ホロ  オリ   作:raian sinra

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**【第8話】 彗星のワガママと、徹夜の特等席**

### Scene 1:午前2時30分・静寂を破る青い星

そらの周年記念ライブが伝説的な成功を収めてから、数日が経過した。

カバー株式会社の地下深く、第1テクニカル・コントロールルームは、祭りの後の静寂を取り戻し……てはいなかった。

「……第3クラスターのキャッシュクリア。メインデータベースとの同期エラー修正、よし。次はENの配信枠のルーティング最適化、と」

■■春樹は、血走った目で暗闇の中のモニターを睨みつけていた。

大イベントが終わったからといって、裏方の仕事が減るわけではない。むしろ、あの異常なトラフィックを捌き切ったサーバー群のメンテナンスや、タレントたちの通常配信を支えるシステムの保守作業が山のように積まれているのだ。

デスクの端には、空になったエナジードリンクの缶がジェンガのように積み上げられている。

(あと3時間……3時間でこのスクリプトを終わらせて、仮眠室に行くんだ……)

朦朧とする意識の中で、春樹がエンターキーを叩こうとした、その時だった。

『プシュッ』

分厚い防音扉の電子ロックが解除される音が鳴り、冷たい空気がコントロールルームに流れ込んできた。

「チーフ。まだ起きてる?」

鈴の音のようにクリアで、どこか悪戯っぽい響きを含んだ声。

振り返ると、そこには私服姿の**星街すいせい**が立っていた。

オーバーサイズのパーカーに身を包み、片手にはタブレット端末、もう片手にはコンビニの袋を提げている。

「……星街。今、何時だと思ってる」

「深夜2時半。草木も眠る丑三つ時、そして天才エンジニアの脳が一番冴え渡る時間帯でしょ?」

すいせいは悪びれる様子もなく、春樹の隣の空いている椅子を引っ張り出して腰を下ろした。そして、提げていたコンビニ袋から冷えたリンゴジュースを取り出し、春樹のデスクにドンッと置く。

「差し入れ。エナドリばっかり飲んでるとAちゃんに怒られるよ」

「お前な……。明日も早いんだろ、早く帰って寝ろ」

「チーフこそ。あの伝説の光の演出から数日しか経ってないのに、また徹夜?」

「誰かさんたちが毎日毎日、新しい機材の要望やら無茶な企画書やらを上げてくるせいだよ」

春樹がため息交じりにリンゴジュースの蓋を開けると、すいせいはふわりと微笑み、手元のタブレットの電源を入れた。

「じゃあ、ちょうどよかった。**私も新しいワガママ、持ってきたところだから**」

### Scene 2:妥協なきクリエイターの衝突

すいせいがタブレットの画面を春樹の目の前に突きつける。

そこには、来月に控えた彼女自身のソロライブの、演出コンテがびっしりと書き込まれていた。

「……なんだこれ」

「次のライブのクライマックス。曲のラストのサビで、空間全体をガラスみたいにパリンッ!て割りたいの」

すいせいの指先が、画面上の手書きのイラストをなぞる。

「ただ割れるだけじゃないよ。無数に砕け散ったガラスの破片一つ一つに、過去の私のライブ映像や、ステージの照明が反射してキラキラ光るの。で、最後はその破片が星屑みたいに上に昇っていく……っていう演出。どうかな?」

春樹の脳内で、凄まじい速度で技術的な演算が走る。

そして、数秒後に導き出された結論は、一つだった。

「却下だ。不可能に近い」

「えー! 即答!?」

「当たり前だ。いいか、お前が言ってる『ガラスの破片一つ一つに映像や照明を反射させる』っていうのは、リアルタイム・レイトレーシング技術の領域だ」

春樹は自分のモニターに、現在のサーバーの負荷状況を映し出した。

「映画のCGなら時間をかけてレンダリングすればいい。だが、生配信のライブで、しかもお前の動きに合わせてカメラアングルがガンガン変わる中で、無数の動的オブジェクト(破片)に正確な光の反射計算をさせたらどうなると思う? サーバーが火を噴くぞ」

