## 観測される特異点・準備編:世界を欺く箝口令と、魔法使いの徹夜城
### 第1章:最高機密(トップ・シークレット)と、鉄の監視体制
「……いいですね、皆さん。この件に関して、SNSでの匂わせ、配信中の不自然な沈黙、あるいは裏垢での壁打ち、寝言での発言、すべてにおいて**『完全な沈黙』**を要求します」
カバー株式会社、地下の大型ミーティングルーム。
ずらりと並んだホロライブのタレントたちを前に、友人A(えーちゃん)は、氷のように冷たく、そして絶対的な威圧感を放つ声で宣告した。
スクリーンに大々的に映し出されているのは、極秘プロジェクト『星屑の誓い』のロードマップ。すなわち、ホロライブ0期生・ときのそらと、CTO・■■春樹の「結婚発表3D生ライブ」の全容である。
「もし、本番前に情報が漏洩した場合、サプライズの衝撃は半減し、悪意あるゴシップとして世間に消費されることになります。これはカバー株式会社の株価、ひいては皆さんの今後の活動基盤そのものを揺るがす重大事案です。……みこさん、マリンさん、特にあなたたちは気をつけてくださいね。もしポロリとこぼそうものなら、今後の配信環境のルーターの帯域をダイヤルアップ回線並みに絞りますからね」
「ひぃっ!? わ、わかってるにぇ! みこ、絶対に喋らないにぇ! 口にチャックするにぇ!」
「船長も唇を縫い付けておきますワ! だから光回線だけは奪わないでくださいワ〜!!」
さくらみこと宝鐘マリンが、ガタガタと震えながら抱き合う。
他のメンバーたちも、事の重大さとえーちゃんの「本気度」に、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
社長であるYAGOOの決裁が下りてから、事態は急転直下で動き出していた。
ライブの決行日は、発表からわずか3週間後。
通常、ドームクラスのAR技術を用いた3Dライブの準備には、最低でも半年以上の期間を要する。モデリング、モーションキャプチャーの調整、照明やパーティクル(粒子)の物理演算、そして何より、膨大なアクセスに耐えうるサーバーの増強。
それらの狂気的なタスクを、春樹は「外部の業者に漏洩するリスクをゼロにするため」という理由で、社内の限られた少数の特務チーム(と、CTOである自分自身)のみでこなすと宣言したのだ。
えーちゃんは、ミーティングルームの隅で、一人腕を組んで壁に寄りかかっている男に視線を向けた。
「……チーフ。いえ、CTO。あなたのタスクの進捗はどうなっていますか?」
春樹の目の下には、数日前には消えていたはずの深いクマが、再びくっきりと刻まれていた。
しかし、その瞳の奥にある光は、かつてないほどに鋭く、獰猛な熱を帯びている。
「サーバー群の負荷分散クラスタリングは、昨夜の時点で第3フェーズまで完了した。当日は同時接続100万人を想定し、AWSのインスタンスをカバーの全予算の許す限界までスケールアウトさせる。……問題は、オレ自身の『アバター』のモデリングと、そらとのデュアル・トラッキング制御だ」
春樹は、タブレットを操作し、スクリーンに一つの3Dモデルのワイヤーフレームを映し出した。
「オレがステージに立つ以上、生身というわけにはいかない。ファンが思い描く『裏方チーフ』の概念を具現化した、この専用アバターを使う。……だが、オレの動きとそらの動きがステージ上でコンマ1秒でもズレれば、魔法は解ける。完璧な同期(シンクロ)を構築するために、あと数回、徹夜でコードを書き直す必要がある」
「……倒れないでくださいよ。あなたが倒れたら、ライブは中止です」
「オレを誰だと思ってる。ホロライブの単一障害点(SPOF)だぞ。這ってでも完成させてやる」
不敵に笑う春樹の姿に、ホロメンたちは息を呑んだ。
