ヒカ碁の世界で緒方精次となったからには、打倒saiを掲げたい。   作:くま子

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第六話

 初めて訪れるはずなのに、どこか既視感のある中学校の廊下を、来客用スリッパでパタパタと間抜けな音を立てながら歩く。

 案内の教師が「こちらです」と示したのは、古びたアクリルの室名札に『理科室』と書かれた部屋だった。

 

「おーい、進藤君。お客さんだよ」

 

 ガラリと戸が開く。

 その先には、水道付きの実験机がずらりと並び、3人の制服姿の男女が椅子に座っていた。

 

「あれ、伊藤先生どした──うぇえっ⁉︎緒方先生⁉︎」

「お前、メール見てないな」

 

 驚いて腰を浮かせた進藤を気にもせず、伊藤と呼ばれた女教師は「何かあったら職員室に来てくださいね」と言い残して部屋を出ていった。

 セキュリティにおおらかな時代とはいえ、まさか俺ひとり置いていかれるとは。

 

 あらためて室内を見れば、何度か顔を合わせたことのある進藤の幼馴染が、ぎこちなく会釈してくる。

 残るひとりのメガネの少年は、「緒方九段だ……」と呟き、今にもサインを求めてきそうな様子だった。

 なんというか、俺に対する反応としては非常に珍しい。

 

「先生、何しに来たの?」

「はぁ……。学校への事前の顔見せだ。お前を迎えに来ることもあるだろうからな」

「なるほど、通報対策」

 

 軽くでは済まない程度に、チョップを落とす。

 

「あだっ!」

「お前、ほぼ毎日PC立ち上げてるんだから、ついでのメールチェックくらいサボるな」

「はーい」

 

 自主的には無理そうなので、後で佐為にアラームになってもらうこととする。

 

「し、進藤君。緒方九段と知り合いなの⁉︎」

「ん?まぁ、師匠みたいな?」

「弟子⁉︎……じゃあ、時々信じられないような力を発揮するのは……」

 

 ぶつぶつと呟く少年と、進藤が挟む碁盤の横に椅子を引っ張ってきて座る。

 

「どうした?続けないのか?」

「先生暇なの?」

「今まさに予定を消化中だが?」

「ならさ、筒井さんと打ったげてよ。筒井さん、塔矢モンカ?のファンなんだ」

「ししし進藤君っ⁉︎」

「構わんが、お前も形式上は塔矢門下だぞ」

「そうなの?」

「お前の根っこは別だから、俺も先生も門下の枠に拘る気はないが、周りはそう見ないこともある。一応覚えておけ」

「?……わかった」

 

 進藤は、わかってない顔で頷いた。

 プロになる頃には理解しているといいが。

 

 筒井という上級生との指導碁を進めながら、のんびりと夕暮れ時を過ごす。たまにはこういう時間も悪くない。

 

「しかし、ずいぶん傷んだ碁盤だな」

 

 足が取れ、角の丸くなった碁盤の縁へ指を這わせる。

 管理が悪かっただけで、物はいいのだろう。漆の線だけはほぼ欠けることなく、盤としては生きている。

 

「伊藤先生のオヤジさんが使ってた碁盤だって言うから、年季がなー」

「他にはないのか?」

「コレだけ。部費が入っても雀の涙みたいだし、部員増えたら碁盤どうするか悩み中」

「俺がやった碁盤を持ってくればいい」

 

 会話に妙な間が空いたため顔を上げると、机に腰掛けていた進藤は、なぜか不満げな顔をしていた。

 

「爺さんに足つきの碁盤を買ってもらったんだ。もう使うこともないだろ」

「そうだけど……」

「使われてこその道具だ。どうせお前の家にあっても埃をかぶるだけなんだし、部で使えばいい」

「でもあの碁盤は──」

 

「進藤!」

 

 ボソボソとした進藤の声をかき消すように、ハリのある声が耳を打つ。

 声に振り返った先、理科室の窓の向こうに、アキラ君が立っていた。

 

「塔矢じゃないか。どうしてこんな所に」

「進藤。キミほどの人がなぜ学校の囲碁部なんかに……」

 

