ヒカ碁の世界で緒方精次となったからには、打倒saiを掲げたい。   作:くま子

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第三話

 現実は世知辛く、時間は有限だ。

 勝利の余韻に浸る暇もなく、俺は帰り支度を始めた。

 

「進藤、また佐為と打たせてもらえるか?対価を金銭で、というのは当分無理だが」

「……うん。いいよ」

「なら、家の電話番号を教えてくれ」

 

 伝えられたそれを、スケジュール帳に素早く書きつける。

 

「盤と石だが、いるか?」

「えっ?」

「昔使っていた安物だ。また持ってくるのも面倒だし、いるならやる。邪魔になるなら持って帰るが……」

「いるっ!」

 

 予想外の食いつきに、俺はわずかに目を瞬かせた。

 てっきり、「んなもんいらねー」とでも言われると思っていたのだが、どんな心境の変化か。

 まぁ、なんにせよ都合はいい。

 この先のことを考えれば、なおさらだ。

 

 保護者に長居を詫び、進藤家を後にする。

 冬の寒気が、じわりと熱の残る身体を撫でた。

 20分ほど歩き、コインパーキングへ停めていた車へ乗り込むと、俺は座席へ深く身を沈めた。

 

「ふぅ……」

 

 タバコに火をつけ、一息つく。

 頭の芯が痺れるような、心地よい疲労感。

 しばらく動けそうもなかった。

 

(一目半か……)

 

 秀策の打碁は、多くの棋士がそうであるように、俺も並べたことがある。

 その上で、佐為が知らない140年分の定石をぶつけ、読み負けぬよう時間まで制限して──それでようやく、一目半勝ちだ。

 末恐ろしくて、笑うしかない。

 

(あの化け物と相対せたのも、この世界で緒方精次という役を与えられたおかげ。どこの神様の采配かは知らないが、感謝するぜ)

 

 前世で囲碁に出会ったのは、大学3年の頃だった。

 専攻の関係で、出入りするようになった研究室。その隅に、榧の盤が置かれていた。

 

 きっかけが何だったのかは、もう覚えていない。

 

 だが、気づけば教授を師として碁を学び始め、その奥深さに魅了されていた。

 寝食を忘れるほどのめり込み、詰碁を手に通学し、空き時間には動画で学ぶ。教授とは、本業よりよほど囲碁の話をして過ごした。

 あまりに傾倒していたせいだろう。プロを目指してみてはどうかと、言われたこともある。だが、碁に狂うには、当時の俺にはしがらみが多すぎた。

 そのくせ、卒業後10年もたたず、病に倒れてお陀仏だ。

 

 好きに生きておけばよかった。

 それが俺の後悔だった。

 

(次は、saiだな)

 

 ネット後最強の棋士、sai。

 現代囲碁を学んだ本因坊秀策。

 その化け物を、この手で下す。

 それが、俺の目標だ。

 

 そのためには、佐為に学びの場を与える必要がある。

 そして俺自身も、奴に鍛えられなければならない。 

 

(だが、その前に……)

 

 スマホを知る身からすれば、ひどく古めかしい携帯電話。

 懐から取り出したそれを操作し、コール音が鳴り終わるのを待った。

 

「──夜分に申し訳ありません。緒方です。先生はご在宅でしょうか」

 

 

 

 

 

 

 進藤家への再訪は、進藤からの「また打ちに来ないか」という誘いで実現した。

 当然ながら、俺に否やはない。

 ちょうどこちらからも、佐為を交えて話したいことがあったため、仕事を調整し、足早に進藤家を訪ねた──のだが、進藤の言う「打ちに来ないか」は、佐為ではなく、自分と打たないかという意味だった。

 

 してやったりと笑う進藤の頬を、思わず引っ張った俺を、誰が責められようか。

 

 だが、進藤は佐為との橋渡し役だ。

 ここで無下にすれば、関係が崩れ、今後の予定が狂いかねない。

 結果、適当にあしらうこともできず、そのまま碁盤へ向かう羽目になった。

 

 打ちはじめて40分。

 対面に座る進藤は、集中を切らすことなく、しっかりとした意思を持って石を打ち込んでいる。

 九子置かせても、ろくな形にならないだろう。そう思って始めた指導碁だったが、盤面は最低限の体裁を保っていた。

 

「まだ大きい場所が残っている。どこかわかるか?」

 

 黒を持つ手が止まったところで問いかけると、進藤は首を捻り、おずおずと盤上を指さした。

 

