転生勇者の再就職   作:三連九

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2-3 帰還行初日

 翌朝、夜明けとともに出立した。

 

 まだ空が淡く白み始めたばかりの頃にもかかわらず、本営にはすでに人の気配が満ちていた。

 

 慌ただしくも統制された空気の中で、討伐軍はゆっくりと隊列を整え本営を発っていく。

 

 隊列は長い。

 

 先頭には騎士団の斥候。その後ろに本隊。さらに後方には輜重隊。荷馬車の車輪が軋む音が、早朝の静寂に低く響いていた。

 

 その中ほどに、トウジたち一行はいた。

 

 正確には、勇者一行と老師、それに聖騎士団の一部が混在する形だ。

 

 その周囲には、紋章も装備も異なる部隊が幾重にも重なっている。

 

 深い緑地に白鹿を配した旗。

 

 蒼地に双剣を交差させた旗。

 

 黒に金の輪を描いた旗。

 

 風に翻るそれぞれの意匠は、同じ軍に属しながらも、出自の違いをはっきりと示していた。 それらが一つの流れとして整列している。

 

 ――西方域諸国連合討伐軍

 

 複数の国軍と騎士団とを編成しなおした、魔物討伐のためだけの寄せ集めの軍。

 

 それが今、この大陸古道と呼ばれる街道を一本の長い流れとなって進んでいた。

 

 昨日オルドに言われた通り、トウジにも馬が与えられていた。

 

 最初こそ少し身構えたが、不思議と身体はすんなりと鞍に馴染んだ。

 

 手綱の持ち方。

 

 脚の力の入れ方。

 

 馬の呼吸に合わせる感覚。

 

 どれも頭で考える前に身体が知っていた。

 

 そのことに、今さらながら妙な気分になる。

 

 覚えている。

 

 だが記憶はない。

 

 それなのに身体は迷わなかった。

 

 

 

 空は晴れていた。

 

 木々の葉には朝露が残り、差し込む光を受けてきらきらと光っている。

 

 馬の蹄が、まだ少し湿り気を残した街道を柔らかな音で打つ。

 

 悪くない朝だった。

 

 そう思える程度には、疲れが抜けていた。

 

 身体の節々に残る重さも、昨夜よりはずっとましだ。

 

 馬の背に揺られ、へんぽんと翻る色とりどりの旗や行軍する人馬の細長い波を見ていると、首魁討伐や眷属討伐が遠い出来事のようにさえ感じられる。

 

 エストが隣に並んだのは、街道に入って一刻ほど経った頃だった。

 

 整然とした騎士団の隊列から、自然な足取りで少し外れ、トウジの横へ馬を寄せてくる。

 

 朝の光を受けた白の鎧が、柔らかく輝いていた。

 

「王都まで、十日間の行程です」

 

「そんなにかかるんですね」

 

 思わず素直な声が出る。

 

 徒歩とはいえ単独行と、軍隊の移動ではまるで違う。

 

 まして今回は戦闘行軍ではなく、帰還だからだろうか。

 

「解隊式は王都到着の二日後。その前日には、一行全員の身支度を確認します」

 

「……身支度」

 

 嫌な予感しかしない言葉だった。

 

「式典ですから」

 

 エストが当然のように言う。

 

 そして一拍置いて、わずかに眉をひそめた。

 

「トウジ、礼装は……準備しましょうか」

 

「……あい」

 

 なぜかエストの肩に、むん、と力が入った気がした。

 

「王都に入ったら、すぐ仕立て屋に行きます。文句ないですよね?」

 

「そんな時間あります?」

 

「作ります」

 

 有無を言わせぬ口調だった。

 

 トウジは苦笑する。

 

「エストって、お姫様なのに、こういうこと厭わない気がするなぁ」

 

「こういうこと?」

 

「侍女とかがやるようなこと」

 

 エストは一瞬だけこちらを見た。

 

 真顔だった。

 

「神官ですから。全部ひとりでやるんです。当たり前のことです」

 

 自分に言って聞かせるようなエストの返事に、トウジは思わず笑いそうになる。

 

 馬を並べたまま、しばらく進む。街道の両脇には林が続き、枝葉の隙間から朝の光が差し込んで路面に複雑な影を落としていた。風が吹くたび、光と影が揺れた。

 

「エスト」

 

「なんですか」

 

「昨日の人。ロアンさんでしたっけ」

 

 エストの視線だけが、わずかに動く。

 

「……何か気になることでも」

 

「いや、気になるというか」

 

 少し考える。

 

 言葉を探す。

 

「話してみたいな、と思って」

 

 エストは何も言わなかった。

 

 ただ、ほんの一瞬だけ、視線が周囲の隊列を滑った。

 

「今夜は野営です。休んでおいてください」

 

 なんとなく、止められた気がした。なぜかはわからなかったけれど。

 

 やがてエストが、ゆっくりと馬首を返す。

 

「……礼装のことは、本当に忘れないでください」

 

「忘れません」

 

「絶対ですよ」

 

 最後だけ、いつもの口調に戻っていた。

 

 甲冑の音を鳴らしながら、エストは隊列へ戻っていく。

 

 その背を見送りながら、トウジは、エストなんか雰囲気変わった?

