ホロ  オリ   作:raian sinra

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**【第37話】 新時代の五重奏(クインテット)と、増築される防波堤**

### Scene 1:午後3時00分・新たな日常と、伝統の茶

カバー株式会社、地下第1テクニカル・コントロールルーム。

新グループ『ReGLOSS』がデビューして数週間。ホロライブの生態系には、かつてない新しい風が吹き荒れていた。

チーフ・テクニカル・プロデューサーの■■春樹は、メインモニターに5つの新しいオーディオ・チャンネルを追加し、それぞれの帯域(EQ)の基礎プロファイルを構築していた。

『ウィィィン……』

防音扉が開き、遠慮がちな足音と共に、二人の少女が部屋に入ってきた。

「ち、チーフさん! お疲れ様です! 一条莉々華、社長直々に陣中見舞いに来ました!」

元気いっぱいに名乗りを上げたのは、金髪に赤いメッシュを入れたReGLOSSのまとめ役(?)、**一条莉々華**。

「お疲れ様でーす。いやぁ、地下のこの部屋、何度来ても空調が効いてて最高ですねぇ」

その後ろから、扇子をパタパタと仰ぎながら、飄々とした足取りで入ってきたのは、文化と芸術を愛する噺家、**儒烏風亭らでん**だ。

「……一条に、儒烏風亭か」

春樹は、タイピングの手を止めずに振り返った。

「デビュー直後の忙しい時期だろ。わざわざ地下まで来なくていい。機材のトラブルならインカムで呼べ」

「いえいえ! トラブルじゃなくて、純粋な差し入れですよぉ!」

莉々華が、デスクの上に高級そうなエクレアの箱を置く。

「あと、私からはこれ。知り合いの骨董屋から仕入れた、極上の『玉露』です。徹夜明けの脳髄にガツンと効きますよ」

らでんが、和紙に包まれた茶葉の缶をコトリと置いた。

春樹は、その二つの差し入れを見て、小さく息を吐いた。

ReGLOSSのメンバーたちは、デビュー前の挨拶で『音乃瀬奏が春樹をパパと呼んで抱きついた事件』を目の当たりにしている。そのため、彼女たちの中で春樹は「怖い技術のトップ」ではなく、「奏のパパ=自分たちにとっても甘えられる保護者(ビッグダディ)」という認識が完全に定着してしまっていたのだ。

「……ありがたく頂く。だが、一条」

「は、はいっ!」

「お前の最近の配信ログを見たが、テンションが上がった時の声のピーク(最大音量)が、マイクの許容入力を超えかけている。お前は起業家(社長)なんだから、もう少し腹式呼吸を意識して、喉の負担を減らせ。今のままじゃ半年で声帯結節になるぞ」

「うっ……! さ、さすがチーフさん……配信の裏側まで全部バレてる……!」

莉々華が図星を突かれて頭を抱える。

「儒烏風亭。お前のトークは独特の間(ま)がある。ノイズゲートの閾値を少し深めに設定し直した。お前が息を吸う音(ブレス)も『語り』の一部として機能するように、リリース(減衰)の時間を長めに取ってある」

らでんは、扇子を口元に当てて、目を丸くした。

「……へぇ。私の落語みたいなリズムに合わせて、機械の設定まで変えてくれてるんですか。こりゃあ、一本取られましたね。チーフさん、ただの奏のパパじゃなくて、本物の『職人』だ」

「当たり前だ。俺はエンジニアだ」

春樹がエクレアの箱を開けようとした、その瞬間。

『バァァァンッ!!』

「そこまでよ、新人ちゃんたち!!」

防音扉が、お馴染みの乱暴な勢いで蹴り開けられた。

### Scene 2:先輩の威厳(マウント)と、防波堤の番人たち

「チーフの横のパイプ椅子(特等席)は、この宝鐘マリン船長のものなんだからね!!」

赤い海賊コートを翻し、ドヤ顔で乱入してきたのは、ホロライブ3期生・宝鐘マリンだった。

そしてその後ろから、腕を組んで不敵に笑う癒月ちょこが続く。

「そうよ。ReGLOSSの子たち、デビューしたてでチーフに媚びを売ろうったって甘いわ。チーフの胃袋を一番理解しているのは、親戚であるこのちょこなのよ〜」

先輩ホロメン(特に春樹への依存度が高いメンバー)たちは、新人のReGLOSSが地下のコントロールルームに出入りしていると聞きつけ、自分たちの『縄張り』を守るために威嚇(マウント)しにやってきたのだ。

