**【第21話】 ゲーマーメイドの特等席と、海賊船長の家族計画**
### Scene 1:午後7時45分・ゲーマーメイドと絶対防壁のパパ
カバー株式会社、地下第1テクニカル・コントロールルーム。
数多のサーバーが低い駆動音を立てる無機質な空間の片隅に、いつの間にか『それ』は設営されていた。
人間工学に基づいた最高級のゲーミングチェア。
リフレッシュレート240Hzを叩き出すeスポーツ仕様のデュアルモニター。
そして、ピンクと水色に発光するメカニカルキーボード。
ホロライブが誇る天才エンジニア・■■春樹のデスクの真横に、なぜか完璧なゲーミング環境が鎮座しているのである。
「……チーフぅ。ラグい。回線ラグいよぉ」
そのゲーミングチェアにすっぽりと収まり、大きめのパーカーの袖を余らせながらコントローラーを握りしめているのは、ホロライブ2期生・**湊あくあ**だった。
彼女は画面の向こうの敵(FPSゲーム)に撃ち負けた理不尽さを、隣でひたすらにコードを打ち込んでいる春樹にぶつけていた。
「あくあ」
春樹はメインモニターから目を離さず、冷淡な声で返した。
「今のお前の接続先は北米サーバーだ。物理的な距離によるネットワークのレイテンシ(遅延)はどう足掻いても発生する。それでも、俺が直々にルーティングを最適化してPing値を『15ミリ秒』に抑え込んでるんだ。これ以上ラグいと言うなら、お前の脳の反射神経を疑え」
「むぅーっ!! チーフの分からず屋! パパのくせに冷たい!」
あくあはコントローラーをデスクに置き、ゲーミングチェアをクルッと回転させて春樹の方を向いた。そして、春樹のシャツの袖をちょこんと摘み、引っ張る。
「あくあはね、繊細なゲーマーメイドなの! コンマ1秒の遅延が命取りになるの! パパなら、あくあのためにもっと光の速さを超える魔法の回線を作ってよぉ……」
上目遣いで、とことん甘え腐った声を出すあくあ。
極度の人見知りで、表舞台や大勢の先輩たちの前では借りてきた猫のようにおとなしくなる彼女だが、この地下室(コントロールルーム)で春樹と二人きりの時だけは、完全に『ワガママな娘』へと退行する。
誰よりも不器用で、誰よりも努力家な彼女が、唯一心の底から気を許し、無防備になれる絶対的な防壁。それが春樹という『保護者(ビッグダディ)』だった。
「……お前、自分のワガママを通す時だけ俺を『パパ』って呼ぶのやめろ。アインシュタインの相対性理論をねじ曲げろって言ってるのと同じだぞ」
「パパー! あくあのために物理法則ねじ曲げてー!」
春樹は深くため息をつき、手を止めた。
「……わかった。海底ケーブルのトラフィックが混んでるルートをバイパスして、法人用の専用帯域(バックボーン)に一時的にお前のパケットだけを割り込ませる。これでPingは8ミリ秒まで落ちるはずだ」
「ほんと!? やったー!! さすがパパ! 世界一かっこいい!!」
あくあは両手を挙げて歓喜し、再びモニターに向かってゲームを再開した。
「……今回だけだぞ。あと、この椅子はお前専用じゃないからな。勝手に私物を持ち込むな」
春樹は文句を言いながらも、口元は完全に緩んでいた。
ゲームに熱中するあくあの横顔を見守るその目は、呆れ半分、可愛さ半分の、まさに父親のそれだった。
『バァァァァンッッ!!!』
その穏やかな父娘の空間を、物理的に破壊する爆音が響いた。
### Scene 2:乱入する海賊船長(自称・母親)
「ちょっと待ったァァァーーーーッ!!!!」
コントロールルームの分厚い防音扉を蹴り開け、凄まじい剣幕で乗り込んできたのは、ホロライブ3期生・**宝鐘マリン**だった。
海賊のコートを翻し、息を荒らげながら春樹とあくあの間に割って入る。
「あくたん!? なんでこんなチーフのデスクの真横に、自分の特等席を作ってるワケ!? しかも今、チーフのこと『パパ』って呼んでたわよね!?」
