ホロ  オリ   作:raian sinra

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そら 6

## 星を継ぐ者たちと、隔離された魔法使い:YAGOOの決断

### 第1章:偽りの改善と、執行人からの通達

あの日、ときのそらが仕掛けた「逆転の星空ライブ」と、48時間の強制シャットダウンを経て、■■春樹の働き方は「劇的に」改善された——かのように見えた。

「……よし、現在の時刻、20時00分。タレントの夜間配信帯へのリソース割り当て完了。エラーログなし。今日は帰るぞ」

本社ビル地下の深層(アビス)。春樹は、わざとらしく大きな声で独り言を言いながら、自身のデスクのPCをスリープ状態にした。

マグカップを洗い、上着を手に取る。かつてはここから翌日の昼までキーボードを叩き続けるのが日常だったことを思えば、人間らしい、極めて健康的な生活リズムへの回帰である。

しかし、春樹の目は、部屋を出る直前にチラリとサブモニターの一つを捉えていた。

(……第2スタジオのキャプチャーボード、Bチャンネルの温度が規定値より0.5度高いな。冷却ファンの回転数に微細なブレがある。明日の朝イチでファームウェアを書き換えておかないと……いや、5分あれば今すぐパッチを当てられるか)

無意識のうちに、上着を置いた春樹の手がキーボードに伸びる。

エンターキーを叩き、管理者権限のターミナルを呼び出そうとした、その瞬間だった。

**『Access Denied.(アクセスが拒否されました)』**

「……は?」

画面にデカデカと表示された赤いポップアップ。パスワードの打ち間違いではない。春樹の持つ「チーフ・テクニカル・プロデューサー」のマスターIDそのものが、システムから弾かれたのだ。

「……5分あればパッチを当てられる。そう思いましたね、春樹くん」

背後から、氷のように冷たい声が響いた。

振り返ると、タブレット端末を手にした友人A——えーちゃんが、腕を組んで立っていた。その背後には、屈強なセキュリティスタッフが二名控えている。

「Aちゃん。……どういうことだ。オレのアカウントの権限が落ちてるぞ。どこかのルーターでACL(アクセスコントロールリスト)のバグが——」

「バグではありません。私が、あなたの『現場介入権限』をたった今、強制的に剥奪しました」

「剥奪!? 馬鹿な、そんなことをすれば明日の配信の——」

「それについても心配無用です。そのファームウェアのパッチなら、先ほど技術部の新人チームが既にデプロイを完了させました」

えーちゃんの言葉に、春樹は言葉を失った。

オレのいないところで、オレの仕事が完了している? それも、新人たちが?

「春樹くん。荷物を持ってください。社長がお呼びです」

「YAGOOが……?」

「ええ。これはカバー株式会社としての、極めて重大な決定です」

えーちゃんの眼鏡の奥の瞳は、一切の冗談を許さない厳格な光を放っていた。春樹は渋々上着を羽織り、セキュリティスタッフに挟まれるような形で、アビスを後にした。

### 第2章:経営者の眼差しと、単一障害点(SPOF)

カバー株式会社、最上階の社長室。

全面ガラス張りの窓からは、煌びやかな東京の夜景が一望できる。地下のアビスとは対極にある、光と権力に満ちた空間だ。

革張りのソファに座らされた春樹の向かいで、谷郷元昭——YAGOOは、いつもの温厚な笑みを浮かべてはいなかった。

背筋を伸ばし、組んだ両手の上に顎を乗せるその姿は、数々のベンチャーの修羅場をくぐり抜け、ホロライブを世界規模のエンターテインメント企業へと押し上げた「経営トップ」そのものの威圧感を纏っていた。