「ここと、こっち……かな?」

「悪くない。だが、もう一箇所ある。ここだ。先手で打てる」

「ん……」

「最後まで打ち切るぞ」

 

 進藤が眉を寄せながら盤を睨む。

 一目を求め、地の境界を確定させていく。

 先手と後手が入れ替わるたび、盤上の余白が少しずつ削れていった。

 やがて、ヨセが尽きる。

 

「ここまでだな」

 

 残ったダメを交互に詰めながら、そう告げた。

 

 一礼の後、死石を指摘し、整地を補助する。

 石を片付けながらの軽い検討を終えたところで、進藤はパタンと後ろへ倒れ込んだ。

 

「あ゛〜、疲れた〜……」

「おい、礼がまだだぞ」

「えっ?さっきやったじゃん」

「片付けの後にもするものだ」

 

 進藤が身を起こすのを待ち、改めて礼を交わす。

 文句ひとつ言わず従ったことに、少し驚いた。

 

「あれから毎日打っていたのか?」

「へへ。サマになっただろ!」

「サマにはなってるが……打ち筋がぼんやりしすぎだ。盤の広さを持て余してる。佐為の言うとおり、もう少し九路で読みの精度を上げてから広げた方がいい」

「えぇ〜。ヤダよカッコ悪い」

「お前なぁ……」

「だって、大会で俺だけデカい盤面に慣れてないとか、やじゃん」

「大会?」

「いゃ、その……知り合いに誘われてさ!小さいヤツだから、先生は知らないんじゃないかな〜」

 

 あからさまなはぐらかしに、これでよく原作で佐為を隠し通せたものだと、逆に感心する。

 この時期だと確か、中学の囲碁大会に不正参加する話だったか。

 

「いつだ?」

「今週の日曜」

「3日後か」

 

 なるほど。それで俺に、佐為が九路でしか打ってくれないと泣きついてきたわけだ。

 

「なら、なおさら九路で練習しろ。十九路は一局に時間がかかりすぎる。今のお前に必要なのは、経験だ」

「え〜」

「九路は盤面が狭い分、ごまかしが効かない。なんとなく打つと、緩みがそのまま形に出るからな。だからこそ、反省しやすく成長につながりやすい」

 

 盤面から視線を逸らしたまま、進藤は返事をしない。

 理解はしている。それでも、納得はいっていない──そんな顔だった。

 

(ガキだな)

 

 だからこそ、操縦方法も簡単だ。

 

「進藤、今の一局を最初から並べられるか?」

「……それぐらいできるけど?」

「やってみろ」

 

 白の碁笥を渡すと、進藤は不思議そうな顔をしながらも、対局を再現していった。

 

「できたけど……」

 

 数分で、一手の狂いもなく復元された棋譜に、苦笑いが浮かぶ。

 知ってはいたが、こうして目の当たりにすると圧倒されるな。

 クソガキだろうとも、コイツは主人公なのだ。

 

「いいか進藤。俺が一手目から終局まで並べられるようになったのは、囲碁を初めて1年以上が経ってからだ」

「えっ⁉︎」

「プロなら基本、誰でもできる。だが、碁盤を手にして10日程度の素人ができることじゃない。疑うなら、佐為に聞いてみろ」

 

 横を振り仰いだ進藤の頬が、みるみる赤くなっていく。

 よほど褒められたのだろう。やがて落ち着かない様子で、視線が盤上へと落ちていった。

 

「意識せずとも石の意味をつなげ、理解できるのなら、一局で得られる経験値は人より遥かに多いはずだ。そしてそれは、この一局が証明している。10日でここまで打てるようになる奴は、そうはいないぜ?」

 

 畳みかけるように言うと、しまいには耳まで赤くして俯いてしまった。

 少し褒めすぎた気もするが、まぁいい。

 多少鼻が伸びたところで、どうせ大会で適度にへし折られるだろうからな。

 

「せっかくの才能だ、効率よく伸ばせ」

「…………うん」

 

 蚊の鳴くような声で返事が返る。

 もっと調子に乗るタイプかと思っていたが、意外と初心だったようだ。

 可愛いところもあるじゃないかと眺めていると、耐えきれなくなったのか、進藤は「トイレ!」と逃げるように部屋を飛び出していった

 

 暫くして戻ってきた進藤に、後回しになっていた本題を切り出す。

 

「来月の第1日曜だが、何か予定は入っているか?」

「ないけど……佐為と打ちに来るの?」

「いや、違う。お前さえ良ければ、佐為と俺の師匠を引き合わせたい」

「先生のシショー?」

「塔矢行洋三冠。日本で最も神の一手に近いと言われる人だ」

「アキラの、オヤジ?」

「そうだ」

 