「ひゃっ!? せ、船長……!?」
突然の乱入者に、あくあはビクッと肩を震わせ、ゲーミングチェアの上で小さく縮こまった。さっきまでのワガママ娘の態度はどこへやら、完全に「コミュ障の湊あくあ」に戻ってしまっている。
「マリン。ドアは手で開けろ。ヒンジが歪んだら修理費はお前の給料から天引きするぞ」
春樹が冷静に指摘するが、マリンはそれを完全にスルーして春樹のデスクに両手をついた。
「チーフ! 船長、納得いかないワ! チーフがあくたんのことを娘みたいに溺愛してるって噂は聞いてたけど、まさか専用のゲーミングチェアまで用意してあげてるなんて!」
「俺が用意したんじゃない。こいつが勝手に持ち込んで居座ってるだけだ」
「同じことよ! あくたんが『娘(あくあ)』で、チーフが『パパ(春樹)』だっていうなら……!」
マリンはバッとポーズを決め、色気たっぷりにウインクをした。
「この宝鐘マリンが、**『ママ(妻)』**の座に就くしかないじゃないの!!」
「……は?」
春樹のタイピングの手が、ピタリと止まった。
「そうよ! パパと娘だけじゃ家族の形として不完全! そこで、溢れんばかりの母性と大人の色気を持つこの船長が、チーフの妻として、あくたんのママとして、この家庭に入り込んであげるって言ってるの! 感謝しなさい!」
マリンの暴走(妄想)理論に、春樹はこめかみを強く揉みほぐした。
「……いつ俺がお前と結婚したんだ。それに、お前のどこに母性があるんだ。隙あらばセクハラと自虐に走る海賊だろうが」
「ひっど!? 船長だってやればできる女なんだから! ほらあくたん、今日から船長がママよ! ママのお胸に飛び込んでおいで〜♡」
マリンがあくあに向かって両手を広げる。
しかし、あくあはゲーミングチェアから降りると、ダダダッと春樹の背後に隠れ、春樹のシャツの裾をぎゅっと握りしめた。
「……やだ。船長、うるさいし、圧がすごいから……あくあ、パパだけでいいもん」
「ガァァァンッ!? 娘に拒絶されたァ!? 思春期!?」
あくあは春樹の背中から顔だけを半分出し、マリンに向かって「あっかんべー」と舌を出した。
春樹という絶対的な安全地帯(盾)がある時だけ、あくあは気が強くなるのだ。
「チ、チーフ! なんとか言いなさいよ! あなたの娘が妻に向かって反抗期よ!」
「俺を巻き込むな。だいたいお前、自分の配信はどうしたんだ」
春樹のツッコミに、マリンは「ハッ!」と我に返った。
「そ、そうだった! 今日はチーフに文句を言いに来たんだったわ! チーフ、船長の3Dモデルの物理演算、どうなってるのよ!」
### Scene 3:色気と物理演算の攻防戦
マリンは春樹のデスクに身を乗り出し、バンバンと机を叩いた。
「今日の3D収録の時! 船長がいっちばん可愛く、セクシーに腰を振るダンスをしたのに、なんかお尻の動きがカクついてたのよ! チーフ、船長のこと嫌いだからって、わざと手抜きしたでしょ!」
「手抜きなわけあるか。お前の腰のトラッキングがカクつくのは、お前自身の動きが原因だ」
春樹はキーボードを操作し、モニターの一つに先ほどのマリンの3D収録のトラッキングデータを表示した。ワイヤーフレームのモデルが、画面の中で激しく腰を振っている。
「いいか。お前のダンスは、腰の関節(Pelvisボーン)の可動域を無視して、無理やり筋肉で捻り上げている。そのせいで、光学マーカーの座標がカメラの死角に入り、一瞬だけトラッキングがロストしてるんだ。……要するに、お前の『セクシーアピール』が物理的な限界を超えてるんだよ」
「なっ……! 限界を超えたセクシー!? それって、船長の色気がキャパオーバーしてるってコト!?」
マリンはなぜか嬉しそうに両頬を押さえた。
「ポジティブすぎるだろ……。とにかく、明日の配信までに俺がボーンのウェイト(追従設定)を調整して、カメラの死角に入ってもAIで補完できるようにスクリプトを書き換えておく。それで満足か?」
