ホロ  オリ   作:raian sinra

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**【第23話】 オカンの深夜巡回と、防波堤(パパ)のフェイルセーフ**

### Scene 1:午前1時30分・大空警察と、オカンの夜鳴きそば

カバー株式会社、地下第1テクニカル・コントロールルーム。

空調の効いた肌寒い空間に、サーバー群の低い駆動音と、HHKB(キーボード)を叩くカタカタという乾いた音が響いている。

「……よし。明日のホロライブ・マリオカート大会用の観戦サーバー、全視点のミラーリング・ルーティング設定完了。マルチプレックスの負荷も許容範囲内だ」

チーフ・テクニカル・プロデューサーの■■春樹は、血走った目を擦りながら、椅子の背もたれに深く体重を預けた。

数十人のホロメンが同時に通信を行い、それを一つの配信画面でシームレスに切り替える。そのための専用ネットワーク構築は、神経を極限まで削る作業だった。

「ふぅ……」

春樹が冷え切ったコーヒーの缶に手を伸ばそうとした、その時。

『トントン』と、防音扉が控えめにノックされた。

深夜の地下室には不釣り合いな、とても丁寧で優しいノックの音。

「……開いてるぞ」

春樹が声をかけると、扉が静かに開き、ひょっこりと黒髪にケモミミを生やした女性が顔を覗かせた。

「チーフー、お疲れ様。まだ起きてるかなって思って」

ホロライブ・ゲーマーズにして、ホロライブ全体の「オカン(母親)」として愛される存在――**大神ミオ**だった。

私服のゆったりとしたカーディガンを羽織り、両手には大きなお盆を持っている。そこには、湯気を立てる二つのどんぶりと、麦茶の入ったピッチャーが乗っていた。

「ミオか。こんな時間まで起きてていいのか? 明日はお前、大会の司会進行(MC)だろ」

「うちのことはいいの。それより、チーフの方こそいっつも徹夜ばっかりして! Aちゃんから『チーフがまたご飯も食べずに仕事してる』って聞いたから、夜食作ってきたんだよ」

ミオは春樹のデスクの空きスペースに、お盆をコトリと置いた。

どんぶりの中身は、澄んだスープに綺麗に盛り付けられたチャーシューとネギ、そして煮卵が乗った「特製・夜鳴きそば(ラーメン)」だった。

「……マジか。めちゃくちゃ美味そうな匂いがする」

「ふふんっ、ミオしゃ特製だからね。胃に優しいように、スープは鶏ガラでお出汁をとったんだよ。ほら、冷めないうちに食べて食べて」

ミオは隣のパイプ椅子を引き寄せて座り、春樹に割り箸を手渡した。

ホロメンの誰もが認める、圧倒的な『母性』。

個性豊かで暴走しがちなメンバーたち(特にフブキやスバル、ころねなど)を、その優しさと包容力でまとめ上げる大神ミオの存在は、裏方である春樹から見ても非常にありがたいものだった。

「……いただきます」

春樹がスープを一口すする。

鶏ガラの優しい旨味と、ほんのりと効いた生姜の風味が、疲労困憊の五臓六腑に染み渡っていく。

「美味い。……お前の料理は、本当に細胞が生き返る気がする」

「えへへ、よかったぁ。チーフ、最近ほんとに顔色悪かったから心配してたんだよ。ホロライブの『パパ』が倒れちゃったら、うちの子たち、みんな泣いちゃうんだからね」

ミオは自分用のどんぶりを引き寄せながら、クスクスと笑った。

「オカン」と呼ばれるミオと、「パパ(ビッグダディ)」と呼ばれる春樹。

表と裏でホロライブのタレントたちを支えるこの二人は、お互いの苦労を誰よりも理解し合える、まさに「夫婦」のような絶妙な信頼関係を築いていた。

### Scene 2:発動するPON(ポンコツ)の特異点

「そういえばチーフ、明日のマリカ大会の回線、スバルやころさんのところは大丈夫そう?」

ミオがラーメンをすすりながら尋ねる。

「ああ。スバルの大声でマイクが割れないように専用のリミッターを噛ませてあるし、ころねの回線は優先パケットに設定してある。システム面は俺が完璧に防波堤を作った。お前は何も心配せずに、MCを楽しんでくればいい」

