**【第36話】 鳴り響く不協和音(サプライズ)と、絶対防壁の『愛娘』**
### Scene 1:午後1時30分・嵐の前の静かなるスタジオ
カバー株式会社、メインスタジオ隣接の大型ミーティングルーム。
その日は、ホロライブの歴史において新たな1ページが刻まれる重要な日であった。新グループ『hololive DEV_IS』から、音楽アーティストVTubeグループ**『ReGLOSS(リグロス)』**がデビューを迎えるのだ。
部屋には、先輩となるホロライブの面々が、新人の挨拶を受けるために集まっていた。
ときのそら、友人A(えーちゃん)をはじめ、大空スバル、宝鐘マリン、癒月ちょこなど、錚々たるメンバーが揃い、ケータリングのコーヒーやドーナツをつまみながら談笑している。
そして、その部屋の最前列。巨大なモニターと音響ミキサーが設置された卓の前に、カバー株式会社が誇る『絶対零度の防壁』――チーフ・テクニカル・プロデューサーの■■春樹の姿があった。
「……A。ReGLOSSの各メンバーのオーディオ・インターフェースの初期ゲイン設定、プロファイルに保存した。彼女たちは『音楽アーティスト』枠だ。従来の配信とはボーカルの帯域処理を変えてある」
「ありがとうございます、春樹。流石、仕事が早いですね。……これで新人ちゃんたちも、最高の音質でデビューできます」
Aちゃんがバインダーを抱えながら、感心したように頷く。
「ねぇ〜チーフぅ」
そこへ、パイプ椅子に座っていた宝鐘マリンが、だらんと身を乗り出してきた。
「新人ちゃんたちにかまけて、船長たちのことおろそかにしちゃダメよ? 船長、最近ちょっと肩が凝っててぇ……チーフのその魔法の指先で、首筋あたりを揉んでほしいワ〜♡」
「断る。俺の指先はキーボードを叩くためにある。肩が凝ったならラジオ体操でもしてろ」
「即答!? もうちょっと悩む素振りくらい見せなさいよ!」
マリンが唇を尖らせて抗議するが、春樹は一切視線を向けずにモニターの波形をチェックし続けている。
いつもの光景だ。ホロメンたちがどれだけ色気や愛嬌で迫ろうとも、この男のATフィールド(技術者の壁)を突破することは絶対に不可能。
(ふふん……マリンったら、相変わらず無駄な努力をしてるわね)
その様子を少し離れた席から眺めていた癒月ちょこは、タピオカミルクティーを啜りながら、内心で優越感に浸っていた。
彼女だけが、春樹と『遠い親戚』であり、彼が「世話焼きの兄貴」であることを知っている。この絶対防壁の懐に最も入り込めているのは自分だという、揺るぎない自信があった。
「……春樹くん、新人ちゃんたち、そろそろ来るかな?」
ときのそらが、ワクワクした様子で扉の方を見つめる。
「ああ。タイムスケジュールによれば、あと5分でマネージャーに引率されて……」
春樹が手元の腕時計に目を落とした、その時だった。
『バタバタバタバタッ!!』
廊下から、やけに元気で、リズミカルな足音が急速に近づいてきた。マネージャーの引率など待っていない、明らかに一人だけ飛び出してきたような足音。
『バーーーンッ!!』
ミーティングルームの扉が、勢いよく開かれた。
### Scene 2:音乃瀬奏の襲来と、崩壊する防壁
「あーっ! いたーーーーっ!!」
扉の枠に立っていたのは、金色の髪を揺らし、制服風の華やかな衣装に身を包んだ少女だった。
ReGLOSSのメンバー、音楽の天才にして規格外のムードメーカー――**音乃瀬奏(おとのせ かなで)**である。
「おっ、新人ちゃんッスね! 元気いっぱい……」
スバルが挨拶をしようと立ち上がりかけた、その瞬間。
奏の視線が、部屋にいる先輩ホロメンたちを完全にスルーして、ミキサー卓の前に立つ『一人の男』にロックオンされた。
彼女の瞳が、文字通りキラキラと星のように輝く。
「パパァァァァァァァァッ!!!」
「……は?」
マリンの口から、間の抜けた声が漏れた。
タタタタタッ!と、奏は猛烈なダッシュでミーティングルームを横切り、春樹に向かって一直線に突撃した。
それはもう、感動の再会を果たす迷子の子犬のような、あるいは獲物に飛びかかるチーターのような、一切の躊躇がないフルスピードのタックル。
(あ、危ないッスよ! チーフ、避け……!)