愛する幼馴染のために、自らの血肉を削って最強のステージを創り上げようとする男の背中。
それは、どんなアイドルのステージよりも、彼女たちの胸を熱くさせる『本気の覚悟』であった。
「……というわけです。チーフが命を削ってシステムを組んでいる間、私たちは『日常』を演じ切らなければなりません。皆さん、よろしくお願いします」
えーちゃんの言葉に、全員が無言で、しかし力強く頷いた。
こうして、ホロライブ史上最も過酷で、最も愛に溢れた『箝口令』の日々が幕を開けたのである。
### 第2章:限界化するホロメンと、地獄の日常配信
「こんこんきーつね! 白上フブキです! 今日も元気にマイクラやっていくぞー!」
画面の向こうのリスナー(すこん部)に向けて、白上フブキはいつものように明るい声を響かせていた。
しかし、彼女のデスクの裏側——配信画面には映らない手元のスマートフォンの画面では、ホロライブ内部の特設Discordチャンネル『絶対秘密結社・指輪防衛軍』のチャットが、滝のような速度で流れていた。
『みこ:あああああああ言いたい!! チーフとそら先輩が結婚するって、世界中に向けて叫びたいにぇええええ!!』
『スバル:みこち落ち着けッス! 配信中にそれ誤爆したらチーフに物理的に消されるッスよ!!』
『すいせい:ちょっと聞いてよ。さっきCTO室の前通ったら、チーフが床で気絶してて、そら先輩が膝枕して寝かしつけてたんだけど。尊すぎて私が気絶しそうになった』
『マリン:なんで写真撮らなかったんですの!? 船長に5万で売ってくださいワ!!』
「あ、あはは……! 今日はダイヤがよく見つかるなぁ〜!」
フブキは、ゲーム内でダイヤを掘り当てた歓声を上げながら、心の中では(すいちゃんそれヤバい! 後で詳細キボンヌ!)と絶叫していた。
知っているのに、言えない。
この「圧倒的な尊さ(特大の爆弾)」を共有できないというストレスは、ホスピタリティと共有欲求の塊であるVTuberたちにとって、拷問に近いものであった。
数日後の、大空スバルとさくらみこのコラボ配信でのこと。
『ねえスバル、最近チーフ、全然姿見せないにぇ……寂しいにぇ……』
『そうッスね! CTOになってから忙しいみたいッスからね!』
コメント欄:
「チーフ最近マジで影薄いよな」
「役員仕事忙しいんだろうなー」
「みこちが機材壊しても自力で直すようになったしなw」
そのコメントを見たみこは、限界に達しそうになっていた。
(ち、ちがうにぇ……! チーフは今、お前らが度肝を抜くような世界一すげぇライブの準備で、一睡もせずにコード書いてるにぇ! そら先輩のために、命燃やしてるんだにぇ!!!)
喉まで出かかった言葉を、みこは自身の太ももを思い切りつねることで強引に飲み込んだ。
『み、みこ、チーフがいないからって泣かないにぇ! えらいから!』
『みこち、なんか顔真っ赤ッスよ!? 大丈夫ッスか!?』
スバルが必死にフォローに回り、事なきを得たが、二人の疲労は配信が終わる頃には限界に達していた。
「……無理ッス。この秘密抱えたまま雑談配信とか、地雷原でタップダンス踊るようなもんッスよ……」
「みこも、もう限界にぇ。チーフ……早くライブ本番迎えてほしいにぇ……」
彼女たちの見えない努力(という名の精神的苦痛)によって、奇跡的に情報漏洩はゼロのまま、時間は本番へと容赦なく進んでいった。
### 第3章:月明かりの調整室と、魔法使いの黒衣
本番を三日後に控えた、深夜の第1スタジオ調整室。
春樹は、誰もいない薄暗いスタジオのステージ上に立ち、自らの身体に装着された数十個のモーションセンサーのキャリブレーションを行っていた。
「……右腕のZ軸の追従、ディレイ0.05秒。まだ遅い。レンダリングエンジンの優先度を最大に振り切っても、これ以上の最適化は……くそっ」