「でも、そら先輩の時は数万の光の粒子を動かしたじゃない!」

「あれは発光(エミッション)と当たり判定の処理だけだ。お前が要求しているのは『反射』と『屈折』だ。計算量が桁違いなんだよ」

春樹の正論を前にしても、すいせいは全く引く気配を見せなかった。

彼女のサファイアのような青い瞳が、春樹を真っ直ぐに射抜く。

「……チーフ。私ね、そら先輩のステージを見て、本当に感動したの」

すいせいの声のトーンが、一段低く、真剣なものに変わる。

「歌の感情が、そのまま光になって世界を満たしていた。あの『体温』を感じるステージは、チーフだから作れた魔法だって、痛いほど分かった。……だから、悔しかったの」

「悔しい?」

「そりゃそうだよ。私は星街すいせいだもん。誰のステージよりも、私のステージが一番かっこよくて、一番みんなを圧倒させたい」

すいせいはタブレットを胸に抱きしめ、春樹を真っ向から見据えた。

「ガラスの破片は、私が今まで乗り越えてきた『壁』の象徴なの。それを私の歌で打ち砕いて、全部を星に変えてみせたい。……ただの背景映像じゃダメ。私の声と、私の動きに合わせて、世界が本当に砕け散る『実感』が欲しいの」

それは、アイドルとしてのわがままではない。

表現者として、絶対に譲れない『魂』の叫びだった。

### Scene 3:無茶振りの裏にある『絶対の信頼』

コントロールルームに、重い沈黙が降りた。

サーバーの駆動音だけが、二人の間を埋めるように低く響いている。

春樹は、じっとすいせいの目を見つめ返していた。

妥協を許さない、完璧主義のアーティスト。

彼女は、自分がどれだけ無茶な要求をしているか、本当は頭の片隅で理解しているはずだ。それでも彼女が引かないのは、春樹への『当てつけ』ではない。

(……こいつは、俺を信じ切ってるんだ)

『チーフなら、絶対にこの壁を越えてくれる』

『私の歌に応えられるのは、チーフの技術だけだ』

言葉にはしないが、その強烈な信頼と期待が、彼女の瞳の奥でギラギラと燃えている。

そらの無茶振りが「夢を共有する幼馴染の甘え」だとするなら、すいせいの無茶振りは「対等なプロフェッショナルとしての果し状」だ。

「……お前、性格悪いぞ」

春樹は、限界まで息を吐き出しながら、頭をガシガシと掻き毟った。

「俺が『技術的に無理だ』って言えない性格だって分かってて、わざと一番難しい球を投げてきてるだろ」

その言葉を聞いた瞬間、すいせいの顔に、パァッと華やかな笑顔が咲いた。

「ふふっ。だって、カバーのチーフ・テクニカル・プロデューサーは天才だもん。私がどんなワガママを言っても、『よし、徹夜でシステム組むわ』って言ってくれるんでしょ?」

「……俺の寿命をなんだと思ってるんだ」

春樹はデスクの上に散乱していた資料を乱暴に押しのけ、キーボードを手元に引き寄せた。

「レイトレーシングのフル演算は物理的に不可能だ。だから『フェイク』を入れる。事前にステージ全体の環境マップを全方位カメラで生成しておき、ガラスの破片にはその環境マップをベースにした『疑似的な反射シェーダー』を適用する」

「疑似的……? それで、本物みたいに見えるの?」

「俺が作るんだ、本物より本物らしく見せてやるよ」

春樹の指が、キーボードの上で凄まじい速度でタップダンスを始めた。

「破片の生成アルゴリズムには、ボロノイ分割(Voronoi Tessellation)を使う。お前の声のピーク周波数をトリガーにして、空間のポリゴンを動的に分割して破裂させる。反射の演算はカメラの視野角内(フラスタムカリング)の破片だけに限定して、背後の見えない破片の計算は完全に切り捨てる」