「座ってくれてありがとう、春樹くん」

「……社長、単刀直入に聞きます。オレの権限剥奪は、どういう意図ですか。休養なら先週十分にとりました。体調も万全です」

春樹が少し前のめりになって尋ねると、YAGOOは静かに首を振った。

「君を休ませるためじゃない。いや、結果的にはそうなるかもしれないが……これは『ホロライブの未来』を守るための決断だ」

YAGOOは手元のクリアファイルから、一枚の書類を取り出し、春樹の前に滑らせた。

そこには、重々しい明朝体でこう記されていた。

**『辞令:■■春樹 カバー株式会社 執行役員 CTO(最高技術責任者)への就任を命ず』**

「……CTO? オレが、役員?」

「そうだ。今日をもって、君は『現場のチーフ』ではなくなる。経営陣の一角として、会社全体の技術戦略を統括する立場になってもらう」

「ふざけないでください!」

春樹は思わず立ち上がり、書類をバンッと叩いた。

「オレは現場の人間です! サーバーの配線を這いずり回って、タレントの機材トラブルを秒で解決して、あいつらが一番輝けるステージを直接組み上げるのがオレの仕事だ! 役員室にふんぞり返ってハンコを押すなんて、オレの性に合わないことくらい、社長が一番わかってるはずでしょう!?」

激高する春樹に対し、YAGOOは全く動じなかった。

むしろ、その眼光はさらに鋭く、冷徹な理性を帯びて春樹を射抜いた。

「春樹くん。君は、システムエンジニアとして**『SPOF(Single Point of Failure:単一障害点)』**という言葉を知っているね?」

「……システムにおいて、そこが停止するとシステム全体が停止してしまう、絶対にあってはならない弱点のことです。それが何か……」

そこまで口にして、春樹はハッと息を呑んだ。

「その通りだ。現在のカバー株式会社における最大のSPOF……それはサーバーでも、ネットワークでもない。**『■■春樹』という天才エンジニアそのもの**なんだよ」

YAGOOの言葉が、重く、深く、社長室に響いた。

「タレントたちは君を信頼しきっている。トラブルが起きれば君が直す。無茶な演出も君が徹夜で叶える。……だが、もし君が事故に遭ったら? もし君が過労で倒れて、二度とキーボードを叩けなくなったら? その瞬間、ホロライブの技術基盤は完全に停止する」

「……それは」

「僕はね、春樹くん。経営者として、これ以上君という『単一障害点』を放置することはできない。君の自己犠牲と情熱で成り立っているシステムは、美談かもしれないが、企業としては三流だ」

YAGOOは立ち上がり、窓の外の夜景を見つめた。

「君はこれまで、彼女たちの『今』を必死に守り続けてくれた。……だが、ここから先のステージに進むには、君の技術を伝承する『後進』が必要なんだ。君一人の手では、もうホロライブという巨大な船は操縦しきれない」

振り返ったYAGOOの顔には、かつての小さな事務所で共に夢を語り合った同志としての、温かい微笑みが戻っていた。

「新しいオフィスを用意した。現場のトラブルシューティングは、Aちゃんが選抜した『技術部サブチーム』に全て任せる。君の新しい仕事は二つだけだ。一つは、彼ら若手を『君がいなくても回るチーム』に育て上げること。……そしてもう一つは、彼女たちが数年後に立つであろう、誰も見たことがない『未来のステージ』の技術開発(R&D)に専念することだ」

「……オレから、現場の配線を奪うと」

「そうだ。これは命令だよ、春樹くん。君の現場隔離計画……コードネームは**『星を継ぐ者たち』**だ」

反論の余地はない。

春樹は、深く、長くため息をつき、その辞令を受け取るしかなかった。

### 第3章:ガラス張りの鳥籠と、指揮官の葛藤

翌日。

カバー株式会社のハイエンドなエグゼクティブ・フロアの一角。

「CTO室」と銘打たれたその部屋は、春樹にとって地獄のような空間だった。

南向きの大きな窓からは陽光が燦々と降り注ぎ、床はふかふかの絨毯。デスクは最高級のウォールナット材で、置かれているのは最新型の人間工学チェア。

サーバーの排熱音も、埃っぽい匂いもない。完璧すぎる「重役の部屋」である。

「……落ち着かない。最高に落ち着かない」

春樹は真新しいスーツのネクタイを緩めながら、部屋の中を熊のようにウロウロと歩き回っていた。

彼のデスクのモニターには、現場の監視カメラ映像と、システムログが映し出されている。しかし、彼の手元には「閲覧権限」しかなく、システムに直接干渉するターミナルは存在しない。

