ニチアサみたいな魔法少女のいる世界観なのに明らかに設定を間違えたモンスターパニック物に出てきそうな怪生物がログインしてきた話   作:二度見屋

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第4話

ボチャッ、という湿った重い音と共に、天井から落下した赤黒い肉塊は、主任研究員の顔面へと正確に張り付いた。

 

「んがっ……!?」

 

不意の衝撃に主任は仰け反り、顔にへばりついたそれを両手で引き剥がそうともがいた。

 

だが、ラット一匹分の質量と強靭な筋繊維を取り込んでいた彼らの吸着力は、人間の腕力でどうにかなるものではなかった。

 

彼らは接触と同時に、今触れている物質が、先ほど食い尽くした「ラット」とほとんど同じ物質であることにすぐに気付くと、強烈なタンパク質分解酵素(プロテアーゼ)と塩酸を分泌し、即座にその物質を分解して吸収しようと試みた。

 

主任の顔面の皮膚が、まるで熱湯をかけられた蝋細工のように瞬時にドロドロに融解し始めた。

 

「あ、が、アアァァァッ!?」

 

眼球が溶け、鼻軟骨が崩れ落ちる激痛に、主任は絶叫を上げようと大きく口を開いた。

 

それが、致命的な隙となった。

 

彼らはより熱の大きい(エネルギーの量が多そうな)方へと向かうために、主任の口腔と鼻腔から、気道へと一気に滑り込んだのだ。

 

そこで彼らがターゲットにしたのは、人体の中で最も酸素と血液(エネルギーとリソース)が集中する臓器――「肺」であった。

 

気管を塞がれた主任の絶叫は、ゴボッという粘着質な水音に変わった。

 

肺へと到達した彼らは、内側から肺胞の壁にへばりつき、獲得したばかりの莫大なATPを全解放して、主任の内臓を根こそぎ溶かす消化酵素を四方八方へと分泌し始めた。

 

同時に、ご丁寧にエネルギーが密集している通り道(血管)が用意されていたので、そこへわざと自らの一部を切り離して体全体へと散らばらせた。

 

肺が液状化し、隣接する心臓の筋肉が崩れ落ちる。胃袋も、肝臓も、泥濘が触れた端から赤黒い肉粥へと変わり、彼らの凄まじい細胞分裂の材料として貪欲にすすり上げられていく。

 

「ヒィッ……! しゅ、主任……ッ!」

 

眼前で繰り広げられる惨劇に、若手研究員は腰を抜かしたまま、恐怖で声も出せずに床を後ずさった。

 

主任の身体は痙攣を繰り返し、胸郭が不自然に内側へと陥没し始めている。すでに肺や心臓が溶かされ、胸腔の中身が空洞になりかけている証拠だった。

 

逃げなければ。このままでは自分も喰われる。

 

そう頭で理解していても、極度の恐怖で腰に力が入らず、若手研究員は這いずるようにして実験室の扉へと向かおうとした。

 

その時、内側から臓物を溶かされ、すでに死に体となっているはずの主任が、藁をも掴むような虚ろな動きで、若手研究員の白衣の裾をガシッと掴んだ。

 

「ひっ!? や、やめろ、離せッ!」

 

パニックに陥った若手研究員が白衣を振り払おうとした瞬間、バランスを崩し、二人は冷たい実験室の床に激しくもつれ合って倒れ込んだ。

 

仰向けに倒れた若手研究員の上に、主任の重い身体が覆い被さる。

 

「どけッ! どいてくれっ!」

 

若手研究員が上に乗った主任の胸を突き飛ばそうと顔を向けた瞬間、彼は正気を失いそうなほどの絶望を直視することになった。

 

間近に迫った主任の顔は、すでに人間の原型を留めていなかった。

 

両目は白目を剥いているどころか、眼球そのものが内側から溶け落ち、空洞になった眼窩から赤黒い泥濘がドクドクと溢れ出している。顔面の皮膚も筋肉も垂れ下がり、頭蓋骨がむき出しになりかけていた。

 

意識などとうの昔に消失しているはずだった。

 

そして、だらしなく開いた主任の口――あるいは溶けて無くなった下顎の奥底から、太く脈打つ赤黒い『触手』が這い出してきたのだ。

 

それは、ラット由来の筋繊維と、主任の溶けた内臓が混ざり合って再構築された、悍ましい肉の塊だった。

 

「ア、アアァ……」

 

若手研究員が恐怖で喉を鳴らした瞬間、触手は蛇のように首をもたげ、彼の大きく開いた口内(新たなエネルギー源)へと暴力的に侵入した。

 

メキィッ、という骨の砕ける音と共に、触手は若手研究員の顎の関節を内側から破壊し、声帯を引き千切りながら、その体の奥へと一気に滑り落ちていく。

 

若手研究員の体内で、先ほどと全く同じ惨劇が繰り返される。

 

免疫細胞が抵抗する間もなく内側から胃壁を溶かされ、腸を溶かされ、肝臓を溶かされる激痛。痙攣する彼の身体の上に、すでに中身をほとんど喰い尽くされて皮膚と骨だけになり、何かが内部で蠢いている主任の残骸が乗しかかっている。

 

実験室の床は、二人の男の痙攣が引き起こす不気味な摩擦音と、肉が溶ける湿った咀嚼音だけで満たされた。

 

