**【第27話】 誰がための騎士(ナイト)と、焚き火のそばの防波堤**
### Scene 1:午後10時15分・ログが語る「縁の下の力持ち」
カバー株式会社の最深部、第1テクニカル・コントロールルーム。
壁一面を埋め尽くすモニター群の中で、チーフ・テクニカル・プロデューサーの■■春樹は、先ほど終了したばかりの『ホロライブ3期生・全体3Dコラボ配信』のアーカイブデータと睨み合っていた。
画面の中では、兎田ぺこらが自作の爆弾プロップ(小道具)を投げ回し、宝鐘マリンが息を切らして倒れ込み、白銀ノエルが物理演算を無視したパワーでセットを破壊しかけている。
相変わらずの無法地帯(カオス)。リスナーからすれば「いつもの最高な3期生」の姿だ。
だが、春樹の視線は、その騒乱の中心ではなく、常に**「一歩引いた位置」**で微笑んでいる一人のハーフエルフに向けられていた。
「……また、自分で自分にデバフ(制限)をかけてるな」
春樹はキーボードを叩き、**不知火フレア**のトラッキングデータと音声波形だけを抽出して単独表示(ソロモード)にした。
ホロライブ3期生、不知火フレア。
ファンやメンバーからは「イケメン」「頼れる彼氏」「優しいお姉さん」として絶大な信頼を集める彼女は、この個性派揃いの3期生において、夏色まつりとはまた違ったベクトルで場をまとめる『最強のバランサー』だった。
しかし、春樹の解析する生データ(ログ)は、彼女の『優しさの代償』を冷酷なまでに可視化していた。
「開始45分。ぺこらが大きく動いた瞬間、フレアはコンマ2秒で後方に1.5メートル後退している。これは、自分のスカートのポリゴンがぺこらのモデルと干渉(クリッピング)して映像が破綻するのを防ぐためだ」
春樹の呟きは止まらない。
「1時間2分。マリンの声量がクリッピング(音割れ)しそうになった瞬間、フレアは自分のマイクとの距離(マイキング)をわざと遠ざけ、全体のオーディオミックスのバランスが崩れないように自らの声量(ゲイン)を引いている」
常に周囲を観察し、誰かが前に出れば自分が引き、誰かが転びそうになればスッと手を差し伸べる。
それは、彼女の持つ高い空間認識能力と、他者への底知れない思いやりの証明だった。
だが、システムを統括する春樹からすれば、それは**「タレント自身が、システム側のエラーを自分の気遣いでカバーしてしまっている」**という異常事態だった。
「……あいつ、自分から目立つチャンスを全部捨てて、裏方の仕事まで背負い込んでるじゃないか」
春樹が深く、重い溜息をついた時だった。
『プシュッ』
分厚い防音扉が、遠慮がちに、静かに開いた。
### Scene 2:騎士の差し入れと、冷徹な指摘
「チーフ、こんばんは。まだ起きてる?」
柔らかく、少しだけハスキーな心地よい声。
コントロールルームに入ってきたのは、先ほどのデータ解析の主役――不知火フレアだった。
私服のゆったりとしたニットを着た彼女は、両手に小さな紙袋と、保温タンブラーを持っている。
「フレアか。3期生の収録、お疲れ。……なんだそれは」
「ふふっ、お疲れ様。これはね、いつも裏で頑張ってくれてるチーフへの差し入れ。Aちゃんから、最近チーフがまた目を酷使してるって聞いたから」
フレアは春樹のデスクにタンブラーを置き、紙袋の中から『ホットアイマスク』の箱と、ラベンダーの香りがするアロマハンドクリームを取り出した。
「タンブラーの中身は、カモミールティー。カフェインレスだから、胃に優しいしリラックスできるよ。アイマスクして、少し目を休めてね」
彼女の行動は、どこまでも自然で、スマートだった。