スバルが叫ぼうとした。普段の春樹なら、静電気や機材への影響を理由に、冷酷なステップで回避するはずだ。
しかし。
春樹は、迫り来る奏を見て、**小さく息を吐き、キーボードから両手を離し、その胸を大きく広げたのだ。**
『ドスッ!』
「えへへぇ〜! パパだ! パパだぁ!! 会いたかったよぉ!!」
「……お前なぁ。廊下を走るな。ここは会社だぞ、奏」
春樹は、勢いよく飛び込んできた奏を、まるで日常のワンシーンのように極めて自然に受け止め、その華奢な体をしっかりと抱きとめた。
そして、あろうことか。あの『絶対零度の防壁』が、不器用ながらも極めて優しい手つきで、**奏の金色の頭をポンポンと撫でた**のである。
「だってぇ! パパがホロライブの裏にいるのは知ってたけど、やっと会えたんだもん! パパ、私のキーボードの設定、パパがやってくれたんでしょ!? 弾きやすかったよ!」
「当たり前だ。お前の手の癖に合わせてベロシティ(打鍵の強弱)カーブを調整しておいた。……ほら、離れろ。先輩たちが見てるぞ」
「やだ! もうちょっと充電するー!」
奏は春樹の胸に顔をグリグリと押し付け、春樹も「しょうがないやつだ」と呆れながらも、決して彼女を引き剥がそうとはしなかった。
その、あまりにも甘く、あまりにも自然な『親子の触れ合い』。
ミーティングルームは、完全なる、文字通りの『無音』に包まれていた。
### Scene 3:時が止まった部屋と、絶叫のコーラス
「………………え?」
最初に沈黙を破ったのは、マリンだった。
彼女の持っていたコーヒーの紙コップが、手から滑り落ち、床にボチャッと音を立ててこぼれた。
「パ……パパ……?」
スバルが、目を限界まで見開き、春樹と奏を交互に指差している。
「えっ……? は? 春樹くん……? パパ……? え……?」
『幼馴染』であり、春樹の過去をすべて知っているはずのときのそらが、完全に思考回路をショートさせてフリーズしている。
「は、春樹……? あなた、いつの間に隠し子を……いや、年齢計算が合いません。しかし……え?」
カバー株式会社の裏をすべて把握しているはずのAちゃんすら、メガネをずり落として狼狽えている。
そして、誰よりも絶望的な顔をしていたのは、癒月ちょこだった。
(ウソでしょ……!? ちょこ、春樹にぃの親戚なのに、あんな子知らないわよ!? なんで!? どういうこと!? ちょこの知らない『ガチの妹分(娘)』が存在するっていうの!?)
春樹の腕の中で、奏がようやく顔を上げ、後ろに固まっている先輩たちに気がついた。
「あっ! はじめまして、ReGLOSSの音乃瀬奏です! パパがいつもお世話になってます!」
満面の笑みで、元気いっぱいに一礼する奏。
その無邪気な挨拶が、トリガーとなった。
**「「「「パパァァァァァァァァァァッ!!??」」」」**
ホロメンたちの絶叫が、防音仕様のミーティングルームをビリビリと震わせた。
「ちょ、待って待って待って!! チーフ!? パパってどういうこと!? アンタ、いつの間に新人ちゃんに手を出してたのよ!!」
マリンが血相を変えて春樹に詰め寄る。
「違うッスよね!? チーフは私たちみんなのビッグダディであって、特定の誰かの『ガチのパパ』じゃないッスよね!?」
スバルがパニックになりながら机をバンバン叩く。
「春樹くん!! どういうこと!? 私、そんな話一度も聞いてないよ!? 春樹くんに娘がいるなんて……私、私……っ!」
そらが、なぜか涙目になりながら春樹の袖を引っ張る。
「……お前ら、落ち着け。鼓膜が破れる」
春樹は、騒乱の中心にありながらも、極めて冷静に(いつも通りの温度で)ため息をついた。
奏は春樹の背中に隠れながら、ひょっこりと顔を出して「先輩たち、声おっきいねぇ」とケラケラ笑っている。
「手を出したわけでも、隠し子でもない。……奏は、**俺の従兄弟(いとこ)の娘**だ」
春樹の口から出た真実に、再び部屋が静まり返った。
