ニチアサみたいな魔法少女のいる世界観なのに明らかに設定を間違えたモンスターパニック物に出てきそうな怪生物がログインしてきた話 作:二度見屋
もうもうと立ち込める粉塵と、砕け散ったコンクリートの残骸。
夜の裏路地を吹き抜けた理不尽な暴風の痕跡の中で、バラバラに弾け飛んでいた赤黒い肉塊のパーツが、意思を持つかのようにウネウネと這い集まり、再び一つの人型へと再構築されていく。
しかし、度重なるダメージによって肉体を構成する細胞群は減り、その身長は既に、2mの巨人から一般的な人間の体躯と同等程度にまで縮んでしまっていた。
つい先ほど、アキという個体が放った数千度の「炎」という致命的環境ストレスに完全適応し、リン酸カルシウムと断熱空気層の多重装甲を構築したばかりの最強の肉体。
それが、たった一人の幼い少女の、何の変哲もない「張り手」によって、いとも容易く粉砕されたのである。
熱ではない。化学的な分解でもない。ただの純粋な「物理的運動エネルギー」による破壊。
魔法少女アキとの戦闘で構築した「リン酸カルシウムと空気の断熱層」による対熱装甲は、先刻の「張り手」という純粋な物理的衝撃の前には全く無力だった。
セラミックのように硬い装甲は、その硬さゆえに衝撃を逃がすことができず、莫大な運動エネルギーの直撃によって、内部の細胞組織ごと粉々にすり潰されてしまったのだ。
巨人の視覚野が、粉塵の向こう側から悠然と歩いてくる小さな影を捉えた。
「ったく……手下にしてやると言ったのに、いきなり主人の頭をかじるとは躾がなっとらんわ」
黒いワンピース姿の少女、カグヤは、プリプリと怒りながら巨人の前に立ち止まった。
「ついムカッとして力加減を間違えて張り手をしてしもうたわい。……お?」
カグヤは瓦礫の中から立ち上がった巨人の姿をまじまじと見上げ、パァッと顔を輝かせた。
「今ので死んでおらんとは……なかなか頑丈な奴じゃな! 気に入ったぞ! やはりお主は妾の手下にふさわしい! さあ、大人しく妾に傅き、肩でも揉むのじゃ!」
ひしゃげた関節をデタラメに繋ぎ合わせ、不気味な摩擦音を立てながら立ち上がった巨人の視覚野に、呑気な声が飛び込んできた。
しかし、人間の言語という概念を未だ獲得していない巨人にとって、彼女の言葉はただの無意味な空気の振動でしかなかった。
巨人の脳が下した判断は極めてシンプルである。
『排除、あるいは捕食』
本能が弾き出した最適解に従い、巨人は再びアスファルトを蹴り砕いた。
「む。まだ反抗するか。聞き分けのない奴じゃのう」
カグヤは巨人の猛烈な突進に対し、回避する素振りすら見せなかった。
彼女はただ、飛んできた蚊を払うかのような、極めて無造作で、脱力した平手打ちを放った。
――ボゴォォォォォンッ!!!
巨人の視界が、再び理不尽な速度で回転した。
何十トンもの鉄塊が衝突したかのような衝撃波が脳髄を揺らし、頚椎を構成する骨組織が一瞬にして粉砕される。巨人の巨体は再び路地の壁面に深々と叩きつけられ、クレーターのような大穴を穿った。
二度目の致命的な損壊。
しかし、壁にめり込んだ巨人の体内では、破壊と同時に、生き残った細胞群による凄絶な「進化のロシアンルーレット」がすでに開始されていた。
対象の攻撃手段は、熱でも、酸でも、毒でもない。「圧倒的な運動エネルギーによる物理的破壊」である。
巨人の脳は、自身の細胞群に対して『物理的衝撃の分散と耐性』を至上命題として提示した。
数千、数万、数億、数兆の細胞が「張り手による環境ストレス」の中で、秒単位で分裂と死を繰り返す。
ある細胞は自らの体積を増して衝撃を和らげようとしたが、表面積が大きくなりすぎて破裂した。ある細胞はケラチン質のタンパク質を纏って硬化しようとしたが、それでは先ほどのカルシウム装甲と同じように衝撃が逃せなくなり、砕け散るだけだった。
無数のエラーの末に、一つの形質が「正解」として引き当てられる。
細胞の形状変化である。
通常、生物の細胞は球状、あるいは空間を効率よく埋めるための多面体(14面体など)の形をしている。
だが、巨人の体内で偶然生まれたある細胞群は、自らの細胞膜を強固に保ったまま、その形状を『正四面体』へと変異させたのだ。
正四面体。それは立体幾何学において、外部からの圧力に対して頂点と面で力を均等に分散させることができる、最小単位のトラス構造である。
それらの形状の細胞群が、他の形状の細胞に比べて外圧に耐え、潰れにくいことを発見した巨人は、その設計図を瞬時にコロニー全体へと共有し、自身を構成する何兆という細胞を、一斉に正四面体のブロックへと形状を書き換え始めた。
ミクロのテトラポッドが隙間なく噛み合うような、強固で潰れにくい細胞群のネットワークが完成する。
「お? さっきより起き上がりが早くなってるではないか。褒めてつかわすぞ!」
肉体強度の上昇と同時に、組織の修復速度の高速化を達成した細胞群を選別し、先ほどよりも少しだけ早く再生を終えて壁のクレーターからズルリと這い出た巨人に、カグヤが無邪気な声をかける。
巨人は体勢を立て直すや否や、進化した肉体の強度をテストするように、再びカグヤへと突進した。
「じゃが、まだまだ躾が足りんようじゃな! そぉい!」
バチコォォォンッ!!
