもった最後の科学者たちも。孤島へ逃れた僅かな生き残りたちも。
海を、空を越えてきた個体によって、一人残らず見つけ出され、喰らわれていく。抗う声は、日を追うごとに、細く、小さくなっていった。
阿鼻叫喚は、やがて静寂へと変わっていった。
そして——ひと月と経たぬうちに。
地球は、その姿をすっかり変え果てていた。
森も、街も、山も、海も。かつてそこにあった、あらゆる生命の営みは、跡形もなく消え去っていた。
人も、獣も、虫も、草木も。目には見えぬ、土中の微生物も。光の届かぬ、深海の底に潜む、名も知れぬ生き物さえも。
この星に存在した、有機物と名のつくものは、その一つ残らずが。たった一つの生物種の——ポチの、肉体を組み上げるための「材料」へと還元されていた。
生命が三十八億年をかけて紡いできた、その壮大な多様性は。今や、たった一種類の——単調で悍ましいモノへと、余さず塗り潰されてしまった。
それは、かつて科学者たちが、思考実験の中でだけ恐れていた光景そのものだった。際限なく己を複製し続ける存在が、この星のすべてを食い尽くす。
空想の中にしかあり得なかったはずの終末が、今、現実のものとなっていたのだ。
青かったはずのその星は。今や、植物のような奇怪な組織と海を吸い上げる根のような器官に覆い尽くされた、一個の、途方もなく巨大な生命体そのものと化していた。
宇宙から見下ろせば、それはきっと、青くも緑でもなかっただろう。ただ、不気味に脈動するばかりの、赤黒い肉の球体。
遥か上空に浮かぶ月と、宇宙ステーションの中にいたわずかな人類の生き残りだけが、変わらぬ姿で、その無残な星を静かに見下ろしていた。
かつて地表を彩っていた、青い海も、白い雲も、瞬く街の灯りも、風の音も、鳥の声も、人の声も、もう、どこにもない。
ただ、惑星を覆い尽くした存在が、ぬぷ、ぬぷ、と、緩やかに呼吸を繰り返す音だけが。虚空へ向けて、虚しく響いている。
かつて、幾十億もの人間が、笑い、泣き、怒り、愛し、生きていたはずの青い星。その営みの、ただの一つも、もう——残ってはいなかった。
これが。ストッパーを失った、絶対捕食の怪物が、行き着く果ての姿だった。世界を滅ぼすと恐れられていた元凶は、異次元からやってくる悪魔などでは、断じてなかったのだ。
Q,どうしてポチは普段からこの胞子で相手を感染させる方法で相手を攻撃したりしないの?
A,胞子もポチの一部ではあるが、胞子のような単純かつ小さい細胞にまでなると「ポチ」という意識や記憶までは共有されていない。ポチにとって胞子を飛ばすのは繁殖に近い行動であり、その後その胞子個体がどのような行動をするかはポチ自身にも制御はできない。カグヤという脅威が存在する状況でそんなことをすると、カグヤの怒りを買い、ポチという種全体の危機に陥る事になるかもしれないと考えていたため、自重していたから。
今回の話が描きたくて私はこの小説を書き始めました。モンスターパニックものの映画とか大好きです。
ところでふと疑問に思ったんですけど、こんな感じに惑星全体を呑み込んだ生命体がいたとしたら、その生物はカルダシェフスケールで言うところのレベル1文明と言えるんですかね?
宇宙のどこかの惑星にはそういう生命体のいる星があってもおかしくはなさそうですよね。