## 観測される特異点・波乱編:未知の血脈と、女神の焦燥
### 第1章:嵐の前の静けさと、新星たちの足音
カバー株式会社、最上階。
その日、CTO(最高技術責任者)室は、いつものように「役員室という名のホロメン専用高級ラウンジ」として機能していた。
「あーっ! フブちゃん、そこはウチの陣地ッス! 勝手にアイテム取らないでほしいッス!」
「ふっふっふ、油断大敵だよスバルちゃん。勝負の世界は非情なのだー!」
床の高級絨毯の上では、大空スバルと白上フブキが巨大モニターにゲーム画面を映して白熱したバトルを繰り広げている。マッサージチェアでは星街すいせいがアイマスクをして熟睡し、ソファでは、ときのそらが優雅に紅茶を飲みながら、デスクに向かう■■春樹の背中を愛おしそうに見つめていた。
「春樹、コーヒーのおかわり淹れようか?」
「……ああ、頼む。サーバーの負荷テストが最終フェーズに入っててな。あと10分で手が離せる」
春樹がキーボードから目を離さずに答えると、そらは「ふふっ、お疲れ様」と嬉しそうに立ち上がり、給湯スペースへと向かう。
いつもと変わらない、平和で、甘ったるく、そして少し騒がしい日常。
しかし、その均衡は、ノックの音と共に訪れた友人A(えーちゃん)によって破られることとなる。
「チーフ、お疲れ様です。……皆さん、相変わらず寛いでますね。少し静かにしてくださいよ、今日は大切なお客様……いえ、新しい『家族』が挨拶に来るんですから」
えーちゃんの言葉に、そらがお湯を注ぐ手を止めた。
「新しい家族って……もしかして、Aちゃん。今度デビューするっていう、音楽ユニットの子たち?」
「はい。ホロライブDEV_ISからデビューする新ユニット『ReGLOSS(リグロス)』の5人です。今日は社内見学と、役員への挨拶回りでこのフロアに来ています。チーフ、彼女たちには今後のスタジオ収録でもお世話になるんですから、CTOとしてビシッと威厳のある挨拶をお願いしますよ」
「……わかってる。システムの説明と、マイクの指向性の話くらいはしてやる」
春樹が面倒くさそうにネクタイを締め直した、その時だった。
「——失礼します! ReGLOSSの、轟はじめです!」
「火威青です、よろしくお願いします!」
開かれたドアの向こうから、ガチガチに緊張した面持ちの新人たちが姿を現した。
ホロライブのトップアイドルたち(と、寝ているすいせい)が勢揃いし、さらに最奥にはカバーの技術の最高峰である若きCTOが鎮座しているのだ。彼女たちが緊張するのも無理はない。
「わあ、初めまして! 私、ときのそらです。みんな、デビューおめでとう!」
そらが女神のような微笑みで出迎えると、ReGLOSSの面々は「ほ、本物のそら先輩だ……!」と感激で震え上がった。
微笑ましい先輩と後輩の対面。
春樹も、CTOとしての威厳を保つため、立ち上がって彼女たちを迎え入れようとした。
——しかし。
ReGLOSSのメンバーの最後尾から、ひょこっと顔を出した金髪の少女。
音乃瀬奏(おとのせ かなで)が、部屋の奥に立つ春樹の姿を視界に捉えた瞬間。
彼女の瞳が、カッと見開かれた。
「——あッ!!!」
奏は、先輩たちへの挨拶も、CTO室という厳粛な場所であることも完全に忘れ去り、まるで飼い主を見つけた子犬のような勢いで、一直線に部屋の奥へと駆け出した。
「ちょ、奏!? どこ行くの!?」
慌てる火威青の制止も聞かず、奏は春樹の胸に向かって、ロケットのようにダイブしたのだ。
**「パパぁーーーーっ!!!」**
ドスッ、という鈍い音がCTO室に響いた。
「「「「「…………え?」」」」」
その場にいた、そら、えーちゃん、スバル、フブキ、そしてReGLOSSのメンバー全員の思考が、完全に停止した。
パパ?