『チーフ……いえ、CTO。聞こえますか』

デスクのスピーカーから、現場のアビスで指揮を執るAちゃんの声が響いた。

「聞こえてる。……Aちゃん、第1スタジオのさくらみこの配信、トラッキングのZ軸にノイズが走ってるぞ。今すぐオレを現場に——」

『行きません。対応は新人チームが行います。あなたはそこから、彼らに「口頭で」指示を出してください。絶対に、自分で手を出さないこと。いいですね?』

Aちゃんの冷酷な声と共に、通話が新人チームのチャンネルに切り替わる。

『ひぃぃっ! み、みこ先輩がまたコントローラーを壁にぶつけて、空間キャリブレーションが飛びましたぁ!』

『どうしよう、再起動しますか!? でも配信中ですよ!』

スピーカー越しに聞こえてくる、若いエンジニアたちのパニック声。

春樹の胃のあたりがキリキリと痛み始める。現場にいれば、彼が3秒でコードを打ち込んで空間座標を強制上書きできる案件だ。

「……落ち着け、お前ら」

春樹はマイクのスイッチを入れ、深く息を吸って、努めて冷静な声を絞り出した。

「再起動は不要だ。メインサーバーのコンソールから、サブの光学センサーへのフェイルオーバーを手動で実行しろ。コマンドは『/sys_opt/switch -force』だ。その後、みこのモデルのZ軸オフセット値をマイナス0.5ずらして固定しろ」

『は、はい! ええと、ディレクトリはどこでしたっけ……!?』

「第4階層だ! 焦るな、エラーを吐いても無視してリターンを叩け! 30秒以内ならリスナーには『ちょっとカクついた』程度でごまかせる!」

春樹はデスクに両手をつき、モニター越しに新人たちの作業を血走った目で見つめた。

歯痒い。もどかしい。キーボードを奪い取って自分でやりたいという衝動が、全身の血管を駆け巡る。

『……あ、いけました! 座標固定完了! 配信、正常に戻りました!』

『み、みこ先輩、直りましたよ!』

スピーカーの向こうで、みこの「おぉぉ! 新人くんたち、やるにぇ〜!!」という無邪気な声と、新人たちの安堵の歓声が聞こえた。

「……」

春樹は、ドッと疲労を感じて革張りの椅子に崩れ落ちた。

自分でやったほうが100倍早い。しかし、自分が手を出さなかったことで、新人たちは確実に「経験」を積んだ。

これが、YAGOOの言っていた「後進の育成」。

頭では理解していても、自分の手から愛しい現場が離れていく喪失感は、春樹の心をひどく不安定にさせていた。

「オレは、本当にあいつらに必要とされなくなるんじゃないか……」

誰にともなくこぼした弱音は、静かなCTO室の空気に吸い込まれて消えた。

### 第4章:太陽の差し込む部屋と、変わらない約束

CTO室での隔離生活が始まって一週間。

春樹は、少しずつ「口頭で指示を出す」ことには慣れてきたものの、精神的な閉塞感はピークに達していた。

夕暮れ時。

西日が差し込むCTO室で、春樹が「次世代ホログラム・ライブシステム」の基礎設計図を力なく眺めていると、コンコン、と軽快なノックの音がした。

「春樹、入るよー」

ドアが開き、ひょっこりと顔を出したのは、ときのそらだった。

彼女の手には、小さなサボテンの鉢植えと、二つの紙コップが握られている。

「そら……。どうしてここに?」

「どうしてって、様子を見にきたに決まってるじゃない。はい、これ就任祝いのプレゼント。春樹の部屋、無機質すぎて寂しいから」

そらはデスクの隅にちょこんとサボテンを置き、紙コップの一つ(いつものカフェのブラックコーヒーだ)を春樹に手渡した。

「……サンキュ。でも、お前らがこんな上のフロアまで来るの、面倒だろ? 現場のアビスなら、スタジオのすぐ隣だったのに」

「ううん、全然! だってこの部屋、明るいし、綺麗だし、ふかふかのソファもあるし。アビスみたいに埃っぽくないから、すごく居心地いいよ」

そらはそう言って、高級なソファにポスッと腰を下ろし、嬉しそうに足をブラブラと揺らした。

「それにね、最近新人くんたち、すごく頑張ってるよ。最初は『チーフがいなくて不安ですぅ』って泣きそうだったけど、最近は自分たちでトラブル直せるようになってきてるし。春樹の教え方が上手だからだね」