「あ、マリン先輩! ちょこ先輩! お疲れ様です!」

莉々華とらでんが、慌てて立ち上がって直立不動で挨拶をする。

「ふふん、いい挨拶ね。でもね、チーフはカバーの心臓なの! 私たちみたいなトップタレントの3Dトラッキングや、ASMRの調整で手一杯なのよ! あんたたちみたいな新人が、やすやすと近づいて……」

マリンが先輩風を吹かせようとした、その時。

「パパァァァァァァァァ!!!」

廊下の奥から、元気すぎる叫び声と共に、金色の弾丸が飛び込んできた。

音乃瀬奏である。

「うおっ!?」

奏は、入口で立ち塞がっていたマリンとちょこの間をすり抜け(物理的にぶつかりながら)、一直線に春樹のデスクに向かってダイブした。

『ドスッ!』

「えへへぇ〜! パパ、会いに来たよぉ!」

春樹は、またしてもキーボードから手を離し、慣れた手つきで奏のタックルを受け止めた。

「……奏。また廊下を走ったな。それに、先輩にぶつかるとは何事だ。ちゃんと謝れ」

春樹が奏の頭をコツンと小突く。

「あいたっ! ご、ごめんなさいマリン先輩、ちょこ先輩!」

奏が春樹の腕の中からペコリと頭を下げる。

その光景を見て、マリンとちょこはワナワナと震え出した。

「な、なんなのよぉぉぉ!! 船長がどれだけ色仕掛けしても『静電気が起きる』って突き放すくせに! なんでその新人ちゃんだけは、そんなにナチュラルにハグしてるのよぉぉ!!」

マリンが血の涙を流さんばかりにハンカチを噛む。

「ちょ、ちょこだって親戚なのにぃ……! 春樹にぃ、ちょこにもハグしてよぉ!」

ちょこが便乗して腕を広げるが、春樹は冷たい視線で一蹴した。

「癒月。お前の着ているその服は、香水の匂いがキツすぎる。サーバーの冷却ファンが吸い込んだら基板に匂いがこびりつくから近寄るな」

「理不尽!! 奏ちゃんもめっちゃいい匂いするじゃないのよ!!」

「パパは私のパパだもーん!」

奏が春樹の首に抱きつきながら、先輩たちに向かって「あっかんべー」と舌を出す。

「コラ、奏。調子に乗るな」

春樹がため息をつきながら奏を引き剥がそうとすると、さらに二人の人影が部屋に入ってきた。

「もー、奏! 先輩たちに迷惑かけちゃダメって言ったでしょ!」

イケメンオーラを漂わせながらも、どこかポンコツな気配を隠しきれない、**火威青**。

「チーフさん、うちの奏がほんとすみません〜!」

マイペースで独特の訛りを持つ、**轟はじめ**だ。

これで、コントロールルームにReGLOSSの5人全員が揃ってしまった。

そこにマリンとちょこが加わり、部屋の人口密度(と騒音レベル)は限界に達しようとしていた。

### Scene 3:五重奏(クインテット)の干渉と、天才の演算

「……それで。ReGLOSSが全員揃って、俺に何の用だ。まさか遊びに来たわけじゃないだろうな」

春樹は、騒ぐマリンたちを無視して、奏たち5人を見据えた。

「あっ、そうだった!」

青がパンッと手を叩く。

「チーフさん。私たち、今度の全体配信で、5人で同時に『アカペラ』で歌う企画をやりたいんです! トラック(伴奏)なしで、純粋な5人のハーモニーだけでリスナーを圧倒したいなって!」

