ホロ  オリ   作:raian sinra

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そら 5

## 論理の崩壊と、逆転の星空:天才エンジニアの驚愕

### 第1章:月曜日の朝、異常すぎる静寂

カバー株式会社の月曜日の朝は、本来であれば戦場である。

週末に蓄積されたサーバーのアクセスログの解析、各タレントが週末の長時間配信で無自覚に引き起こした機材のマイナートラブルの報告書、そして今週のスケジュールの再調整。チーフ・テクニカル・プロデューサーである■■春樹の脳は、出社と同時に何十ものタスクを並行処理(マルチスレッド)でこなすのが常だった。

しかし、その日の朝は違った。

「……おはようございます」

本社ビル地下、通称「深層(アビス)」。分厚い防音ドアのセキュリティパネルにIDカードをかざし、生体認証をパスして中に入った春樹は、思わず足を止めた。

彼を出迎えたのは、鼓膜を劈くようなエラーアラートでも、さくらみこからの「機材が火を吹いたにぇ!」という悲鳴のチャット通知でもなかった。

無音。そして、完璧な適温に保たれた空調。

さらに驚くべきことに、彼の広大なデスクの上に山積みになっていたマニュアル類や、絡まり合っていたVRトラッカーのケーブル類が、恐ろしいほど整然と片付けられていたのだ。

「……Aちゃん。これは、どういう状況だ?」

春樹は、部屋の隅のソファで優雅に紅茶を飲んでいる友人A——えーちゃんに、警戒度MAXの視線を向けた。

48時間の強制シャットダウン(と、そらによる実家での監視付き完全休養)を経て、身も心も信じられないほどに回復している春樹だったが、この光景は逆に彼のエンジニアとしての危機察知センサーを激しく刺激した。

「おはようございます、チーフ。顔色が良くて何よりです。見ての通り、アビスの清掃と環境整備を行いました」

「それは見ればわかる。問題はシステムだ。オレが丸二日触っていないんだ、どこかのノードでパケットの詰まりが起きているはず……」

春樹は早足で自分のデスクに向かい、メインモニターを立ち上げた。

ターミナル画面を開き、高速でコマンドを叩き込む。黒い画面に、各サーバーのステータスやトラッキングデータのログが滝のように流れ始める。

「……なんだ、これは」

春樹の指が、ピタリと止まった。

緑色の文字列。全てが『Normal』。リソースの占有率、ネットワークのレイテンシ、バックアップの同期状況。すべてが、春樹が金曜日に残していった状態よりも、さらに**最適化**されて稼働していたのだ。