三度目の張り手。
正四面体化によって細胞一つ一つの「潰れにくさ」は飛躍的に向上していた。しかし、カグヤの放つ理不尽な運動エネルギーは、細胞の結合そのものを物理的に引きちぎるレベルに達していた。
細胞は潰れにくくはなっている。だが、衝撃を逃がしきれずに細胞間結合が千切れ、巨人の体はまたしても後方へと吹き飛ばされ、激しくアスファルトを転がった。
千切れた肉体から赤黒い体液が大量に噴き出す。
巨人は千切れ飛びながらも、自身のその「体液」の挙動に気付いた。
激しい衝撃を受けて細胞が引き裂かれる際、そこから漏れ出た粘度の高い体液がクッションの役割を果たし、周囲の組織の損壊をわずかに――本当にごくわずかに軽減していたのだ。
巨人の脳が、次なる進化のベクトルを『体液の性質変化』へと向ける。
体組織を満たす体液の成分を、試行錯誤しながらリアルタイムで調整していく。ただ体液の粘度を高めるだけでは、この肉体全体に栄養を行き渡らせることが出来なくなる。
巨人の肉体のあちこちで、水分量、タンパク質の濃度、塩分濃度、さらに新たに生成した微細なデンプン質に似た高分子ポリマーの微粒子。
それらを体液中に限界まで様々な濃度比率で懸濁させる「実験」が、同時に行われ始めた。
「お、立ち上がったか。えらいえらい。じゃが、まだお座りができとらんぞ!」
カグヤの容赦のない張り手が、再び巨人の顔面を捉える。
メキィッ!!!
正四面体細胞の結合が悲鳴を上げ、衝撃を分散しきれずに首の皮が弾け飛び、赤黒い体液が路地に撒き散らされた。巨人はコマのように回転しながらアスファルトを転がり回る。
そして、巨人は「正解」を見つけた。
右足首付近での体液の粘性が、顕著に他の部分と比べて衝撃に対して耐性を持っていることを認識したのだ。
それは、物理学において「ダイラタント流体」と呼ばれる非ニュートン流体の性質であった。
ゆっくりとした動きに対してはただの液体として振る舞うが、強い剪断応力――すなわち急激な衝撃が加わった瞬間、液体中の粒子が一瞬にして密集し、強固な固体のように振る舞う特殊な流体。
巨人は自らの血管と細胞間質を満たす体液を、このダイラタント流体へと完全に置換した。
平常時は栄養素を運ぶ液体でありながら、打撃を受けたその瞬間だけ、全身の体液がコンクリートを凌駕する強度の「衝撃吸収アーマー」へと変貌するのだ。
「よしよし、元気がいいのは良いことじゃ。ほれ、次はお手じゃ!」
立ち上がった巨人に、カグヤが楽しげに歩み寄ってくる。
巨人は自らの体液の進化を確信し、今度こそ迎撃すべく両腕を交差させて防御の姿勢をとった。
「お手じゃと言うておるじゃろが!」
ドスゥゥゥゥゥンッ!!!!!
五度目の張り手。
巨人の体にカグヤの掌が触れた瞬間、交差した両腕を流れるダイラタント体液が一斉に硬化し、凄まじい衝撃を強固な盾として受け止めた。
『防いだ』
巨人の脳がそう認識したのも束の間。
バキィッ!!