春樹は苛立たしげに髪を掻きむしり、手元のタブレットで数式のパラメータを叩き直す。
疲労はすでに限界を超えていた。コーヒーとエナジードリンクの空き缶が、無残な山のようになっている。視界は時折ぼやけ、指先は微かに震えていた。
「春樹、休憩。これ以上は効率落ちるだけだよ」
不意に、スタジオの防音扉が開き、ときのそらが静かに入ってきた。
彼女の手には、手作りのサンドイッチと、温かいカモミールティーが入った水筒が握られている。
「……そらか。悪い、あとこの関数の処理だけ終わらせたいんだ」
「ダメ。Aちゃんから『チーフが死にそうなら物理的に電源を抜け』って言われてるから」
そらは容赦なく、春樹の手からタブレットを奪い取った。
そして、ステージの縁に並んで腰を下ろすよう促した。
「……手、震えてるよ」
そらが、春樹の右手を両手で包み込む。彼女の温かい体温が、氷のように冷え切っていた春樹の指先にじんわりと伝わっていく。
「……不安なんだ」
春樹が、ポツリと呟いた。
普段の自信に満ちたCTOの顔ではない。それは、愛する者を矢面に立たせてしまうかもしれない、一人の男の恐怖だった。
「オレがステージに立つことで、お前のファンがどう反応するか。もし、オレの技術(プレゼン)が奴らの心を動かせなかったら、お前は『裏切ったアイドル』として終わるかもしれない。……オレの書くコード一つに、お前の人生が懸かってる。そう思うと、手が止まりそうになるんだ」
春樹の吐露に、そらは優しく、しかし力強く微笑んだ。
「春樹は、私のファンを甘く見すぎ」
「えっ?」
「私のファン……そらとものみんなはね、私がずっと『アイドルになりたい』って夢を追いかけてきたのを、一番近くで見ててくれた人たちだよ。……私が、誰の支えもなくここまで来れたなんて、誰も思ってない。みんな、私が誰かの深い愛情に守られて、このステージに立ってることくらい、ずっと前から知ってるよ」
そらは、ステージの虚空を見上げた。
そこにはまだ何もないが、三日後には、無数の星屑と、数百万の視線が注がれる場所だ。
「だから、絶対に伝わる。春樹がどれだけ私のことを大切にしてくれてるか。どれだけすごい魔法を使って、私を輝かせてくれてるか。……春樹の作った『アバター』、見せて?」
そらの言葉に押され、春樹はタブレットの画面をそらに向けた。
画面に映し出されていたのは、黒いロングコートを纏い、顔の半分をバイザーのような電子ゴーグルで覆った、サイバーパンク調の青年の3Dモデリングだった。
右手には、指揮棒(タクト)とレンチを組み合わせたような、奇妙なステッキが握られている。
「……これが、オレのアバターだ。表舞台のアイドルであるお前とは対極の、裏方の技術者。影(シャドウ)に徹するデザインにした」
少し照れくさそうに春樹が解説する。
「……かっこいい」
そらの瞳が、キラキラと輝いた。
「本当の春樹みたい。不器用で、ちょっと無愛想だけど、でもすごく強くて、私を守ってくれる魔法使いそのままのデザインだね」
「そ、そうか? モデリングの専門外のオレが組んだから、ポリゴンのテクスチャが少し粗いんだが……」
「ううん、最高。……ねえ、春樹」
そらは、春樹の肩に自分の頭をそっと乗せた。
「本番、このアバターの横で歌えるの、すごく楽しみ。……私を、世界一のお嫁さんにしてね」
その言葉が、春樹の心に絡みついていた恐怖のノイズを一瞬にして消し去った。
彼女がこれほどまでに自分を信じ、楽しみにしているのだ。自分が不安がってどうする。
「……ああ。お前を傷つけるようなバグは、オレがすべてこの手でデバッグ(排除)してやる」
春樹は、そらの髪にそっとキスを落とし、再びタブレットに向き直った。
その指先にはもう、微塵の震えも残っていなかった。
