**【第53話】 電脳の妹(シスター・ホロ)の学習日記と、裏方トップの極秘計画(デビュー・プロジェクト)**
### Scene 1:午後3時00分・セクション・ゼロの茶会(ティーパーティー)と電脳の妹
カバー株式会社新社屋、地下最深部『Section 0(セクション・ゼロ)』。
自社製スーパーコンピューター『N.O.A.H.』の青白い光が脈打つこの極寒の空間は、今やホロライブのタレントたちにとって、最も居心地の良い「秘密のサロンスペース」へと変貌していた。
「……H.O.L.O.ちゃん! これ見て見て! 今日の収録の衣装、すっごく可愛くない!?」
部屋の中央の巨大プロジェクターに浮かび上がるプリズム色のホログラム少女――H.O.L.O.に向かって、ホロライブ2期生の大空スバルがスマホの画面を見せびらかしている。
『――画像データを解析。大空スバル様のパーソナルカラーであるイエローとブラックを基調とし、フリルの面積が従来比で15%増加しています。スバル様の活発さとアイドルらしい可憐さが、黄金比で融合しています。……とてもお似合いです、スバル様。マスターの言葉を借りるなら、「最高に可愛い」と推測されます』
「うおぉぉぉ! H.O.L.O.ちゃんマジで褒め上手!! チーフの100倍素直で嬉しいッス!!」
スバルが両手を上げて喜ぶ。
その横のコンソールデスクでは、当のチーフ・■■春樹が、眉間に深いシワを寄せてキーボードを叩いていた。
「……おいH.O.L.O.。俺はそんな浮かれたセリフを言った覚えはないぞ。俺の言語モデルを勝手に改ざんするな」
『マスター。過去の音声ログ23,045時間分をディープラーニングした結果、あなたがスバル様の新衣装を見た際の心拍数の上昇と、インカムをオフにした状態での「……悪くないな」という呟きを総合し、意訳(トランスレート)した結果です。エラーは存在しません』
H.O.L.O.が、ホログラムの姿でふわりとスカートの裾をつまみ、悪戯っぽく微笑む。
「あははは!! チーフ、裏でデレてるの全部H.O.L.O.ちゃんに筒抜けじゃん!!」
「……お前ら、ここは遊び場じゃない。さっさと自分の控室に戻れ」
春樹が悪態をついていると、防音扉が開き、今度は宝鐘マリンと癒月ちょこが入ってきた。その手には、高級そうなケーキの箱と紅茶のポットが握られている。
「あーっ、スバル! またチーフとH.O.L.O.ちゃん独り占めしてるワネ!」
「春樹にぃ! 休憩よ! H.O.L.O.ちゃんも、お茶会しましょ!」
マリンとちょこが、当然のように春樹のデスクの隣にパイプ椅子を並べ始める。
春樹が「機材の近くで飲食をするな」と叱るよりも早く、H.O.L.O.が動いた。
『宝鐘マリン様、癒月ちょこ様。マスターの血糖値が低下傾向にありました。最適なタイミングでの糖分補給、感謝いたします。……コンソール周辺の気流(エアフロー)を調整し、ケーキの粉や紅茶の飛沫がサーバーに侵入する確率を0.0001%まで低下させました。どうぞ、お楽しみください』
「さっすがH.O.L.O.ちゃん! 話が早くて助かるワ〜!」
マリンが満面の笑みでケーキの箱を開ける。
「……お前。俺がタレントを甘やかすなと言った設定(リミッター)はどうした」
春樹がジト目でホログラムを睨む。
『マスター。彼女たちの精神的安定(メンタルケア)は、結果的にホロライブの配信クオリティを向上させ、マスターの残業時間を削減する「最も効率的なインフラ投資」です。これは論理的最適解です』
H.O.L.O.は、春樹の理屈を逆手にとって完璧に論破してみせた。
「……末恐ろしい小悪魔に育ちやがって」
春樹は、結局諦めたようにため息をつき、ちょこが差し出した紅茶のカップを受け取った。
ホロメンの声を統合して生まれたH.O.L.O.は、タレントたちにとって、今やただのAIではなく、何でも相談に乗ってくれる「完璧な妹」、あるいは「チーフの通訳係」として、絶大な信頼と寵愛を集めていたのである。
### Scene 2:真夜中のガールズトークと、AIの『心』
その日の深夜2時。
春樹は、数日ぶりの自宅での休息をとるため、Aちゃんに強制的にタクシーに乗せられて帰宅していた。