「そっかぁ、さすがチーフ! うちも安心して……あっ」

ミオが嬉しそうに身を乗り出した、その瞬間だった。

彼女の背中から生えているふさふさの尻尾が、嬉しさのあまりブンブンと振られ――デスクの端に置かれていた、結露した麦茶のピッチャーにクリーンヒットした。

『カチャンッ……バシャァッ!!』

「あ」

「えっ」

二人の声が重なる。

倒れたピッチャーから、大量の冷たい麦茶がデスクの上に氾濫した。

そして、その水流の先には、明日の大会の要となる**『メイン・オーディオ・ルーティング・ミキサー(約150万円)』**の剥き出しの基板とケーブル群があった。

「わ、わわわわわわわっ!!? やっちまったぁぁぁぁ!!!」

ミオのオカンとしての冷静さが一瞬で消し飛び、完全なパニック状態(PON)が発動した。

彼女は慌てて持っていたおしぼりで水を止めようとするが、水流は無情にもミキサーの通気口に向かって流れ込んでいく。

「ど、どうしようチーフ!? ごめんなさい! うち、拭くから! 拭くからぁ!!」

「ミオ、触るな!! 感電するぞ!!」

春樹はラーメンのどんぶりを放り投げ(安全な床に)、即座にミキサーの物理電源ボタンではなく、デスクの下にある**『スタジオ全体の非常用電源ブレーカー(オーディオ系統のみ)』**を蹴り落とした。

『バチンッ!!』という音と共に、コントロールルームの音響機材のランプが一斉に消灯する。

間一髪。麦茶が基板のコアに到達するコンマ5秒前、システムへの通電は完全に遮断された。

「……っ」

ミオは顔を真っ青にして、震える手でおしぼりを握りしめたまま固まっていた。

「チ、チーフ……ごめんなさい……っ! うち、せっかくチーフが徹夜で準備してくれた機材、壊しちゃった……っ!」

ミオの大きな瞳に、みるみると涙が溜まっていく。

「しっかり者のオカン」であろうとする彼女だが、実は極度の心配性であり、プレッシャーに弱く、たまに取り返しのつかないドジ(PON)を踏んでしまう。それが大神ミオという少女の、不器用で愛おしい欠点だった。

「……泣くのは早いぞ、ミオ」

暗がりの中、春樹の低く、極めて冷静な声が響いた。

彼は引き出しから工業用の無水エタノールと、精密機器用のキムワイプ(紙ワイパー)、そしてエアダスターを取り出した。

「これくらいで俺のシステムが死ぬと思うか? 液体ダメージ(Liquid Damage)を想定したフェイルセーフは組んである。……今から完全復旧(リカバリー)に入る」

### Scene 3:天才エンジニアのリカバリー・プロトコル

春樹はスマートフォンのライトを口に咥え、凄まじい速度でミキサーの天板のネジを外し始めた。

「ミオ。そこにあるドライヤーを冷風(クール)にセットして持ってこい」

「は、はいっ!」

ミオは涙を拭うのも忘れ、言われた通りにドライヤーを春樹に手渡す。

春樹はミキサーの内部基板を取り出し、麦茶がかかった箇所を素早く特定した。

「よし、メインのDSP(デジタル信号処理プロセッサ)には達してない。アナログ回路のコンデンサ周辺だけだ」

無水エタノールをキムワイプに染み込ませ、基板の上の水分と麦茶の成分(不純物)を丁寧に、かつ迅速に拭き取っていく。

水没した電子基板は、通電さえしていなければ、不純物を完全に除去して乾燥させることで高確率で復旧できる。春樹の先ほどの「ブレーカーを蹴り落とす」という一瞬の判断が、150万円の機材の命を救っていたのだ。