### Scene 4:明かされる血脈(シークレット・ツリー)
「……いとこの、娘?」
Aちゃんが、ずり落ちたメガネを押し上げながら確認する。
「ああ。母方の、少し歳の離れた従兄弟の子供だ。奏が小さい頃から、親戚の集まりやなんかでよく俺が面倒を見ていた」
春樹は、背中に隠れる奏の頭を軽く小突きながら説明を続けた。
「こいつの両親は音楽関係の仕事でな。家を空けることも多かったから、俺がよくピアノやキーボードの弾き方を教えてやったり、PCを組んでやったりしていたんだ。その流れで、こいつは俺のことを『第二のパパ』みたいに慕ってるだけで……」
「パパはパパだよ! ほんとのパパより、春樹パパのほうが優しくていっぱい遊んでくれたもん!」
奏が春樹の腰にぎゅっと抱きつきながら主張する。
「……というわけだ。お前らが変な勘違いをするような関係性じゃない」
春樹が淡々と説明を終えると、真っ先に噛み付いたのは癒月ちょこだった。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ春樹にぃ!! ちょこも親戚なのに、この子のこと全く知らないわよ!? どういうこと!?」
ちょこの口から飛び出した「春樹にぃ」という呼び名に、今度はマリンやスバルが「えっ!? ちょこ先生も親戚!?」と驚いたが、今はそれどころではない。
春樹はちょこを見て、平然と答えた。
「癒月。お前は俺の『父方』の親戚だろ。奏は『母方』だ。親戚の集まりが被るわけがない。それに、奏は少し前まで韓国の方に住んでいた時期もあったから、物理的に会う機会もなかったはずだ」
「うっ……! そ、それはそうだけど……っ!」
自分だけの特権だと思っていた『春樹の親戚枠』。そこに、自分よりも遥かに懐いている、しかも堂々と「パパ」と呼ぶ最強のライバル(新人)が突如として現れたのだ。ちょこのサキュバスとしてのプライドはズタズタだった。
「春樹……あなた、履歴書の親族欄にそんなこと一言も書いてませんでしたよね?」
Aちゃんが、ジト目で春樹を睨む。
「書く必要がないだろ。奏がReGLOSSのオーディションを受けたのはあいつ自身の意志だ。俺は一切口出ししていないし、審査にも関わっていない。……まあ、合格した後にこいつから『パパの会社に入るよ!』とLINEが来た時は、さすがに胃薬を飲んだがな」
春樹は疲れたようにこめかみを揉んだ。
タレントと裏方という関係上、親戚とはいえ職場で過度な馴れ合いは避けるつもりだったのだろう。
しかし、奏にとってそんな常識は通用しなかったのだ。
「春樹くんの……親戚の、娘さん……」
そらが、ポツリと呟いた。
「私、春樹くんのことならなんでも知ってると思ってたのに……。こんなに可愛い娘さんがいたなんて、なんか、ちょっと悔しいかも……」
そらの「正妻(幼馴染)」としてのアイデンティティが、激しく揺さぶられている。
### Scene 5:パパの愛(オーバーテクノロジー)の行方
「……納得いかないワ!!」
マリンが、バンッ!とテーブルを叩いて立ち上がった。
「チーフ! 船長がどれだけ色仕掛けしても『静電気が起きる』って突き放すくせに! なんでこの新人ちゃんには、あんなに優しく抱きとめて、頭まで撫でてるのよ!!」
「そうだそうだッス! チーフはホロライブのビッグダディだけど、みんなに平等に冷たくて、平等に優しいはずッス! なのに奏ちゃんだけ『ガチのパパ』の顔するなんてズルいッス!!」
スバルも便乗して抗議する。
春樹は、騒ぐマリンとスバルを見て、やれやれと首を振った。
「お前らな。お前らは俺にとって『ビジネス上のタレント(手のかかる問題児たち)』だ。プロとして接している以上、私情を挟むわけがないだろ。……だが、こいつ(奏)は、俺がオムツを替えて、自転車の乗り方を教えて、初めてのシンセサイザーを買ってやった『本物の身内』だ。お前らと同列に語るな」
その言葉の破壊力は、凄まじかった。
**((((勝てない……!!))))**
マリン、スバル、ちょこ、そしてそらとAちゃんまで。
