転生勇者の再就職   作:三連九

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2-7 老師 後半

 馬車は変わらず揺れていた。

 

 軋む車輪の音と、外を行く隊列の足音が、布越しに鈍く重なって聞こえる。

 

 差し込む光が、机の上の紙束をゆっくりと滑り、インクの跡を淡く浮かび上がらせていた。

 

 老師は筆を止め、しばらく何も言わずにいたが、やがて視線だけをトウジへ向ける。

 

「おぬしの周囲に渦巻いておった瘴気な」

 

 声は低く、揺れに紛れるように落ちる。

 

「あれは、突然、消えた」

 

 トウジが顔を上げる。

 

「突然、消えた?!」

 

 思わず声が強くなる。

 

 馬車の中でわずかに反響して、すぐに吸われる。

 

「何が起こったのかは、わしにもわからぬが、ただ……」

 

 言葉が途切れる。

 

 老師は一度だけ視線を外し、どこか遠くを見た。

 

 トウジは言葉を挟めない。そのまま続きを待つ。

 

「小さな光が舞っておったの」

 

 ぽつりと落ちる。

 

「魔物が消滅するときに出る、あれかの」

 

 その言葉で、記憶が引きずり出される。

 

 首魁が崩れた時の光景。瘴気が、剥がれるようにほどけていく。雨粒がその中を抜けるたび、小さな光が弾けて、すぐに消える――綺麗なあの光景。

 

「……」

 

 トウジは、無意識に息を止めていた。

 

「なんの力が働いて、そうなったのかは、いまだ不明じゃ」

 

 老師の声で、意識が戻る。

 

 トウジは少し遅れて口を開く。

 

「聖騎士の人達がやったとばかり……」

 

 言いながら、少しだけ自信が揺れる。

 

「それこそ、エストに聞けばよかろう」

 

 あっさりと返される。

 

 トウジは言葉に詰まる。

 

「……口止めされました」

 

「ほう」

 

「聖騎士の人と話をしたいって言ったときに」

 

 老師の眉がわずかに動く。

 

「おぬし、その話をどこでした?」

 

「今と同じで、行軍中に。馬上でしたけど」

 

 一瞬の間。

 

 それから、老師が小さく息を吐く。

 

「おぬしはつくづく……」

 

 呆れたように首を振る。

 

「あのエストが、聞き耳がたくさんある中で、そんな話をするワケがなかろう」

 

 トウジがはっとする。

 

「……え、でもこの馬車も……」

 

 視線が、頭上の幌へ向く。

 

 薄い布。外の光を通して揺れている。

 

 頼りない。そう見える。

 

「わしを一体、誰と思うておる?」

 

 低く、はっきりとした声。

 

 老師がジロリと睨む。

 

 トウジの背筋が、ぴんと伸びる。

 

「……すみません……」

 

 小さく頭を下げる。

 

 しばらく、筆の音だけが戻る。

 

 紙に走る音が、一定の調子で続く。

 

 やがて、老師がふと手を止める。

 

「トウジよ」

 

 トウジが顔を上げる。

 

「おぬしに、ひとつ謝らねばならぬと思うておった」

 

「え?!」

 

 思わず声が漏れる。

 

 老師はそのまま、視線を外さない。

 

「わしは、お前のことを見誤っておった」

 

 その言葉に、トウジの表情がわずかに揺れる。

 

 聞いたことのある言葉だった。

 

「おぬしは……魔法士として導ける類いではなかった」

 

 静かに言う。

 

 断定の形だが、責める響きはない。

 

「おぬしの才を見て、力を見て」

 

 ほんのわずか、言葉を選ぶ間。

 

「導けると思うてしもうたのは、わしの驕りじゃ」

 

 トウジは、何も言えない。

 

 頷くことも、否定することもできない。

 

 ただ、その言葉を受け止める。

 

 神妙な顔のまま、どこか困ったような色が残る。

 

 馬車が、ひときわ大きく揺れる。

 

 外から、角笛の音が遠くに響く。

 

「討伐軍は、まもなく解隊じゃ」

 

 老師が続ける。

 

「勇者一行も、そこで解散とあいなる」

 

 紙の束が、わずかに崩れかけるのを、手で押さえる。

 

「トウジよ」

 

 改めて、名を呼ぶ。

 

「おぬしは、一人で立たねばならぬ」

 

 短く、しかし重く落ちる。

 

 トウジは言葉を探すが、見つからない。

 

「すべては、お前が決めることじゃ」

 

 少しだけ声の調子が変わる。

 

「勘違いしてくれるなよ?」

 

 老師の口元がわずかに緩む。

 

「バカじゃが優しい兄と」

 

 指を一本立てる。

 

「厳しいが面倒見のよい姉と」

 

 もう一本。

 

「ひたすら甘々のジジが」

 

 三本目。

 

「ちゃんと見守っておるからの」

 

 トウジの目が、わずかに見開かれる。

 

 空気が、少しだけ緩む。

 

「戻ってくる場所は、ちゃんとある」

 

 筆を置く。

 

 視線をまっすぐ向ける。

 

「それだけは、決して忘れんようにの」

 