「ドライヤー、当てろ。基板から15センチ離して、常に手を振って風を分散させろ」

「わ、わかった……!」

ミオが震える手でドライヤーの冷風を当てる。

春樹はその間に、エアダスターを使って細かいICチップの隙間に入り込んだ水分を吹き飛ばしていく。

二人の間に会話はない。ただ、春樹の的確な指示と、ミオの必死のサポートだけが、深夜のコントロールルームで交差していた。

約20分後。

「……よし。完全乾燥(ドライアップ)確認。組み直す」

春樹は再びネジを締め、ミキサーをデスクの元の位置に戻した。

そして、デスク下のブレーカーを再びオンにする。

『カチッ』という音と共に、コントロールルームの音響機材のランプが次々と点灯していく。

春樹はコンソールに向かい、テスト用のオーディオ信号を流し込んだ。

モニター上のレベルメーターが、正常な緑色の波形を描き出す。

各チャンネルのフェーダーを上げても、ショートした時のノイズや、位相のズレは一切確認されなかった。

「……システム、オールグリーン。オーディオ・ルーティング正常」

春樹は深く息を吐き出し、口に咥えていたスマートフォンのライトを机に置いた。

「復旧完了だ。明日の大会には1ミリも影響しない」

その言葉を聞いた瞬間。

「あぁぁぁ……っ! よかったぁ……っ!」

ミオは、その場にへたり込み、両手で顔を覆ってボロボロと泣き出してしまった。

「ごめんなさい……っ! ごめんなさい、チーフぅ……! うち、お世話しようと思ったのに、またPONしちゃって……っ! チーフの仕事、増やしちゃって……!」

普段はホロメンたちの涙を受け止め、頭を撫でて慰める側の「オカン」。

しかし今の彼女は、自分の失敗に怯え、罪悪感で押し潰されそうになっている、ただの心優しい女の子だった。

### Scene 4:オカンとパパの、不器用な家族会議

春樹は、床に避難させていたラーメンのどんぶりをデスクに戻し、無言でパイプ椅子に座った。

そして、自分のデスクの引き出しから綺麗なタオルを取り出し、ミオの頭にバサッと被せた。

「……ほら、顔拭け。オカンがそんなに泣いてたら、スバルやフブキが心配するだろ」

「うぅっ……だってぇ……」

「お前がPONをやらかすなんて、今に始まったことじゃないだろ。俺はお前が部屋に入ってきた時点で、飲み物をこぼす確率を30%と見積もって、ブレーカーに足をかけてたんだ」

「えっ……?」

ミオが、タオルを被ったまま目を丸くして顔を上げる。

「お前は、責任感が強すぎるんだよ」

春樹は、少し伸びてしまったラーメンの麺をすすりながら、淡々と言った。

「ホロライブの『オカン』として、みんなの悩みを聞いて、優しく包み込んで、絶対に完璧でいなきゃいけないって、自分を追い込みすぎてる。……だから、プレッシャーがかかると視界が狭くなって、アホみたいなドジを踏む」

春樹の指摘は、図星だった。

ミオは、タレントとして圧倒的な個性を持つ他のメンバーに比べ、自分は「普通すぎる」のではないかという悩みを抱えていた。だからこそ、「オカン」という役割を完璧にこなすことで、自分の存在意義を示そうと必死だったのだ。

「……でも、うちがしっかりしなきゃ、みんなまとまんないもん」

ミオが小さく反論する。

「いいか、ミオ。お前が『完璧なオカン』だったら、あいつらは逆にお前に甘えられないんだよ」

春樹は箸を置き、ミオを真っ直ぐに見据えた。

「いつもは優しくて頼りになるのに、肝心なところで盛大にPONをやらかす。ホラーゲームで誰よりもビビって泣き叫ぶ。……そんな『隙(人間くささ)』があるからこそ、スバルたちはお前のことを心から愛して、お前の前でだけは本音を曝け出せるんだ」

