**【第15話】 騒がしき夏色と、バランサーの仮眠室**
### Scene 1:午後6時30分・問題児(トラブルメーカー)の襲来
「チーーーーフ!!! おっじゃまっしまーす!!!!」
カバー株式会社の深部、第1テクニカル・コントロールルームの分厚い防音扉が、物理的な限界を試すような勢いでバーン!と開け放たれた。
静寂と低いサーバーの駆動音だけが支配する部屋に、台風のようなやかましさを伴って乱入してきたのは、ホロライブ1期生・**夏色まつり**だ。
彼女はチアガールを思わせる元気いっぱいの私服姿で、春樹のデスクの横まで一直線に駆け寄ってきた。
「おい、まつり。扉のヒンジが歪むから静かに開けろと何度言ったら分かるんだ」
■■春樹は、メインモニターに広がる膨大なログデータから目を離さず、深々とため息をついた。
「えへへー、ごめんごめん! ていうかチーフ、聞いて! 次のまつりの3D配信なんだけど、めっちゃ天才的な企画思いついたの!」
「……嫌な予感しかしないが、一応聞いてやる。なんだ」
まつりは目をキラキラさせながら、春樹の隣の空き椅子(通称:タレント相談席)にドカッと座り、身振り手振りを交えて熱弁を振るい始めた。
「あのね! 画面のリスナーのコメントが『わっしょい!』って流れるたびに、まつりのツインテールから極太のビームが出て、スタジオに置いてある巨大なタコ焼きを爆発させるの! で、そのタコ焼きの破片が全部エビフライになって降り注ぐっていう……!」
「却下だ」
春樹はキーボードを叩く手を止め、即答した。
「なんでええええええ!? 絶対おもしろいじゃん!」
「お前の頭の中身はどうなってるんだ。いいか、コメントとのAPI連動ギミック自体は問題ない。だがな、巨大なタコ焼きを動的に破壊(フラクチャ)して、さらにその破片のオブジェクトを別のモデル(エビフライ)にすり替える(インスタンス置換する)処理は、無駄にメモリを食うんだ」
春樹はモニターの一つを切り替え、現在のサーバー負荷グラフを表示した。
「それに、お前のツインテールにはすでに独自の物理演算(揺れモノのボーン制御)が組み込まれてる。そこを発生源(エミッター)にしてパーティクル(ビーム)を飛ばすと、お前が首を振った瞬間にビームの軌道計算がバグって、最悪画面がフリーズするぞ」
「うぇー!? そんなの、チーフの天才的なプログラミングでパパッと解決してよー! チーフの技術の無駄遣い見せてよー!」
「お前のアホな思いつきに、第3クラスターの演算リソースを割けるか。……だいたい、タコ焼きがエビフライになるって、コンセプトが破綻してるだろ」
春樹が呆れ顔でツッコミを入れると、まつりは「むーっ!」と頬を膨らませた。
そして、ニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべ、春樹のデスクに這うLANケーブルの束に手を伸ばす。
「……じゃあ、まつりの企画通してくれないなら、このへんの線、全部抜いちゃおうかなー? えいっ」
「おいバカ! それ抜いたらENのマイクラサーバーが落ちる!!」
「あはははは! チーフ焦ってるー! やーい、徹夜妖怪ー!」
まつりはケラケラと笑いながら手を引っ込め、立ち上がった。
常に騒がしく、隙あらばセクハラまがいのスキンシップや悪ふざけを仕掛けてくる、ホロライブきっての「問題児」。それが、表向きの夏色まつりというタレントの姿だ。
「じゃあねチーフ! 今から3期生の子たちとコラボ収録だから行ってくる! ビームの件、明日までに考えといてねー!」
