**【第28話】 白銀の剛腕と、絶対強度の『聖なる鎧(チタン合金)』**
### Scene 1:午後4時20分・握力(オーバーパワー)による物理的破壊
カバー株式会社、地下第2スタジオ。
ホロライブ3期生・白銀ノエル(団長)の3D収録は、順調に進んでいる……かのように見えた。
「えへへ、みんなー! 今日は団長、新しい筋トレメニューを紹介しちゃうよー!」
画面の中のノエルは、バーチャル空間のジムセットで、愛用のメイス(鈍器)の代わりにダンベル型の3Dプロップ(小道具)を持ち上げ、元気いっぱいに汗を流している。
そのおっとりとした「ぽわぽわ」な声質と、画面越しにも伝わる圧倒的な『筋力』のギャップ。リスナーたちは「団長かわいい」「筋肉たすかる」「またパワーが上がっている」と大盛り上がりだ。
しかし。
防音ガラスの向こう側、第1テクニカル・コントロールルームの空気は、シベリアの永久凍土よりも冷え切っていた。
『ミシッ……メリメリッ……!』
春樹のヘッドホンに、マイクが拾った「嫌な音」が届いた。
バーチャル空間の音ではない。現実のスタジオで、ノエルが握りしめている『光学トラッキング用・特注ハンドコントローラー』から発せられた、プラスチックと基板が悲鳴を上げる音だ。
「……おい。右手のコントローラーのジャイロセンサーから、異常なノイズが出てるぞ」
春樹がレベルメーターを睨みつけながら、隣の若手スタッフに声をかけた。
「チ、チーフ! ノエルさんの右手の握力パラメーター(圧力センサーの数値)が、想定値の300%を振り切ってます! これ以上いくと、コントローラーの外殻(シェル)が物理的に……!」
若手スタッフが言い終わるより早く。
『バキィィィィンッ!!!』
現実のスタジオに、何かが砕け散る甲高い音が響き渡った。
「ああっ!?」
画面の中のノエルが、驚いたように声を上げる。
同時に、モニター上の彼女の右腕のトラッキングが完全に消失(ロスト)し、右腕だけがだらんと不自然に垂れ下がった。
「……やったな」
春樹は、静かに、そして絶望的な溜息を吐き出した。
スタジオ内の監視カメラ映像を切り替えると、トラッキングスーツを着たノエルが、粉々になったコントローラーの残骸(数万円の特注品)を両手で包み込み、顔を真っ青にして震えている姿が映っていた。
「……だ、団長、またやっちゃった……! どうしよう、チーフに怒られるぅ……っ!」
「……ああ、怒るぞ。今月に入って3個目だぞ、あの脳筋騎士」
春樹はインカムのスイッチを入れ、極めて冷淡な声でスタジオ内にアナウンスした。
「……ノエル。怪我はないか」
『ひゃっ!? チ、チ、チーフ! ごめんなさい! 団長、ちょっと力が入っちゃって……!』
「とりあえず収録は中断だ。破片を踏むと危ないから、その場から動くな。今から片付けに行く」
春樹はヘッドホンをデスクに投げ置き、深い深い溜息と共に立ち上がった。
ホロライブのタレントたちは皆、それぞれにシステムを破壊する特異点を持っているが、白銀ノエルのそれは『純粋な物理的破壊(パワー)』という、エンジニアにとって最も原始的で恐ろしいものだった。
### Scene 2:深夜の牛丼と、へっぽこ騎士の懺悔
午後11時45分。
静まり返ったコントロールルームの防音扉が、コンコン、と控えめにノックされた。
「……チーフ。まだ、起きてる……?」
扉の隙間から、銀色の髪と、申し訳なさそうに垂れ下がった牛の耳(幻覚)が見えた。
私服のパーカー姿のノエルだ。その両手には、大きなビニール袋が提げられている。中からは、強烈に食欲をそそる醤油と牛肉の匂いが漂っていた。
「……ノエルか。その匂い、特盛の牛丼だな?」
「う、うん……。チーフ、夕方からずっとコントローラーの修理してくれてるって聞いたから……お詫びと、夜食の差し入れに……」
ノエルは部屋に入ると、春樹のデスクに牛丼の容器を置き、消え入りそうな声で言った。
デスクの上には、ノエルが粉砕したコントローラーの残骸と、ハンダごて、そして春樹が新しく設計図を引いているタブレットが散乱している。
「……ありがたく頂く。徹夜明けの胃袋には少し重いが、お前の奢りなら食ってやる」
春樹はハンダごての電源を切り、牛丼の蓋を開けた。
特盛の肉に、温玉がトッピングされた完璧な布陣だ。
「美味しい……?」
ノエルが、パイプ椅子にちょこんと座り、不安そうに春樹の顔を覗き込む。
「ああ。五臓六腑に染み渡る」
春樹が一口食べて答えると、ノエルはホッと胸を撫で下ろしたが、すぐにまた俯いてしまった。
「……チーフ、本当にごめんなさい」
