**【第11話】 背伸びするエリートと、不器用なビッグダディ**
### Scene 1:午前1時15分・エリートの極秘ミッション
深夜のカバー株式会社、第2機材セットアップルーム。
普段はチーフである■■春樹や技術スタッフたちが、タレントの配信用PCを組んだり、機材のメンテナンスを行ったりする裏方の作業部屋である。
その静まり返った部屋の中で、ゴソゴソと不審な物音が響いていた。
「……ふふん。こんなもの、エリートにかかれば朝飯前にぇ」
懐中電灯を口にくわえ、床に這いつくばっているのは、ホロライブ0期生・さくらみこだった。
彼女の目の前には、段ボールから取り出されたばかりの真新しい配信用PCケースと、グラフィックボード(RTX4090)、そして無数のケーブル類が散乱している。
みこは来週に控えた自身の大型3D企画のために、春樹が「明日、俺が組んでセットアップしておく」と言っていた機材を、**『自力で完成させる』**という極秘ミッションを遂行中だった。
(チーフはいつも徹夜ばっかりしてるにぇ……。すいちゃんやそら先輩の無茶振りにも応えてるし、みこがこれくらい自分でやって、チーフを休ませてあげるのが『真のエリート』の心遣いってもんにぇ!)
みこは口にくわえていた懐中電灯を置き、腕まくりをした。
彼女の脳内には、事前にYouTubeで3回だけ見た『自作PCの組み方・初心者編』の映像が完璧にインプットされている(つもりだった)。
「えーっと、まずはこのデカい板(マザーボード)に、この四角いやつ(CPU)をガシャンってして……あ、もう入ってるにぇ。チーフ、下準備だけはしてたんだな」
みこは鼻歌交じりに、巨大なグラフィックボードを持ち上げた。
「これを、ここに挿す……よいしょっ! うーん、なんか硬いにぇ? えいっ、えいっ!」
*メリッ……。*
微かに、電子基板から鳴ってはいけない音がした気がしたが、みこは気にしない。
「よし、入ったにぇ! 次は電源ケーブル! これとこれを繋いで……なんか線がいっぱいあってわかんないにぇ……まあ、挿さるところに全部挿せば動くはず!」
彼女の「エリート理論」によって、8ピンと6ピンの電源ケーブルが強引に押し込まれ、ケース内の配線はまるでスパゲッティのように絡み合っていく。
作業開始から約1時間。みこは額の汗を拭い、ドヤ顔で立ち上がった。
「かんせーい! さすがみこち、天才エリート巫女だにぇ! これで電源を入れれば、ピカピカ光ってチーフもびっくり……」
みこが誇らしげに、PCケースの天面にある電源ボタンを押し込んだ。
その瞬間。
『ビィィィィィィィィンッ!!!!』
『Warning! CPU Fan Error!』
けたたましいビープ音と共に、マザーボード上の真っ赤なLEDが激しく点滅し始めた。
ケースの奥から、焦げたような微かな匂いが漂ってくる。
「ふぇ!? な、なに!? 爆発するにぇ!? 助けてぇ!!」
みこはパニックになり、あちこちのボタンを適当に押し始めたが、ビープ音は鳴り止まない。
「どどど、どうしよう! コンセント! コンセント抜くにぇ!!」
床を這いつくばって電源コードを引き抜こうとしたみこの背後に、
「――そこでストップだ、みこ」
地を這うような、恐ろしく低く、冷たい声が響いた。
### Scene 2:保護者(ビッグダディ)の到着
「ひゃうっ!?」
みこがビクッと肩を跳ねさせて振り返ると、セットアップルームの入り口に、腕を組んだ■■春樹が立っていた。
寝癖のついた頭、緩んだネクタイ、そして手には愛用の静電気防止手袋。
彼の目は、けたたましく鳴り響くPCケースと、涙目で床にへたり込んでいるみこを交互に見比べている。