「絶対にやらないからな! 収録で機材壊すなよ!」
嵐のように現れ、嵐のように去っていく背中。
バタン、と扉が閉まり、コントロールルームに再び静寂が戻る。
「……本当に、騒がしいやつだ」
春樹は首を横に振り、乱れたケーブルを直してから、再びモニターに向き直った。
だが、彼の目は先ほどまでの「呆れ」から、少しだけ温度の違う、静かな「観察者」の目へと変わっていた。
### Scene 2:ピエロの仮面と、バランサーの孤独
深夜11時45分。
ホロライブのスタジオ群からタレントたちが帰り始め、社内の明かりが次々と落とされていく時間。
春樹は、コントロールルームで一日のスタジオ収録のアーカイブデータ(音声とトラッキングの同期ログ)をチェックしていた。
彼が再生していたのは、先ほどまつりが参加していたという、若手メンバーを中心としたコラボ収録の音声データだ。
『あははは! なにそれヤバくなーい!?』
『ちょっとまつり先輩! どこ触ってるんですか!』
『えへへー、減るもんじゃないし! ほら、緊張しなくていいからもっと前出なよ!』
スピーカーから流れてくるのは、いつも通り暴走し、周囲を巻き込んで笑いを取るまつりの声。
リスナーから見れば「今日もまつりがヤバいことやってる」と笑える、いつもの光景だ。
しかし、全ての音声をミリ秒単位で解析するエンジニアである春樹の耳は、別の真実を捉えていた。
「……また、一人で回してるな」
春樹は音声波形のモニターを見つめながら、ポツリと呟いた。
コラボ収録の序盤、若手メンバーたちは極度の緊張で言葉に詰まり、無音(デッドエア)になりかける瞬間が何度もあった。
そのたびに、まつりがわざと大げさにボケて空気をかき回し、自分にヘイト(ツッコミ)を集めることで、場を強引に温めていたのだ。
彼女の笑い声は、場の空気を読むための強烈な「センサー」に基づいている。
誰かが喋りたそうにしていれば絶妙なタイミングでパスを出し、空気が沈みそうになれば自らがピエロとなって笑いを取る。
ホロライブという個性派揃いの集団において、夏色まつりという存在は、実は誰よりも周囲を冷静に観察し、自らを削って場の空気を維持する**『最強のバランサー』**なのだ。
「……あいつ、収録前に俺のところに来た時、すでに息が上がってたな」
春樹は、夕方のまつりの姿を思い返した。
元気いっぱいに見えたが、よく見れば目の下にはうっすらとクマがあり、無理にテンションを上げているのがわかった。
『プシュッ』
その時、静かに防音扉が開いた。
春樹が視線を向けると、そこには、夕方のチアガールのような元気さは見る影もなく、肩を落とし、完全にバッテリーが切れたような顔をしたまつりが立っていた。
「……チーフ」
声のトーンは低く、掠れていた。
「まだ起きてたんだ。……ちょっとだけ、ここで休ませて」
まつりは返事も待たずに、部屋の隅にある仮眠用の小さなソファに倒れ込むように座り、膝を抱えて丸くなった。
### Scene 3:保護者のコーヒーと、祭りの後の静寂
春樹は何も言わず、キーボードから手を離した。
無言で立ち上がり、部屋の奥にあるウォーターサーバーとコーヒーメーカーへ向かう。
数分後。
丸くなっているまつりの目の前に、湯気を立てるマグカップがコトリと置かれた。
「……コーヒー、飲めないんだけど」
「バカ、匂いを嗅げ。ホットミルクだ。少しだけ蜂蜜を入れてある」
「……」
まつりはゆっくりと顔を上げ、マグカップを両手で包み込んだ。
温かいミルクを一口飲むと、張り詰めていた彼女の肩の力が、ふっと抜けるのがわかった。
