ヒカ碁の世界で緒方精次となったからには、打倒saiを掲げたい。   作:くま子

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第十一話

 アキラ君が反抗期を迎えた。

 よそよそしい態度に、どこか棘を含んだ言葉。

 特に喧嘩やきっかけになる出来事もないとなれば、どう考えても思春期特有のアレだろう。

 

 妻の明子さんは、張り合いが出るわと微笑んでいたが、先生はかなり凹んでいるようだった。

 年取ってできた子だけに、先生はアキラ君のことを殊の外可愛がっている。

 アキラ君が乳児の頃など、泣き声が聞こえるたび、何か手伝えることはないかと部屋の中をうろうろしては、明子さんに鬱陶しいと追い出されていた。それでも時間が空けばベビーベッドを覗き込みに行くため、アキラ君を起こしてしまっては、怒られて追い出されていた。

 ちょうど俺が塔矢家に居候していた時期だったため、追い出されてしょぼくれた先生に、よく気分転換の一局を誘われたものだ。

 まぁ、その愛情がアキラ君にどの程度伝わっているかはまた別の問題だが。

 

 そんなこんなで、最近の塔矢家は少々落ち着かない様子だが、アキラ君の碁には、久しく薄れていた気迫が戻っていた。

 若獅子戦で、アキラ君は進藤がプロ相手にヨセまでもつれ込み、僅差で敗れる姿を目の当たりにした。進藤の足音が、着実にプロへ──そして自分へと近づいていると感じ、火をつけられたのだろう。

 

 元々、アキラ君は環境に恵まれている。俺が多少原作を壊そうが、進藤ヒカルというライバルさえいれば、勝手に伸びるはずだ。

 ただ、進藤はそうはいかない。

 棋力は、間違いなく原作以上。

 夏休み前の時点で、院生順位はすでに8位。プロ試験の予選免除枠に食い込んでいる。

 この夏、佐為の指導を受ければ、9月のプロ試験までにさらに力をつけるだろう。

 だが、予選が消えたことで、対人経験が減っているのは否めない。

 そこで、夏休み用にひとつ課題を考えた。

 

「この夏、お前には宿題を出す」

「宿題?」

 

 すっかり通い慣れた進藤の自室。

 本因坊最終戦の検討が一段落ついたところで、向かいの進藤にそう告げた。

 

「碁会所を、そうだな……最低でも5カ所は回れ」

 

 進藤はきょとんとしていた。

 俺たちは便宜上の師弟関係だ。たまに指導碁を打つことはあっても、こうした指導めいたことをするのは初めてだからだろう。

 

「なんで?」

「お前には対人経験が少なすぎる」

「えぇ?研修で結構な人数と打ってるよ?」

「それは同年代だろう。お前は通いの碁会所もないから、大人と打つ機会が極端に少ない。プロテスト対策だと思って、大人しく行ってこい」

 

 少し考え込んだ進藤は、「でも」と続けた。

 

「碁会所って、そんな強い人いる?」

「滅多にいないな」

「え〜、行く意味あるそれ?」

「初対面の相手と打つ練習だと思え。棋力差が気になるなら、置き碁でも多面打ちでも、好きにハンデをつけて、緊張感を持たせろ」

「緊張感……」

 

 何かを思いついたのか、進藤の顔がパッと明るくなる。

 

「他の院生、誘ってもいい?」

「別に構わんが、誘ってどうするんだ?」

「団体戦みたいなことできないかなって」

「ほぅ……」

 

 思い出したのは、院生仲間を連れて碁会所を回り、韓国の研究生と打ちあう進藤の姿。

 同じように転ぶ保証はないが、悪くない。

 俺は財布から万札をまとめて抜き取り、碁盤の上に置いた。

 

「何このお金?」

「碁会所代と移動費だ。飯くらいはついでに食っていいぞ」

「うぇっ⁉︎も、もらえないよ!」

「俺が行けと言ったんだ。かかる費用は俺が出す」

「いやだって……」

「だってもへったくれもない。前にも言ったが、お前にはバイト代を出すべきところを、名目が立たないから支払っていないだけだ。これぐらいじゃ対価にもならん」

「佐為との対局のことだよね?でも、あれは俺にも勉強になるし……」

「お前は、時間というものの価値をわかっていない。……ともかく、俺は出したものを引っ込める気はない」

 

 キッパリ言い切ると、進藤は戸惑いながらも札束に手を伸ばし、自分の机へと仕舞い込んだ。

 