 言葉が、胸の奥に静かに落ちる。

 

「……はい」 小さく、答える。

 

 ――これで、終わりなのか。

 

 老師はそれ以上言わない。

 

 再び筆を取り、紙へ向き直る。

 

 馬車は、変わらず揺れている。

 

 外では、隊列が進み続けていた。

 

 

 

 

 

 

 街道を外れた開けた場所に、雑然とした野営地が広がっていた。

 

 天幕はあるようでない。

 焚き火はあちこちで勝手に上がり、煙が好き放題に流れている。

 

 そして、その周りにいる連中がまた――

 

 統一感がない。

 

 鎧の上に毛皮を引っかけた男。やけに軽装なのに、武器だけはやたらと物騒な女。片手剣と槍を両方背負っている意味不明なやつ。盾だけやたら立派で、本人は妙に軽そうな男。

 

 装備はバラバラ。

 

 どいつもこいつも、妙に“慣れて”いる。隙はある。だが、油断はない――面倒そうな連中だ。

 

「ここが……就活…先?」

 

 トウジが小さく呟く。

 

「ああ。まともそうに見えたら逆に疑え」

 

 隣でオルドが肩をすくめた。

 

「仕事はある。だが、礼儀はない。腕はもちろんいる。ま、それだけって訳じゃねーけどな」

 

「なるほど」

 

「つまり」

 

 オルドは少しだけ笑う。

 

「絡まれる」

 

「え」

 

「おいおい、新顔か?」

 

 焚き火の向こうから声が飛ぶ。

 

 出てきたのは、大柄な男だった。

 

 片手に分厚い円盾。縁は削れており、何度も打ち合った痕が残っている。もう片手には、片刃の戦斧。柄は短いが、刃は広く、重い――前に出る役だ。

 

 視線が、トウジに向く。

 

 上から下まで、ゆっくりと。

 

 そして。

 

 笑った。

 

「……場所、間違っちゃいねぇか?」

 

 トウジは、ゆるく立っている。

 

 身長差が結構ある。低い。重心は落ちているが、構えがない。剣も、ただ持っているだけに見える。

 

 ――薄い。壁役の男から見れば、なおさら。

 

 押せば終わる。そういう相手にしか見えない。

 

「はン!」

 

 男が盾を軽く叩く。鈍い音が鳴る。

 

「ぶつけたらすぐに壊れっちまいそうだ」

 

 周囲が笑う。

 

「ポッキリってか」

 

「獲物いらねぇだろ、盾だけで十分だろそれ」

 

「むしろ盾もいらねぇよ!」

 

 好き放題だ。

 

 トウジは少し困った顔をした。

 

「えっと……」

 

 オルドは何も言わない。ただ、ニヤついて黙って見ている。

 

 楽しんでいる顔だった。

 

 男が一歩前に出る。盾を構える。斧を軽く回す。

 

「なあ、新人」

 

 にやりと笑う。

 

「壁ぇ、抜いてみせちゃくれねぇか?」

 

 ザッ、と周囲が空く。あっという間に円ができて、二人を取り巻く。

 

 誰も止めない。どころか、待ってましたと言わんばかりだ。

 

 トウジは少し首を傾げた。

 

「試すって……こと?」

 

「軽くでいい」

 

 男は盾を前に出す。斧を肩に乗せる。

 

「剣士だろ? 押し込めるか、見てやんよ」

 

 軽い調子だが、完全に“潰す側”の目だ。

 

 トウジは少し考えて――

 

「じゃあ、お願いします」

 

 あっさり頷いた。

 

 

 

 向かい合う。

 

 男は、構える。盾を前。半身。斧は後ろ。

 

 隙がない。まさしく、壁だ。

 

 トウジは――

 

 ゆるい。低い。剣先が遊んでいる。

 

 構えになっていない。

 

 周囲から失笑が漏れる。

 

「おいおい……」

 

「何すんだそれ」

 

「盾に当たって終わりだろ」

 

 男も笑った。

 

「怖いならやめとけ」

 

「いや、大丈夫です」

 

 トウジは普通に答える。

 

「たぶん」

 

 いきなり、男が踏み込んだ。

 

 盾打ち。

 

 重い。

 

 前に出る圧。

 

 逃げ場を潰す動き。

 

 同時に。

 

 半身に隠されていた斧が、いきなり振り下ろされる。

 

 遅くない。

 

 むしろ十分に速い。

 

 普通なら、これで終わる。

 

 トウジは、動いた。

 

 すり足で半歩。わずかに横――斧の正面から、外れる。耳の横を空気が勢いよく抜ける。

 

 そのまま継ぎ脚でさらに一歩、内へ。盾の縁、その外へするりと入り込む。

 

 ――近い。

 

 男の視界からトウジが消える。

 

 斧が落ちきる。

 

 とん。

 

 脇腹に浅く剣が触れる。

 

 盾の内側。

 

 あっという間に、抜けられた。

 

 男が固まる。何が起きたか分からない顔。

 

 周囲も止まる。

 

 風だけが抜ける。

 

 トウジは首をかしげた。

 

「あの、今のでいいですか?」

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