「エラーログ……ゼロ? 自動修復スクリプトが回った形跡はあるが、それにしても挙動が安定しすぎている。それに、このルーティング設定……オレの書いたコードじゃない」

「ええ。この土日、チーフが浴衣の幼馴染と夏祭りでりんご飴を食べている間、技術部のサブチームと、有志のタレントたちで運用を回しましたから」

えーちゃんは悪びれもせず、ふふっと笑った。

「有志のタレント……? 馬鹿な。あいつらにサーバーの管理やトラッキングシステムの微調整ができるわけが——」

春樹が言葉を切ったその時。

彼の手元、綺麗に片付けられたデスクのど真ん中に、**見慣れない純白のVRヘッドセット**がポツンと置かれていることに気がついた。

その横には、ピンク色の可愛らしい付箋が貼られている。

『チーフへ。起動パスワードは、私たちの原点。』

その丸みを帯びた文字は、間違いなく、ときのそらのものだった。

### 第2章:未知のプロトコルと、想定外のバグ

「……Aちゃん、これは?」

「被ってみればわかりますよ。あ、ちなみに拒否権はありません。社長命令のオプション契約に含まれていますから」

えーちゃんがにっこりと笑う。その笑顔の奥にある「逆らえばどうなるかわかっていますね?」という無言の圧力に、春樹は小さくため息をついた。

休養をもらった手前、文句は言えない。春樹は椅子に深く腰掛け、その純白のVRヘッドセットを頭に被った。

視界が暗転する。

網膜ディスプレイが起動し、ログインプロンプトが空中に浮かび上がった。

『パスワードを入力してください』

春樹は少し考え……そして、手元のキーボードでタイピングした。

**『20170907』**。

ホロライブの始まり、ときのそらが初めて配信を行った日。春樹が、小さな防音室で彼女の夢を背負ったあの日だ。

『Access Granted. Welcome, Chief.』

電子音が鳴り響き、視界が一気に光に包まれる。

春樹の論理的思考は、次の瞬間に目の前に広がった光景によって、一時的にフリーズした。

「——なんだ、ここは」

春樹が立っていたのは、見慣れた「調整室」のUI画面ではなかった。

彼は、巨大なドーム型ステージの**「ど真ん中」**に立っていたのだ。

だが、ただのステージではない。客席には誰もいない。その代わり、客席の全てのペンライトが、空に浮かぶ無数の星々のように、緩やかな波を打って輝いている。

さらに春樹の眼球を驚愕させたのは、その空間の**『解像度』**だった。

「空間のテクスチャ密度、ライティングの反射計算(レイトレーシング)……それに、この足元に広がる光の粒子……!」

春樹は息を呑んだ。

彼が立っているステージの床から、金色の光の粒子が、まるで呼吸をするように湧き上がっている。

それは、金曜の夜に彼がそらと語り合い、未完成のままコンパイルを放置していたはずの**『完全リアルタイム・ボリュメトリックライティング』**そのものだった。

「なぜだ……? あのプログラムは、シャドウバグの解消に手こずっていたはずだ。サブチームの連中だけで、このレベルの物理演算を週末だけで組み上げられるわけがない……!」

天才エンジニアの頭の中で、激しいエラー音が鳴り響く。自分の理解を超えた事象。論理的な破綻。

春樹が混乱の中で周囲を見渡していると、突然、ステージの頭上に浮かぶ巨大なバーチャルモニターに、バツンッ!とノイズが走り、映像が映し出された。

『あ、あー。マイクテス、マイクテス。チーフ、聞こえてるぺこかー?』

「……ぺこら?」

巨大モニターに映し出されたのは、兎田ぺこら、さくらみこ、星街すいせい、白上フブキをはじめとする、ホロライブのメンバーたちの顔だった。彼女たちは、いつも春樹がいる「アビス(調整室)」の機材の前にギュウギュウに詰めかけて、カメラに向かってピースをしている。

『チーフ! おはようにぇ! しっかり休めたにぇ!?』

『いやー、チーフのいない週末、マジで地獄だったわ。でも、やればできるもんだね!』

すいせいが得意げに笑う。

「お前ら……まさか、その空間を……?」

『そうぺこ! チーフがいつも見てる「一番いい景色」を、今日はチーフ自身に立って見てもらうための、逆転サプライズライブぺこ!』

『チーフの残したメモ帳と、Aちゃんのスパルタ指導のおかげで、ウチらも少しだけトラッキングソフトの操作覚えたんだから!』

フブキが胸を張る。

春樹は、驚愕のあまり声が出なかった。

タレントである彼女たちが、技術書を読み込み、自分のために裏方の作業を行った? あの、いつも「チーフ助けて!」と泣きついてくる彼女たちが?

『いつもウチらのこと支えてくれて、本当にありがとう、チーフ!』

『チーフのおかげで、私たちは今日もアイドルでいられるよ!』

『これからも、ずっとよろしくね! 保護者!』

次々とモニターから降り注ぐ、メンバーたちからの感謝の言葉。

春樹の心の中で、堅牢なファイアウォールで守られていた「プロデューサーとしての理性」が、ボロボロと崩れ落ちていく。

「お前ら……無茶苦茶だろ。本番前にサーバーに負荷をかけるな……」

春樹の口から出たのは、そんな憎まれ口だったが、その声はひどく震えていた。

### 第3章:星の降るステージと、青い朝顔

モニターの映像がフッと消え、再び静寂が訪れる。

しかし、驚愕はこれで終わりではなかった。

「……驚いてくれた?」

背後から、澄んだ声が響いた。

春樹が振り返ると、そこには、信じられない姿をした少女が立っていた。

藍色に朝顔があしらわれた、あの浴衣姿。

ときのそらだった。

「そら……お前、そのモデル……どうやって……」

春樹の脳の処理能力が、完全にキャパシティを超えた。

アイドル衣装でも、公式の私服モデルでもない。それは昨日、彼女が実家で着ていたあの浴衣を、完全に3Dモデルとしてスキャンし、落とし込んだものだった。

生地の質感、帯の結び目の立体感、そして彼女の細やかな表情のモーション。これだけのモデルを、たった一晩で?