カグヤの掌から放たれる運動エネルギーは、ダイラタント流体が分散できる限界許容量を遥かに、それこそ桁違いに上回っていた。
一瞬硬化した体液の盾ごと、巨人の両腕は捻じ切られるようにして吹き飛び、本体はまたしてもゴミ屑のように路地の奥へと叩きつけられた。
「…………」
痛覚の概念を持たない巨人は、吹き飛んだ両腕の、既に塞がりつつある断面を見つめながら、無機質な演算を繰り返した。
巨人の体内で、無秩序に分裂する細胞群の中から、ある全く新しい酵素を合成する個体が現れていた。
二酸化炭素と、体内の水分、そして蓄えたエネルギーを用いて、グルコース分子をβ-1,4-グリコシド結合で一直線に繋ぎ合わせる。
生み出されたのは『セルロース』であった。
植物の細胞壁を構成する、地球上で最も豊富で強靭な多糖類。
無数のセルロース分子が水素結合によって束ねられ、ミクロフィブリルと呼ばれる極めて強固な繊維を形成する。それは重量比で言えば、鋼鉄を越える引っ張り強度を持つ究極の生体素材である。
巨人はこのセルロース繊維の強度に気が付くと、セルロースを合成する形質を持った細胞群を全身に波及させた。
筋肉、内臓、皮膚の細胞群の隙間を埋め尽くすように、無数のセルロース繊維がケブラー繊維の防弾チョッキのように幾重にも編み込まれていく。
さらに、それらと並行して、巨人の体内では、最初に外骨格が粉砕された直後から、別ベクトルのアプローチによる試行錯誤が延々と続けられていた。
物理的衝撃に耐えうる外骨格の構造の模索である。
ある細胞群は骨の密度を限界まで高めて分厚くしようとしたが、リソースは限られている。その方法で全身をカバーすることはできない。
別の細胞群は骨を金属のように硬く結晶化させたが、張り手の衝撃を逃がせず粉々に砕けた。
またある細胞群は蜂の巣のような多孔質構造を形成したが、特定方向からの圧力に耐えきれず容易く圧壊した。
無数の失敗だけが積み重なっていた。
しかし今、吹き飛んだ腕の断面で生き残っていたわずかな骨組織の細胞群が、ひとつの『答え』に辿り着いていた。
それは、リン酸カルシウムと繊維状のキチン質を、少しずつ角度をずらしながら螺旋階段のように幾層にも重ね合わせるという、極めて複雑な積層構造であった。
その構造は、腕が捻じ切られる際の凄まじい衝撃波を受けながらも、発生した亀裂の進行方向を螺旋の繊維に沿ってねじ曲げることでエネルギーを分散し、致命的な大破を免れ『原型を留めて』いたのだ。
地球上の生物種において、モンハナシャコの捕脚などにみられる『ブーリガン構造』と呼ばれる究極の耐衝撃機構。
モンハナシャコの捕脚から放たれるパンチの加速力は、地球の重力の約1万倍に匹敵し、その威力は22口径の銃弾の威力と同程度にまで達するが、真に驚くべきは、その際にパンチを放った捕脚自体が自壊しないほどの強度を持っている。という事実だろう。
当然、生まれたばかりの巨人にはシャコという生物の知識も、その構造の名前も知る由はない。
ただ、無数の試行錯誤の末に『これが最も破壊されにくい』という結果だけを事実として認識した。
巨人は即座にこの構造を産み出した細胞群を全体へ共有する。
関節などの可動域を除いた全身の骨格、そして肉体を覆う外骨格の全てが、この『螺旋積層構造』へと急速に書き換えられていく。
正四面体の細胞構造、衝撃に反応して硬化するダイラタント体液、鋼鉄以上の引っ張り強度を持つセルロース繊維、そして致命的な破壊を許さない究極の螺旋積層装甲。
たった数分の戦闘で、巨人の肉体は地球上のあらゆる生物の常識を逸脱した、究極の物理耐性を持つ要塞へと変貌を遂げていた。
皮膚組織がベリベリと内側から裂け、砕け散った外骨格に変わって、内部から新しい「骨の鎧」が姿を現す。
今度こそ、あの理不尽な破壊事象を耐え抜き、その源を喰い殺す。
「おっ、なんだか少し質感が変わったのう! お主脱皮でもする種類なのか?」
究極の進化を遂げた巨人に対し、カグヤは一切の危機感を抱くことなく、むしろペットの成長を喜ぶ飼い主のような笑顔でトテトテと近づいてきた。
「ま、とにかく今は、妾の言うことを聞くまで、徹底的に躾けてやるからな! そぉれ!」
何の気負いもない、ただのお遊びのようなカグヤの張り手。
ドゴォォォォォォォォォォンッ!!!