 

 

数十分後。

 

実験室の床には、二人の成人男性の姿はどこにもなかった。

 

血の海も、骨の欠片も、彼らが着ていた綿の白衣や化学繊維のシャツ、合成樹脂の靴底すらも残っていない。

 

有機物であれば何であろうと、彼らは無限の突然変異のストックの中から最適な分解酵素を合成し、文字通り「完全に」炭素源として分解し、吸収し尽くしたのだ。

 

二人の成人男性と衣服の質量、およそ百四十キログラム。

 

数ミリメートルのバクテリアのコロニーから始まった存在は、その莫大な質量を丸ごと自らの細胞として再構築し、実験室の中央に立ち上がっていた。

 

それは、身長二メートル近い大柄な、しかし極めて歪な二本足の化け物であった。

 

ベースとなっているのは、直前に吸収した人間のDNA、その骨格と筋繊維の構造である。だが、完全な人間の形には程遠い。

 

表面の皮膚はなく、赤黒い筋肉の繊維が剥き出しになっており、その上から乾燥を防ぐための硬質なワックス層が角質のように連なり、不規則な鱗のように覆っており、皮膚の一部からはラットの物と思われる毛が疎らに生えている。

 

両腕は異様に長く、手首の先には指の代わりに、ラットの爪と人間の骨が融合したような鋭利な突起物が無数に生えていた。

 

顔と呼べる部分には、複雑過ぎるゆえに模倣出来なかった目と鼻はなく、ただ環境を知覚するための光受容タンパク質と化学物質レセプターが集中した、第三者から見ればのっぺらぼうのような姿になっている。

 

だが、この怪物の最大の変化は、そのおぞましい外見にはなかった。

 

主任と若手研究員を溶かして吸収する過程で、泥濘は彼らの細胞核に保存されていた「人間のDNA」を直接読み込んだ。

 

ラットのDNAを取り込んだ時、彼らは「安定した肉体」を得た。しかし、約三十億塩基対にも及ぶ人間のDNAは、ラットのそれとは比較にならないほど高度に洗練された、究極のシステム設計図であった。

 

泥濘は、取り込んだ人間のDNAに従い、自らの体内に「神経細胞(ニューロン)」を爆発的な速度で配置し始めた。

 

これまでコロニーの各細胞間で行われていた、化学物質や単調なナノワイヤーによる情報伝達。

 

それが、人間のDNAという鋳型に流し込まれたことで、複雑なシナプス結合を持つ超高密度の情報処理ネットワーク――すなわち『中枢神経系(脳)』へと進化したのである。

 

頭部らしき器官の奥深くで、何百億という神経細胞が一斉に発火し、電気信号の嵐が吹き荒れる。

 

ただひたすらに周囲のリソースを喰らい、デタラメな変異を繰り返すだけだった生物の行動原理に、初めて「知能」と呼べる高度な演算能力が宿った瞬間であった。

 

実験室の中央に立つ歪な巨人は、ピクリと右腕を動かした。

 

視覚器官(光受容体)が、室内の蛍光灯の光と、乱雑に置かれた機材の輪郭をノイズ混じりの電気信号として脳へと送る。嗅覚器官(化学レセプター)が、空気中に漂うオゾンや試薬の微かな匂いを分子レベルで解析する。

 

これまでは、これらの刺激に対して「酸を出す」「増殖する」といった単細胞的な反射しかできなかった。

しかし今、構築されたばかりの脳髄は、それらの情報を統合し、空間を認識し、状況を分析しようと演算を始めている。

 

だが、そこにあるのはあくまで「情報を処理するハードウェア(脳)」が完成したという事実だけであった。

 

怪物の内部には、知識も、経験も、言語も、記憶も存在しない。

 

自分という存在を認識する「自我」すらも、まだ極めて希薄な状態だ。産み落とされたばかりの赤ん坊のように、あるいはOSがインストールされただけの空のコンピュータのように、ただ外界から押し寄せる膨大な情報を受信し、処理の仕方が分からずに呆然と立ち尽くしている。

 

「…………」

 

怪物の口にあたる部分――鋭い牙が不規則に並んだ裂け目から、意味を持たない空気が漏れ出た。

 

私は、存在する。

 

ここは、どこか。

 

私を構成するこの物質は、何か。

 

生まれたての知能は、言語化されない純粋な疑問のノイズを脳内に巡らせる。

 

彼らにとって、これまでの数時間はただ「飢餓」と「死の回避」という物理的な反射の連続であった。

 

しかし知能を得た今、彼らは初めて、自らの存在そのものに対する根源的な問いを抱いた。

 

実験室の無機質な白い壁、実験用チャンバーと、その中にある彼らの故郷たるガラス製のちっぽけなシャーレ。そしてそれらを照らす蛍光灯と、それを鈍く反射する塩化ビニールの床。

 

それらを眺める巨人の姿は、どこか途方に暮れているようにも見えた。

 

しかし、その体内では、蛍光灯の光を用いた光合成によるエネルギー産生が静かに続けられ、何千万種類もの突然変異のストックが、次なる環境激変に対応すべく弾倉に込められたまま待機している。

 

圧倒的な適応力と、残虐なまでの捕食能力。

 

そしてついに、それを統括し、目的を持って行使するための「知能(ソフトウェア)」の基盤が完成したのだ。

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