「ふふっ。春樹が寝てる間に、スタジオにこっそり行って、みんなに手伝ってもらって全身スキャンしたの。……どうしても、この姿で、このステージに立ちたくて」

そらは、ゆっくりと春樹に近づいてくる。

彼女が歩くたびに、足元の金色の光の粒子が、彼女の浴衣の裾に触れて美しく弾け、計算され尽くした完璧な光と影を彼女の顔に落としていた。

「あのね、春樹」

そらは、春樹の目の前で立ち止まり、彼を見上げた。

「この星空のプログラム、春樹が途中まで作ってくれたやつ。私、技術のことは全然わからないけど、Aちゃんや技術部の人たちにお願いして、徹夜で完成させてもらったの」

「徹夜で……? だから、シャドウバグの処理はどうしたんだ。あれはオレの専用のルーティングアルゴリズムが——」

「バグなんて、出てないよ」

そらは優しく微笑み、春樹の手をそっと握った。VR空間特有の、疑似的な触覚フィードバックが春樹の手のひらに伝わる。

「社長にお願いして、新しいクラウドサーバーを一基、まるまるこの演算だけのために追加してもらったの。……『春樹くんを驚かせるための予算なら、いくらでも出すよ』って」

「YAGOOまで……」

春樹は、天を仰いだ。

天才エンジニアとしてのプライド、自分がすべてを管理し、彼女たちを守らなければならないという強迫観念。

それが今、彼女たちの「途方もない愛情と行動力」によって、見事に打ち砕かれたのだ。

「私ね、昨日の夜、花火を見ながら思ったの」

そらのアイスブルーの瞳が、真っ直ぐに春樹を見つめる。

「春樹は、私に『お前のために最強のシステムを作る』って言ってくれた。でも、春樹を支えるシステムは、誰が作るの?」

「……」

「だから、私たちが春樹のシステムになる。春樹が倒れそうな時は私たちが支えるし、春樹が道に迷った時は、私たちが光で照らす。……私たちはもう、春樹に守られるだけのか弱いお姫様じゃないんだよ」

その瞬間、ステージの足元から湧き上がっていた光の粒子が、天高く舞い上がり、無人の客席を埋め尽くすような巨大な星空へと変化した。

それは、春樹が夢見ていた「完璧な景色」そのものだった。

「……負けたよ」

春樹の口から、ポツリとそんな言葉が漏れた。

視界が、急にぼやけ始める。VRヘッドセットのレンズが曇っているのか、それとも自分の目から涙が溢れているのか、春樹にはもうわからなかった。

ただの裏方である自分に、これほどまでの景色を見せてくれる奴らがいる。

自分の作った世界で、自分を驚かせるために、不器用ながらも必死に星を降らせてくれる幼馴染がいる。

「春樹、泣いてるの?」

「……馬鹿言え。トラッキングの焦点が合ってないだけだ」

「ふふっ。強がりな魔法使いさん」

そらは悪戯っぽく笑うと、背伸びをして、春樹の首にふわりと腕を回した。

「おかえりなさい、チーフ。……これからも、一緒に最高の景色を見ようね」

### 第4章:現実世界への帰還と、新たな日常

VRヘッドセットを外すと、そこにはいつものアビスの天井があった。

春樹は深く息を吐き出し、目元を乱暴に拭った。

「……チーフ、いかがでしたか? 彼女たちからのプレゼントは」

えーちゃんが、満足げな笑みを浮かべてコーヒーを差し出してくる。

「……最悪だ。システムリソースの無駄遣いにも程がある。それに、あのトラッキング精度……まだZ軸の判定が甘い。あの浴衣の帯の揺れ方は、物理法則として不自然だった」

「あはは、相変わらずですね。でも、その顔を見る限り、少しは『守られる側』の気分も悪くなかったんじゃないですか?」

図星を突かれ、春樹は舌打ちをしてコーヒーを受け取った。

「……オレのいないところで、勝手に成長するなよな。仕事が減るだろ」

憎まれ口を叩きながらも、春樹の指先はすでにキーボードの上を軽快に走り始めていた。

だが、そのタッチは金曜日までの悲壮感を帯びたものではなく、どこか弾むような、喜びに満ちたリズムを刻んでいる。

「さて、と。まずはあいつらが荒らしたであろう、裏のパケット処理の最適化から始めるか。……あの星空、もっと綺麗にブラッシュアップして、次の全体ライブのメイン演出に昇格させてやる」

「チーフ。ほどほどにしてくださいよ。またそらが怒り込みにきますからね」

「わかってるさ。……今日は、定時で上がる」

春樹は、メインモニターの端に小さく映し出された、ホロライブの配信スケジュールを見つめた。

そこには、今日の夜に予定されている、ときのそらの配信枠がある。

自分が守っていると思っていた世界は、実は、自分自身を温かく包み込む、優しくて強靭なゆりかごだった。

その圧倒的な「驚愕」と幸福感を胸に秘め、天才エンジニアは今日も、彼女たちのために魔法のコードを書き続けるのだった。

 

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