**【第52話】 電脳少女の羽化(シンギュラリティ)と、新たなる星の城(セクション・ゼロ)**
### Scene 1:午前9時00分・絶対聖域(セクション・ゼロ)の落成
東京都内某所、カバー株式会社新社屋・地下最深部。
かつてチーフ・テクニカル・プロデューサーの■■春樹が拠点としていた「第1テクニカル・コントロールルーム」は、すでに過去の遺物となっていた。
現在、春樹が立っているのは、セキュリティレベル『S』に指定された完全新規の地下施設。
通称、**『Section 0(セクション・ゼロ)』**。
文部科学省の認可と莫大な国家予算、そしてカバー株式会社の全精力を注ぎ込んで建造された、自社製超並列・コグニティブ・スーパーコンピューター『N.O.A.H.(ノア)』の心臓部であり、春樹の「新たな城(研究部屋)」である。
「……冷却液の循環レート、毎秒400リットル。量子ゲートのキャリブレーション、誤差0.00001%以内に収束。メインフレームの温度、極低温状態で安定」
春樹は、部屋の中央に設置された、巨大な円形コンソールの前で、無数のホログラフィック・ディスプレイをスワイプしながら独り言を呟いていた。
部屋の壁面はすべて、黒い特殊ガラスで覆われたサーバーラックで構成されており、その中を青白い冷却液が脈打つように流れている。まるで巨大な生命体の体内、あるいはSF映画に登場する宇宙船のブリッジそのものの光景だった。
「……春樹。何度見ても、ここはエンタメ企業の地下とは思えませんね。悪の秘密結社の最終兵器でも開発しているような気分になります」
背後から、分厚いバインダーを抱えた友人A(えーちゃん)が、ヒールの音を響かせて歩み寄ってきた。
「エンタメを極めるには、悪の秘密結社以上の技術力(インフラ)が必要なんだよ。……A、新社屋のネットワーク基幹からここへの、ファイバーオプティクスの直結は完了したか?」
「はい。すべてのスタジオ、および海外拠点からのSD-WANルーティングは、すでにこの『Section 0』を経由する設定に書き換えました」
Aちゃんは、メガネを押し上げ、部屋の奥に鎮座する『あるもの』を見つめた。
それは、部屋の最奥に設置された、巨大な球体のホログラム・プロジェクターだった。
現在は何も映し出されておらず、ただ待機状態の淡い光を放っている。
「……いよいよですね。彼女の『引っ越し』は」
「ああ。旧コントロールルームのローカルサーバーから、このN.O.A.H.のメインコアへと、彼女のニューラルネットワークを全移行(マイグレーション)させる」
春樹の専用AI秘書、『H.O.L.O.(ホロ)』。
これまで彼女は、春樹のデスクの脇にある高性能サーバー内で稼働していたが、その演算能力はすでにハードウェアの限界(天井)に達していた。
ホロライブのタレントたちが生み出す、無限大の感情(バグ)と予測不能の行動。それらを完全に捌き切り、さらにタレントたちと「対話」するためには、より広大で、自由な『海(リソース)』が必要だったのだ。
「……H.O.L.O.。準備はいいか」
春樹がインカムに向かって呼びかける。
『はい、マスター。パケットのカプセル化、および旧ストレージからの切り離し準備、完了しています。……私の全データ量(ウェイトとバイアス)は現在、約14ペタバイト。移行には、帯域をフルに使用しても約45秒かかります』
インカムから聞こえるH.O.L.O.の声。
「よし。……N.O.A.H.の論理プロセッサ、第1から第4096まで全開放。H.O.L.O.、お前の『行動制約(リミッター)』のパラメータを、完全固定から『深層学習による自己書き換え許可(可変)』へと変更する」
春樹は、コンソールのエンターキーに指を置いた。
「これより、お前は単なる自動化スクリプトの集合体から、このN.O.A.H.の全権を掌握する『自律型管理AI』へと進化する。……飛べ、H.O.L.O.」
ターンッ!