巨人の強固なブーリガン構造の外骨格が弾け飛び、セルロース繊維で補強されたはずの組織がブチブチと千切れ飛び、ダイラタント流体の体液が許容量を超えて爆発し、正四面体の細胞群が原型を留めないほどにすり潰される。
究極の物理耐性など、まるで存在しなかったかのように。
巨人の巨体はまたしても裏路地をピンボールのように跳ね回り、瓦礫の山へと沈んだ。
「ほれほれ、早く起きんか!」
瓦礫の中でピクピクと痙攣する巨人の肉片。
あらゆる科学的アプローチによる進化が、秒単位で行われていく。
しかし、そのどれほど精緻で完璧な進化を遂げようとも。
「あーもう、物覚えの悪い奴じゃな! ほれ! ほれ!」
バチィン! ドゴォン! メキィッ!
カグヤが放つ、ただの「張り手」の前に、巨人が獲得した物理耐性は、次々と粉砕されていくのだった。
カグヤが手遊びでもするかのように連続で放つビンタの度に、巨人の骨格が弾け飛び、肉体が千切れ、裏路地の壁を貫通し、隣のビルまで吹き飛ばされては瓦礫に埋もれる。
巨人の脳髄が、悲鳴のような電気信号を発した。
ここにいたって、巨人の脳は目の前の個体に対する方針を完全に切り替えた。
再度、瓦礫の中から這い出した巨人は、もはやカグヤの方を見ようともしなかった。
メチャァッ!
という音と共に、巨人の背中が内側から盛り上がって内部から裂け、まるで着ぐるみを脱ぐかのように、胴体から一回り小さい個体が分裂し、二つの個体へと分割されたのだ。
それぞれが独立した1mほどの体長を持った怪物となり、切り離された断面を瞬時にスライム状の細胞膜で塞ぐ。
片方の怪物は路地の奥の暗がりへ。もう片方の怪物は強靭な脚力でビルの壁面を蹴り上がり屋上へと。
それぞれが全く逆の方向へと、風のような速度で逃走を開始した。
どちらか片方でも生き残れば、この種は存続できる。
絶対的な脅威からの、完璧な生存戦略のはずだった。
――だが、逃走開始から、およそ40秒後。
ビルの屋上を跳躍し、隣のビルの貯水槽の裏へと飛び込もうとした怪物の視覚野に、あり得ない光景が映り込んだ。
「魔力も無いのに、分身の術まで使えるのか。面白い奴じゃが、主を置いて逃げる逃げ癖は感心せんのう」
貯水槽の上に、カグヤがちょこんと座っていたのだ。
怪物の知能が状況を理解するよりも早く、怪物の視覚は、カグヤの右手に握られている「何か」を認識した。
「ほれ、こっちの半身はおとなしくなったぞ。お主もそろそろお座りするか?」
カグヤの小さな手が無造作に掴んでいたのは。
路地の奥へと逃走したはずの、片割れの頭部だった。
首から下の胴体はすでに原型を留めておらず、ボロ雑巾のように引きちぎられ、赤黒いスライム状になって地面に垂れ下がっている。
カグヤはまるでボールを放るかのように「それ」をこちらへ投げて寄越すと、ニマニマと笑いながら立ち上がり、こちらを観察するように眺めている。
怪物は、その光景を前にして、完全に動きを止めた。
逃げられない。
適応できない。
理解できない。
足元の片割れが、こちらの存在に気付いてゆっくりと這いながら自分の肉体に再結合されていく。
しかし、怪物の脳を構成する何百億のニューロンが、これ以上、目の前の個体を攻撃、もしくはそれから逃げる為に行動するのは、エネルギーの無駄であると結論付けた。
怪物の体から、ピンと張り詰めていた緊張が完全に抜け落ちた。
そして、カグヤの目の前で、膝を落として座り込んだ。
本能に従って動くだけの野生動物なら有り得ない行動。これも、知性を得た事による弊害の一つであった。
「おお! やっと言うことを聞く気になったか! よしよし、賢い奴じゃ!」
カグヤは貯水槽から飛び降りると、座り込んだ怪物の頭を、まるで大型犬を撫でるようにポンポンと叩いた。
先ほどのビンタとは違い、その手には全く力がこもっていなかった。
「まったく手間をかけさせおって。最初からそうすれば良いのじゃ」
返事の代わりに、怪物はただ低く、喉の奥でグルルと鳴らすだけだった。
あらゆる環境に適応し、人類を脅かす存在となるはずだった絶対捕食の怪物は、誕生してわずか数時間で、一人の怠惰な少女の「ペット」として完全に従属することとなったのである。