## 観測される特異点・承認編:両親(ルート権限)の呆れ顔と、加速する未来予測
### 第1章:ルート権限保持者へのアクセスと、異常なCPU使用率
「……心拍数120、呼吸数増加、発汗による体表温度の上昇。春樹、スマートウォッチのバイタルデータが完全に異常値を示してるよ?」
閑静な住宅街。
夕暮れ時の赤く染まった道を歩きながら、ときのそらは隣を歩く男の顔を下から覗き込んで、くすくすと笑った。
「……笑い事じゃない。カバー株式会社のCTOとして、何千台のサーバーを束ねるプレッシャーより、今のオレの心臓の負荷の方が圧倒的に高いんだ」
■■春樹は、首元のネクタイを少しだけ緩めながら、引きつった声で答えた。
彼が身に纏っているのは、YAGOOがCTO就任祝いに仕立ててくれた最高級のオーダースーツである。普段の無機質な裏方スタイルとは打って変わった、隙のない完璧な大人の装い。手には、老舗和菓子屋の最高級羊羹(桐箱入り)が握られている。
今日は、日曜日。
二人は、それぞれの実家に「結婚の報告と挨拶」をするため、連れ立って地元へと帰ってきていた。
「大げさだなぁ。私のお父さんもお母さんも、春樹のこと昔からよく知ってるんだよ? 今更何を緊張することがあるの」
「そういう問題じゃない。お前の両親は、お前というこの世で最も尊い存在を生み出した『創造主』であり、オレがこれからお前を独占するための『ルート権限(最上位権限)』を持った存在だ。……もし、オレの年収や、多忙すぎる労働環境、あるいはホロライブという特殊な業界に対する懸念から、アクセスを拒否(リジェクト)されたらどうする」
「もう、すぐそうやってシステムの話にする! 大丈夫だってば。お父さん、春樹のこと息子みたいに思ってるんだから」
そらは春樹の空いた左手に自分の右手を絡め、安心させるようにぎゅっと握った。
その温もりに春樹は少しだけ息を吐き出し、「……そうだな」と頷く。
やがて、見慣れた表札の掛かった一軒家の前に到着した。
ときの家。
春樹が幼い頃から、幾度となく出入りしてきた家だ。しかし今日ばかりは、その玄関ドアが、突破不可能なファイアウォールのように重く立ちはだかっているように見えた。
「……行くぞ」
春樹は覚悟を決め、インターホンを押した。
### 第2章:ときの家の審判、あるいは壮絶なるツッコミ
「よく来たね、春樹くん。まあ、座って」
客間の座布団の上。
上座に座るそらの父親は、腕を組み、非常に険しい——春樹にはそう見えた——表情で彼を見下ろしていた。隣では、そらの母親がニコニコと微笑みながらお茶を淹れている。
「は、はい。本日はお休みのところ、貴重なお時間をいただき——」
「春樹、お茶どうぞ。羊羹、あとで切ってあげるね」
緊張の極地でガチガチの敬語を使う春樹の横で、そらはいつも通りリラックスしきった様子で湯呑みを受け取っている。その温度差が、春樹の焦りをさらに加速させた。
「……単刀直入に聞こう、春樹くん」
父親の声が、低く響く。
春樹は「はい!」と姿勢を正し、両手をついて深く、深く頭を下げた。
「お父さん、お母さん! 本日は、大切なお話があって参りました! オレは……いや、私は、そらさんを心から愛しています。彼女がアイドルとして輝くための基盤は、私がCTOとして一生かけて守り抜きます。そして、一人の女性としての彼女の人生も、私が全ての責任を持って幸福にすると誓います! ……どうか、そらさんを、私にください!!」
一息で、事前に脳内で100回はコンパイルした完璧なプロポーズ(親御さん向けパッチ)を出力した。
誠意、論理、そして情熱。すべてを込めた完璧なプレゼンテーションだ。
