ホロ  オリ   作:raian sinra

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**【第19話】 鬼の隠れ家と、百鬼(なきり)ウムの解析データ**

### Scene 1:午後8時30分・限界エンジニアと『特効薬』

カバー株式会社の心臓部、第1テクニカル・コントロールルーム。

壁一面の巨大モニターから放たれる青白い光と、無数のサーバー群が発する低い駆動音。その冷たく無機質な空間で、チーフ・■■春樹の精神は限界を迎えようとしていた。

「……第4クラスターのデータベース、デッドロック発生。トランザクションをロールバックして再試行しろ。ダメだ、パケットロスが規定値を超えてる……ルーティングテーブルを書き換えろ……」

連日の機材トラブルと、ホロメンたちの無茶振り(要件定義外のアップデート要求)の対応により、春樹のHPはすでに赤ゲージを通り越して点滅状態だった。

眼球は乾き、胃はブラックコーヒーの酸で焼け焦げ、タイピングする指先は痙攣を始めている。

「チーフ、顔色が完全にゾンビです。少し休んでください」

隣で若手エンジニアが悲鳴のような声を上げるが、春樹は首を横に振った。

「休めるか。今夜はENとIDの大型コラボ配信があるんだ。回線を落としたら俺は世界中のリスナーから……」

その時だった。

春樹の手元にある、各スタジオの音声モニター(検聴用回線)のチャンネルの一つから、ある『声』が流れ込んできた。

『あははははっ! なにこれぇ、全然できないんだけどぉ! ふふっ、やばーい!』

鈴を転がすような、いや、春の陽だまりで花が咲くような、純度100%の混じり気のない笑い声。

ホロライブ2期生、バーチャル鬼神の**百鬼(なきり)あやめ**の配信音声だった。

その笑い声――通称**『百鬼(なきり)ウム』**が春樹の耳の鼓膜を震わせた瞬間。

「……っ」

春樹のタイピングの手が、ピタリと止まった。

凝り固まっていた肩の力がフッと抜け、険しかった眉間のシワが、魔法のようにスッと平坦になっていく。

「……チーフ?」

「……お前、今のあやめの笑い声の周波数スペクトラムを見ろ」

春樹はモニターの一つを切り替え、あやめの音声波形をリアルタイムで解析するグラフを表示した。

「人間の聴覚が最も心地よいと感じる1/fゆらぎ(ピンクノイズ)の特性を完全に満たしている。さらに、3kHzから5kHzの倍音成分が極めて滑らかで、脳内のオキシトシンとセロトニンの分泌を強制的に促す波形だ。……これはもはや、音響兵器ならぬ『音響回復魔法』だ」

「は、はあ……(チーフがまた変態的な分析を始めている……)」

「よし。あやめの配信のオーディオルーティングを、このコントロールルームのメインスピーカーに分岐させろ。BGM代わりに流す。……これで、俺の寿命はあと5時間は持つ」

春樹が真顔で指示を出すと、コントロールルームのスピーカーから、あやめの「かわ余」な笑い声が静かに響き始めた。

殺伐としていたサーバー監視室の空気が、まるでマイナスイオンに満たされた森林のように浄化されていく。

「……百鬼ウム、恐るべし」

春樹は深く息を吸い込み、再びキーボードに手を戻した。タイピングの速度は先ほどの1.5倍に跳ね上がり、エラーログは瞬く間に駆逐されていった。

### Scene 2:鬼の急襲と、温かい玉露

午後10時15分。

あやめの配信が終了し、ホロライブのスタジオ群も静まり返り始めた頃。

『プシュッ』

コントロールルームの分厚い防音扉が開き、小さな足音がトテトテと近づいてきた。

「チーフー、お疲れ様ですー! 余だよー!」

現れたのは、私服のパーカーに身を包んだ百鬼あやめだった。

彼女は両手に小さなお盆を持ち、そこには急須と湯呑み、そして高級そうな和菓子の箱が乗っている。

「……あやめか。配信お疲れ。こんな地下まで何しに来たんだ」

「ふふっ! Aちゃんから『チーフがまたゾンビ化してる』って聞いたから、余が特製の温かいお茶を淹れてきてあげたんだぞ!」

あやめは春樹のデスクの空きスペースにお盆を置き、トクトクと湯呑みに緑茶を注いだ。

湯気と共に、玉露のふくよかで甘い香りが部屋に広がる。

「ほら、チーフ。コーヒーばっかり飲んでちゃ胃が荒れるぞ。余の淹れたお茶を飲んで、ほっと一息つくがよい!」

「……お前は本当に、俺を甘やかすのが上手いな」

春樹は素直に湯呑みを受け取り、一口飲んだ。

完璧な温度で抽出された玉露の旨味が、限界を迎えていた体に染み渡っていく。あやめの笑い声(百鬼ウム)が精神的な特効薬なら、彼女の淹れるお茶は物理的なポーションだった。