口から専門用語を機関銃のように吐き出しながら、春樹の脳は完全に「戦闘モード」へと切り替わっていた。

「……星街。このコンピュートシェーダーを組むのに、最低でも5時間はかかる。お前は帰って寝ろ」

「ううん、帰らない」

すいせいは、春樹が飲み干したリンゴジュースの空きペットボトルをゴミ箱に捨てると、自分のパーカーのフードをすっぽりと被った。

「私が言い出したことだもん。完成するまで、ここで見届けさせてもらうよ」

「……好きにしろ。ただし、話しかけるなよ。集中が切れる」

「はいはい、わかってますー」

こうして、妥協なき歌姫と、限界を知らない天才技術者の、長く熱い夜が始まった。

### Scene 4:深夜の特等席と、プロフェッショナルの背中

午前4時。

コントロールルームは、キーボードを叩く『カタカタカタッ』という乾いた音だけが支配していた。

すいせいは、丸椅子の上で膝を抱えながら、春樹の横顔をじっと見つめていた。

普段は少し気怠げで、ホロメンたちに振り回されてばかりのチーフ。しかし、一度パソコンに向かい合い、コードの海に潜り込んだ彼の横顔は、恐ろしいほどの集中力と執念に満ちている。

黒い画面(エディタ)に、緑や青の文字列が滝のように流れては、消えていく。

すいせいには、それが何を意味しているのか全く分からない。

だが、その文字列の羅列が、自分のステージで光り輝く『ガラスの破片』になることだけは分かっている。

(……すごいな)

すいせいは、無意識に息を呑んだ。

自分は、マイクの前に立つことでしか世界を動かせない。

けれど、この目の前の男は、たった十本の指先で、物理法則すらねじ曲げた『新しい世界』をゼロから創り出してしまう。

「……チーフ」

話しかけるなと言われていたのに、すいせいはたまらず口を開いていた。

「ん」

春樹はモニターから目を離さず、手も止めずに短い返事をした。

「どうして、そこまでしてくれるの? 私がワガママ言ってるの、分かってるでしょ」

「ワガママじゃないタレントなんて、ホロライブには一人もいない」

春樹は淡々と答える。

「お前たちが要求してくるのは、いつだって『限界のちょっと先』だ。俺たち技術部が『今の環境ならここまでできます』って提示したラインを、お前らは平気で踏み越えて『もっとすごいことやりたい!』って騒ぎ立てる」

「……うっ、耳が痛い」

「だがな」

春樹のキーボードを叩く手が、一瞬だけ止まった。

「俺は、それが嫌いじゃない。お前らの『見せたい世界』が、俺たち技術者の『作れる世界』を拡張してくれているんだ。……お前が今日、この無茶振りをしに来なかったら、俺は空間を動的に破壊するシェーダーなんて、一生組む機会がなかったかもしれない」

春樹はふっと笑みをこぼし、再びコードを打ち始めた。

「お前は、最高の歌を歌うことだけを考えろ。システムが落ちる心配も、演出の限界も、全部俺に丸投げしていい。……星街すいせいのステージを、技術的な言い訳で終わらせるようなダサい真似は、俺が絶対に許さないからな」