 霊感なんぞ皆無の俺でも、空気が変わったのを感じた。

 

「佐為……落ち着けって。……わかった、わかったってば。あーもうっ!誰も断るなんて言ってないだろ‼︎」

 

 どうやら囲碁幽霊は大暴走しているらしい。

 

「ったく……。先生、その日は空けとくよ。でもさ、大丈夫なの?師匠に幽霊なんか紹介して。変な奴だって思われない?」

「大丈夫だ、幽霊だろうと妖怪だろうと、碁が強いならあの人は気にしない」

「そ、そうなんだ……」

 

 先生には、人ならざるモノとの対局と伝えた上で、快諾を得ている。

 何も問題はない。

 

「悪いが、対局には3時間ほど付き合ってもらうぞ」

「げっ、長い……」

「これでも短いくらいだ。その代わり、事前の昼飯で好きなものを奢ってやろう」

「ラーメン!」

「……だと思った」

 

 まだ胃にもたれる歳じゃないが、対局中ニンニク臭いのは勘弁願いたい。

 煮干し系ラーメンはこの時代もうあったか?

 後で調べておくか。

 

「昼前に車で迎えに行く。日暮れ前には帰す予定だが、事前に親御さんへ伝えておけよ」

「はーい」

「……おけよ?」

「大丈夫。忘れてたら佐為が教えてくれるから」

 

 それならまぁ、大丈夫か。

 ……いや、それでいいのか?

 

「まさかお前、佐為を目覚まし時計代わりになんて使ってないだろうな」

「・・・・」

「使ってるのか……」

「だって、コイツ寝ないし」

「少しは師匠を敬え」

「シショー?」

「お前にとって佐為は、そういう存在だろうが」

「佐為が?えぇー……」

 

 訝しげな顔をして隣を見やる進藤に、数年後、お前はそれで泣くことになるぞと言いたくなった。

 

 

 

 

 

 

 手入れの行き届いた小ぶりの庭園を横目に、きょろきょろと落ち着きなく辺りを見回す進藤を連れ、旅館内の小道を歩く。

 佐為の存在をアキラ君や他の門下生に知られたくなかった俺は、先生との対局の場として、旅館の数寄屋造りの離れを一棟借りていた。

 

「失礼します」

 

 室内には、すでに先生が座していた。

 気後れしたのか、入り口から動こうとしない進藤の背をそっと押し、対局者の席へと促す。

 進藤が座布団へ腰を下ろしたのを見届け、俺は静かに頭を下げた。

 

「先生。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」

「……彼が?」

「進藤ヒカル君です。ですが、打つのは彼ではありません」

 

 俺は、進藤の背後──佐為がいるのであろう空間へ視線を向けた。

 

「進藤君は……そうですね。さしずめ吉備真備(きびのまきび)といったところでしょうか」

 

 先生の目が、わずかに見開かれた。

 当の進藤は意味がわからないのだろう。何それ、と言いたげな顔でこちらを見ている。

 

「なるほど。アキラが相対したのは、鬼だったか」

「はい」

 

 遣唐使として唐の地を踏んだ吉備真備は、皇帝により、囲碁のルールもよく知らぬまま、現地の名手と命懸けの対局を命じられてしまう。

 その時助けに現れたのが、かつて唐で非業の死を遂げた、阿倍仲麻呂。

 鬼となった仲麻呂は、盤上を読み、真備へ勝ち筋を示した。

 そうして真備は、異国の名手を相手に互角に渡り合った──そんな逸話が残る人物だ。

 進藤と佐為の関係を例えるなら、これ以上ない配役だろう。

 

「鬼が何者かは、対局後に。まずは手談で存分に語らってみてください」

「それは楽しみだ」

 

 かつて『ヒカルの碁』に憧れた読者として。

 塔矢行洋の弟子として。

 そして、1人の碁打ちとして。

 

 夢見た対局が、始まる。

 




佐為「真備公が、唐より囲碁を持ち帰られた偉大な先人であることは、疑いようもありません。ですが……どうにも、あの方の逸話は好きになれないのです。だってズルしてますし、何よりも汚いじゃないですか」

対局は夜に投稿します。

ちょっと頭を捻ってタイトル変更。
前よりマシになった気はすれど、微妙なのは変わらず。次点の候補が「緒方精次(偽)の野望」というセンスのなさなので、如何ともしがたく。
サブタイトルまで考えてる人凄いよ…。
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