「美味しいか?」

「ああ。生き返る」

「えへへ、よかったー!」

あやめは嬉しそうに目を細め、春樹の隣のパイプ椅子にちょこんと座った。

ホロライブのタレントたちの中でも、百鬼あやめは極めて「純粋」で「無邪気」な存在だ。問題児ばかりのホロメンの中で、彼女がふらりとやってきて隣で笑ってくれる時間は、春樹にとって何にも代えがたい癒やしだった。

しかし、春樹のエンジニアとしての『観察眼』は、彼女の笑顔の裏にある僅かな異変を見逃さなかった。

「……あやめ。お前、少し息が上がってないか?」

「えっ?」

春樹が指摘すると、あやめはビクッと肩を揺らした。

「さっきの配信、ただの雑談と軽いゲームだったはずだ。それにしては、声の波形にいつもよりノイズ(ブレス音)が混じってた。……体調、あんまり良くないんじゃないのか」

あやめはホロライブの中でも、特に体調を崩しやすい「病弱(虚弱体質)」な一面を持っている。

彼女自身、そのことをとても気にしており、リスナーやスタッフに心配をかけまいと無理をしてしまう癖があった。

「うっ……さすがチーフ、耳が良すぎるぞ……」

あやめはシュンと俯き、パーカーの袖をぎゅっと握りしめた。

「ちょっとだけ、ね。最近気温の変化が激しかったから、少し喉が痛いかもって……でも、全然元気だよ! 熱もないし!」

「嘘をつけ。顔色が少し白い」

春樹は立ち上がり、空調のコントロールパネルを操作して、部屋の温度を2度上げた。さらに、自分のロッカーから清潔なブランケットを取り出し、あやめの肩にバサッと掛けた。

「ひゃっ。……チーフ、あったかい」

「地下は冷えるんだ。体調が悪いなら、配信が終わったらすぐに帰って寝ろ。俺のところにお茶なんか淹れに来てる場合じゃないだろ」

春樹の口調はぶっきらぼうだが、その行動には、ガチの保護者(ビッグダディ)としての過保護なまでの優しさが溢れていた。

「だって……」

あやめはブランケットにすっぽりと包まりながら、上目遣いで春樹を見た。

「余が最近、あんまり配信できてなかったから。……チーフが裏でシステムのメンテナンスしてくれてるのに、余がいっぱいお休みしちゃって、申し訳ないなって……」

彼女の抱える深い葛藤。

他のホロメンたちが毎日休まず配信し、新しい企画を次々と立ち上げていく中で、自分だけが体調不良で歩みを止めてしまうことへの焦りと罪悪感。

「自分はホロライブに必要とされているのか」という、純粋な少女が抱え込むには重すぎる不安だった。

### Scene 3:ビッグダディの特別製(ワンオフ)ギア

コントロールルームに、静かな沈黙が降りた。

春樹は深くため息をつくと、湯呑みをデスクに置き、自分のデスクの最下段の引き出しを開けた。

「……あやめ、ちょっと立て」

「え? うん」

春樹が引き出しから取り出したのは、見慣れた黒いトラッキングスーツ……ではなく、一部の素材が銀色に光る、特殊な配線が施された**『全く新しいデザインのトラッキングスーツ』**だった。

「チーフ、これ……新しいスーツ?」

「そうだ。来月に控えてる、お前の3Dライブ用の特別製(ワンオフ)だ」

春樹はスーツを広げ、その内側に埋め込まれた極小のセンサー群を指差した。

「いいか。このスーツには、通常のモーションキャプチャー用光学マーカーに加えて、医療用のバイオテレメトリ(生体情報モニタリング)センサーを編み込んである」

「生体情報……?」

「そうだ。お前の心拍数、体温、呼吸数、筋肉の疲労度。それらをミリ秒単位でリアルタイムに測定し、俺のメインコンソールに直接送信するシステムだ」

あやめは目を丸くした。

「えっ!? なんでそんなすごい機能がついてるの!?」

「お前が『限界まで無理をする』アホな鬼だからだよ」

春樹はスーツを丁寧に畳みながら、あやめを真っ直ぐに見据えた。

「お前は3Dのステージに立つと、リスナーを楽しませようとして、自分の体力の限界を超えて踊り続けようとする。……俺はエンジニアだ。タレントがステージで倒れるようなシステムを組むのは、俺のプライドが許さない」

春樹はメインモニターに、あやめの3Dライブ用に組まれた専用のコントロール画面を表示した。

「もし、お前の心拍数や呼吸数が『安全圏(セーフティ)』を超えたら。このシステムが自動的にスタジオの空調を急冷モードに切り替え、BGMのテンポを落とし、照明を少しだけ暗くして『MC(トーク)の時間を長めに取る』ようにプロンプターに指示を出す」

「……」

「お前がペース配分を間違えても、俺の組んだシステムが、物理的にお前を休ませる環境を強制的に作り出す。……これなら、お前は倒れる心配を一切せずに、思い切りステージで笑えるだろ?」