ホロメンたちの心の中に、絶望的な敗北感が響き渡った。
彼女たちがどれだけアピールし、どれだけ配信で努力し、チーフに認めてもらおうと足掻いても。
『オムツを替えた』という、圧倒的な時間と血縁の暴力の前では、すべてが霞んでしまう。
「えへへー! パパは私のパパだもんねー!」
奏は、完全に勝利を確信したようなドヤ顔で、春樹の腕にギュッと抱きついた。
「おい、奏。調子に乗るな」
春樹は、奏の額を指で軽くピンッと弾いた。
「あいたっ!」
「いいか。ここはお前の家じゃない。カバー株式会社というプロの現場だ。お前は今日から、ReGLOSSの音乃瀬奏として、数百万人のリスナーの前に立つんだぞ。……俺をパパと呼ぶのは勝手だが、ステージの上では、絶対に甘えるな。プロとしての結果を出せ」
それは、親戚のお兄ちゃんとしての甘さではなく、ホロライブのチーフ・テクニカル・プロデューサーとしての、厳しくも愛のある言葉だった。
奏は、額をさすりながらも、その言葉を聞いて表情をピシッと引き締めた。
「……うんっ! わかってるよ、チーフ! 私、絶対にすごいアーティストになって、世界中のみんなをあっ!と言わせてみせるから! パパの組んだシステム、全部使い切ってやるんだから!」
「ああ。その意気だ。お前の歌声(データ)は、俺が1デシベルの欠損もなく世界中に届けてやる」
春樹と奏の間に交わされた、プロフェッショナルとしての、そして家族としての強固な信頼。
その美しい絆の光景を見せつけられ、先輩ホロメンたちはもはや口を挟むことすらできなかった。
### Epilogue:新たな脅威(ライバル)と、変わらぬ要塞
「あーっ! 奏、抜け駆けはずるいって言ったじゃん!」
「そうですよ! 私たちも一緒に挨拶するって決めてたのに!」
そこへ、遅れてやってきたReGLOSSの他のメンバー(火威青、一条莉々華、儒烏風亭らでん、轟はじめ)とマネージャーがミーティングルームに駆け込んできた。
「あ、みんな! ごめんごめん、パパが見えたからつい!」
奏が春樹から離れ、メンバーの方へと駆け寄っていく。
「パパ……? え、チーフさんのことですか?」
莉々華が目を丸くしていると、春樹は「……ただの親戚だ。お前らも、デビュー前の忙しい時にこいつが迷惑をかけてすまないな」と、完全に『保護者』の顔で頭を下げた。
「い、いえ! とんでもないです!」
恐縮するReGLOSSの面々。
そして、その光景を、先輩ホロメンたちは死んだ魚のような目で眺めていた。
「……スバル」
マリンが、虚ろな声で呟く。
「……なんスか、船長」
「私たち、チーフを振り向かせるには、どうすればいいのかしら。戸籍……戸籍からやり直すしかないの……?」
「無理ッスよ船長……。血の繋がりという最強のシステムには、どんなバグも通用しないッス……」
癒月ちょこはタピオカのストローを噛みちぎりそうになりながら「ちょこだって血は繋がってるのにぃぃ!」と心の中で血涙を流し。
ときのそらは「……春樹くんのパパの顔、ちょっとドキッとしちゃったな……」と、新たな扉を開きかけていた。
「さて。挨拶も終わったなら、お前ら(先輩組)は自分のスタジオに戻れ。俺はReGLOSSの最終マスタリングに入る」
春樹はパンパンと手を叩き、いつもの『絶対零度の防壁』の顔に戻ってコンソールに向き直った。
どれだけ手のかかる『娘(ホロメン)』が増えようとも。
そして、まさかの『本当の娘(親戚)』が襲来しようとも。
カバー株式会社の天才エンジニアは、今日も一切のブレなく、彼女たちが輝くための舞台をシステムで支え続ける。
「パパー! 後で私のマイクの高さ、もうちょっとだけ下げておいてねー!」
「インカムで指示しろ。直接言いに来るな」
ミーティングルームに響く、生意気な新人と、不器用なビッグダディのやり取り。
ホロライブという騒がしい家族に、また一つ、最高に厄介で愛おしい不協和音が加わった瞬間だった。