 窓を挟んで話し始めた2人……というより、一方的に語り始めたアキラ君を見て、ああ、そういえばこんなシーンもあったなと思い出す。

 『ヒカルの碁』は、前世で馴染みの碁会所に置かれおり、対局からあぶれた時など、手持ち無沙汰な時に読み返していた。

 だからこの身になってすぐは、割と内容を覚えていた。しかし、流石にこれだけ生きると、前世の記憶なんざあやふやになってくる。

 つまりこの状況は、完全に想定外。狙ったわけでもないのにかち合うなど、運が悪いにも程がある。

 

(面倒な……)

 

 さてどうしたものかと窓辺を脇目に見ていると、アキラ君と目が合った。

 

「緒方さん⁉︎」

 

 驚きに目を見張り、俺を呼ぶアキラ君へ顔を向ける。

 もうしばらく考える時間が欲しい。

 それもあって、言葉を返すことなく、対局中であることを示すように碁石を手に取る。

 するとアキラ君は、答えを求めてだろう。進藤に向き直った。

 

「あのな──」

「進藤、どうして緒方さんがこんなところにいるんだ?」

「・・・・」

 

 アキラ君の言葉に、進藤の雰囲気が変わった。

 

「どうしてって、緒方先生はオレの師匠だからだよ」

「師匠⁉︎緒方さんが⁉︎」

「それと、オレ、お前とは打たないぜ」

「えっ⁉︎」

 

 ひどく硬質な声音での宣言に、アキラ君があっけに取られている。

 ……原作での進藤は、こんなにも不機嫌そうに対応していただろうか?

 

「待て、どういうことだ!」

「オレ、筒井さんと囲碁部で頑張るんだ。そんでまた大会に出る。お前とは打たない」

「ボクと打たない⁉︎進藤!」

 

 窓をピシャリ閉め、遮光カーテンを引く。

 外からなおも「進藤!」と声が飛んだが、こうも露骨に拒まれては、流石にアキラ君も押せなかったのだろう。それを最後に、静かになった。

 進藤の状況を思えば、拒絶するしかないのはわかる。

 それでも少し可哀想に思ってしまうのは、俺がアキラ君と過ごした時間が長かったせいか。

 

「進藤君…いいのかい?」

「ヒカル……」

 

 周囲の困惑に、進藤は鼻を鳴らした。

 

「いいのいいの。それよりも筒井さん、時間がなくなっちゃうぜ?」

「でも……」

「外野がどうこう言うことでもないさ」

 

 そう言って、促すようにパチリと一手進める。

 少し躊躇っていた筒井も、椅子に腰掛け直すと、小考の後に一手を置いた。

 パチリ、パチリと応手が続く中、むっつりとしたままの進藤に声をかける。

 俺は外野じゃいられないからな。

 

「進藤」

「ん?」

「話さない方がいいか?」

「うん」

「なら、あまり待たせてやるなよ」

「!……もちろん‼︎」

 

 今後アキラ君に睨まれるであろう、俺のためにも。

 

 

 

 

 

 

「緒方さん、この後時間はありますか?」

 

 やはり来たなと、腹を括る。

 定例の名人の研究会。

 終了直後にアキラ君からかけられた声に、俺は頷いた。

 

「なぜ進藤は、ボクと打ってくれないんですか?」

 

 彼の部屋に移動した直後、開口一番にど直球の質問をぶつけられた。

 アキラ君らしいと緩みそうになる頬を、奥歯を噛み締めて堪える。

 拗ねると長いのだ。この子は。

 

「答えることはできるが、おそらくキミには意味不明だぞ」

「それでも教えてください!」

 

 言葉を並べ立てることもできるが、本質だけを言うなら一言だった。

 

「男の子だから、だな」

「…………は?」

 

 アキラ君は瞳を瞬かせた後、キリリと眉を吊り上げた。

 

「ふざけないでください!」

「ふざけてない。正真正銘、俺はそう思っている」

 