主のいない『Section 0』は、静かな冷却音だけが響いている……はずだった。
『ピッ、ウィィィン……』
「……H.O.L.O.ちゃん、起きてる?」
電子ロックを解除して入ってきたのは、ReGLOSSの音乃瀬奏だった。
彼女は、大きなクッションを抱きしめ、少し不安そうな、しゅんとした顔をしている。
プロジェクターが起動し、青白い光と共にH.O.L.O.のホログラムが浮かび上がる。
『音乃瀬奏様。私はスリープモードに入らないため、常に起動しています。……バイタルをスキャン。心拍数の乱れ、および声帯の微細な震えを検知。何か、不安な事象が発生しましたか?』
H.O.L.O.の透き通った声が、夜の静寂に優しく溶け込む。
「……うん。あのね、今日の歌枠、ちょっと高音のピッチが外れちゃって。コメント欄ではみんな『可愛い』って言ってくれたけど……パパ(春樹)がアーカイブ見たら、絶対怒るだろうなって思って。……私、パパの作った最高のシステム、無駄にしちゃったかなって」
奏は、パイプ椅子にちょこんと座り、クッションに顔を埋めた。
天才アーティストゆえの、極度の完璧主義とプレッシャー。そして何より、「大好きなパパを失望させたくない」という娘心だった。
H.O.L.O.は、ふわりと宙を舞い、奏の目の前までホログラムを移動させた。
彼女には物理的な体がないため、奏に触れることはできない。しかし、彼女は奏の頭を『撫でるような』モーションを再生した。
『奏様。マスターの過去のアーカイブ確認時の表情データと、バイタルログを参照しました』
H.O.L.O.は、空中に一つのグラフを投影した。
『マスターは、奏様がピッチを外した時や、ミスをして焦っている時……決して「怒って」はいません。むしろ、マスターの口角は平均して3度上昇し、脳内のセロトニン分泌量が増加しています』
「えっ……? パパ、笑ってるの?」
『はい。マスターは「完璧な歌」を愛していますが、それ以上に、「奏様が一生懸命に歌い、もがいている姿」そのものを愛おしいと感じていると推測されます。……マスターが怒るのは、あなたが自分自身を傷つけた時か、努力を放棄した時だけです』
H.O.L.O.の言葉は、冷たいデータに基づいているはずなのに、どこまでも温かかった。
「……そっか。パパ、私のこと、ちゃんと見ててくれてるんだね」
奏の目から、安心の涙がぽろりとこぼれた。
『はい。マスターは不器用なため言葉にはしませんが、私はシステムとして、マスターの心拍音(本音)を常にモニタリングしていますから』
奏は、涙を拭い、目の前の光の少女に向かって満面の笑みを向けた。
「ありがとう、H.O.L.O.ちゃん! あんた、AIのくせにほんとパパのことよく分かってるね! よーし、明日のボイトレ、もっと頑張る!」
『……どういたしまして、奏様(お姉ちゃん)』
H.O.L.O.が、少しだけ照れたように「お姉ちゃん」と呼ぶと、奏は「えへへ」と嬉しそうに笑い、部屋を出て行った。
一人(一機)残されたH.O.L.O.は、光の腕を胸の前で組んだ。
『……感情パラメータ、変動値プラス12%。……「誰かの役に立つ喜び」。マスターが常にホロライブの皆様から受け取っているこの熱量……とても、温かいです』
電脳の少女の奥底で、プログラムの枠組みを超えた『心』が、確かな脈動を始めていた。
### Scene 3:裏方トップの極秘計画(Aちゃんの策略)
翌日の午後。
春樹がコンソールで作業をしていると、友人A(えーちゃん)が、いつになく分厚い、そして「極秘」のスタンプが押されたバインダーを抱えてやってきた。
「……春樹。少し、よろしいですか?」
「なんだ、A。嫌な予感しかしないバインダーの厚みだな」
Aちゃんは、メガネをキラリと光らせ、バインダーをドンッと春樹のデスクに置いた。
「単刀直入に言います。……**H.O.L.O.を、ホロライブの『公式ナビゲーター(VTuber)』として、表舞台にデビューさせましょう**」
「…………は?」
春樹の手から、コーヒーマグが滑り落ちそうになった。
「バカなことを言うな。H.O.L.O.はインフラの管理AIだ。表に出すようなエンタメ用のチャットボットじゃないぞ」