「……チーフは、ずるいなぁ」
まつりが、カップを見つめたままポツリとこぼした。
「夕方にあんなにウザ絡みしたのに。怒らないの?」
「仕事の邪魔はされたがな。お前が夕方、無理にテンションを上げて俺にウザ絡みしに来たのは、その後のコラボ収録の前に『自分自身のエンジンをかけるため』だろ?」
春樹の指摘に、まつりはビクッと肩を震わせた。
「……お見通し、か」
「俺はお前たちの声も動きも、全部データとして毎日監視してるんだぞ。お前が無理してピエロを演じてる時と、心から笑ってる時の音声波形の違いなんて、1秒で分かる」
春樹は自分のデスクに寄りかかり、腕を組んでまつりを見下ろした。
「若手のフォロー、お疲れ様。お前のおかげで、今日の収録も無事に回ってたぞ」
「……」
その優しい、けれど確かな労いの言葉に、まつりの目からボロリと涙がこぼれ落ちた。
「……疲れたぁ」
まつりは、抑え込んでいた感情を吐き出すように、震える声で呟いた。
「まつりね、本当はもっと、可愛いアイドルでいたいんだよ。でも……誰かがバカやらなきゃ、空気が固まっちゃう時があるじゃん。だから、まつりがやるしかないって思って……」
「そうだな」
「みんなが笑ってくれるなら、まつりが変態キャラでも、セクハラキャラでもいいって思ってる。……でもね、たまに、すっごく苦しくなるの。自分が本当はどんな人間だったか、分からなくなっちゃう時があって……」
膝に顔を埋め、声を押し殺して泣くまつり。
明るくて、元気で、誰とでも仲良くなれる「夏色まつり」。
その太陽のようなキャラクターを維持するために、彼女は裏でどれほどのプレッシャーとストレスを飲み込んできたのだろうか。
ホロライブが巨大になればなるほど、彼女のような「潤滑油」にかかる負荷は計り知れないものになっていく。
春樹は、静かにまつりのそばに歩み寄り、その頭にポンと無骨な手を置いた。
「……誰も、お前にそこまで背負えとは言ってないぞ」
「チーフ……」
「お前は確かに優秀なバランサーだ。だが、自分自身をすり減らしてまで空気を読もうとするのは、プロのタレントとしては三流だ」
春樹の厳しい言葉に、まつりは顔を上げた。
「お前が潰れたら、お前を笑って見てるリスナーも、お前に助けられてる後輩たちも、全員悲しむんだ。……少しは自分のためにワガママになれ。夕方みたいなアホな企画の無茶振りじゃなくて、お前自身が本当に心から楽しめることを俺に言え」
春樹の不器用で、けれど絶対的な安心感を持つ『保護者』としての言葉。
まつりは涙を拭い、マグカップをぎゅっと握りしめた。
「……チーフ」
「なんだ」
「まつり、花火が見たい」
「……花火?」
「うん。もう夏も終わっちゃうのに、今年は忙しくて、一回も本当のお祭りに行けなかったから。……チーフのすごい魔法で、まつりに花火を見せてよ」
それは、ただの女の子としての、小さくて純粋なワガママだった。
### Scene 4:君だけのための、仮想の夏祭り
春樹は小さく笑い、「……5分待て」とだけ言ってメインコンソールに向かった。
「まつり。そこにあるVRヘッドセットを被れ」
「うん……」
まつりが言われた通りにヘッドセットを装着すると、春樹は猛烈な勢いでキーボードを叩き始めた。
(事前に組んでおいたテスト環境用の環境マップがある。光源計算のパラメーターを夜間に設定。ボロノイ分割のアルゴリズムを応用して、パーティクルの発生源を上空に指定。重力係数をマイナスからプラスに転換し、摩擦抵抗で滞空時間を伸ばす……!)