「足りなくなったら言えよ」

「余るって絶対!」

「それと──」

 

 伝えるべきか逡巡するも、結局俺は口にした。

 

「佐為が、いつまでもお前の側にいると思うなよ」

「なんで?」

「幽霊なんてのは、いつか成仏するものだ」

「佐為がぁ?」

 

 横を向いた進藤は、おそらく佐為と顔を見合わせたのだろう。そのまま堪えきれないようにケラケラと笑った。

 

「ないない。ありえないって。コイツ、神の一手を極めても、『もうちょっと』『あと少しだけ』とか言い出すタイプだよ?成仏するわけないって」

「だとしても、この世に永遠などありはしない。この先、俺のように見えなくなる可能性もある」

「見えなくなるって……」

 

 一瞬だけ言葉を詰まらせたものの、進藤はすぐに首を振った。

 

「でも、虎次郎が大丈夫だったんだから、俺もきっと平気だよ」

「……だといいがな」

「も〜、なんだよ先生。何が言いたいわけ?」

 

 帰り支度を始めた俺を、困惑を滲ませた進藤の目が追う。

 

「せいぜい師匠を大切にしろ。ま、そういう話だ」

 

 結局、茶を濁すような形で進藤家を後にした。

 

 

 

 

 

 

 本因坊戦を制した代償は、容赦のないスケジュールの山だった。

 新本因坊としての新聞社への表敬訪問に始まり、全国各地のイベントでの挨拶。後援会の兼ね合いで断りきれず、ローカル局のCM撮影に駆り出されれば、移動も含めて丸二日拘束された。

 さらに秋の就位式に向けた衣装合わせ、雑誌の取材、ファンへ配るための数百枚に及ぶ扇子への揮毫。それだけではない。各国から届くsaiへの対局申し込みの選別まで加わり、夜の自由時間さえ削られていった。

 勝ち残っているが故に、複数のリーグ戦の手合いも容赦なく組まれ、休日らしい休日などほとんどないまま、日々が過ぎていった。

 ようやく丸一日のオフを手に入れたのは、進藤と最後に会ってからひと月後。八月も終わりに差しかかった頃だった。

 

 進藤に連絡したところ、昼過ぎから約束があると言われたので、午前中から押しかけ、佐為と一局打った。

 結果は連敗記録の更新。黒星は数えているが、口には出したくない数字だ。

 遅めの昼飯を進藤家でご馳走になり、そのまま検討を再開する。

 そわそわする進藤を放って検討を続け、時間を見計らって車を出した。

 

「ホントに間に合うの?」

「首都高が事故で渋滞でもしてない限り、30分で着く」

 

 行きつけの碁会所ができたという進藤は、ここ最近は毎日のようにその碁会所に通っているのだという。

 居心地がいいだけでなく、持碁の練習に付き合ってくれるなど、学びもあって楽しいのだそうだ。

 今日は、その碁会所の常連である河合というオッサンと、打ち掛けになった一局の続きを打つ約束らしい。

 

「河合さん、ほんと負けず嫌いでさー。絶対三子で勝つって長考しちゃって」

 

 カラカラと笑う進藤を乗せた愛車を、碁会所にほど近いパーキングに乗り付ける。

 車を降りた俺を見て、進藤が首を傾げた。

 

「先生もどっか用事があったの?」

「ああ」

 

 不思議そうな顔のまま別れの挨拶をした進藤の後を追い、目的のビルの前に立つ。

 流石にここまで来れば察したようで、なんとも言えない顔をして進藤が振り返った。

 

「……来るの?」

 

 頷くと、小さなため息が返される。

 渋い顔の進藤と共に、『囲碁サロン道玄坂』が入るビルへと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

「おう!待たせたなボウズ‼︎」

 

 室内に入ってくるなり、大声を飛ばした男に視線を向ける。

 サングラスに顎髭の、癖のある面構え。はねた髪の上には制帽が被さり、タクシー運転手だということを教えてくれた。

 

「もー。河合さん遅いよ!」

「悪い悪い。今日に限って遠方の客に捕まってよ」

 

 パタパタと、脱いだ制帽で顔を仰ぎながら近づいてきた男──河合は、俺を見てニカっと笑った。

 

「おっ、今日は若いにいちゃんもいるのか!」

 

 嬉しそうに、空いていた俺の前の席に座ると、手を碁笥に伸ばす。

 