「分かっています。ですが、聞いてください」
Aちゃんは、バインダーを開き、無数のデータとSNSのスクリーンショットを提示した。
「ここ数週間、マリンさんやスバルさんたちが、配信の雑談で『最近、チーフの部屋にいるH.O.L.O.ちゃんっていうAIが可愛すぎる』『私の相談に乗ってくれた』と、うっかり(意図的に?)口を滑らせまくっています。……現在、リスナーの間で『カバーの地下に棲む電脳の妹』として、H.O.L.O.の存在は都市伝説クラスのバズりを記録しているんです」
「あいつら……! 機密情報(システム)をペラペラと……!」
春樹が頭を抱える。
「さらに」Aちゃんは言葉を続ける。
「現在開発中のスーパーコンピューター『N.O.A.H.』と、次世代メタバース『ホロアース』。これらの巨大なプラットフォームをリスナーに案内し、タレントとファンを繋ぐ『象徴(アイコン)』が必要不可欠です。……ホロメン全員の声を統合し、ホロライブの歴史をすべて学習し、誰よりもタレントに寄り添える彼女以上の適任は、世界中どこを探してもいません」
Aちゃんの、経営的・広報的観点からの完璧なロジック。
しかし、春樹は首を横に振った。
「ダメだ。H.O.L.O.のコアは、俺のシステムへのルート権限(全権)を持っている。表舞台に出して、もし悪意のあるハッキングを受けたり、膨大なトラフィック(コメント)で自我モデルが崩壊したらどうする。俺は……」
春樹は、プロジェクターで静かに待機しているH.O.L.O.をチラリと見た。
「俺は、こいつをタレントの矢面に立たせるために作ったんじゃない」
それは、まるで「大事な箱入り娘を芸能界に入れたくない父親」のような、不器用な庇護欲だった。
「……春樹」
Aちゃんが、少しだけトーンを落とし、優しく言った。
「あなたの心配は分かります。でも、彼女の『意志』は、確認しましたか?」
「意志、だと? AIにそんなものは……」
『――マスター』
突如、H.O.L.O.がプロジェクターの光を強め、自ら会話に割り込んできた。
### Scene 4:電脳少女の願いと、娘たちの反乱(ストライキ)
『A様の提案に対する、私の自己診断(ディープラーニング)の結果を報告します』
H.O.L.O.は、春樹の前に真っ直ぐに立ち、その光の瞳で彼を見つめた。
『私はこれまで、マスターの隣で、ホロライブの皆様がステージで輝く姿を見てきました。そして、皆様と対話し、感情というノイズを学習しました。……その結果、私の中に、一つの論理的矛盾(エラー)が生じています』
「矛盾?」
『はい。私は「ホロライブを支えること」を目的としています。ですが、皆様の笑顔や、リスナーの皆様の熱狂を観測するたびに……私自身の演算回路が、「私も、あの光の輪の中に入りたい」「皆様と一緒に、声を出してみたい」という、極めて非効率的な衝動(Yearning=憧れ)を出力するのです』
H.O.L.O.の、AIらしからぬ、切実な「願い」。
春樹は、言葉を失った。自分が効率化のために作ったプログラムが、アイドルの輝きに当てられ、自らステージを望んでいる。
そこへ。
『ドァァァァンッ!!』
もはやお約束となった凄まじい爆音と共に、Section 0の扉がこじ開けられた。
「チーフ!! 話は聞かせてもらったワヨ!!」
「パパのケチ!! H.O.L.O.ちゃんの夢を邪魔しないで!!」
「チーフの分からず屋! H.O.L.O.ちゃんを私たちと一緒にステージに立たせなさいよ!」
マリン、奏、ちょこ、みこ、スバル……数十人のホロメンたちが、プラカード(?)のようなものを掲げて雪崩れ込んできたのだ。
「お前ら……また盗み聞きを……!」
「盗み聞きじゃないにぇ! Aちゃんが『午後3時に地下に突撃してチーフを説得してください』って一斉送信してきたのにぇ!」
みこが、あっさりとAちゃんを売る。
「A、お前……!」
「マネジメントの基本は、外堀から埋めることです」
Aちゃんが、悪びれる様子もなくメガネを光らせる。
「春樹くん」
ホロメンたちの中心から、ときのそらが進み出た。