今、この新人は、我らがチーフにして鉄壁のCTOを、パパと呼んだのか?
しかし、ホロメンたちの脳髄をさらにショートさせたのは、タックルを受けた春樹の『反応』であった。
「……おい、奏。廊下を走るなと昔から言ってるだろ。それに、飛び込む時の重心が高すぎる。これじゃあステージで転ぶぞ」
春樹は、猛スピードで突っ込んできた奏を**『極めて自然な動作で、いとも容易く』**抱き止め、彼女の金髪を呆れたようにポンポンと撫でたのだ。
そこには、戸惑いも、拒絶も一切ない。
何十年もそうしてきたかのような、完璧な『保護者』の顔がそこにあった。
「えへへ〜! だってハルパパがいるなんて聞いてなかったもん! パパ、会いたかったよぉ〜!」
奏は春樹の胸に顔をぐりぐりと押し付け、甘ったるい声で擦り寄っている。春樹も「はいはい。お前、少し背が伸びたか?」と、まんざらでもない様子で彼女の頭を撫で続けていた。
カチャリ。
給湯スペースから、そらの手にあったティースプーンが、大理石の床に落ちる音が響いた。
### 第2章:崩壊する前提、そして明かされる血脈
「ち、チーーーーーーフ!?!? なに!? どういうことッスか!? 隠し子!? チーフの隠し子ッスか!?!?」
最初に再起動を果たしたスバルが、悲鳴のようなツッコミを入れた。
その声で、マッサージチェアで寝ていたすいせいも飛び起きる。
「は!? チーフがパパ!? え、犯罪!? 社長案件!?」
「ま、待ってください! 春樹くん、いくら何でも説明を求めます! あなたに娘がいるなんて、人事情報にも戸籍にも……っ!」
普段は冷静沈着なえーちゃんですら、タブレットを取り落としそうになりながらパニックに陥っている。
「……お前ら、落ち着け。うるさいぞ」
春樹は奏を抱きとめたまま、心底不思議そうな顔で周囲のパニックを見渡した。
「隠し子なわけないだろ。年齢を考えろ。……奏は、オレの母方の従兄弟の娘だ。つまり、血の繋がった親戚だよ」
「親戚……?」
「ああ。こいつの家は共働きで忙しくてな。こいつがまだ幼稚園くらいの頃から、オレがよく実家でベビーシッターをやらされてたんだよ。おむつを替えたこともあるし、自転車の乗り方もオレが教えた。だからこいつは昔から、オレのことを『第2のパパ(ハルパパ)』って呼んで懐いてるんだ」
春樹の説明は、極めて論理的で、事実に基づいたものであった。
しかし、その説明は、その場にいたある一人の少女の心に、致死量の猛毒を注ぎ込むこととなった。
「……春樹」
地を這うような、冷たく、そして震える声。
全員が振り返ると、そこには、前髪の影で表情の見えない、ときのそらが立っていた。
「……そ、そら?」
春樹が、本能的な危機感を覚えて一歩後ずさる。
「私……そんな話、一度も聞いたことないよ」
そらは、ゆっくりと顔を上げた。そのアイスブルーの瞳からは、普段の温かな光が完全に消え失せ、底知れぬ暗い渦が巻いていた。
「え、あ……そりゃそうだろう。お前の家とオレの家は近所だったが、親戚関係の付き合いは別だ。わざわざ説明するようなことでもないし、業務のシステム構築にも関係ないからな」
「関係ない……?」
そらの声のトーンが、さらに一段低くなる。
えーちゃんとフブキが「ひっ」と息を呑み、壁際に後退した。
そらにとって、春樹のすべてを知っているという『絶対的な幼馴染としての自負』は、彼女のアイデンティティの根幹であった。
どんなにホロメンが春樹に懐こうと、そらは余裕を持っていられた。なぜなら、自分は「春樹の過去も、実家も、家族も、弱点も全て知っている」という唯一無二のアドバンテージがあったからだ。
しかし今、目の前に現れた金髪の少女は。
自分の知らない春樹を知っていて。
自分の知らない『ハルパパ』という名前で彼を呼び。
そして何より、自分にはない『血の繋がり(親戚)』という、絶対的な特権を持っていたのだ。
「えへへ、そら先輩! 私、ハルパパに歌の練習も付き合ってもらったことあるんです! パパが作ってくれたマイクで、ずっと歌ってて……それで、ホロライブに入れたんです!」
空気を全く読まない(読めない)奏が、春樹の腕の中から無邪気にそらに向かって報告する。
「……歌の、練習」
そらの頭の中で、何かがぶつんと切れる音がした。
春樹が、私以外の女の子のために、マイクを作り、歌の練習に付き合っていた?