相手が今何を求めているかを瞬時に察知し、押し付けがましくない形でスッと差し出す。ホロメンたちがこぞって彼女にメロメロになるのも無理はない。
「……ありがとう。助かる」
春樹はタンブラーを受け取り、一口飲んだ。カモミールの温かい香りが、コーヒーで荒れた胃壁を優しく撫でていく。
「どういたしまして。それじゃ、私は帰る……」
「待て」
フレアが帰ろうと踵を返した瞬間、春樹の低く鋭い声が彼女を引き止めた。
「どうしたの? 機材の片付けなら……」
「フレア。お前、今日の収録中、3回も自分の立ち位置を不自然に変更したな。それに、トークのボリュームも意図的に抑えていた」
その言葉に、フレアの肩がビクッと跳ねた。
春樹は椅子を回転させ、真っ直ぐにフレアを見据えた。
「ぺこらの爆弾プロップの当たり判定が広すぎたのは俺の設定ミスだ。マリンのオーディオが割れそうになったのも、コンプレッサーの閾値を俺が甘く設定していたせいだ。……お前が自分のパフォーマンスを下げてまで、システムのエラーをカバーする必要はない」
「……えっ」
フレアは目を丸くし、そして困ったように曖昧な笑みを浮かべた。
「な、なに言ってるのチーフ。私はただ、みんなが楽しく動けるようにちょっと気をつけただけで……それに、3期生はあれくらいカオスな方が面白いじゃない? 私はそれを見てるのが好きなんだよ」
「嘘をつけ」
春樹は、容赦なくその言葉を切り捨てた。
「お前だって、本当はもっと前に出て、思い切り歌って、思い切り暴れたいはずだ。……お前は『頼れるフレア』という鎧を着込んで、仲間を守ることに必死になりすぎている」
フレアの表情から、いつもの余裕のある「イケメン」の笑みが、スッと消え去った。
### Scene 3:鎧を剥がすビッグダディ
コントロールルームに、冷たいサーバーの駆動音だけが響く。
「……チーフには、全部データで見透かされちゃうんだね」
フレアは、諦めたように小さく息を吐き、春樹の隣のパイプ椅子に力なく座り込んだ。
「ごめんね。チーフのシステムを信用してないわけじゃないの。ただ……体が勝手に動いちゃうんだよ。ノエルが転びそうになったら支えなきゃって思うし、ぺこらが無茶したらフォローしなきゃって思うし」
フレアは、自分の両手を膝の上でぎゅっと組んだ。
「私、同期のみんなが本当に大好きなの。みんな天才だし、個性の塊だし、見ていて飽きない。……でも、だからこそ、時々不安になるの」
彼女の声が、微かに震えていた。
「私には、みんなみたいな圧倒的な強みがないんじゃないか。ただの『便利なまとめ役』で終わっちゃううんじゃないか……。だから、せめてみんなの『頼れる存在』でいなきゃって。私がしっかりしてなきゃ、3期生のバランスが崩れちゃうって……」
それが、不知火フレアという少女が抱え込み続けてきた、重すぎるプレッシャーの正体だった。
誰よりも優しく、誰よりも周りが見えるからこそ、自分の『弱さ』や『エゴ』を表に出すことができない。
「みんなのイケメン」「頼れる彼氏」というファンからの賛辞すらも、時として彼女を縛り付ける呪いになっていたのだ。
春樹は、無言でタンブラーのカモミールティーを飲み干した。
「……フレア」
「……ん」
「お前は、自分がどれだけ歌が上手いか分かっているのか」
春樹の唐突な言葉に、フレアは顔を上げた。
「お前の声の帯域(フォルマント)は、他のメンバーには出せない、極めて豊かで力強い中低音を持っている。俺がミキシングをしていて、一番『いじる必要がない』完成された声だ。……トークの時の包容力も、ゲーム実況の時の無邪気さも、十分すぎるほどにお前の強みだ」
春樹は、デスクの上のキーボードをトンッと叩いた。