「チ、チ、チーフ……! こ、これは違うにぇ! みこが破壊したんじゃなくて、PCのほうが勝手に……!」
「言い訳は後で聞く。そこを退け」
春樹は素早い動作でみこの横を通り抜けると、主電源のスイッチを的確に切り、ビープ音を強制的に停止させた。
静寂が戻った部屋の中で、春樹はため息をつきながらPCケースのサイドパネルを開けた。
「……みこ。お前、グラボのPCIeスロットのロックピンを開けずに強引に挿し込んだな。スロットが歪んでるぞ」
「うっ……」
「それに、CPUクーラーの電源ケーブルがマザーボードじゃなくてケースファンの端子に挿さってる。だからエラーが出たんだ」
「ふえぇ……」
「極めつけはこれだ。補助電源ケーブルの配線(ケーブルマネジメント)が地獄すぎる。これじゃケース内のエアフローが死んで、本番中に熱暴走で落ちるぞ」
的確すぎるダメージ判定(ダメ出し)の連続に、みこのHPはすでにゼロだった。
「……で?」
春樹は静電気防止手袋をはめながら、床に座り込むみこを見下ろした。
「深夜1時過ぎに、こんなところで何をやってたんだ? 0期生様ともあろうお方が、わざわざ俺の仕事を増やしに来てくれたのか?」
その言葉は、春樹なりの軽い冗談だった。
いつもなら、みこが「チーフのいじわるー! 助けてにぇー!」と泣きついてきて、春樹が「はいはい」と直してあげるのが、二人の『お約束(プロレス)』だったからだ。
しかし、今日のみこは違った。
「……増やそうと、したんじゃないにぇ」
みこは俯き、ぎゅっと自分のスカートの裾を握りしめていた。
「みこは、チーフの仕事を減らそうと思ったんにぇ……っ」
ぽた、と。
床に、小さな水滴が落ちた。
### Scene 3:エリートの背伸びと、本音の涙
「みこ……?」
春樹が驚いて身を屈めると、みこは大粒の涙をボロボロとこぼしながら、子供のようにしゃくりあげていた。
「だって……チーフ、毎日毎日、徹夜ばっかりしてるにぇ……!」
みこは涙を拭おうともせず、声を震わせながら言葉を絞り出した。
「すいちゃんのライブの時も、そら先輩の時も……裏でずっとパソコン叩いて、フラフラになってたの、みこ知ってるにぇ。……みこも、0期生なのに。みんなの先輩なのに……いっつもポンコツで、チーフに迷惑ばっかりかけて、機材壊して……」
みこの胸の内にあったのは、深い自己嫌悪と、春樹への純粋な思いやりだった。
「みこも、エリートとして、チーフの役に立ちたかったんにぇ! 機材のセットアップくらい、自分でパパッとやって、『チーフ、今日は早く寝ていいにぇ!』って、かっこよく言いたかったんにぇ……っ!」
「なのに……また壊しちゃった。結局、チーフの仕事増やしちゃった……ごめんなさい……ごめんなさいにぇ……」
両手で顔を覆い、ワンワンと泣きじゃくるみこ。
それは「ホロライブのトップアイドル」の姿ではなく、大好きなお父さんの手伝いをしようとしてお皿を割ってしまった、小さな女の子そのものだった。
春樹は、PCケースに向けようとしていた手を止め、無言でみこを見つめた。
ホロライブという巨大な組織の中で、春樹は「裏方のトップ」であり、タレントたちは「表舞台のトップ」だ。だが、春樹にとって彼女たちは、どんなに有名になっても、手のかかる『娘たち』と同義だった。
特に、さくらみこというタレントは、その無邪気さと不器用さゆえに、誰よりも放っておけない存在だ。
「……バカだな、お前は」
春樹はふっと柔らかく微笑むと、床に座り込み、みこの頭にポンッと手を置いた。
「ひぐっ……チーフ、怒ってるにぇ……?」
「怒ってない。ただ、お前がアホみたいに『背伸び』してるから、呆れてるだけだ」
春樹はみこの頭を、少しだけ乱暴に、けれど最高に優しく撫で回した。