——しかし。
客間に流れたのは、感動の涙でも、厳粛な沈黙でもなかった。
「…………はぁ」
そらの父親が、これ以上ないほど深くて重い、特大の『ため息』を吐き出したのだ。
「お、お父さん……? 何か、私のプレゼンに不備が……?」
春樹が恐る恐る顔を上げると、父親は頭をガシガシと掻きむしり、そして、突然テーブルをバンッ!と叩いた。
**「——遅い!!!!! 遅すぎるぞ、春樹くん!!!」**
「……はい?」
想定外の怒声に、春樹が目を丸くする。
「『そらさんを私にください』じゃない!! お前たち、自分が今までどれだけ周囲をやきもきさせてきたか分かっているのか!? 私はな、そらが高校生の時に、君が小遣いとバイト代を全部つぎ込んでそらの部屋に自作の防音室を作った日から、いつ君が『お義父さん』と挨拶に来るかと、ずっと、ずーーーーっと待っていたんだぞ!!」
「えっ……あ、いや、あれは彼女の夢に対する純粋な技術的支援で——」
「技術的支援で済むか!!」
今度は、隣でニコニコしていた母親が、鋭いツッコミを入れた。
「春樹くん。あなた、そらがデビューしてからずっと、会社で寝泊まりして彼女の面倒見てたでしょ? うちに帰ってくる時も、必ず二人一緒。そらが熱を出した時は、会社からすっ飛んで帰ってきて一晩中看病して。……親の私たちより、よっぽど夫みたいな顔してたくせに、何が『ただの幼馴染です』よ! 鈍感にも程があるわ!!」
「うっ……」
母親の容赦ない正論の連撃に、天才CTOの論理的防御壁は一瞬で崩壊した。
「そらもそらよ! 『春樹は私の魔法使いだから〜』なんて言って、他の男の子には目もくれず、完全に春樹くんに依存しきって。……私たち、二人の結婚資金、もう5年前から定期預金で組んで準備してたのよ? いつ言い出すか、いつ言い出すかって、毎晩お父さんと晩酌しながら胃を痛めてたんだからね!」
「お、お母さん! それは言わない約束……っ!」
そらが顔を真っ赤にして両手で顔を覆う。
春樹は、完全に呆然としていた。
反対されるどころの騒ぎではない。両親(ルート権限)は、とうの昔に春樹をシステムのコアとして承認しており、むしろ『お前たちのアップデート(結婚)が遅すぎてシステムエラーが起きていた』と怒っているのだ。
「……春樹くん」
父親が、再び低い声で春樹を呼んだ。しかしその目には、怒りではなく、微かな涙が浮かんでいた。
「君が、そらの夢を誰よりも近くで支え、血を吐くような努力をしてホロライブをここまで大きくしてくれたことは、親としてどれだけ感謝しても足りない。……君じゃなきゃ、そらは絶対にここまで来れなかった」
「お父さん……」
「これからは、プロデューサーとアイドルとしてだけじゃない。ちゃんと、夫婦として、お互いを支え合いなさい。……そらのこと、よろしくお願いします」
父親が、深々と頭を下げる。
母親も、目元をハンカチで拭いながら優しく微笑んでいる。
春樹の胸の奥で、熱いものが込み上げてきた。
「……はい! 必ず、幸せにします」
かくして、最も恐れられていた『ときの家・防衛線』は、反対ゼロ・呆れ度100%という形で、無事に突破されたのであった。
### 第3章:■■家の重圧、または最速の未来予測
ときの家での挨拶を終え、二人はすっかり暗くなった道を歩き、今度は春樹の実家へと向かっていた。
幼馴染である二人の実家は、歩いて数分の距離にある。
「はははっ……春樹、お父さんに怒られるなんて何年ぶり? すっごい顔して固まってたよ」
「笑うな。お前のご両親が、まさか5年前から結婚資金を準備していたなんて、オレの予測モデルの完全に想定外だったんだ……」