その言葉に、すいせいの胸の奥が、ぎゅっと熱くなった。

裏方とタレント。役割は違えど、見ている高みは完全に同じなのだ。

自分は一人で戦っているんじゃない。この天才技術者が、自分の足元のステージを、鉄壁の守りで支えてくれている。

「……ふふっ。生意気」

すいせいはフードの奥で、少しだけ潤んだ目を隠しながら、嬉しそうに笑った。

「じゃあ、期待してるね、私の共犯者さん」

### Scene 5:夜明けの星屑と、約束の景色

「――コンパイル完了。テスト環境にデプロイする」

春樹の掠れた声が響いたのは、外の空気が白々と明け始めた、午前7時のことだった。

すいせいはうとうとしていた目をこすり、勢いよく顔を上げた。

「できたの!?」

「ああ。見てみろ」

春樹がエンターキーを叩き、中央の大型ARモニターに仮想ステージの映像を出力する。

何もない暗黒の空間。

「星街、マイク代わりのこれを持て」

春樹が手渡してきたのは、予備のトラッキング用コントローラーだった。

「これで一番高い音を出した時の振り付けをやってみろ。それをトリガーにして空間を割る」

すいせいはコントローラーを握りしめ、モニターの前に立った。

深呼吸をして、脳内で自分の曲のクライマックスを再生する。そして、仮想のステージに立つ自分の姿を完全にイメージし――思い切り腕を振り上げ、架空の高音を響かせる動作をした。

『カァンッ……!!』

システムが、すいせいの動き(トリガー)を検知した瞬間。

ARモニターの中の空間に亀裂が走り、次の瞬間、世界が**物理的に砕け散った**。

「わぁ……っ!」

すいせいの口から、歓声が漏れる。

何千、何万というガラスの破片が、スローモーションで空中に舞い上がる。

そして、その破片の一つ一つが、仮想のステージの照明を正確に乱反射し、まるで宇宙空間に無数のダイヤモンドをばら撒いたかのように、圧倒的なきらめきを放っていた。

破片たちは、すいせいが腕を下ろす動作に合わせて、星屑のように細かく砕け、光の粉となって消えていく。

「……どうだ。反射の演算、違和感ないだろ」

春樹が椅子の背もたれにぐったりと体重を預けながら、ドヤ顔で言った。

「ボロノイ分割の乱数シードを調整して、お前の顔に大きな破片が被らないように微調整してある。照明の反射も、お前のパーソナルカラーの『青』が一番綺麗に映えるように、シェーダーの環境光をチューニングした」

完璧だった。

すいせいの脳内にあった「理想の光景」を、120%の解像度で具現化したような、圧巻の映像美。

これを生配信のリアルタイムで動かせるという事実が、どれほどのオーバーテクノロジーなのか、すいせいにも痛いほど分かった。

「……チーフ」

すいせいはモニターから目を離し、春樹の方を向いた。

徹夜明けでボロボロの顔をした、最高のプロデューサー。

「すっごく、すっごく……綺麗。私の想像の、何倍も」

「だろ。……これで文句はないな」

「うんっ! 文句どころか、最高傑作だよ!」

すいせいは駆け寄り、春樹の背中をバシッと力強く叩いた。

「ぐはっ!? おい、疲労困憊の体にクリティカルヒット入れるな!」

「あはは! ごめんごめん。でも、本当にありがとう!」

すいせいは屈託のない笑顔を見せた後、少しだけ真面目な顔になって、春樹の耳元で囁いた。

「この魔法のお礼は、本番のステージで返すからね。……チーフが作ってくれたこの星空で、私が世界一の歌を歌ってみせる」

「……ああ。期待してるよ、彗星」

春樹が小さく笑い返すと、すいせいは満足そうに頷き、「じゃあ、私はボイトレ行ってくる!」と、嵐のようにコントロールルームを去っていった。

バタン、と扉が閉まり、再び静寂が戻る。

「……ボイトレって、今朝の7時だぞ……アイツの体力どうなってんだ……」

春樹は一人残された部屋で、限界を迎えた目をこすりながら呟いた。

机の上には、すいせいが置いていったリンゴジュースの空きペットボトルと、書き込みだらけの演出コンテが残されている。

(……妥協しない歌姫と、技術の限界。……上等だ)

春樹はメインシステムをロックし、今度こそ仮眠室へと重い足を引きずり始めた。

疲労は限界を突破しているが、胸の中には、新しい『魔法』を生み出した確かな高揚感が燃え続けていた。

カバー株式会社の裏側で、タレントと技術者の魂のぶつかり合いは、今日も終わることなく続いていく。

彼女たちの見上げる空に、一番星を輝かせるために。

 

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