「誰がお前にエンジニアになれって言った? お前がグラボの配線を完璧にこなしたところで、リスナーは一人も喜ばないぞ」
「でも……チーフが大変そうだから……」
「俺はこれが『仕事』だ。機材のトラブルを直すのも、徹夜でコードを書くのも、お前たちの配信を守るのも、俺の誇りなんだよ。それをお前が奪ってどうする」
春樹は立ち上がり、工具箱からプラスドライバーを取り出した。
「お前は0期生だろ。なら、お前の仕事は『裏方のお守り』をすることじゃない。表舞台で誰よりも笑って、誰よりもリスナーを楽しませて、ホロライブの太陽でいることだ。……それ以上のことを、お前に求めた覚えはないぞ」
その言葉に、みこはハッとして顔を上げた。
涙で滲んだ視界の先には、PCの配線を鮮やかな手つきで外し、あっという間に元の状態に組み直していく春樹の広い背中があった。
「……でも、みこは、チーフに恩返しがしたいんにぇ」
みこの小さな声に、春樹はドライバーを回す手を止めずに答えた。
「なら、手伝え」
「え?」
「俺一人じゃ、配線の取り回し(ケーブルマネジメント)が面倒なんだ。そこにある結束バンド(インシュロック)を取ってくれ。俺がケーブルをまとめるから、お前が縛れ。……できるか? エリート助手」
春樹が振り返り、ニヤリと悪戯っぽく笑う。
みこの顔に、パァッと花が咲いたような明るさが戻った。
「……できるにぇ! みこち、エリートだから、結束バンドくらい秒で縛れるにぇ!!」
### Scene 4:深夜の共同作業と、不器用な優しさ
そこからは、チーフとエリート助手による、深夜のドタバタ共同作業が始まった。
「みこ、そこの太い24ピンケーブルを裏側に回せ。そうだ、マザーボードの裏の隙間を通すんだ」
「わかったにぇ! うーん、ちょっと穴が狭いにぇ……えいっ!」
「バカ、力任せに引っ張るな! 断線するだろ! もっと優しく這わせるんだよ」
「チーフ、結束バンド縛るにぇ! ぎゅーっ!! ……あ、間違えて自分の指も一緒に縛っちゃったにぇ!」
「お前は本当にアホなのか……ハサミ貸せ、切ってやる」
「ううっ、指が鬱血するにぇ……」
春樹は呆れながらも、決して自分一人で作業を終わらせようとはしなかった。
一つ一つのパーツの意味を教え、みこに簡単な作業を任せ、出来たら「よし」「上出来だ」と短く褒める。
それはまさに、不器用な父親(ビッグダディ)が、娘と一緒に日曜大工をしているような、温かくて甘い時間だった。
「……ねえ、チーフ」
作業が終盤に差し掛かり、ガラスパネルを取り付けながら、みこがポツリと呟いた。
「チーフって、みこのこと、いっつも子供扱いするにぇ」
「事実だろ。さっきも自分の指を結束バンドで縛ってたやつが何を言う」
「むー……。みこだって、立派な大人だもん。チーフよりしっかりしてる時だってあるにぇ」
「例えば?」
「チーフが徹夜明けでデスクで寝落ちしてる時、みこがこっそり毛布かけてあげてるにぇ!」
みこが胸を張って言うと、春樹はドライバーを置く手がピタッと止まった。
「……あれ、お前だったのか」
「えっへん! トワちゃんやラミィちゃんばっかりじゃないんだぞ! みこちだって、チーフの保護者になれるんにぇ!」
「……そうか。ありがとうな、みこ」
春樹が照れ隠しのように前髪を掻き上げると、みこは嬉しそうにえへへと笑った。
「よし、組み上がったぞ。主電源、入れてみろ」
春樹の合図で、みこが再びケース天面の電源ボタンを押す。
『ピロッ!』
軽快なビープ音が一度だけ鳴り、PCケース内部のファンが一斉に回り始めた。
グラフィックボードと水冷クーラーのLEDが、美しい桜色に光り輝き、モニターには見慣れたWindowsの起動画面が映し出された。