### 第4章:開演前夜、限界突破のカウントダウン
そして、ついに運命のライブ前日。
カバー株式会社の公式X(旧Twitter)アカウントから、突如として一枚のティザービジュアルが投下された。
そこには、満天の星空を背景に、マイクを握りしめるるときのそらの後ろ姿。
そして、そのタイトルロゴ。
**『緊急特番3Dライブ:ときのそら 〜星屑の誓い〜』**
テキストにはただ一言、
「明日、20時。すべての観測者へ、大切なご報告があります」
とだけ添えられていた。
この告知は、インターネットという海に投下された超大型爆弾となった。
ストリーマー板の『【ホロライブ】総合スレ』は、瞬く間に阿鼻叫喚の渦に包まれた。
『おいおいおいおい!! 緊急ライブってなんだよ!!』
『「大切なご報告」って……嘘だろ? まさかそら先輩、卒業……?』
『いや、3Dライブで卒業発表はないだろ! 新衣装か!? それともメジャーデビュー!?』
『でも「誓い」ってタイトルが不穏すぎる……頼む、悪い報告じゃないと言ってくれ……!』
ファンの間では、卒業説、休止説、新プロジェクト説など、あらゆる予測が飛び交い、Twitterのトレンドは上位1位から5位までをホロライブ関連のワードが独占した。
その狂騒を、本社ビルのCTO室で、春樹は静かに見つめていた。
「……同時アクセス数の事前予測、すでに80万人を突破。最終的には150万を超える可能性があります」
インカム越しに、技術部の若手チーフが報告してくる。
「想定の範囲内だ。予備のインスタンスをすべてスタンバイ状態にしておけ。トラフィックが閾値の80%を超えた瞬間に、自動でロードバランサーが負荷を逃がすように組んである。……サーバーは、絶対に落とすな。1秒の遅延も許されないぞ」
「了解しました、CTO!」
春樹は、自らのデスクに置かれた、純白のVRヘッドセットを見つめた。
明日、これを被った瞬間、彼はもはや裏方のシステムエンジニアではなくなる。
数百万人の前で、自らの愛と技術を証明するための『演者』となるのだ。
「チーフ」
背後から声がして振り返ると、そこには、ホロライブのメンバーたちがズラリと並んでいた。
みこ、すいせい、フブキ、マリン……そして、新人の奏やReGLOSSの面々まで。
全員が、真剣な、そして限界まで応援の熱を帯びた瞳で春樹を見つめている。
「……お前ら。明日はオレとそらのライブだぞ。お前たちの出番はないはずだが」
春樹が呆れたように言うと、すいせいがニヤリと笑って一歩前に出た。
「出番はないけど、見届けに来たのよ。私たちがここまで来れたのは、チーフがずっと一番後ろで支えてくれたから。……明日は、私たちが一番の特等席で、チーフの大勝負を応援してあげる」
「チーフ! もしコメント欄が荒れたら、みこたちが全員でスパチャ投げて弾幕張ってやるにぇ!!」
「船長たちも、各々のチャンネルで同時視聴枠とって、全力でサポートしますワ!! だから……安心して、そら先輩を迎えに行ってくださいワ!!」
「ハルパパ! かっこいいとこ見せてね!!」
次々と投げかけられる、愛すべき騒がしい子供たちからのエール。
春樹は、目頭が熱くなるのを誤魔化すように、フッと鼻で笑ってそっぽを向いた。
「……お前らのスパチャの力なんか借りなくても、オレのシステムで全員黙らせてやる。……だが、まあ、見とけ。お前たちの保護者が、世界一かっこいい魔法使いだってことを証明してやるからな」
その言葉に、ホロメンたちから「うおおおおお!!」と割れんばかりの歓声が上がった。
時計の針が、午前0時を回る。
運命の『星屑の誓い』開演まで、あと20時間。
すべてを隠し通した鉄の箝口令は終わりを告げ、世界中を巻き込む最高のエンターテインメントの幕が、静かに、そして圧倒的な熱量とともに開こうとしていた。