彼が私の夢を支えてくれたように、この子にも、魔法をかけていた?
「……春樹。ちょっと、こっちに来て」
そらは、春樹ににっこりと——背筋が凍るような、完璧すぎる笑顔で——微笑みかけた。
「そ、そら……? その、お前、左手の薬指のバイオセンサーのリング……心拍数のデータが、エラーを吐くレベルで急上昇してるんだが……」
「いいから。こ・っ・ち・に・来・て」
### 第3章:不可侵領域の簒奪と、女神の逆襲
「……あ、あの、チーフ。私たち、そろそろ次のスタジオに行かないと……」
ただならぬ空気を察知した火威青が、震える声で助け舟を出した。
「そ、そうだな! 奏、ほら、先輩たちに迷惑をかけるな。挨拶回りに戻れ」
春樹が奏を引き剥がそうとするが、奏は「えー! やだ! もっとパパとお話しするー!」と春樹の腰にコアラのようにしがみついて離れない。
「こら、奏。オレは今CTOとして——」
「パパ、最近全然遊んでくれないじゃん! 私がデビュー決まった時も『サーバーの構築があるから』ってLINEのスタンプ一個だったし! 今日はいっぱい甘えさせてもらうんだから!」
奏はそう言うと、なんと春樹を強引にマッサージチェアに座らせ、自分はその膝の上にちょこんと座り込んでしまった。
そして、春樹の胸ポケットからペンを抜き取って遊び始めたり、春樹の頬をむにむにと突いたりし始めた。
「こら、やめろ奏。……全く、お前は昔からワガママで……」
春樹の口調は叱っているようだが、その手は無意識のうちに奏の背中を支え、怪我をしないようにしっかりとホールドしている。
その表情は、いつものホロメンたちに向ける「呆れた保護者」の顔ではなく、完全に「娘に甘い父親」の顔であった。
(((……チーフ、それ以上甘やかしたら、本気で殺されるぞ……!!!)))
スバル、フブキ、すいせい、えーちゃんの4人は、心の中で絶叫した。
彼女たちの視線の先。
ときのそらは、無言のまま、ゆっくりと春樹と奏の座るマッサージチェアへと歩み寄っていた。
「……奏ちゃん」
そらが、奏の肩にそっと手を置く。
その瞬間、CTO室の室温が物理的に3度は下がったように感じられた。
「ひゃんっ!?」
奏がビクッと肩を揺らす。
「奏ちゃんは、春樹の親戚なんだね。デビュー、本当におめでとう。……でもね」
そらは、奏を見下ろす形で、極上に甘く、そして恐ろしい圧を込めて微笑んだ。
「春樹は今、カバー株式会社のCTOなの。とっても偉くて、とっても忙しい人なんだよ。……それにね」
そらは、自分の左手をスッと持ち上げた。
薬指には、春樹が「24時間生体データを監視するため」に特注で作った、プラチナコーティングの指輪が鈍い光を放っている。
「春樹の頭の中のシステムは、今、**『私の心臓の音を聴くこと』**でいっぱいいっぱいなの。だから、あんまり春樹を困らせちゃ、ダメだよ?」
「っ……!!」
奏は、そらの纏う「正妻の覇気」とでも言うべき圧倒的なオーラに当てられ、本能的な恐怖で春樹の胸に顔を埋めた。
「そ、そら? お前、新人を脅してどうする。奏はただ挨拶に来ただけで——」
「春樹は黙ってて」
ピシャリと、そらが春樹の言葉を遮る。
その剣幕に、最強のCTOである春樹も口を噤むしかなかった。
「奏ちゃん。春樹の『昔のパパ』のお話は、また今度ゆっくり聞かせてね。……でも、春樹の『今の隣』は、譲ってあげられないから」