ノエルは、自分の両手を膝の上でぎゅっと握りしめた。
「団長ね、自分でも気をつけてるつもりなんだけど……配信が楽しくなってくると、どうしても手に力が入っちゃって。……チーフが徹夜で作ってくれた大事な機材、また壊しちゃった」
ノエルの声は、今にも泣き出しそうだった。
「フレアやマリンみたいに、器用に動けないし……。歌だって、みんなみたいに上手く歌えない。団長にあるのは、無駄な筋肉と、牛丼をいっぱい食べる胃袋だけで……。ホロライブの足を引っ張ってばっかりで……」
それは、ノエルが常に抱えている深いコンプレックスだった。
3期生という、圧倒的な才能と個性がひしめく同期の中で。自分には「筋力」と「ASMR」しか取り柄がないのではないかという不安。
そして、その強みである「筋力」すらも、こうして裏方に迷惑をかける原因になってしまっているという自己嫌悪。
春樹は、牛丼をかきこむ手を止め、割り箸を置いた。
「……ノエル。お前、自分の握力が何キロあるか知ってるか?」
「えっ? うーん、最近測ってないけど、たぶん50キロくらいは……」
「成人女性の平均が25キロから30キロだ。お前は完全にゴリラ……いや、立派な騎士(ナイト)の領域だ」
春樹はタブレットを引き寄せ、ノエルのコントローラーの破損データを表示した。
「いいか。お前が握り潰したこのコントローラーの外殻は、ABS樹脂でできている。これが破損する限界応力(Yield Stress)を計算すると、お前は瞬間的に$P = \frac{F}{A}$の計算式において、局所的に約80キロ相当のグリップ圧をかけていたことになる」
「は、はちじゅう……!?」
「これはもはや、ヒューマンエラーじゃない。俺の機材選定のミスだ」
春樹は、呆然とするノエルに向かって、真っ直ぐに言った。
「エンジニアは、想定されるあらゆる負荷に対してフェイルセーフ(安全装置)を設計しなければならない。お前という『規格外の物理アタッカー』に対して、市販品の強度で済ませようとした俺の怠慢だ。……お前が謝る必要はない」
「チ、チーフ……でも……!」
「それに、『無駄な筋肉』だの『足を引っ張っている』だの、二度と言うな」
春樹の、低く、極めて真剣な声が、コントロールルームに響いた。
「お前のその規格外のパワーは、リスナーを楽しませる最強の武器だ。リングフィットアドベンチャーで何時間も走り続けるスタミナ。3D配信で見せる、他のタレントには絶対に出せない『重み』のあるアクション。……あれは、お前の筋肉がなければ絶対に成立しない」
春樹は、ノエルの頭に、無骨な手をドンッと置いた。
「お前は、自分の強さを誇れ。機材の強度が足りないなら、俺が、お前の全力の握力に耐えられる『最強の武器』を作ってやる」
### Scene 3:聖なる鎧(チタン合金)の錬成
春樹はタブレットの画面をスワイプし、新しく描いていた設計図をノエルに見せた。
「……これ、なに?」
「お前専用の、次世代型トラッキングコントローラーだ」
画面に映し出されていたのは、鈍く銀色に光る、無骨で頑丈そうなデバイスの図面だった。
「外殻(シェル)の素材には、航空宇宙産業で使われるチタン合金(Ti-6Al-4V)を採用する。さらに、内部の基板とセンサーの周囲に、衝撃吸収用の高密度ポリウレタンエラストマー(防振ゴム)を充填する。……これなら、お前が全力で握りしめても、基板に歪みは伝わらない」
「チ、チタン合金……!? それって、ロケットとかに使うやつだよね!?」
ノエルが目を丸くして驚く。
「そうだ。だが、それだけじゃない」
春樹はさらに画面をスクロールさせ、今度はトラッキングスーツの設計図を表示した。
「お前は胸部の装甲(バストサイズ)が大きすぎるせいで、激しい動きをした時にトラッキングスーツのジッパーが物理的に弾け飛ぶリスクを常に抱えている。だから、お前のスーツの胸部と肩甲骨周りには、防刃ベストに使われるケブラー繊維を編み込んで補強する」
「ケ、ケブラー繊維……!?」
ノエルの顔が、驚きから羞恥で真っ赤に染まっていく。
「チ、チーフ! さすがにそれはやりすぎだよ! 団長、戦場に行くわけじゃないんだよ!?」
「バカ言え。ホロライブの3Dステージは、お前たちにとって戦場そのものだろうが」
春樹は、極めて真面目な顔で言い放った。
「お前が機材を壊すのを恐れて、本来のパフォーマンスを10%でもセーブするような真似は、プロデューサーとして絶対に許さない。俺が欲しいのは、白銀ノエルの『100%のフルパワー』だ。……そのためなら、チタンだろうがケブラーだろうが、いくらでも使ってやる」
その言葉。
