転生勇者の再就職   作:三連九

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2-6 老師 前半

 行軍三日目の昼頃。

 

 討伐軍は、大陸古道の分岐点に差し掛かっていた。

 

 緩やかな丘の手前で、踏み固められた街道が三つに分かれている。

 

 西へ、北へ、そして南へ。

 

 その手前で、長く続いていた隊列が、ゆるやかに足を止めた。鎧の列は視界の端まで続き、掲げられた旗が風に揺れている。

 

 やがて総司令であるマルヴォロス公爵が、幕僚を伴って列の後方から進み出る。

 

 それに応じるように、各隊の指揮官たちが列を離れ、整列した。

 

 行軍途中の解隊式は、驚くほど簡素だった。

 

 公爵は一人ひとりと短く言葉を交わし、指揮官と連なる各隊はそれに答礼する。

 

 それだけで終わった。勝利を誇る声もなければ、士気を鼓舞する演説もない。ただ最後に、角笛が各隊から一斉に吹き鳴らされた。

 

 それが、合図だった。

 

 旗が動く。北へ向かう隊が、列の一部を引き連れて道を外れていく。南へ折れる隊も、それに続く。

 

 やがて、西へ向かう本隊も動き始めた。

 

 金属の擦れる音が、徐々に遠ざかる。馬のいななきと、荷車の軋みが、別々の方向へ散っていく。

 

 トウジは、馬に乗ったままそれを眺めていた。

 

 昨日まで、同じ列にいたはずの背中が、少しずつ距離を取っていく。

 

 ……終わり、か。

 

 胸の奥が落ち着かず、妙に居心地が悪かった。

 

 そのまま、ぼんやりと隊の流れを目で追った。

 

「おい」

 

 横から声がかかった。

 

 オルドだった。馬を寄せてくる。

 

「ぼさっとしてんな。置いてかれるぞ」

 

「あ、はい」

 

 トウジは手綱を軽く引く。

 馬が一歩、前へ出た。

 

 オルドは馬を並べながら、ちらりと周囲を見る。

 分かれていく隊列を一瞥してから、口を開いた。

 

「トウジ」

 

「はい?」

 

「夜、どうせ暇だろ」

 

「……訓練は?」

 

 少しだけ間があく。

 

 オルドは鼻を鳴らした。

 

「勘弁してやるから、付き合え」

 

「?」

 

「就活すんぞ」

 

 ニヤリと笑う。

 

 トウジは面食らったような顔をした。

 

「……しゅうかつ?」

 

 その反応を見て、オルドは満足そうに肩を揺らした。

 

 

 

 午後の日が傾き始めた頃、後方から伝令がやってきた。

 

「老師殿がお呼びです」

 

 トウジに向けられた言葉だった。

 

 隊列の少し後方に、幌付きの馬車があった。

 

 老師のものだ。

 

 普段は自分の足で歩く老師が、さすがにこの行程では馬車を使っている。

 

 御者台の横に立った伝令に一声かけて、トウジは馬車の横に馬を寄せた。

 

「乗りなさい」

 

 幌の内側から、老師の声。

 

 促されるままに馬を預け、幌をくぐる。

 

 馬車の中は、昼の光を薄く通しながら、静かに揺れていた。

 

 布越しに差し込む光が、床に広げられた紙の上をゆっくりと流れていく。インクの匂いと、乾いた羊皮紙の匂いが混じっていた。

 

 老師はその中に座り込み、膝の上と周囲に資料を広げたまま、何かを書き付けていた。積み上げられた記録束が、揺れに合わせてわずかに擦れ合う。

 

「トウジ、すまんかったの、なかなか声をかけれんでの」

 

 顔を上げずに言う。

 

「お忙しそうですので」

 

 トウジはそう返して、少しだけ視線を巡らせる。

 

 記録板、封蝋のされた報告書、途中で止まったままの地図。討伐の痕跡が、そのままここに積み上がっている。

 

「魔物討伐の報告じゃよ。今回は数も多いし、証言もばらばらじゃ。いまのうちに整理しておかんと、あとで余計に混乱する」

 

 筆を置き、ようやく顔を上げる。

 

「まだしばらくは、こんな調子じゃろうな」

 

 トウジは小さく頷く。

 

「それでじゃ」

 

 老師は紙束を軽く押さえ、崩れないように整えながら言う。

 

「呼んだのは他でもない、おぬしのこれからのことについてじゃ」

 

「……あの」

 

 トウジが、わずかに言葉を挟む。

 

「その前に、お伺いしたいことが……」

 

「ん?」

 

 老師は眉をわずかに動かす。

 

「何事かの?」

 

 トウジは一度だけ視線を落とし、すぐに上げる。

 

「老師は、ホローム村……眷属に襲われた村の件、見ていらっしゃいましたよね」

 

「ふむ」

 

 少しだけ考えるように視線を上げる。

 

「全部ではないがの。おぬしが縮地で前に出たあたりからは、見ておる」

 

 その言葉を聞いて、トウジの肩の力が、わずかに抜けた。

 

 目に見えないほどの変化だったが、呼吸が少しだけ深くなる。

 

 老師は何も言わず、そのまま続きを待つ。

 

「……あの村で、何が起こったのか」

 

 トウジは言葉を探すように間を置き、

 

「お伺いしても……いいですか」

 

 老師の目が細まる。

 

 問いの形に、わずかな違和感がある。

 

「どういうことじゃ」

 

 トウジは言葉をつなげる。

 

「えっと……縮地で眷属の前に出たところまでは覚えていて」

 

 手のひらを軽く握る。

 

「そのあと、自分の周りに瘴気が集まってきて……」

 

 視線が少し遠くを見る。

 

「あれが、こう……渦を巻いて、竜巻みたいになって」

 

 指先が、無意識にその動きをなぞる。

 

「その向こうに、エストとか聖騎士の人たちが見えて……魔物を倒し始めて……そこまでは、憶えてるんです」

 

 そこで、言葉が止まる。少しだけ眉が寄る。

 

「……そこから先が、よく分からなくて」

 

 老師が、静かに引き取る。

 

「そこから先は、憶えておらん……っと?」

 

「はい」

 

 トウジは頷く。

 

「気づいたら、座り込んでて……体が動かなくて」

 

 視線が、足元へ落ちる。

 

「でも……後ろから、女の子の泣き声が聞こえて」

 

 わずかに、声が揺れる。

 

「お母さんの声もして……あやしてて……」

 

 ゆっくりと息を吐く。

 

「無事だったんだなって、助かったんだなって……それは分かって」

 

 一瞬、表情が緩む。

 

「よかったなって、思って……」

 

 そこで、止まる。

 

 沈黙。

 

 馬車の揺れだけが、静かに続く。

 

 老師は、白い髭を指で引きながら、わずかに視線を落とす。紙の上でも、トウジの方でもない、どこでもない場所を見る。

 

 思案の間。

 

 トウジは、その様子を待てずに、顔を上げる。

 

「一体、ボクの周りで何が起こったんですか」

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