「お前は『便利なまとめ役』なんかじゃない。ホロライブのステージに立つ、一流のエンターテイナーだ。……お前が勝手に自分を過小評価して、一歩引いた場所にいるのは、お前を推してるリスナーに対しても、裏でお前のためにシステムを組んでる俺たちエンジニアに対しても、失礼だぞ」
春樹の言葉は、慰めでもお世辞でもなく、完全な客観的事実としての「叱責」だった。
だからこそ、その言葉はフレアの心の最も柔らかい部分に、真っ直ぐに突き刺さった。
「……っ」
フレアの大きな瞳から、ぽろりと大粒の涙が零れ落ちた。
「チーフの、ばか……っ。そんなふうに、はっきり言わなくたっていいじゃない……っ」
フレアは両手で顔を覆い、静かに泣き始めた。
いつもみんなの涙を拭い、背中を撫でてあげる彼女が。誰にも見せない孤独な重圧を、初めて他人の前で吐き出した瞬間だった。
春樹は何も言わず、デスクの上にあったティッシュ箱を、そっとフレアの膝の上に置いた。
彼女が自分で着込んでしまった重い鎧を脱ぎ捨てるには、こうして一度、完全に泣き崩れる時間が必要だった。
### Scene 4:君のためだけの焚き火(VR・キャンプサイト)
「……ごめん。私、みっともないね」
数分後。
すっかり泣き腫らした顔で、フレアはティッシュで目元を拭った。
「誰もいないコントロールルームだ。ログにも残らん。気にするな」
春樹は立ち上がり、ロッカーの奥から、見慣れない黒いデバイス――最新型の広視野角VRヘッドマウントディスプレイを取り出した。
「チーフ、それ……?」
「ちょっと被れ」
「えっ? 今から?」
春樹は半ば強引に、フレアの頭にVRヘッドセットを被せた。
そして、メインコンソールに向かい、特定の実行ファイルを起動した。
「……目を開けろ、フレア」
ヘッドセットの中で、フレアが目を開く。
そこに広がっていたのは、いつもの華やかな3Dスタジオでも、見慣れたホロライブのライブステージでもなかった。
「……あ」
フレアの口から、感嘆の息が漏れる。
圧倒的な高画質(8Kテクスチャ)とレイトレーシングで描画された、静かな『夜の森』。
頭上には満天の星空が広がり、足元にはフカフカの草むら。
そして、目の前には、パチパチと音を立てて燃える、小さな『焚き火』があった。
「チーフ、これ……」
「俺が環境音の反響(リバーブ)と、動的パーティクル(火の粉)の干渉テスト用に組んだ、プライベートのVR空間だ。……少し、炎の音を聴いてろ」
春樹は手元のコンソールを操作し、コントロールルームの空調温度を絶妙に調整し、さらに指向性スピーカーから『焚き火の爆ぜる音』と『森の微風の音』を出力した。
VRの視覚情報と、現実の温度・音響が完全にリンクする。
フレアは、本当に夜の森の焚き火のそばに座っているかのような、極上の没入感に包まれた。
「……あったかい」
フレアは、仮想の焚き火に向かってそっと手を伸ばした。
「フレア。お前は、いつも誰かのために火を灯して、周りを暖めてやってる」
インカム越しに、春樹の低く、穏やかな声が響く。
「だが、たまにはお前自身が、こうやって火のそばで暖まる時間が必要だ。……他の連中の前で『頼れるフレア』でいたいなら、それでもいい。だが、この部屋(地下)にいる時だけは、その鎧を脱げ」
炎のゆらぎが、フレアの心の中の残った澱を、優しく燃やして溶かしていく。
「お前が疲れた時は、俺がシステムでお前を休ませてやる。お前が前に出たい時は、俺がお前の足元を絶対に崩れないように補強してやる。……お前たちの重荷を背負うために、俺たち裏方(ビッグダディ)がいるんだ。少しは俺を頼れ、バカエルフ」
その不器用で、限りなく温かい言葉。
フレアはVR空間の中で、焚き火を見つめながら、今度は悲しみや不安ではなく、心からの安堵の涙を流した。
