「屍霊術師《ネクロマンサー》――――ッ!!」
突然の襲撃、それによって一瞬のうちに齎された被害に対し憤怒を込めて絶叫する。
場所はオークション会場から離れ――どこのエリアにも属していない言わばエリア同士の繋ぎ部分だ。
円状になった吹き抜け部分の1階で放った絶叫は、恐らく2階から3階の乗客にも届いているだろう。
それでも、従業員などが様子を伺いに来るとは思えない。
蒲牢によって3組の屍霊術師達が叩きのめされた時でさえ、彼らはやってこなかった。
蒲牢の身体に痛ましく刻まれた打撲痕を観察する。
具体的には横腹、両脚、片手が強く殴られたような損傷を負っており、見るだけで痛みが想像できる。
幸いなことに致命傷ではないが、両脚がやられてしまっては立ち上がり逃げられるかは分からない。
「――ッ」
想起されるのは直前の光景。こちらを助ける為に手を伸ばし、襲い来る何者からか庇ってくれた少女の貌。
その表情には、ただただ安堵があった。
彼女は一瞬早く、背後から迫る襲撃に気づいていた。
アドバンテージともいえる刹那の時間を、自身の回避のためや白虎を駆使した撃退のために使用しなかったのだ。
刹那の猶予を岸幕右京を庇う為に浪費したのだ。
自分がいなければ、彼女はこんな損傷を受けることはなかっただろう。
何故、彼女がここまで自分を助けようとしてくれるのか分からない。
今日会っただけの他人の筈だ。たまたま通り道で拾っただけの他人の筈だ。
分からないが、その疑問は一先ず棚上げする。
いまはただ、目の前の彼女に再び救われた事だけを知っておけばいい。
「蒲牢さん、大丈夫か!立ち上がれるか!?ムリなら、俺がおぶっていく!白虎さん――の方は操作できるんだよな!?」
庇われてしまった後悔も、理由が分からない不可解さも、裡から湧き出るあらゆる感情をかなぐり捨てて、現状から脱する為の道を模索する。
その時だった。
魔腕が襲い掛かり縮み戻っていった方向から、二つの足音が近づいてくる。
一刻の猶予もないことは、分かりきっていた。
蒲牢からの返答を待たずして、おぶろうと身体を動かそうとしたその時、彼女は蚊の鳴くような声を発した。
「――――覚悟は決まったかい?」
問いかけられた覚悟。それは言うまでもなく、復讐者として生きる覚悟ができたのか、そのことについて聞いているのだろう。
「――なにを、んなこと今言ってる場合じゃあ……」
「今しかないんだ。腕を伸ばせる屍体とその使い手――それ以外の気配も続々とここに集結しつつある。先程の魔腕に加えて複数の屍霊術師を相手どれば、さしもの僕らでも敗北しかねない」
その言葉に息が詰まる。ここに数多の屍霊術師と、殺意を込めて改造を施された屍体達が集まってきているのか、負傷した蒲牢を抱えて逃げ切ることが出来るだろうか。
「僕のことは置いていけ。奴らの狙いは恐らく僕だ。君ひとりなら逃げられるかもしれない……」
「何を――ッ!?」
らしくもなく弱弱しく目を伏せる少女に、どう声をかければいいのか分からない。
そもそも彼女はこちらを庇って怪我を負ったのだ。
足手纏いのこの身の上で、慰めの言葉をかける資格などない。
蒲牢は言葉にこそしないが、もし怪我をしていない万全な状況であれば、蒲牢と白虎の二人だけであれば、こんな事態には陥っていないかもしれない。
「言っておくが、君が責任を感じる必要なんてない。僕は僕のしたいようにしただけだ、その結果がこれだ」
こちらの自責の念を感知したのか、蒲牢はすかさず言葉を並べたてる。
瀕死とまではいかなくとも、重傷を負って地に倒れかけている少女に気を遣われる。
こんな情けない話はない。申し訳なさと恥ずかしさで死んでしまいたかった。
「それに僕のミスもある。魔腕屍体とその使い手の気配自体は感じつつも、距離があったから警戒しつつ無視していた。その様がこれだよ。まさか、あの距離からあんな速度で攻撃を行えるなんて予想外だった」
「それでも俺を庇わなければ、こんな怪我を負わなくて済んだんじゃないんですか……?」
矢継ぎ早に言葉を発していた蒲牢の口が、不意を突かれたように止まる。
その反応だけで、十分だった。自分が存在していたことで、どんな影響があったのか、その意味を心から理解できた。