春樹の言葉に、ミオの胸の奥がじんわりと熱くなった。

「俺はエンジニアだからな。システムは完璧にバグを排除して組むのが仕事だ。……だが、人間の集団(ホロライブ)には、お前みたいな『愛すべきバグ(PON)』が絶対に必要だ」

春樹は、照れ隠しのように前髪を掻き上げた。

「……だから、お前はこれからも、安心してPONをやらかせばいい。お前がこぼした水も、壊した機材も、俺がシステムで全部リカバリーしてやる。……ホロライブの防波堤(パパ)を舐めるなよ」

その、不器用極まりない、けれど絶対的な安心感を持つ言葉。

ミオの目から、今度は不安ではなく、温かい安堵の涙がこぼれ落ちた。

「……チーフって、ほんとにズルい」

ミオはタオルでごしごしと顔を拭き、少し赤くなった目で春樹を睨みつけた。

「そういうこと、平気な顔して言うんだから。……うちがPONしてもいいなんて言ってくれるの、チーフくらいだよ」

「事実を言ったまでだ。お前がいなきゃ、ホロライブの連中のメンタルはとっくに崩壊してるさ。……俺はお前たちの機材は直せるが、心までは直せないからな。そこは、お前の管轄だろ、オカン」

「……うんっ!」

ミオは、ようやくいつもの、太陽のように温かい笑顔を取り戻した。

### Scene 5:冷めたラーメンと、温かい夜

「あーあ、ラーメン、完全に伸びちゃったね」

ミオが、春樹のどんぶりを見て申し訳なそうに言う。

「問題ない。スープが美味いからな。冷めても十分いける」

春樹が再びズズッと麺をすするのを見て、ミオはクスクスと笑った。

「チーフ、ほんとにうちのご飯好きだね。……じゃあ、今度はお休みの日に、チーフのためだけに特大の唐揚げ弁当作ってきてあげる! 今回のお詫びも兼ねて!」

「お、それは助かる。だが、飲み物はお茶じゃなくてペットボトルにしてくれ。蓋が閉まるやつな」

「もー! チーフの意地悪! いつまでも根に持たないでよ!」

深夜のコントロールルームに、ミオの『ひゅーっ』という特徴的な笑い声(通称:ミオしゃの喘息笑い)が響き渡る。

「さて、と。うちはそろそろ帰って寝るね。明日、大会のMC頑張らなきゃいけないし!」

ミオは自分のお盆を持ち上げ、防音扉に向かった。

「ああ。お前なら大丈夫だ。思い切り楽しんでこい」

「うん! ……チーフも、あんまり無理しないでね。ホロライブのパパが倒れたら、オカンのうちが困っちゃうんだから!」

ミオは最後にウインクをして、元気よく部屋を出て行った。

バタン、と扉が閉まる。

静寂が戻った部屋で、春樹は空になったラーメンのどんぶりを見つめ、小さく息を吐いた。

「……パパと、オカンか」

まったく、ホロライブという箱庭はどこまで騒がしく、そして愛おしいのだろうか。

表舞台でみんなの心をケアする優しいオカンと、裏側ですべてのシステムを守り抜く不器用なパパ。

役割は違えど、二人が見ている「子供たち(ホロメン)」の笑顔という目的は、完全に一致している。

春樹は再びキーボードを引き寄せ、明日のマリオカート大会のための最終チェックプログラムを走らせた。

「……さて。オカンが安心してPONできるように、バックアップ回線をもう一本増やしておくか」

冷たいサーバー音が響く地下室。

しかし、天才エンジニアの胸の奥には、特製の夜鳴きそばの余熱と、優しきオカンの笑顔が、確かな温もりとして残り続けていた。

 

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