春樹の脳内で、凄まじい速度で魔法の呪文(コード)が紡がれていく。
そして、エンターキーを強く叩き込んだ。
「目を開けろ、まつり」
ヘッドセットの中で、まつりがゆっくりと目を開く。
そこには――圧倒的な光景が広がっていた。
「……あ」
まつりの口から、感嘆の息が漏れる。
仮想空間の中に構築された、夜の鎮守の森。
その夜空に向かって、ヒュルルル……というリアルな音響(立体音響)と共に、光の筋が昇っていく。
『――ドーンッ!!』
腹の底に響くような重低音と共に、空一面に巨大な打ち上げ花火が開いた。
赤、青、金。無数の光の粒子が、リアルタイムの物理演算によって重力に引かれ、しだれ柳のようにゆっくりと落ちてくる。
さらに、まつりの周囲には、柔らかなオレンジ色の光を放つ無数の「提灯(ちょうちん)」が、空間をフワフワと漂っていた。
「チーフ……これ……っ!」
「今度の大型ライブ用の、動的パーティクルと立体音響の同期テスト環境だ。お前のアホなタコ焼きビームよりは、ずっとマシな演出だろ」
春樹はインカム越しに、少し照れ隠しのように言った。
「誰もいない、お前だけの夏祭りだ。空気なんて読む必要はない。ピエロになる必要もない。……ただの夏色まつりとして、ゆっくり楽しめ」
ヘッドセットを被ったまつりの頬を、再び涙が伝う。
しかしそれは、先ほどまでの苦し紛れの涙ではなく、温かくて純粋な、感動の涙だった。
花火の光が、ヘッドセットのレンズ越しにまつりの顔を優しく照らしている。
彼女は仮想空間の中で、花火に向かって両手を伸ばし、子供のように無邪気に笑った。
「……綺麗。すっごく、綺麗」
「だろ。俺の演算能力の無駄遣い(オーバーテクノロジー)の結晶だからな」
「あはは、自分で言うんだ。……でも、本当にありがとう、チーフ。まつり、すっごく元気出たよ」
静かなコントロールルームの中で。
サーバーの低い駆動音と、ヘッドセットから漏れる微かな花火の音が、二人の時間を優しく包み込んでいた。
### Scene 5:太陽の帰還
それから約20分後。
まつりはヘッドセットを外し、ふぅーっと大きく深呼吸をした。
その顔には、いつもの明るく、太陽のような『夏色まつり』の笑顔が完全に戻っていた。
「チーフ! まつり、すっごく癒やされた! これで明日も元気にセクハラできる!」
「やめろ。後輩に嫌われるぞ」
「大丈夫! まつりは愛されてるから!」
まつりは立ち上がり、グッと伸びをした。
「いやー、チーフの魔法、マジで世界一だわ。……でも、タコ焼きビームも捨てがたいんだよねぇ」
「まだ言うか。絶対にやらんと言っただろ」
「えー! ケチー! チーフのドケチ! 徹夜妖怪!」
完全に調子を取り戻したまつりのウザ絡みに、春樹は「はいはい」と適当に相槌を打ちながら、カップを片付けた。
「ほら、用が済んだなら帰れ。俺は仕事に戻る」
「はーい! あ、チーフ!」
防音扉に向かっていたまつりが、振り返ってニカッと笑った。
「今日は本当にありがとう。……チーフの部屋、またいつでも隠れに来てもいい?」
「……お前が静かにしてるなら、考えてやってもいい」
「あはは! 無理! まつりはいつでもうるさいからね! じゃあね、おやすみビッグダディ!」
バタン、と扉が勢いよく閉まる。
嵐のように去っていくのはいつもと同じだが、その足取りは、夕方よりもずっと軽く、力強いものだった。
「……誰がビッグダディだ」
春樹は呆れながらも、口元を柔らかく緩めた。
彼女が明日も、笑顔でみんなの中心に立ち、ホロライブという箱庭をその明るさで照らせるように。
「さて……タコ焼きをエビフライにすり替える処理、どうやってメモリを節約するか……」
春樹は無意識のうちに、まつりの『アホな無茶振り』を実現するためのコードを考え始めている自分に気付き、自嘲気味に笑った。
不器用なバランサーの少女と、彼女たちを裏で支え続ける保護者。
カバー株式会社の地下室は、今日もタレントたちの見えない涙を受け止め、それを明日への光に変えていく。