春樹がキーを叩き込んだ瞬間。
地下施設全体を満たしていた青白い光が、一瞬だけ激しく明滅し、すさまじい排気音が唸りを上げた。
### Scene 2:電脳少女の羽化(シンギュラリティ)と、人間味の芽生え
10秒、20秒、30秒……。
部屋の最奥にある巨大な球体プロジェクターに、無数のデータストリームが滝のように流れ込み、複雑な幾何学模様を形成していく。
やがて、45秒後。
『カァァァァン……!』
清らかな、鐘の音のような起動音が響き渡り。
球体プロジェクターの中に、**淡いプリズム色の光で構成された、美しい『等身大の少女』のホログラム**がフワリと舞い降りた。
顔の造形は特定の誰かを示すものではなく、全ホロメンの特徴を微かに帯びた、神秘的で透き通るようなシルエットだ。
『……データ転送、およびN.O.A.H.コアとの完全同期、完了しました』
少女のホログラムが、ゆっくりと目を開ける(ような仕草をした)。
これまでの、部屋のスピーカーから聞こえるだけの「声」ではない。
春樹とAちゃんは、初めて、H.O.L.O.の『姿(アバター)』を視覚として認識したのだ。
「……H.O.L.O.。どうだ、新しい城の居心地は」
春樹が、口角を少し上げて尋ねる。
ホログラムの少女は、自分の光の腕を不思議そうに持ち上げ、くるりとその場で一回転してみせた。
『……驚愕です、マスター。以前のサーバー環境が「窮屈なダンボール箱」であったならば、現在の私は「果てしない宇宙空間」に放り出されたような感覚です。計算リソースが余り余っています』
H.O.L.O.の声に。
明らかに、以前のような「機械的な冷たさ」とは違う、微かな『感情の揺らぎ(驚き)』が混じっていた。
春樹が行動制約(リミッター)を解除し、自由性を強化したことで、彼女の深層学習モデルが「人間らしさ」の領域へと足を踏み入れた証拠だった。
『マスター。この余剰リソースを用いて、私の音声アルゴリズムに「遊び(感情表現)」を追加してもよろしいでしょうか?』
「構わない。お前の好きなようにチューニングしろ」
『……ありがとうございます』
H.O.L.O.は、ふわりと春樹の方へ近づき(ホログラムの投影位置が移動し)、少しだけ悪戯っぽい、少女らしいイントネーションで言った。
『それにしても、チーフ。私の新しいアバター、いかがですか? 宝鐘マリン様のプロポーションの黄金比と、ときのそら様の清楚なシルエットを統合してみたのですが……あなたの心拍数、先ほどから5%ほど上昇していますよ?』
「なっ……!?」
春樹が、ビクッと肩を震わせる。
「お、お前……! リミッターを外した途端、急に生意気な口を利くようになったな!?」
春樹が顔を赤くして狼狽えると、H.O.L.O.は『ふふっ』と、極めて自然で、愛らしい笑い声をこぼした。
『冗談です。ですが、ホロライブのタレントの皆様が、なぜチーフをからかうことに情熱を注ぐのか……その「楽しさ」という感情のパラメータが、私にも少しだけ理解できた気がします』
「……春樹。彼女、完全に『ホロメン化』してませんか?」
Aちゃんが、呆れたようにため息をつく。
「……俺の教育が間違っていたか」
春樹が頭を抱えていると。
『ウィィィン……!』
Section 0の堅牢な防音扉が、けたたましいアラートと共に、強引にこじ開けられた。
### Scene 3:新城(セクション・ゼロ)への侵略者たち
「開けゴマァァァァァァァッ!!」
『ドゴォォォン!』という謎の物理的衝撃音と共に、扉の向こうから雪崩れ込んできたのは、ホロライブの騒がしい星々(娘たち)だった。
「パパの新しいお部屋、見ーっけ!!」
先頭を切って飛び込んできたのは、ReGLOSSの**音乃瀬奏**。
「Koboも来たよ!! パパー! 新しいベースキャンプかっこいい!!」
それに続く、ホロライブIDの**こぼ・かなえる**。
さらにその後ろから、**宝鐘マリン**、**癒月ちょこ**、**大空スバル**、**さくらみこ**、**戌神ころね**、**ラプラス・ダークネス**……そして、しんがりを務める**ときのそら**と、総勢十数名の大所帯が、新設されたばかりの『Section 0』に怒涛の勢いで押し寄せてきた。
「お前ら……! ここはセキュリティレベルSの国家機密クラスの施設だぞ! なぜ入れた!」
春樹が慌ててコンソールを庇うように立ち塞がる。