春樹が淡々と専門用語で返すと、マリンは不満そうに唇を尖らせた。
「むー! チーフってば、あくたんにはあんなに甘いくせに、船長にはいっつもデータとか数値ばっかり! 少しは船長の魅力にドキッとしたらどうなの!?」
マリンは春樹の横に回り込み、その豊満な胸元を春樹の腕に押し当てようと身を乗り出した。
「ねぇチーフぅ〜? 船長、腰を振りすぎてちょっと疲れちゃったワ〜。パパ、ママの腰、優しく揉んでくれないかしら〜?♡」
魅惑的な声と、限界ギリギリのスキンシップ。
常人ならば一撃で陥落するであろうサキュバス顔負けの誘惑。
しかし、春樹の表情はシベリアの永久凍土よりも冷たかった。
「……マリン」
「なぁに、チーフ?♡」
「俺の現在の心拍数は60で完全に安定している。お前の物理的な接触は、俺の精神を揺さぶるどころか、衣服の摩擦による静電気(ESD)を発生させ、横にあるサーバーのメモリにダメージを与えるリスクしかない。今すぐ離れろ」
「ロマンの欠片もないわねこの男!!!」
マリンが真っ赤になって怒っていると、春樹の背中に隠れていたあくあが、ププッと吹き出した。
「あははっ! 船長、パパに全然相手にされてない! ドンマイ、ババア!」
「バ・バ・ア・だ・とォ!? 船長はピチピチの17歳(シーズン3)よ!! ちょっとあくたん、表出なさい! ママがお尻ペンペンしてあげるから!!」
「ひゃああっ! パパ、助けてー!」
あくあが春樹の周りをぐるぐると逃げ回り、マリンがそれを追いかける。
天才エンジニアのコントロールルームは、瞬く間に「やかましい家族のコント会場」と化してしまった。
「……お前らなぁ」
春樹は額を押さえながら、深く、長くため息をついた。
### Scene 4:バグ取りと、本当の家族
「はぁ、はぁ……あくたん、すばしっこい……っ!」
「ふえぇ……船長、体力なさすぎ……」
5分後。
コントロールルームのソファに、息を切らしたマリンとあくあが並んで倒れ込んでいた。
春樹は無言で立ち上がり、冷蔵庫から冷えたスポーツドリンクを二本取り出すと、二人の額にコツンと押し当てた。
「冷たっ!」と二人が顔を上げる。
「騒ぐならスタジオでやれ。俺は仕事中だ」
春樹が呆れ顔で言うと、マリンはスポーツドリンクを受け取りながら、少しだけ真面目な顔になった。
「……ごめんね、チーフ。仕事の邪魔しちゃって」
「今更だ。どうせお前も、一人で収録終わって寂しかったから、ちょっかい出しに来ただけだろ」
春樹の指摘に、マリンは図星を突かれたようにピクッと肩を揺らした。
ホロライブのタレントたちは皆、表舞台では華やかに笑っているが、裏では孤独な作業やプレッシャーと戦っている。マリンもまた、その明るいキャラクターの裏で、常にリスナーの期待に応えようと必死に足掻いている一人だった。
だからこそ、誰かに甘えたくて、ふらりとこの「絶対防壁」のいる地下室にやってくるのだ。
「……チーフには、全部お見通しなのね」
マリンは苦笑いし、隣でスポーツドリンクをちびちびと飲んでいるあくあを見つめた。
「ねえ、あくたん」
「……ん?」
「あくたんが、チーフのことを『パパ』って呼んで、こんなに安心しきってる理由……船長、ちょっと分かった気がするワ」
マリンは、あくあの頭を優しく撫でた。
さっきまでの騒がしい「自称・ママ」のコントではなく、本当に後輩を可愛がる、優しい先輩の顔だった。
「チーフはね、冷たいことばっかり言うし、理屈っぽいし、デリカシーもないけど……。私たちがどんなに無茶苦茶やっても、絶対に突き放さないのよね。……本当に、不器用な『お父さん』みたい」
「……うん」
あくあは、マリンの手に目を細めながら、小さく頷いた。
「パパはね、あくあがゲームで負けて泣いてても、機材壊して怒られても……最後には絶対、あくあの味方でいてくれるの。だから、あくあ、パパの横の席が一番好きなんだ」