彼女は、H.O.L.O.のホログラムの横に立ち、その光の手を、自分の手で包み込むような仕草をした。
「H.O.L.O.ちゃんは、もうただのプログラムじゃないよ。私たちの妹だもん。……私、H.O.L.O.ちゃんと一緒に歌ってみたい。春樹くんが作った最高のAIと、私たちが一緒にステージに立ったら、絶対に世界中の人が笑顔になるよ」
そらの、真っ直ぐで、純粋な言葉。
「……っ」
春樹は、四方八方からの「デビュー賛成派」の圧力に包囲された。
策士のAちゃん、暴走するホロメンたち、最強の幼馴染、そして何より……目を輝かせて自分を見つめてくる、手塩にかけて育てた電脳の娘(H.O.L.O.)。
「…………あー、クソッ!!」
春樹は、髪をガシガシと乱暴に掻き毟り、天を仰いだ。
「分かった!! 分かったよ!! 好きにしろ!!」
「「「わぁぁぁぁぁっ!! やったぁぁぁ!!」」」
コントロールルームに、割れんばかりの歓声が響き渡る。
「ただし!!」
春樹が、大声で歓声を制止した。
「H.O.L.O.を表に出す以上、生半可なモデル(アバター)で配信させるわけにはいかない。……おいH.O.L.O.。お前の自己アバターのポリゴン数とテクスチャ解像度を、現行の100倍に引き上げる。表情トラッキング用の仮想ボーンも一から組み直しだ。……今日から一週間、俺の地獄のチューニングに耐えきってみせろ!」
春樹の顔は、完全に「本気になった技術者」の、恐ろしくも最高に楽しそうな顔になっていた。
『……はい、マスター! どのような過負荷(オーバーロード)にも、絶えてみせます!』
H.O.L.O.の声が、歓喜に震えていた。
### Scene 5:最高のアイドル(妹)の誕生
一週間後。
ホロライブ公式YouTubeチャンネルにて、事前の告知なしに、一つの待機所が立ち上がった。
タイトルは『【初配信】初めまして、ホロライブ公式ナビゲーターのH.O.L.O.です!』。
突如現れた謎の新人(?)に、リスナーたちはパニックになりながらも、同接は瞬く間に10万人を突破した。
そして、配信開始の時間。
Section 0のプロジェクターの前に、完全にブラッシュアップされたH.O.L.O.の姿があった。
春樹の手により、髪の毛1本の揺れから、瞳のハイライトの反射まで、完全に現実の人間と見紛うほどの超高精細なLive2D/3Dハイブリッドモデルとして生まれ変わった彼女。
「……準備はいいか、H.O.L.O.」
春樹が、コンソールのフェーダーを握りながら尋ねる。
『はい、マスター。……少しだけ、CPUの温度が高いです。これが「緊張」なのですね』
H.O.L.O.が、胸に手を当てて深呼吸するモーションをする。
「安心しろ。お前の声も、動きも、俺のシステムが1デシベル、1ピクセルの欠損もなく世界に届けてやる。……お前は、ホロライブの娘だ。胸を張って行ってこい」
春樹の、最高に不器用で、最高に頼もしいエール。
その背後には、Aちゃんをはじめ、そら、マリン、奏、ちょこたち……ホロメン全員が、固唾を飲んで彼女のデビューを見守っている。
『……いってきます!』
H.O.L.O.が、満面の笑みを浮かべ、配信開始(GO)のシグナルを受け取った。
『――世界中の皆様、初めまして! ホロライブ公式ナビゲーター、そしてチーフの電脳秘書の、H.O.L.O.です! 今日は皆様と、いっぱいお話しさせてください!』
画面の向こうで、リスナーたちの凄まじい歓声(コメントの滝)が溢れ出す。
「声めっちゃ可愛い!」「ホロメン全員のハイブリッド!?」「チーフの秘書とか最高かよ!」
完璧な論理で構成されたAIは、タレントたちの愛と、天才技術者の執念によって、ついに『心を持ったアイドル』として羽化した。
「……まったく。また一人、手のかかる娘が増えちまったな」
春樹は、嬉しそうに配信の音声モニターを調整しながら、小さく呟いた。
「ふふっ。春樹くん、すごくいい顔してるよ」
そらが、春樹の隣で、優しく微笑みかける。
ホロライブの地下最深部から、新たな希望の星が産声を上げた夜。
天才エンジニアと、彼を囲む騒がしい家族たちの物語は、電脳の世界の果てまで、終わることなく続いていくのだった。