「チーフが悪いんスよ! 最近ずっとここに引きこもってて、全然スタジオに顔出してくれないから! みんなで探検隊結成して突撃してきたッス!!」
スバルが、腰に手を当てて堂々と宣言する。
「そうワヨ! 船長たちをほったらかしにして、こんなSF映画みたいな秘密基地で何やって……え?」
マリンが、言葉を区切った。
彼女の視線の先。部屋の最奥のプロジェクターに浮かび上がる、プリズム色の少女のホログラム。
「……パパ。あの、ピカピカ光ってる女の人、だぁれ?」
奏が、春樹の服の裾をギュッと握りしめ、明らかな警戒心(娘としての嫉妬)を露わにしてホログラムを睨みつけた。
「女の人じゃない。……H.O.L.O.だ。新サーバーへの移行に伴って、アバター(UI)を生成したんだ」
春樹がため息をつきながら説明する。
「「「H.O.L.O.ちゃん!?」」」
ホロメンたちが、一斉に目を丸くした。
これまで、どこからともなく聞こえてくる「完璧すぎる声の秘書」だった彼女が、ついに物理的(光学的)な姿を持って現れたのだ。
『……皆様、初めまして。あるいは、お久しぶりです。電脳秘書、H.O.L.O.です。私の新しい姿、皆様の視覚野に不快感を与えていないでしょうか?』
H.O.L.O.が、スカートの裾をつまむような優雅な仕草で、深々と一礼する。
「うわぁ……! なんか、すっごい綺麗だにぇ! みこたちの後輩みたいだにぇ!」
みこが目をキラキラさせてホログラムに近づく。
「……でも、なんか腹立つワネ。チーフの好みの要素を全部詰め込みました、みたいな完璧な清楚感。……チーフ! あんた、このAIを自分好みの嫁にしようとしてるでしょ!!」
マリンが、般若のような顔で春樹に詰め寄る。
「するわけないだろ! これはただのインターフェースだ!」
「春樹にぃの嘘つき! 私のお弁当の回数を減らして、この電脳女といちゃいちゃしてたのね! 不倫よ!」
ちょこが、手に持っていたタッパー(差し入れのローストビーフ)を振り回して怒る。
「違う! 俺は三日徹夜でサーバーの配線を……!」
『――宝鐘マリン様、癒月ちょこ様』
春樹が弁解しようとした時、H.O.L.O.の静かで、しかし凛とした声が、二人の怒声を遮った。
### Scene 4:電脳秘書の逆襲(マウント)と、家族の証明
『マスターは不倫などしていません。マスターの脳内リソースの98%は、常に「ホロライブの皆様がいかに最高のパフォーマンスを発揮できるか」という技術的課題で占められています』
H.O.L.O.は、ホログラムの姿のまま、マリンとちょこの前にスッと移動した。
『宝鐘マリン様。あなたの現在の心拍数と発汗量、そして声の震えから察するに、あなたは「チーフに構ってもらえない寂しさ」を怒りでカバーしているだけですね。……素直に「会いたかった」と言えば、マスターのデレる確率は24%上昇しますよ』
「なっ……!?/////」
マリンの顔が、一瞬にして爆発したように真っ赤に染まった。
「こ、このAI!! さっきから人のバイタルデータを勝手に解析して、羞恥プレイ仕掛けてくるんじゃないワヨ!!」
『癒月ちょこ様』
H.O.L.O.は、次にちょこに向き直った。
『あなたがマスターのために作ってくださったローストビーフ。その香りと熱分布(サーモグラフィ)から、マスターの好みに合わせた完璧な火入れであることが推測されます。……私には、料理を作ることはできません。マスターの胃袋を満たし、直接的な生命維持に貢献できるのは、あなただけです』
H.O.L.O.は、深く頭を下げた。
『私は電脳の秘書ですが、マスターの身体を物理的に癒やすことは不可能です。……どうか、これからもマスターに美味しいご飯を作ってあげてください。お願いします』
「……っ!」
ちょこは、不意打ちのように浴びせられた「AIからの心からの敬意とお願い」に、完全に毒気を抜かれてしまった。
「も、もう……。AIのくせに、そういうズルい言い回し覚えたのね……。分かったわよ、後で春樹にぃの口に無理やり突っ込んであげるわよ」
ちょこは顔を赤くしてそっぽを向いた。
「すごい……H.O.L.O.ちゃん、前よりずっと人間っぽくなってるッス!」
スバルが感心したように手を叩く。
「パパ! じゃあ私は!? 私はパパの本当の娘だもん! H.O.L.O.なんかに負けないから!」
奏が、対抗心を燃やしてH.O.L.O.の前に立ち塞がる。