「……重ねて言うが君が気に病む必要はない。全ては僕のせいだ。この船にを巻き込んでしまった者として、何とか君だけでも逃がしてやりたい」
庇われている。
魔腕屍体からの凶撃からではなく、現在進行形で庇われてしまっている。
心と尊厳を庇われてしまっている。
少しでも、僅かでも、岸幕右京が重く捉えないようにと、責任を感じずに生きられるようにと、細やかな配慮をもとに言葉が発せられている。
「だけど、その前に、最期に答えをきかせてほしい。君がこれからどうしたいのか。どうしていくのか。それが、君をあの地獄から救い出した者としての、最期の責務なんだ」
彼女の問いに応えたい。それが、彼女に対して自分にできる唯一の彼報い方だと思ったから。
だが、未だに心の中はしっちゃかめっちゃかで、自分自身でも己の内情を完全には捉えきれていない。
この船を巡り、世界の裏側を知れば知るほど当初の思いから乖離していく。
「――ごめんなさい。まだ……決めきれていない……」
「――そう、か」
か細い呼吸を行うように慎重に発せられた、応えとは言えない応え。
彼女は意気消沈したように悲壮感を漂わせる。その姿に罪悪感を覚えずにはいられない。
「――俺からも、聞いていいですか?」
「……何を?」
応えられなかったくせに、問いかけはするという身勝手さ。
そのことを存分に恥じながら、それでもなお是が非でも聞き出したいことがあった。
「なんで、俺なんかを庇ってくれたんです?」
その言葉に彼女は驚いたように固まり、存分に躊躇う様な仕草する。
何度も逡巡を繰り返し、観念したようにポツポツと呟き始める。
「島で出遭ったあの娘、花矢ちゃんといったかな。彼女は酷い損傷を負っていたけれど、その損傷箇所が妙だった」
不意に花矢の名前が出て思わず目を見開く。
葉射島に生じた狂った死者の一員であり、火炎に包まれた地獄のなかで白虎により死後の悪夢から解放された少女の名。
ほんの半日前までは確かに血が通い、この世に生きて――もう死んでしまった少女の名。
「例えば、上腕の内側。例えば、片足の甲。どちらも屍体同士の殺し合いじゃあ、滅多につかなそうな傷ばかり負っていたんだよ。操作が放棄された暴れ狂うだけの屍体が優先的に攻撃する箇所は、殺傷しやすい頭と首と腹部を狙うことが多い筈なのに。流石に、その事に気づいたのは白虎でトドメを刺した後だったけれどね」
「……言われてみれば、取っ組み合いの喧嘩になった時でも上腕の内側なんて狙おうとは思わない……けど、それとこれに何の関係が?」
蒲牢が何を気にしているのか、何に気づいているのか、まったくもって見当もつかない。
傷ついた箇所は確かに多少奇妙だったかもしれない。
だが、それがこちらを庇ったり親切にしてくれたりする理由に直結するとは思えない。
「どうして、そんな妙な箇所ばかり損傷していたのか考えて――気づいてしまったんだ」
蒲牢の言葉をただただ傾聴する。
何を言おうとしているのか、その全てを聞き逃さんとして。
「彼女は死に切る前に――自らの手で自傷していたんだと、思う。自らの足の甲を鈍器か何かで潰し、上腕の内側に自ら歯牙を突き立てたんだと、そう推測できる」
「じ、自傷……?」
死の間際で気が狂ったとでも言いたいのだろうか。その推測はあまりにも花矢らしくないものだ。
「君は気づいているかもしれないが、あの島で発生した未曽有の事態。あれは通常の屍霊術《ネクロマンシー》とは大幅に逸脱している。あそこにかけられていた魔術は、
葉射島を襲った屍霊術師がどの程度のレベルかは分からないが、この船で出遭った殆どの屍霊術師は一人につき一体の屍体を従えていた。
いくら高次元の術師だとしても、同じ屍霊術師でそこまでの力量差があるのだろうか、そんな疑問はなかったわけじゃない。
「船に居る屍霊術師と比べて、あまりにも島での被害は大規模すぎるんじゃないかと思わなかったわけじゃないです。島の殆どを屍として従えるなんて、数が多すぎるんじゃないかと。練度の差以前に、そもそも使用している魔術の種類が違う……ってことですか」
かたや島民全てを狂った屍体として使役する術者、かたや一体の屍体のみ使役している術者。