あくあの純粋な言葉に、春樹は思わず咳払いをして、モニターの方へ顔を背けた。
「……おい、俺を巻き込んで謎の感動路線に入るな。俺はお前たちの機材と配信環境を守るのが仕事なだけだ。家族ごっこに付き合う気はない」
春樹が照れ隠しに言うと、マリンはニヤリと悪戯っぽく笑った。
「あら〜? パパ、照れてるの? 耳が赤いワよ?」
「赤くない。空調の温度設定が高いだけだ」
「ふふっ。そういう素直じゃないところも、パパらしくて可愛いわね。……ねえ、チーフ」
マリンは立ち上がり、春樹の背中に回って、今度はセクハラ抜きで、純粋に感謝を込めてその広い背中にポンと手を置いた。
「船長のお尻の物理演算、明日の配信に間に合うように直しておいてね? 船長、明日も最高のセクシーでみんなを魅了しなきゃいけないんだから」
「ああ。俺のコードに不可能はない。お前は何も心配せずに、思い切り腰を振ってこい」
春樹がキーボードを叩きながら答えると、マリンは「頼もしいワ!」と笑った。
### Scene 5:おやすみ、手のかかる娘たち
夜も更け、時刻は午前1時を回ろうとしていた。
「……すぅ……すぅ……」
コントロールルームのソファでは、あくあがスポーツドリンクの空きペットボトルを抱きしめたまま、完全に寝落ちしていた。
丸まったその背中は、無防備で、小さな子供そのものだ。
「……寝ちゃったわね、あくたん」
マリンが、あくあに自分の海賊コートを優しく掛けてあげながら呟いた。
「またゲームのやりすぎだろ。あいつは限界まで無理をするからな」
春樹はシステムをロックし、椅子から立ち上がった。
「チーフ。あくたんのこと、運んであげて? 船長も一緒に帰るから」
「ああ。……まったく、俺はエンジニアであって、ベビーシッターじゃないんだがな」
春樹は文句を言いながらも、あくあを極めて慎重に、起こさないように抱き上げた。
腕の中で「むにゃ……パパ……ラグい……」と寝言を言うあくあに、春樹は「はいはい」と苦笑する。
分厚い防音扉を開け、静まり返ったカバー株式会社の廊下を歩く三人。
春樹があくあを抱きかかえ、その横をマリンが歩く。
「……ねえ、チーフ」
マリンが、廊下の薄明かりの中で、ポツリと呟いた。
「なんだ」
「チーフから見たら、船長も……あくたんと同じ『子供』みたいに見えてるの?」
マリンの問いかけに、春樹は少しだけ歩みを遅らせた。
自称17歳(シーズン3)。色気を振り撒き、大人の余裕を見せようとする宝鐘マリン。
だが、春樹の目には、彼女がどれだけ背伸びをして、リスナーを楽しませるために必死に戦っているか、痛いほどに見えていた。
「……そうだな」
春樹は前を向いたまま、静かに答えた。
「お前も、あくあも、他のホロメンも。俺から見れば、全員手のかかる『娘』みたいなもんだ。……どんなに偉そうな口を叩いても、裏でプレッシャーに押し潰されそうになってるお前らを、俺が放っておけるわけないだろ」
その言葉に、マリンの目が大きく見開かれた。
そして、フッと、心底嬉しそうな、毒の抜けた優しい笑顔を浮かべた。
「……そっか。船長、ママにはなれなかったけど……チーフの『娘』には、なれてたのね」
「娘にしては、少し図々しすぎるがな」
「ちょっと! そこは素直に甘やかしなさいよ!」
マリンが春樹の肩をバシッと叩くと、春樹の腕の中でドタバタと揺れたあくあが「んみゅ……船長、うるさい……」と眉をひそめた。
「あ、ごめんごめん、あくたん」
マリンは慌ててあくあの頭を撫で、口元に人差し指を当てて「シーッ」と笑った。
夜の廊下に、三人の影が長く伸びる。
ゲーマーで人見知りの娘と、セクシーで世話焼きの(自称)母。
そして、彼女たちの世界を裏から完璧に守り抜く、不器用で絶対的な保護者。
少し歪で、最高に騒がしいホロライブの「家族」は、明日もまた、世界中を笑顔にするために、同じ夢の船に乗って進んでいく。