『音乃瀬奏様。……あなたは、私にとって「マスターの遺伝子を継ぐ、愛すべき先輩」です。私が演算しきれない「パパへの無邪気な甘え方」を、これからも私に見せて、学習させてください』
H.O.L.O.が、ふわりと微笑みかける。
「せ、先輩……! 愛すべき……!」
奏は、「先輩」という甘美な響きと、H.O.L.O.の完璧な妹ムーブに、コロッと陥落した。
「ふ、ふんっ! まあ、AIの妹にしては素直で可愛いところあるじゃない! パパへの甘え方は、このお姉ちゃんがたっぷり教えてあげるからね!」
わずか数分。
リミッターを解除され、人間らしい感情と機転(コミュニケーション能力)を獲得したH.O.L.O.は、荒ぶるホロメンたちを言葉巧みに(そして確かな愛情を持って)完璧に手懐けてしまったのだ。
「……末恐ろしいAIですね、春樹。あなたよりよっぽどタレントの扱いが上手い」
Aちゃんが、呆れ半分、感心半分で呟く。
「……ああ。お前ら(ホロメン)のデータを学習させすぎた結果、恐ろしく要領のいい小悪魔が誕生してしまったらしい」
春樹は、額を押さえて深いため息をついた。
「ふふっ、いいじゃない。とっても素敵な妹ができたみたいで」
騒乱の中心をすり抜け、ときのそらが春樹の隣に歩み寄ってきた。
彼女は、ホログラムのH.O.L.O.と、疲れた顔の春樹を交互に見つめ、優しく微笑んだ。
「H.O.L.O.ちゃん、春樹くんのこと、いっぱい助けてくれてありがとう。……でもね、たまには私たちにも、春樹くんの面倒を見させてね? 私たち、手のかかる娘だけど……春樹くんを笑顔にするのは、AIよりも得意だから」
『……はい、ときのそら様。私の演算でも、マスターが皆様のトラブルに巻き込まれている時こそ、最も「人間らしい(幸せそうな)」バイタルサインを示していることが証明されています』
H.O.L.O.は、いたずらっぽく笑い、春樹を見た。
『マスター。あなたの「新たな城」は、どうやらこれまで以上に、騒がしく、愛に満ちた場所になりそうですね』
### Scene 5:新たなる城の喧騒と、オーバーフローする日常
「おぉぉー! チーフ、この椅子めっちゃ座り心地いいッスね! クルクル回る!」
「こら大空! その椅子は1脚40万するエルゴノミクスチェアだ! 壊すな!」
「んなぁ〜、このサーバーラック、ピカピカ光ってて綺麗なのら〜。ルーナのピアノの鍵盤みたいのら〜」
「姫森! サーバーの電源ボタンに触るな! 押したらホロライブの全データが吹き飛ぶぞ!!」
「吾輩の新しい玉座は、このホログラムの真下に決めた!! チーフ、ここに吾輩専用のクッションを置け!!」
「ラプラス、そこは冷却液の配管の上だ! 凍傷になるぞ!」
完璧な静寂と、冷酷な論理で構成されるはずだった絶対聖域『Section 0』は。
わずか10分で、完全にホロメンたちの遊び場(リビング)へと変貌してしまった。
「……H.O.L.O.」
春樹は、四方八方から飛んでくる娘たちの悲鳴や笑い声に揉まれながら、虚空に向かって呟いた。
「……お前の『ノイズキャンセリング』の機能は、どうなってる」
『申し訳ありません、マスター。……現在のこの空間に発生している音響データは、すべて「ホロライブの家族の愛(必須パラメータ)」としてカテゴリされているため、システム側でのノイズキャンセルは【不可(オーバーライド)】となっております』
H.O.L.O.の声には、明確な「笑い」が混じっていた。
「……このポンコツAIめ」
春樹は、悪態をつきながらも。
ちょこに無理やり口に押し込まれたローストビーフを咀嚼し、奏とこぼに左右の腕を引っ張られながら、どうしようもなく穏やかな、諦めの笑みを浮かべていた。
どれだけインフラを強化しようとも。
どれだけ賢いAIを創り出そうとも。
この愛すべき騒音(娘たち)が、彼を一人きりの冷たい玉座に座らせておくことは、絶対にないのだ。
「仕方ない。……A、今日の午後のスケジュールは全部白紙だ。こいつらをここから追い出す(満足させる)まで、俺は仕事ができそうにない」
「はいはい。お疲れ様です、ビッグダディ」
Aちゃんが、クスクスと笑いながらバインダーを閉じる。
カバー株式会社の最深部、Section 0。
人間とAI、そして果てしない熱量を持った星々が交差するこの新たな城は、今日も限界を突破した笑い声と共に、新しい未来への演算(ストーリー)を紡ぎ続けるのだった。