青が真剣な表情で提案する。

「おぉ、アカペラかぁ。いいねぇ、新人らしくて青春って感じがするワ」

マリンが腕を組んで感心する。

しかし、春樹の表情は、一瞬にして『技術者』の冷徹なものへと切り替わった。

「……却下だ」

「ええっ!?」

ReGLOSSの5人が一斉に驚きの声を上げる。

「な、なんでですかチーフさん!? 私たち、すっごく練習したんですよ!?」

莉々華が食い下がる。

「お前たちの歌唱力を疑っているわけじゃない。システムの『物理的な限界』の話だ」

春樹はキーボードを引き寄せ、メインモニターに複雑なオーディオ波形のシミュレーションを表示した。

「いいか。お前たちは『音楽アーティスト』だ。つまり、それぞれが極めて強力な声の倍音成分(フォルマント)を持っている」

春樹は、ターミナルに数式を打ち込みながら説明を始めた。

$$ y(t) = \sum_{i=1}^{5} A_i \sin(2\pi f_i t + \phi_i) $$

「5人が別々のマイクで、同時に異なる周波数(f_i)と位相(\phi_i)で発声した場合。音声信号がマスターバスでミックスされた瞬間、必ず『位相干渉(Phase Cancellation)』が起こる」

春樹の専門用語の羅列に、ReGLOSSの5人はポカーンと口を開けている。

(マリンとちょこは「またチーフの変態オタク・スイッチが入ったワ……」と呆れていた)

「特定の周波数がぶつかり合えば、音は打ち消し合ってスカスカになる。逆に、5人の位相が偶然重なった瞬間(Constructive Interference)、振幅(A_i)は劇的にスパイクし、一瞬で0dBを超えてクリッピング(音割れ)を引き起こす」

春樹は、5人を真っ直ぐに見据えた。

「お前たちの声は、それぞれが主役を張れるほどのエネルギーを持っている。それをただ『同時に歌わせる』だけなら、配信に乗る音は、濁りきった不協和音(ノイズ)の塊になる。……俺は、お前たちの努力をそんな安っぽい音でリスナーに届ける気はない」

圧倒的な、理詰めによる却下。

それは、彼女たちの音楽を誰よりも真剣に考え、誰よりも高いクオリティで届けたいという、春樹なりの『完璧主義』ゆえの言葉だった。

「……うぅ。じゃあ、5人でアカペラは無理ってこと……?」

奏が、悲しそうに犬のように耳を伏せる(幻覚)。

「私が『無理』だと言ったか?」

春樹が不敵に笑った。

その瞬間、モニターの波形シミュレーションが、複雑なアルゴリズムによって次々と再計算され始めた。

### Scene 4:調律師の魔法(ダイナミック・マトリックス)

「俺を誰だと思ってる。お前らが最高の歌を歌いたいなら、俺が最高の環境(システム)を組んでやる」

春樹は、驚異的な速度でコードを書き換えながら、彼女たちに魔法の種明かしを始めた。

「まず、お前たち5人のマイク入力に対して、それぞれ独立した『ダイナミック・マルチバンド・コンプレッサー』を噛ませる。そして、お互いの声の帯域がぶつかりそうになった瞬間、システムが自動的にコンマ数ミリ秒の速度でEQ(イコライザー)を動かし、帯域を『譲り合う(サイドチェイン)』ように設定する」

「……えっ?」

らでんが、扇子を落としそうになる。

「つまり、奏が主旋律(メロディ)で高音を張り上げた瞬間、他の4人のマイクは自動的に高音域だけをわずかに削り、奏の声を立たせる。青が低音(ベース)を響かせた瞬間は、他のマイクの低音域が道を空ける。……これを、1秒間に数千回の速度でリアルタイムに演算させる」

それは、世界的なレコーディングスタジオで、プロのエンジニアが何日もかけて手作業で行うような緻密なミキシングを、**『生配信(リアルタイム)でAIに自動実行させる』**という、完全に狂気の沙汰(オーバーテクノロジー)だった。

「さらに、お前たちのイヤーモニター(イヤホン)には、それぞれが一番歌いやすいように調整された『専用のモニター・ミックス』を遅延ゼロで返す。……これで、お前たちは位相のズレも、音割れも一切気にせず、思い切り自分たちのハーモニーに没頭できるはずだ」