「進藤のボウズはもう始めちまってるみたいだからな。どうだいにいちゃん、俺と一局」

「ちょ、河合さん!」

「おま、お前っ!」

「あん?」

 

 ざわつく周囲に不思議そうに首を傾げた後、俺に向き直った河合は、顔を仰いでいた制帽をはたと止めた。

 

「……緒方?」

「緒方だが?」

 

 サングラスで目元が隠れているというのに、口元だけで、驚愕していくのが手に取るようにわかった。

 

「お、おがっ⁉︎ほ、本因坊っ⁉︎」

 

 叫びながら立ち上がった河合は、その際に椅子に足を引っ掛けたらしく、わたわたと足掻きながら、後ろへすっ転んでいった。

 

「うわーっ⁉︎」

「河合さん⁉︎」

 

 どったんばったん大騒ぎ、というやつだろうか。

 今日の俺は、黒のTシャツに生成りのオーバーサイズシャツを羽織っただけのラフな格好だ。

 どうも俺は仕事着の印象が強すぎるらしく、私服だと棋院の関係者にすら素通りされることがある。身長と色素の薄いこの髪だけで気づかれてもよさそうなものだが、不思議なことだ。

 

「なななんで、緒方本因坊がこんなところに⁉︎」

「河合さん……こんなところですまないね」

「うぇ、マスター⁉︎……いや…その…すまねぇ。皆も、騒がせてすまなかった」

 

 席亭に引き起こされながら周囲に謝るという器用な真似をしつつ、河合はようやく立ち上がると、恐る恐る俺に向き直った。

 

「どうした?打たないのか?」

「い、いいんですか⁉︎」

「どうやらここでは、俺の弟子の方が人気なようでな。暇を持て余している」

 

 そう言って多面打ちをしている進藤を見ると、なぜか半眼で睨まれた。

 

 俺たちの対局が始まれば、浮ついていた空気も次第に落ち着き、パチ、パチと碁石が打たれる音と雑談の聞こえる、どこか慣れ親しんだ空気が流れ始める。

 相手をしている河合は、生来の喋り好きなのだろう。緊張が解けてくると、ぽつりぽつりと話しかけてきた。

 本因坊就任の祝いから始まり、しばらくは七番勝負のアレが良かった、アソコは痺れたなんて無難な話題が続いたが、やはり話が弾むのは共通の話題。

 

「初めての時は、こいつはまた生意気なガキが来たもんだと思いましたよ」

「なんだ進藤、何かやらかしたのか」

 

 横を見れば、進藤はぶんぶんと首を振りながら、何か言いたげに河合に視線を向けている。

 なるほど、何かやらかしたんだな。

 

「なにせ初っ端が、賭け碁で──」

「わーーーーーっ!」

「進藤……」

「あ、アレは、オレが言い出したんじゃないし!」

 

 聞けば、オーナーから、団体戦で勝てば席料無料、負ければ碁石洗い付き──そんな条件を出された院生側が、三子局を提案したらしい。

 初めての碁会所で、なんとも生意気なことをしたものだ。

 そこでふと、思い出した。

 この碁会所に入った時、進藤はさっさと既知の常連と挨拶を始め、席料は俺がまとめて会計をした。元々そのつもりだったから、気にも留めていなかったが……。

 

「進藤、その後は払ってるんだろうな」

 

 スッとそらされる視線に全てを察する。

 

「オーナー、甘やかさないでください」

「はは、すみません。皆進藤君と打ちたがるものだから、なるべく足を運んで欲しくて」

「オレ人気者だからね。でも、四子までって制限はあるよ。タダにしてもらってるし、誰とでも打つって言ってるんだけど」

「……面倒をおかけしているようで」

「ははは」

 

 人情味のある、いい碁会所だ。進藤の肌には合うだろう。

 こういった所が、後援会の母体になってくれると助かるんだが。

 

 多面打ちを終えた進藤は、常連たちに囲まれていた。

 笑いながら次の一局の約束をしている姿に、もうここは、進藤にとって居場所のひとつになっているのだと知る。

 

 つかの間の休息が終わる。

 進藤を送り届け、すっかり日が暮れた道を帰路に就いた。

 




黒のTシャツに生成りのオーバーサイズシャツ。下は黒のテーパードパンツに革靴という、長身を活かした引き算のコーデ。装飾品は、グランドセイコーの皮ベルトの腕時計。
これなら20代に見えるはず、キリッ。

なお、人生2週目ゆえの貫禄により、実年齢(29歳)プラス5歳は固い模様。
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