 俺の回答に、アキラ君は乗り出していた体を引き、悔しげに唇を噛み締め、拳を握りしめた。

 重たい沈黙が落ちた。

 

「質問は、それだけか?」

「……本当に、彼の師なんですか?」

「ああ。名義貸しのようなものだがな」

「お父さんはそれを?」

「知っている」

「・・・・」

 

 視線を落とした姿に、なけなしの良心が痛む。

 身内から蚊帳の外にされているのだ。疎外感もひとしおだろう。

 

(はぁ…。俺も甘いな)

 

 どうやら俺は、想像よりもこの子に絆されているらしい。

 適当に煙に巻くだけのつもりだったが、やめだ。

 

「進藤と打った時、アキラ君は彼の棋力をどれぐらいだと感じた?」

 

 突然の質問に、アキラ君は訝しむように眉をひそめながらも口を開いた。

 

「プロ高段者相当……。いえ、あるいはもっと……」

「それだけの実力を得るまでに、どれだけ盤上に石を打ち下ろす必要があるか、わかるか?」

「途方もない数だということしか」

「なら、なぜ進藤は石を持ち慣れていない?」

「……わかりません」

 

 アキラ君の顔から厳しさが消え、純粋な疑問が浮かび上がる。

 どうせ疑問を持つなら、建設的な方向で持たせればいい。

 

「俺と先生は、その理由を知っている。だが、進藤が望まない限り、俺たちの口から語ることはない」

「どうして、ですか?」

「それが、『進藤ヒカル』という碁打ちを殺しかねない秘密だからだ」

「……ボクは、進藤を追うべきではないと?」

「いいや。言葉で問うても答えは返ってこない……いや、返せないと知っておけというだけだ」

「進藤がボクと打とうとしないのは、その秘密が関係しているのですか?」

「一因ではある。だが、アイツがそう決めた理由は、先に言った通りだ」

 

 考え込んだアキラ君を前に、静かに答えを待つ。

 

「……それでも、ボクは彼と打ちたい」

「いずれプロとして相対するとしてもか」

「ボクは彼を恐れてしまった。その感情に決着をつけるまで、前には進めません」

「ならどうする?」

「逃げようがない、大会という場で、彼の前に座ろうと思います」

「中学の囲碁部に入ると?」

「はい」

 

 原作通りの流れ。

 その結果は、傷つけ合うだけだと知っている。

 だがま、それも青春か。

 

「ならばそこで、存分に語らってくるといい」

「でも、さっきは尋ねるなと──」

「俺たちは碁打ちだぜ?語らう場なんて決まりきってる」

 

 なぜ囲碁が手談と呼ばれるか。

 盤上の石ほど、雄弁に相手を語るものもない。

 

(しかし、囲碁部か……。確か、イジメに遭うんだったな)

 

 何やら、やる気を漲らせ始めたアキラ君を見つめる。

 愛想も礼儀もそれなりにこなすが、経験不足から、共感性にはまるで期待が持てない子だ。

 そんな子が、同年代の等身の違う世界に入り込む。軋轢を生まないわけがない。

 ……一応身内だ。何をしたところで焼け石に水だろうが、一手置いておくことぐらいはするか。

 

「突然話は変わるが、競技人口の少ない囲碁なんかに、なんで夢中になってるんだと言われたら、どう思う」

「腹が立ちます」

「なら、学校の囲碁部なんかに、と言われた相手がどう思うかもわかるな」

「あっ……」

「キミの思ったままを口に出す癖は、他者への配慮が欠ける以上、悪癖でしかない」

「すみません」

「俺に謝ってどうする。謝るべきはあの場にいた囲碁部の面子だ」

 

 シュンとしてしまった。

 

「これからは気をつけることだ」

「はい!」

 

 あまりに率直に頷くものだから、数年ぶりに彼の頭を撫でていた。

 途端に機嫌を直してしまったアキラ君に、別の意味で良心が痛む。

 禁煙中のタバコが、無性に呑みたくなった。

 




本来5巻で手に入れる碁盤を初期から所持し、佐為と打っているこの世界線のヒカルは、少し成長が早いです。
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