「……うん。……ありがとう、チーフ」
誰かのための騎士は、今夜だけは剣を置き。
自分だけを守ってくれる絶対的な防波堤のそばで、ただの無防備な少女として、静かな炎の音に身を委ねた。
### Scene 5:護る者たちの朝
「んっ……」
フレアが目を覚ますと、そこはVRの森の中ではなく、コントロールルームの仮眠用ソファの上だった。
頭の下にはクッションが敷かれ、体には春樹の大きめの上着が掛けられている。
「……あ、私、寝落ちしちゃったんだ」
慌てて体を起こすと、数メートル先のデスクで、春樹が相変わらずキーボードを叩いていた。外はすでに明るくなり始めている。
「起きたか。おはよう、フレア」
春樹は振り返らずに言った。
「おはよう、チーフ。……ごめんなさい、私ったら、チーフの邪魔しちゃって……それに、上着まで……」
「気にするな。お前の寝息が静かだったおかげで、コーディングが捗った」
フレアは上着を丁寧に畳み、春樹のデスクの横に立った。
昨夜の重いプレッシャーは嘘のように消え去り、その顔には、いつもの――いや、いつも以上に晴れやかで、本物の「不知火フレア」の笑顔が咲いていた。
「……ねえ、チーフ」
「なんだ」
フレアは、春樹の背中に向かって、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
「チーフって、本当にズルいよね。あんなふうに優しくされたら、私……本当にチーフのこと、好きになっちゃうかもしれないよ?」
ハーフエルフの、ストレートで破壊力抜群の言葉。
普通の男なら心臓が跳ね上がるところだが、カバーの絶対防壁は動じなかった。
「やめておけ。俺はお前たちの機材とデータを愛してるだけで、恋愛感情のアルゴリズムは持ち合わせてない。それに、お前にはノエルやマリンたちがいるだろ。あいつらに刺されたくないからな」
春樹の身も蓋もない返答に、フレアは「あははっ!」と声を上げて笑った。
「もう、チーフの朴念仁! せっかく私がデレてあげたのに!」
「俺にデレる暇があったら、次のライブのセットリストでも考えろ。お前がセンターの曲、増やしておいたからな」
「えっ……」
春樹がモニターを指差すと、そこには次回の3期生ライブの構成表が映し出されていた。
フレアのソロパートと、彼女がセンターで歌う曲が、明確にハイライトされている。
「お前はもう、一歩引く必要はない。俺がカメラのトラッキングも、オーディオのコンプレッサーも、お前が一番輝くように全部再設計(リビルド)してある。……思い切り、前へ出ろ」
春樹は振り返り、不敵に笑った。
フレアは驚きで目を丸くした後、胸の奥から湧き上がるような熱い感情と共に、力強く頷いた。
「……うんっ! 任せて、チーフ! 私の本当の力、みんなに見せつけてやるんだから!」
「ああ。期待してるぞ、俺たちの騎士(ナイト)様」
「ふふっ。いってきます、私のプロデューサーさん!」
フレアは大きく背伸びをして、コントロールルームの防音扉を開けた。
差し込んでくる朝の光が、彼女の美しい金髪をキラキラと照らしている。
誰もいない廊下へと歩き出す彼女の背中は、もう見えない鎧の重さに苦しんではいなかった。
誰かを護るために、自分も誰かに護られているという絶対の安心感。
それを胸に秘めたハーフエルフは、今日も最高の笑顔で、騒がしくも愛おしい仲間たちの元へと帰っていく。
「……さて。ぺこらの物理演算のバグチェックに戻るか」
春樹は冷めたカモミールティーの残りを飲み干し、再びキーボードに手を伸ばした。
天才エンジニアの孤独な夜明けは、彼女たちが放つ新しい光によって、いつも美しく照らされているのだった。