## 変わらない約束と、星を創る魔法使い
### 第1章:要塞の静寂と、始まりの足音
カバー株式会社、本社ビル最上層部。最新鋭のセキュリティを抜けた先に、社内で「魔晄炉」とも「コックピット」とも呼ばれる一室がある。
壁一面を覆う巨大なモニター群には、サーバーの稼働状況、各スタジオのトラッキングデータ、そして国内外でリアルタイムに行われている所属タレントたちの配信ステータスが無数の波形と数値となって絶え間なく流れ続けている。
「……光学センサーのキャリブレーション、第3スタジオのZ軸に0.02ミリのズレ。修正。それと、EN組のサーバー、パケットロスが規定値に到達寸前……ルーティング最適化、実行」
カタカタカタッ、と小気味良いメカニカルキーボードの打鍵音だけが、深夜の冷ややかな空気の中で響き渡る。
”オレ”——カバー株式会社チーフ・テクニカル・プロデューサーは、コーヒーカップの底に残った冷めた液体を喉に流し込み、大きく息を吐いた。
「相変わらず、機械と会話してるみたいですね、チーフ」
不意に背後の自動ドアが開き、呆れたような、それでいてどこか安心したような声が響いた。振り返らずともわかる。友人A——えーちゃんだ。彼女の手には、湯気を立てるホットコーヒーが二つ握られていた。
「悪いな、Aちゃん。……で、今日はどこの鎮火作業だ?」
「人聞きの悪いこと言わないでください。今日はただの差し入れです。……と言いたいところですが、明日の全体ライブのリハーサル、すいちゃん(星街すいせい)が演出プランの変更を希望してまして。照明のキューと、ARエフェクトの連動タイミングをコンマ秒単位で詰めたいと」
「なるほど。流石はすいせいだな、妥協がない。システム側でディレイを吸収するパッチを組むから、明日の朝イチでテストさせてくれ」
オレが即答すると、えーちゃんはふふっと笑いながら新しいコーヒーをデスクに置いた。
「本当に、あなたに『不可能』って言葉はないんですか? 上場企業になっても、やってることはあの小さな防音室の頃から変わらないですね」
「規模がデカくなっただけで、やってることは『あいつらが輝くための土台作り』だ。何も変わらないさ」
オレの言葉に、えーちゃんは少しだけ真面目な顔になり、モニターの端で輝く一つのチャンネルアイコンを見つめた。
「……そら、今日も遅くまでボイトレしてましたよ。チーフがまた徹夜してるんじゃないかって、すごく気にしてました。彼女が怒る前に、今日はもう寝てくださいね。**『誰も逆らえない聖域』の機嫌を損ねたら、会社が傾きますから**」
「わかってる。このパッチを書き上げたら仮眠室に行く」
えーちゃんが退出した後、オレは静寂を取り戻した部屋で、キーボードを叩く手を少しだけ止めた。
脳裏に浮かぶのは、まだ何者でもなかった少女が、「アイドルになりたい」と真っ直ぐな瞳で語ったあの日の記憶。その夢を現実にするためだけに、オレは独学でコードを書き、機材をかき集め、この巨大な城を築き上げたのだ。
### 第2章:日常という名の喧騒、そして彼女の帰還
翌日の午後、メインとなる第1スタジオは、まさに戦場のような活気に満ちていた。
「チーーフ!! たすけてにぇ!! なんか右腕がずっとあらぬ方向に曲がってるにぇ!!」
全身にモーションキャプチャースーツを着込んださくらみこが、涙声で叫んでいる。モニター上の彼女の3Dアバターは、確かに右腕が物理法則を無視したトルネード回転を起こしていた。
「みこ、落ち着け。変な動きするな。……トラッカーの干渉だ。昨日の夜、まつりがその辺りで暴れて機材の配置を微妙に動かしたな。今直す」
オレは手元のタブレットを数回タップし、空間センサーのパラメーターを瞬時に再構築する。数秒後、モニターの中のみこの腕はスッと正常な位置に戻った。
「おおおお! 直ったにぇ! さすがチーフ! ホロライブの神!!」
「神じゃない、ただの裏方だ。リハ再開するぞ」
「ちょっとチーフー! 私のARエフェクト、もっとこう、バーン!ってして、キラキラ〜!ってできない!? 星が降る感じで!」
みこの復旧と同時に、今度は星街すいせいがステージ上から無茶振りを飛ばしてくる。
「バーンでキラキラね。了解。パーティクルシステムの発生座標を上空にシフトさせて、輝度を120%に上げる。重力パラメーターをいじって滞空時間を伸ばせば……どうだ?」
「……完璧!! そう、これこれ! さっすがチーフ、私の言いたいことわかってるぅ!」
スタジオ内に安堵と笑い声が広がる。タレントたちが安心して暴れ回れるのは、足元を支える絶対的な基盤があるからだ。それがオレの誇りだった。
「——みんな、お疲れ様!」
その時、スタジオの重い防音扉が開き、澄んだ、それでいてよく通る声が響き渡った。
その瞬間、スタジオの空気がふっと柔らかくなる。誰もが自然と笑顔になり、彼女の元へ駆け寄っていく。
「そら先輩!!」
「そらちゃん、おはよう!」
ときのそら。
ホロライブ0期生にして、トップアイドル。そして、オレの幼馴染。