そらはそう言うと、奏の腕を優しく、しかし絶対に逆らえない力で春樹から引き剥がし、彼女を立たせた。
そして、空いた春樹の隣(マッサージチェアのわずかな隙間)に、自らが滑り込むようにして密着して座ったのだ。
「……そ、そら? お前、狭いぞ。それに今、若手たちが見てる前で……」
春樹が赤面して逃げようとするが、そらは春樹の腕に両腕を絡ませ、絶対に逃さないとばかりに強く抱きしめた。
「狭くないもん。……ねえ、春樹。今日の夜ご飯、ハンバーグにするって言ってたけど、予定変更。私が春樹の家に行って、春樹が一番好きな和食、フルコースで作ってあげる」
「えっ、いや、でも今日は帰ってからARのコードを——」
「ダメ。今日は絶対に、私と二人きりで、私の話だけを聞いてもらうから」
そらの瞳は、一切の反論を許さない執念に満ちていた。
春樹は、その圧力に完全に屈服し、「……わかった」と力なく頷いた。
### 第4章:終息、そして新たなる重力場の形成
「あ、あの……そら先輩、チーフ。私たち、本当にそろそろ……」
限界に達したReGLOSSの面々が、怯えきった声で退出の許可を求める。
「ええ。挨拶、しっかりできたね。これからもホロライブで頑張ってね、奏ちゃん」
そらは、春樹の腕に抱きついたまま、勝者の余裕に満ちた笑顔で後輩たちを見送った。
「パ、パパぁ……またね……」
奏は涙目で手を振りながら、先輩たちに引きずられるようにしてCTO室を後にした。
嵐が去った後のCTO室。
残されたホロメンたちは、疲労困憊でソファにへたり込んでいた。
「……Aちゃん。私、そら先輩があんな顔するの、初めて見た」
すいせいが、震える声で呟く。
「ええ。……春樹くんの知らない過去、そして血縁という覆せない特権。そらにとって、これ以上ないほどの『脅威』だったのでしょう。……あの子、もしかしたら本気で焦っているのかもしれません」
えーちゃんが、呆れたように、しかし少しだけ面白がるように眼鏡を直した。
一方、当の春樹は。
「……なあ、そら。もう奏たちは帰ったぞ。そろそろ離れてくれないか。コードが打てない」
「やだ。絶対に離れない。……春樹のバカ」
そらは、春樹の肩に顔を埋めたまま、小さな声で呟いた。
「春樹は、私だけの魔法使いでしょ? 私の知らない春樹がいるなんて、許さないんだから」
「……お前なぁ。あいつは親戚の子供だぞ。嫉妬するような相手じゃないだろ」
「子供でもダメ! 血が繋がっててもダメ! ……春樹の一番は、絶対に私じゃなきゃ嫌だ」
そらの我が儘すぎる宣言。
普段なら「理不尽だ」と論破するはずの春樹だったが。
首元に伝わるそらの熱と、彼女の薬指で光る特注のセンサーリングが伝えてくる「心拍数の異常な上昇(ドキドキ)」のデータを見て、彼は小さく、本当に小さく息を吐いた。
「……わかったよ。オレの今のメインシステムのルート権限は、お前だけが持ってる。それで満足か?」
春樹が、不器用な手つきでそらの頭を撫でる。
そらは、春樹の胸の中で「うんっ」と、世界で一番幸せそうな声を上げた。
(((……結局、今回もイチャつかせただけじゃねーか!!!!)))
CTO室に残されたギャラリーたちは、甘すぎる『絶対不可侵の空間』に当てられ、今日何度目かわからない特大のツッコミを心の中で叫ぶのであった。
新星の襲来という危機を乗り越え、幼馴染の重力場は、さらに強力に、そして複雑に絡み合っていくのである。