 

 そんなことを思ったのは初めてだった。

 

 

 

 トウジの側を離れ、エストは少しほっとした。

 

 まさかトウジがあの場所で、ロアンの話を持ち出すとは思っていなかった。あの衆人監視のなかでする話ではない。

 

 隊列へ戻りながら、わずかに息を吐く。

 

 まっすぐで、愚直な人。

 

 視線を前に戻す。

 

 規律正しく進む騎士たち。

 

 だが、その規律の内側にあるものを、エストは知っている。

 

 公があり私があり、思惑がそれぞれに違う。

 

 神殿も、貴族も、騎士団も。

 

 討伐軍としてここに集っているのは、同じ敵を討つという目的があるからに過ぎない。

 

 ……だからこそ

 

 あの無防備さは、危うい。

 

 だが同時に、羨ましくもあった。

 

 計算も、牽制もなく、ただ「そうしたいからそうする」と言える強さ。

 

 それがどれほど異質で、どれほど壊れやすいものかを、エストは知っている。

 

 このままだと――

 

 思考が途中で止まる。ふいに苦笑が漏れる。

 

 ここ最近は、ずっと同じことを考えている。

 

 しかも、それがいつも堂々巡りに陥ってしまう……。

 

 自分がこんなに迷う人間だとは思わなかった。

 

 修道院に入ると決めたときも、そこから聖騎士団を志願したときも、まったく躊躇しなかったのに。

 

 ……嫌だったあの場所。

 

 言葉と笑みだけで動かすことが正しくて。

 

 迷うことなく、それを選べてしまっていたあの場所。

 

 戻るのか……?

 

 きっと私は、見てみたいのだ――あの愚直さが、どこへ向かうかを。

 

 視線の先で、隊列の流れがわずかに揺れる。

 

 旗が風を受けて鳴った。

 

 その音に紛れて、エストは小さく息を吐いた。

 

 まだ何もはじめていないし、はじまってもいない。

 

 だからといって、考えることをやめるわけにもいかなかった。

 

 行軍は、ゆるやかに続いていく。

 

 太陽はすでに高く昇り、朝の冷気はすでに薄れていた。

 

 

 

 日が傾き始めた頃、前方から合図が伝わってくる。

 

 短い角笛。減速。停止。

 

 野営の準備に入る合図だった。

 

 長い隊列が、ゆっくりとほどけていく。

 

 束ねられていた一本の流れが、無数の小さな営みに分かれていくように。

 

 火が起こされ、杭が打たれ、馬が繋がれる。

 

 人の声が、少しだけ緩む。

 

 だがその中でも、異なる紋章の隊は自然と距離を取って配置されていた。

 

 同じ空の下で、同じ敵を討ったはずの軍が、見えない線で区切られている。

 

 ただ、夜もだんだん更けてくると、どの区画も同じく喧噪に包まれていく。

 

 酒が回り、笑い声が大きくなり、誰かが歌い出す。

 

 戦が終わった安堵と、続く単調な行軍の無聊を紛らわせるための、ささやかな宴。

 

 それはこれから先、王都に至るまで毎夜繰り返されるのだろう。

 

 その喧騒から、わずかに外れた場所に、一角だけ空気の違う区画があった。

 

 いわゆる本陣と呼ばれる、討伐軍幹部たちの集う場所である。

 

 数多くの立哨と巡邏が配置され、帰還の途上にあってなお、警戒は緩められていない。

 

 篝火の明かりも控えめで、影の濃い空間が広がっていた。

 

 遠くに喧騒が聞こえる。

 

 その音を背に、一人の神官服を着た女性が歩いている。

 

 足取りは静かで、迷いがない。

 

 近づくたびに、立哨や巡邏の兵が声をかける。

 

 短い誰何。

 

 簡潔な応答。

 

 それだけで、道は開かれた。

 

 やがて、ひときわ大きく、豪奢な陣幕の前に立つ。

 

 複数の歩哨が、無言で視線を向けた。

 

 女性は一歩進み出て、静かに告げる。

 

「四柱聖環院の神官、エステリーナ・マルヴォロスと申します。マルヴォロス公爵閣下にお取次ぎくださいませ。」

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