普段の清楚で穏やかな笑顔を振りまきながら、後輩たち一人ひとりに声をかけていく。その姿は、紛れもなく何百万人ものファンを魅了する『アイドル・ときのそら』そのものだった。
しかし、一通りメンバーとの挨拶を終えたそらは、まっすぐにコントロールブースのオレの元へと歩いてきた。その瞬間、彼女の纏う空気が『アイドル』から、ほんの少しだけ『幼馴染』へと切り替わる。
「お疲れ様、チーフ。……また昨日、徹夜したでしょ?」
声のトーンは優しい。笑顔も完璧だ。しかし、そのアイスブルーの瞳の奥には、絶対に誤魔化しを許さない強烈な光が宿っていた。
「……いや、ちゃんと仮眠室で3時間は寝た」
「3時間は『寝た』に入りません。目の下、クマになってるよ?」
そらはコントロールブースの柵から身を乗り出し、オレの顔を至近距離で覗き込んでくる。石鹸のような、甘く清潔な香りが鼻腔をくすぐる。
周囲にいるスタッフや他のホロメンたちは、**「あ、チーフがそら先輩に詰められてる」「あれはチーフが悪い」「私たちは見なかったことにしよう」**と、蜘蛛の子を散らすように目を逸らし始めた。
「……明日の全体ライブ、お前たちの晴れ舞台だ。システムに1ミリの不安も残したくなかったんだよ」
「その気持ちは嬉しいけど……あなたが倒れたら、私は誰に向かって歌えばいいの? 私は、あなたが作ってくれたこのステージで、あなたが一番近くで見守ってくれているから、安心して歌えるんだよ」
そらの手が、そっとオレの袖を掴む。
普段は誰に対しても優しく、一歩引いて全体を見守る彼女だが、オレの体調や働き方のことになると、途端に一歩も引かなくなる。芯の強さというより、それは一種の執念に近い情熱だ。
「……わかった。リハが終わったら、今日はもう上がる」
「約束ね? もし破ったら、今度の配信で『チーフの幼馴染エピソード』を暴露するから」
「それはやめろ。サーバーが落ちる」
オレが降参してため息をつくと、そらはようやく満足そうに「ふふっ」と悪戯っぽく笑い、ステージへと戻っていった。
### 第3章:星の降るステージと、二人の秘密
夜22時。
明日の本番に向けた全てのリハーサルが終了し、タレントもスタッフも帰路についた。
広大な第1スタジオの照明は落とされ、非常灯と、オレが操作するモニターの青白い光だけが空間を照らしている。
「……よし、全システムの最終バックアップ完了。電源周りも異常なし」
オレが大きく伸びをしたその時、ステージの袖から小さな足音が聞こえた。
「まだ帰ってなかったのか、そら」
「一緒に帰ろうと思って。……ほら、約束したでしょ?」
私服姿に着替えたそらが、少し照れくさそうに笑いながらステージの中央へと歩いてくる。
彼女は、電源の落ちた暗いスタジオをぐるりと見渡した。
「……大きくなったね。私たちの場所」
「ああ。最初は、マイク一本と、手作りのPCと、ダンボールの防音材からのスタートだったのにな」
「あの頃、私が『横浜アリーナでライブがしたい』って言ったら、あなたはなんて言ったか覚えてる?」
「『お前がその気なら、宇宙にだってステージを作ってやる』……若気の至りだな、恥ずかしい」
「ううん。嬉しかった。あなたがそう言ってくれたから、私はここまで走ってこられたの」
そらはステージの縁に腰を下ろし、隣をポンポンと叩いた。オレはブースを離れ、彼女の隣に並んで座る。
静寂に包まれたスタジオ。何百万人もの熱狂を生み出すこの空間も、今は二人だけのものだった。
「ねえ」
そらの声が、少しだけ低く、真剣なものに変わる。
「会社が大きくなって、後輩がたくさんできて。あなたの作る技術は世界中から注目されて……。たまにね、遠くに行っちゃうんじゃないかって、不安になることがあるの」
「……」
「でも、こうして隣に座ると、あなたはあの頃のまま。私の夢を一番近くで支えてくれる、不器用で優しい魔法使い」
そらはそっと、オレの右手に自分の左手を重ねてきた。
彼女の体温が、徹夜明けの冷えた指先にじんわりと伝わってくる。
「オレは裏方だ。表舞台で輝くお前たちを支えるのが仕事だ。どこにも行かないさ」
「本当?」
「ああ。オレにとっての最高の作品は、最新のシステムでも、すげぇAR技術でもない。このステージで歌って笑う、お前たちだ。……特に、お前の夢は、オレの夢でもあるからな」
その言葉を聞いた瞬間、そらの瞳が潤んだように揺れた。
そして、普段の「ホロライブの象徴」としての顔を完全に脱ぎ捨て、一人の女の子としての、情熱的で独占欲に満ちた表情を浮かべた。
「……言質、とったからね。私の夢を叶えるまで、絶対逃がさない。それに、私の夢はまだまだ先なんだから」
「手のかかるアイドルだ」
「ふふっ。それが、チーフの仕事でしょ?」
そらは悪戯っぽく笑い、重ねた手にきゅっと力を込めた。
巨大エンターテインメント企業へと成長したホロライブ。
毎日がドタバタで、個性の強すぎるタレントたちに振り回されながら、終わりのないコードと向き合う日々。
けれど、この温もりと、隣で笑う彼女の変わらない笑顔がある限り。
オレは明日も、彼女たちのために最高の星空(ステージ)を創り続けるのだろう。