疲労困憊の春樹だったが、その表情はどこか晴れやかだった。
そして、たどり着いた■■家。
「ただいまー。……オヤジ、お袋、いるか?」
「はーい! あら、そらちゃん! いらっしゃい! 今日も可愛いわねぇ!」
春樹の母親がエプロン姿でパタパタと出迎え、春樹を完全に無視してそらの手を握りしめた。
「お久しぶりです、おばさん。これ、お土産です」
「まあまあ、気を使わなくていいのに! ささ、上がって! お父さん、春樹とそらちゃん来たわよー!」
居間に通されると、春樹の父親はすでにテーブルに高級な大吟醸の瓶を置き、上機嫌で待ち構えていた。
「おう春樹! CTO就任おめでとう! ニュース見たぞ、お前もすっかり偉くなりやがって!」
「ああ、ありがとう。……で、今日はその報告だけじゃなくてな」
春樹は、ときの家で見せたのと同じように、居住まいを正した。
隣に座るそらと目配せをし、深く頭を下げる。
「オレたち、結婚することにした。……長い間、心配かけて悪かった」
春樹の真剣な報告。
しかし、■■家の反応は、ときの家とはまた別のベクトルで狂っていた。
「**知ってた!!!!!**」
両親が、見事なユニゾンで叫んだ。
「……は?」
「何言ってんのよ春樹。あんたたちが結婚しない世界線なんて、この宇宙に存在しないでしょ! お母さん、あんたが幼稚園の時にそらちゃんと泥んこ遊びしてるの見た時から、いつ初孫の顔が見られるか楽しみにしてたんだから!」
母親の口から飛び出した『初孫』という強烈なワードに、そらが「ふぇ!?」と変な声を上げて赤面する。
「ば、バカ言えお袋! 順序ってもんがあるだろ! まだ籍を入れる約束をしただけで、結婚式すら——」
「結婚式なんかどうでもいいんだよ! 早く孫を見せろ孫を!!」
父親が、大吟醸のグラスをバンバンと叩きながら参戦してくる。
「お前なぁ! 春樹ももう立派な役員で、収入も安定してるだろ! そらちゃんだって、アイドルとはいえもう十分すぎるくらい頑張ったじゃないか! 次のステップは『家庭』と『子供』だろ!」
「論理的飛躍が激しすぎる!!」
春樹はCTOとしての冷静さをかなぐり捨てて叫んだ。
「いいかオヤジ! そらは今やホロライブのトップアイドルだぞ!? 来月にはアリーナツアーが控えてるし、今後のグローバル展開の主軸でもあるんだ! 妊娠・出産による身体的・精神的負荷、およびスケジュールの空白期間が、カバー株式会社の株価と事業計画にどれだけのインパクトを与えるか——」
「うるさいうるさい! データばっかり見てるからあんたはプロポーズが遅れたのよ!」
母親が、春樹の正論を物理的なチョップで叩き斬る。
「そらちゃん! アイドルも大事だけど、女の子としての幸せも絶対に逃しちゃダメよ! 子供が生まれたら、お母さんが毎日でもシッターに行ってあげるから! なんなら私がホロライブの事務所の託児所で働くわよ!」
「えっ、あ、おばさん……その、ありがとう、ございます……?」
そらは、完全に■■家のペースに巻き込まれ、顔から火が出そうなほど照れながらも、なぜかまんざらでもない様子でもじもじしている。
「……そら、お前まで流されるな! 今すぐのライフプラン変更は、オレのシステム設計に大幅な——」
「春樹」
そらが、春樹の服の袖をちょいちょいと引っ張った。
そして、上目遣いで、耳まで真っ赤にしながら、小さな声で囁いた。
「……私、春樹に似た男の子でも、私に似た女の子でも……どっちも、可愛いと思うな。……女の子なら、私とお揃いのアイドル衣装、着せたいな、なんて……」
「…………ッッッ!!!」
その破壊力抜群の一言が、春樹の脳髄にクリティカルヒットした。