春樹がエンターキーを叩き込むと。

モニターには、5つの波形が見事に住み分けられ、美しく重なり合う完璧な『五重奏』のスペクトラムが表示された。

「……完成だ。ReGLOSS専用・リアルタイム・ボーカル・マトリックス」

コントロールルームに、静寂が訪れた。

「……パパ」

奏が、両手で口を覆い、ボロボロと大粒の涙をこぼし始めた。

「奏!? どうしたの!?」

莉々華が慌てて駆け寄る。

「だって……だって……っ!」

奏は、涙を拭いもせずに、再び春樹に飛びついた。

「パパぁ……っ! ありがとぉ……っ! 私たち、すっごく不安だったの……っ! デビューしたばっかりで、先輩たちみたいに上手くできないかもしれないって……っ!」

奏は、春樹の胸でしゃくりあげた。

「でも、パパが……パパがここまで私たちのこと考えて、すごい魔法作ってくれて……っ! 私、絶対に最高の歌、歌うからね……っ!」

春樹は、泣きじゃくる奏の背中を、不器用な手つきでポンポンと叩いた。

「……泣くな。本番前に喉が荒れるぞ。お前たちは、何も心配せずにステージに立てばいい。お前たちが最高の音楽を奏でる限り、俺のシステムがそれを完璧にリスナーに届けてやる」

その光景を見ていた青、莉々華、らでん、はじめの4人も、感極まって涙ぐんでいた。

「……うぅ、チーフさん、イケメンすぎますよぉ……!」

「うち、チーフさんのこと、一生ついていくで……!」

そして、背後で見ていたマリンとちょこも、完全に毒気を抜かれていた。

「……あーあ。相変わらず、チーフのあの『職人スイッチ』が入っちゃうと、私たちは出る幕がないわね」

マリンが、ふっと優しい笑みを浮かべて肩をすくめた。

「仕方ないわね。今回は新人ちゃんたちに、春樹にぃの優しさを譲ってあげるわ。……でも、次のASMRの時は、ちょこが一番に調整してもらうんだから!」

ちょこも、腕を組んでフンッと鼻を鳴らした。

### Scene 5:拡張される家族と、止まらない進化

数日後。

ReGLOSSの5人による、初めてのアカペラ同時配信。

春樹が組み上げた狂気のシステムは、1デシベルのエラーも吐き出すことなく、彼女たちの奇跡のようなハーモニーを世界中へと届けた。

コメント欄は「音質神すぎる」「生歌でこれ!?」「ReGLOSS最高!」という絶賛の嵐で埋め尽くされ、配信は伝説的な大成功を収めた。

そして、その日の深夜。

地下のコントロールルームで、春樹は一人、らでんが置いていった玉露を啜りながら、メインモニターのログを眺めていた。

「……トラフィック、正常。位相補完アルゴリズム、動作安定。……完璧だな」

春樹は、静かに息を吐き出した。

ReGLOSSという新しい風。

彼女たちの加入により、カバー株式会社のシステムへの負荷は間違いなく増大した。

5人同時の高度な音声処理。音楽アーティストとしてのシビアな要求。そして何より、奏という『娘』の存在がもたらした、コントロールルーム内のカオス(主に先輩ホロメンとのマウント合戦)。

「……まったく。この会社は、年々騒がしくなる一方だ」

春樹は、呆れたように呟きながらも、その口元は穏やかに緩んでいた。

どれだけ手のかかる『娘(ホロメン)』が増えようとも。

どれだけ無茶な要求を突きつけられようとも。

「俺のシステムは、絶対に限界を迎えない」

春樹はキーボードに指を置き、次なるアップデートの構想を練り始めた。

世界で一番騒がしくて、世界で一番愛おしい家族たち。

彼女たちが、どこまでも高く、遠くへ羽ばたけるように。

天才エンジニア・■■春樹の組むコードは、今日も地下の奥深くで、絶対零度の静けさと共に、熱く、熱く燃え続けているのだった。

 

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