「つ、ついたにぇー!!」
みこが両手を挙げてバンザイをする。
「完璧だ。エアフローも申し分ない。……まあ、お前が手伝ってくれたおかげだな」
「えへへ……! みこち、エリート助手として立派に働いたにぇ!」
春樹は立ち上がり、ポンポンとズボンの埃を払った。
「これで明日の俺の仕事が一つ減った。恩返し、ちゃんと受け取ったぞ」
その言葉は、みこの心に刺さっていた「役立たず」という自己嫌悪のトゲを、魔法のようにスッと溶かしてくれた。
春樹は、みこの「役に立ちたい」という気持ちを絶対に否定しない。彼女の失敗を包み込み、最後にはちゃんと「成功体験」を与えてくれる。
だからこそ、ホロライブのメンバー全員が、この不器用で優しいチーフを父親のように慕っているのだ。
### Scene 5:夜明けのカップラーメンと、変わらない居場所
「腹減ったな」
春樹が壁の時計を見上げると、時刻はすでに午前3時を回っていた。
「みこ、カップラーメン食うか。俺のデスクの引き出しに、お前が好きな激辛のやつが隠してあるぞ」
「食べるにぇ! みこ、お腹ペコペコだにぇ!」
「よし、じゃあお湯沸かしてこい。俺はこいつ(PC)のOSの初期設定を済ませておく」
10分後。
コントロールルームの巨大モニター群の前で、チーフとトップアイドルが並んでパイプ椅子に座り、ズルズルとカップラーメンをすする異様な光景が広がっていた。
「はふっ、はふっ……辛いにぇ! でも美味いにぇ!」
「汁飛ばすなよ、キーボードにかかったら弁償させるからな」
春樹は呆れながらも、自分のラーメンに入っていたチャーシューを、そっとみこのカップに移してやった。
「あ! チーフ、お肉くれた! ありがとうにぇ!」
「食って早くデカくなれ」
「もうこれ以上身長は伸びないにぇ……」
みこはチャーシューを嬉しそうに頬張りながら、モニターの向こう――仮想のスタジオ空間のテスト画面を見つめた。
「……ねえ、チーフ」
「ん?」
「みこね、ホロライブに入って、みんなと出会えて、チーフに機材直してもらって……本当に幸せだにぇ」
みこの横顔は、先ほどまでの泣き虫な子供ではなく、何百万というファンを笑顔にする『アイドル』のそれだった。
「みこがどんなにポンコツでも、チーフが裏で絶対に支えてくれるってわかってるから、みこは安心して前だけ向いて走れるんにぇ。……だからね、チーフ」
みこは春樹の方を向き、とびきりの、太陽のような笑顔を見せた。
「これからも、みこの保護者(ビッグダディ)でいてね!」
春樹はラーメンをすする手を止め、小さく息を吐き出した。
本当に、こいつらには敵わない。
どれだけ徹夜が続こうが、理不尽なトラブルが起きようが、この笑顔一つ見せられるだけで、全ての苦労が報われてしまうのだから。
「……調子に乗るな。次また機材を物理破壊したら、お前のマイクラのデータを初期化するからな」
「ひどいにぇ!? それだけは勘弁してほしいにぇ!!」
「なら大人しく寝ろ。ほら、食い終わったら仮眠室行け」
「はーいにぇ! チーフもおやすみだにぇ!」
みこは空になったカップをゴミ箱に捨てると、嵐のようにコントロールルームを去っていった。
バタン、と扉が閉まる。
静寂が戻った部屋で、春樹は新しく組み上がった『さくらみこ専用・桜色LED搭載PC』の静かな駆動音を聞きながら、口元を緩めた。
「……エリート、か」
手のかかる娘の背伸び。
それは、技術者である春樹にとって、どんな最新技術よりも愛おしく、守り抜きたいと願う『宝物』だった。
春樹は残ったラーメンのスープを飲み干し、再びキーボードに手を伸ばした。
彼女たちが全力で遊べる箱庭を、今日も完璧に維持するために。