あやめは、春樹の言葉を聞きながら、呆然としていた。

天才エンジニアの彼が、寝る間も惜しんで徹夜でコードを書き、機材を改造してまで作ってくれたもの。

それは、派手な演出の魔法でも、バグを直すプログラムでもない。

ただひたすらに、**『百鬼あやめという一人の少女の健康を守るための、絶対的な防壁』**だった。

「……チーフ、これ、余のためだけに作ってくれたの……?」

「当たり前だ。他のタレントは有り余る体力で暴れ回るから、こんな過保護なシステムは必要ない。……まあ、お前が頻繁に体調を崩すのは、俺たち裏方としても心配で心臓に悪いからな。俺の胃薬代を減らすための投資だよ」

春樹が照れ隠しにそっぽを向くと。

「……うぅっ……チーフぅぅ……っ!」

あやめは、ポロポロと大粒の涙をこぼし、春樹の胸にドンッと飛び込んできた。

「おい、泣くな! 鼻水がスーツにつくだろ!」

「だってぇ……っ! 余、余……すっごく不安だったんだよぉ……!」

あやめは春樹のシャツをぎゅっと握りしめ、子供のようにしゃくりあげた。

「みんながどんどん遠くに行っちゃうみたいで……余だけ、体が弱くて、いっぱい休んじゃって……! リスナーのみんなに忘れられちゃうんじゃないかって、チーフたちに見捨てられちゃうんじゃないかって……っ!」

「……バカだな、お前は」

春樹は、泣きじゃくるあやめの頭を、大きな手でポンポンと優しく叩いた。

「俺たちがお前を見捨てるわけないだろ。お前が一度笑えば、リスナーも、俺たち裏方も、全員の疲れが吹き飛ぶんだ。……お前のその『笑顔』は、ホロライブにとって最強の武器なんだよ」

「うぇぇぇん……チーフぅぅ……っ」

「だから、焦る必要なんてない。休みたい時は休め。他のやつらと同じペースで走れないなら、お前は『お前のペース』で歩けばいい。お前が歩く道は、俺たち技術部が完璧に整備してやる。……それが俺たちの仕事だ」

春樹の、低くて温かい、ビッグダディの言葉。

あやめは春樹の胸の中で、ただひたすらに、安心の涙を流し続けた。

彼女の心の中にずっと巣食っていた「焦り」という暗雲が、春樹の確かな技術と優しさによって、完全に晴れ渡っていくのを感じていた。

### Scene 4:笑顔の帰還と、最強の特効薬

「……ぐすっ、ごめんね、チーフ。シャツ、濡らしちゃった」

数分後。

すっかり泣き止んだあやめは、目を真っ赤に腫らしながら、春樹のシャツの胸元をぽんぽんと手で拭いた。

「気にするな。すぐ乾く」

春樹はデスクの上にあったティッシュ箱をあやめに手渡した。

「チーフ」

鼻をかんだあやめが、スッキリとした、太陽のような笑顔で春樹を見上げた。

「ありがとう。……余、来月の3Dライブ、絶対に大成功させてみせるぞ! チーフの作ってくれたスーツを着て、宇宙一の『かわ余』を見せつけてやるんだから!」

「ああ。期待してるよ。……だが、今日だけは大人しく帰って寝ろ。風邪をこじらせたら元も子もない」

「はーい! じゃあ余は帰るね! チーフも、コーヒーばっかり飲んじゃダメだぞ! またお茶淹れに来るからな!」

あやめはブランケットを外し、トテトテと軽い足取りで防音扉に向かった。

そして、扉を開ける直前で振り返り、とびきりの笑顔で言った。

「チーフ! だぁーいすきだぞっ!」

「あはははは!」と、あの鈴を転がすような笑い声(百鬼ウム)を残して、あやめはコントロールルームを去っていった。

バタン、と扉が閉まる。

静寂が戻った部屋で、春樹は胸元を押さえた。

「……チーフ、顔が真っ赤ですよ」

いつの間にか背後に立っていた若手エンジニアが、ニヤニヤしながら指摘する。

「うるさい。これは急に室温を上げたからだ」

春樹は咳払いをし、再びメインモニターに向き直った。

「……さて。あやめのスーツの生体センサーと空調の連携API、もう少しレイテンシ(遅延)を削れるな。完璧に仕上げるぞ」

「チーフ、さっき『寿命があと5時間』って言ってませんでしたっけ?」

「あやめの笑い声を直接浴びたからな。HPが全回復して、最大値まで突破(オーバーヒール)した」

春樹のキーボードを叩く音が、先ほどまでの疲労感を微塵も感じさせない、軽快で力強いリズムで部屋に響き渡る。

手のかかる、虚弱体質で無邪気な鬼の少女。

彼女が安心して笑える場所を守るためなら、天才エンジニアはどれだけでも限界を超えることができる。

カバー株式会社の深い夜。

ビッグダディの愛は、今日も静かに、そして確実に、少女の笑顔という最強の魔法によって報われているのだった。

 

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