そらの無邪気な言葉が、春樹の胸にチクッと刺さる。

「……オレがいなくても、回るようになってきたってことだろ。YAGOOの狙い通りさ」

「春樹?」

「現場は若手が回して、オレはこうして綺麗な部屋に隔離されて、誰の熱気も感じないまま、数年後の設計図を引く。……オレは、お前たちから遠ざかっちまった気分だよ」

春樹は、手元のコーヒーを見つめたまま自嘲気味に笑った。

完璧な裏方でありたかった。彼女たちの汗と涙を、一番近くで感じていたかった。そのアイデンティティが、今、根底から揺らいでいるのだ。

その時。

スッと、春樹の手からコーヒーの紙コップが奪われた。

「……え?」

顔を上げると、そらが春樹の目の前に立ち、真剣な——あの「誰も逆らえない聖域」としての、強いアイスブルーの瞳で彼を見下ろしていた。

「春樹は、本当に頭がいいのに、肝心なところがわかってない」

「そら……」

「遠ざかったんじゃないよ。春樹が、私たちを『次のステージ』に引き上げるために、先に高くて明るい場所で待っててくれてるんでしょ?」

そらは、春樹のデスクに広げられた「次世代ホログラム・ライブシステム」の設計図を指差した。

「これ、ドーム球場全体をAR空間にするシステムなんでしょ? 私、Aちゃんから聞いたよ。これを完成させるには、春樹が現場のトラブルシューティングにかかりっきりじゃ絶対に無理だって」

「……」

「春樹が現場を新人くんたちに任せてくれたから。だから春樹は、私の『一番大きな夢』を叶えるための魔法を作る時間に集中できる。違う?」

そらの手が、春樹の頬にそっと触れた。

夕日を背に受けた彼女の笑顔は、息を呑むほど美しく、そして絶対的な信頼に満ちていた。

「春樹がどこにいたって、役職が何に変わったって。あなたが私たちのために世界一のステージを作ってくれる魔法使いだってことは、絶対に変わらないよ」

その言葉が、春樹の心に分厚く張り巡らされていた不安のファイアウォールを、優しく溶かして崩していった。

「……お前には、本当に敵わないな」

春樹は大きく息を吐き出し、憑き物が落ちたような、清々しい笑顔を浮かべた。

「わかった。現場はあいつらに任せる。オレは、この部屋で、お前たちが数年後に見る世界を……誰も見たことがない、最高の景色を作ってやるよ」

「うんっ! その言葉、聞きたかった!」

そらは満面の笑みで頷き、奪った紙コップを春樹に返した。

「じゃあ、CTOさん。明日からもお仕事頑張ってね。私はレッスンに戻るから」

「ああ。……そら、サボテン、ありがとな」

「ふふっ、枯らさないでよ? 毎日水あげに来る口実がなくなっちゃうからね」

ウインクを残して、そらはCTO室を後にした。

太陽が沈みかけ、部屋の中が茜色に染まる。

春樹はデスクの上のサボテンを見つめ、そして、最新型のキーボードに手を置いた。

『チーフ、すいません! 第3サーバーで予期せぬエラーが——』

スピーカーから、再び新人たちの焦った声が響く。

「CTOと呼べと言ってるだろ」

春樹はマイクのスイッチを入れ、力強く、誇り高い声で応えた。

「慌てるな。ログの48行目を見ろ。ただのメモリリークだ。対処法を教えるから、お前たちの手で直せ」

彼はもう、孤独な裏方ではない。

ホロライブという巨大な星屑の軌跡を、未来へと導く総指揮官。

隔離された魔法使いの新しい戦いは、太陽の差し込むこの部屋から、力強く始まろうとしていた。

 

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