天才エンジニアの脳内に、『そらとお揃いのアイドル衣装を着た、そらにそっくりな小さな女の子』という、世界で最も尊い幻覚(レンダリング画像)が瞬間的に生成される。
「——か、完璧だ……。その遺伝子と視覚情報の組み合わせは、人類の宝……」
春樹は、鼻血を出しそうな顔で虚空を見つめ、ブツブツと呟き始めた。
「ほら見ろ! 春樹もその気じゃないか! よーし、今日は朝まで飲むぞ!! そらちゃんも、今日はうち泊まっていきなさい!」
「はいっ、お父さん!」
もはや春樹の理屈など誰も聞いていない。
■■家の夜は、結婚の承認を通り越し、「いかにして孫を可愛がるか」という未来予測の熱狂の中で、賑やかに更けていった。
### 第4章:夜風と、新しい家族のプロトコル
深夜。
両親の猛烈なプレッシャー(と歓迎)から解放された二人は、酔い覚ましを兼ねて、近所の神社の石段に腰を下ろしていた。
夏祭りの夜に、花火を見上げたあの場所だ。
「……疲れた。まさか両家の親が、あんなに前からオレたちを観察し、呆れていたとは」
春樹が、自販機で買った冷たい缶コーヒーを額に当てながらため息をつく。
「ふふっ。でも、嬉しかったな。お父さんもお母さんも、春樹のおじさんもおばさんも、みんな私たちのこと、心から祝福してくれた」
そらは、春樹の肩にコテンと頭を乗せ、夜空の星を見上げた。
「……なぁ、そら」
「ん?」
春樹は、缶コーヒーを置き、そらの左手——自分が贈った、生体データ監視リングが嵌っているその手——をそっと握った。
「お袋やオヤジはあんなこと言ってたが。……オレは、お前に無理はさせない。お前がアイドルとして歌い続けたい限り、オレは全リソースを注ぎ込んで、お前のステージを作り続ける。……子供のことだって、お前が本当に欲しいと思ったタイミングでいい。周囲のノイズは、オレが全部シャットアウトする」
それは、CTOとしての春樹の、最大限の気遣いであり、愛だった。
しかし、そらは春樹の手をぎゅっと握り返し、優しく微笑んだ。
「ありがとう、春樹。でもね……私、今日、春樹のお母さんたちの顔を見て、本気で考えちゃった」
「何を?」
「私たちが、お父さんやお母さんになる未来のこと」
そらのアイスブルーの瞳が、月明かりに照らされてきらきらと輝く。
「アイドルとしての夢も、もちろん諦めない。でも、春樹と家族になって、春樹との子供を育てて、休みの日は一緒にこの神社にお散歩に来る。……そんな未来も、絶対に、絶対に幸せだなって」
そらの言葉に、春樹の胸の奥がじんわりと温かくなる。
完璧なシステムや、エラーのないコード。そんなものよりも遥かに美しく、尊い『未来の設計図』が、今、彼女の口から語られている。
「……欲張りだな、お前は」
「うん。私、とっても欲張りなの。ホロライブのトップアイドルも、春樹の最高のお嫁さんも、絶対に両方叶えるんだから。……春樹は、私の魔法使いでしょ? そのくらいのこと、システムで何とかしてよ」
そらが悪戯っぽく笑い、春樹の鼻先をツンと突いた。
「無茶苦茶言うな。……だが、悪くないエラーだ」
春樹はふっと笑い、そらの腰に腕を回して、その身体を自分へと引き寄せた。
「お前がそれを望むなら。オレが、アイドルも、母親も、全部両立できる世界一完璧な環境(システム)を構築してやる。……覚悟しておけよ、そら」
「ふふっ、期待してる」
夜風が、二人の間を優しく吹き抜ける。
幼馴染として過ごした長い長い助走期間を終え、両親という最大のルート権限からも承認を得た二人。
彼らの紡ぐ未来のコードには、もはやどんなバグも存在しない。
ただ、どこまでも温かく、少し騒がしい、幸福な未来だけが約束されていた。