不器用で、理屈っぽくて、技術の無駄遣い(オーバーテクノロジー)極まりない解決策。
しかし、それはノエルにとって、自分の存在を根底から肯定してくれる、世界で一番温かい『絶対的な盾』だった。
「……チーフ」
ノエルの大きな瞳から、ポロリと涙がこぼれ落ちた。
「……団長、チーフに迷惑ばっかりかけてるのに。……なんで、そこまでしてくれるの?」
春樹は、牛丼の最後の一口を飲み込み、お茶で流し込んでから、小さく息を吐いた。
「お前が、誰よりも不器用で、誰よりも真っ直ぐだからだよ」
春樹は、ノエルの銀色の髪を、少し乱暴に、けれど最高に優しく撫でた。
「お前は、自分がホロライブの足手まといだなんて思ってるかもしれないが。俺たち裏方から見れば、お前のその『真っ直ぐさ』と『ぽわぽわした優しさ』に、どれだけ救われてるか分からない」
「……うぅっ……チーフぅ……っ!」
ノエルは、ついに堪えきれずに声を上げて泣き出し、春樹の胸に顔を押し当てた。
「おい、鼻水つけるな。牛丼の匂いが移るだろ」と文句を言いながらも、春樹は決して彼女を突き放さず、その背中を一定のリズムでトントンと叩き続けた。
「団長……ほんとは、すっごく不安だったの……っ! みんなみたいに、キラキラしたアイドルになれてるのかなって……っ!」
「なれてるさ。お前は立派な、ホロライブが誇る『白銀の騎士』だ」
春樹の、低くて安心感のあるビッグダディの声。
ノエルは春樹の腕の中で、今までの不安やプレッシャーをすべて溶かすように、ただひたすらに安堵の涙を流し続けた。
### Scene 4:ASMRの波動(低周波の癒やし)と、騎士の誓い
「……ぐすっ。ごめんね、チーフ。シャツ、濡らしちゃった」
数分後。
すっかり泣き止んだノエルは、赤くなった目をこすりながら、恥ずかしそうに笑った。
「気にするな。……それより、お前にはもう一つ、誰にも負けない最強の武器があるだろ」
春樹が言うと、ノエルは不思議そうに首を傾げた。
「最強の武器……? メイス?」
「違う。お前の『声』だ」
春樹はメインコンソールを操作し、ノエルのASMR配信の音声波形データをモニターに映し出した。
「お前のASMRの声は、他のタレントとは根本的に違う。声帯の振動から生まれる『低周波の倍音成分』が極めて豊かで、マイクのダイヤフラムを直接マッサージするような波形を描いている。……これは、どれだけボイトレを積んでも手に入らない、天性の『癒やしの波動』だ」
「癒やしの、波動……」
「お前の筋力が物理的なアタッカーなら、お前の声はリスナーの精神を回復させる最強のヒーラー(回復魔法)だ。……自信を持て。お前はホロライブに絶対に必要な存在だ」
春樹の完璧な理論武装による肯定。
ノエルの心の中にあった最後の霧が、完全に晴れ渡っていくのを感じた。
「……うんっ!」
ノエルは立ち上がり、涙を拭って、最高に眩しい、太陽のような笑顔を見せた。
「チーフ、ありがとう! 団長、もう迷わない! 筋肉も、ASMRも、団長の全部を使って、リスナーのみんなをハッピーにしてみせるよ!」
「ああ。その意気だ」
「だからね、チーフ!」
ノエルは、春樹の手を両手でぎゅっと握りしめた。
(※春樹の骨がミシッと鳴ったが、春樹は顔色一つ変えずに耐えた)
「チーフが作ってくれる『チタンのコントローラー』と『ケブラーのスーツ』ができたら! 団長、次の3Dライブで、誰よりも高くジャンプして、誰よりも力強くメイスを振ってみせるから!……絶対、一番前で見ててね!」
それは、白銀の騎士から、自分を護ってくれる天才鍛冶師(エンジニア)への、誇り高き誓いだった。
「……ああ。お前のフルパワーのデータ、しっかりとサーバーに刻み込んでやる」
春樹が不敵に笑い返すと、ノエルは「えへへ!」と嬉しそうに笑い、「じゃあ団長は帰って寝るね! 牛丼、ちゃんと食べてくれてありがとう!」と、嵐のようにコントロールルームから去っていった。
バタン、と防音扉が閉まる。
静寂が戻った部屋で、春樹は握り潰されかけた自分の右手を見て、苦笑いした。
「……まったく。加減を知らない騎士様だ」
春樹は空になった牛丼の容器を片付け、再びキーボードに手を伸ばした。
「さて……チタン合金の加工業者に発注をかけるか。ついでに、メイスの3Dプロップにも慣性計算(インナーシャ)の重みを足しておこう」
天才エンジニアの夜は、まだまだ終わらない。
不器用で、力持ちで、誰よりも優しい騎士が、明日もステージの上で全力の笑顔を見せられるように。
彼は今日も、絶対の強度を誇る『見えない鎧』を、コードという名の鉄槌で鍛え上げ続けるのだった。