単純な練度の差ではない何かがあるのではないか、そんな疑問が生じるのは寧ろ当然だった。
「映画の中だけにしてほしい狂った魔術だが――その性質上、致命傷を受けて死ぬまでの時間、ゾンビになるまでの猶予ともいえる時間がある」
例え、首を噛み裂かれたとしても両断されない限りは、暫く生きる可能性はある。
適切な治療を受けなければ、直ぐに出血死するような怪我だとしても暫くは生きるはずなのだ。その、死ぬまでの僅かな猶予時間をどう扱うか。
「恐らく、動く屍が伝染するように広まっていくのを彼女は目撃したんだろうね。そして、自らも屍体に襲われて――腹部に重傷を負った」
先程蒲牢が指摘した妙な傷跡以外にも、花矢は損傷を受けていた。
腹部への刺し傷を想像させる夥しい血痕。あの怪我による出血死が主な死因である可能性は確かに高い。
生者も死者も構わず殺しまわる狂気の一団。
それらに襲われた拍子に、腹部を噛まれるなりして損傷を受けたというのも想像に難くない。
「命からがら何とかやり過ごすことは出来ても、既に腹部には取り返しのつかない損傷を負っている。いずれは動く屍体の仲間入りを果たすのは目に見えていた」
花矢なら襲われても、どうにかしてその場を切り抜ける事が出来たかもしれない。
彼女は俺なんかよりも頭が回るし、何事もそつなくこなす。
だがその先は――?
致命傷を受けた身体は長くはもたない。いずれは自身を襲った屍と同一存在になり果てると知って、彼女は何を考えていたのだろう。
「そこで彼女は、屍体になるまでの猶予ともいえる時間で、自らの手で自傷したんだろう。当然、まだ死にきれていないわけだから、凄まじい痛みに耐えながら、足を潰して腕を噛みちぎって――死ぬまで自傷し続けた」
自傷。花矢らしくもない結論に帰結する。
彼女が何の意味もなく自傷を続けるなんて考えにくい。
ならば一体、何故。
「花矢が自傷なんて――いや、まさか――ッ!?」
ある可能性に気づく。
花矢は自らが楽になる為に自らを傷つけるなんて絶対にしない。
諦めの悪い彼女のことだ。最期の一瞬まで、何とか挽回してやろうと思考を巡らせて策を弄していたに違いないのだ。
少なくとも俺の記憶の中の花矢は、諦めることなんて死んでも嫌で、賢くて、優しくて、生きるのに必死なただの女の子だったんだから。
だからこそ、気づく。気づいてしまった。
最悪で最低で、それでも最も花矢らしい選択肢に気づいてしまった。
「……花矢は自分が楽になる為に自分を傷つけたりなんてしない。絶対に最期まで諦めたりしない。なら、
自らの死を察し、その後に起こりうる可能性。
パンデミックのように伝染を続ける狂気の屍集団の一員に加わり、地獄を悠々自適に闊歩して生者を殺す。
自らが死後に、生者を追い立てて惨たらしく殺す可能性を彼女は予期してしまったのではないか。
そして、そこまで想像した彼女が、花矢がどういった行動をとったのか。
死後に狂った亡者として葉射島を徘徊することになっても、島民の誰も傷つけることがないように予防線を張るにはどうすればいいのか。
答えは、非常にシンプルだった。
「すべては自らが死後、誰も傷つけることがないように。自ら機動力と腕の一本を破壊してから――力尽きて死んだんだ」
蒲牢から発せられた一連の言葉に愕然としていた。それは何も素っ頓狂で場違いな推測をしていると思ったわけではなく――――。
「あくまで僕の推測だ、こうじゃないと説明がつかないけれど……あまりにも非現実的な推理だし信じなくても――」
「いや……」
ばつの悪そうな表情を浮かべる蒲牢の言葉を、被せるように止める。
「あの子ならやりかねない。蘇木花矢は、確かにそういう女の子だった」
場違いな推測だなんて思わない。だって花矢なら本当にやりかねないし、本当にやったんだろうな、そんな予感がある。
俺なんかよりずっとずっと賢くて、行動力のある彼女なら迷うことなく実行してしまうことを察してしまった。
俺なんかよりずっとずっと優しくて、誰かを助ける為に行動することを厭わない彼女なら間違いなく実行してしまうと確信してしまった。
「推測はできても、納得できるかい?おかしいだろ、自らの死が迫っている状況で、誰かを守るために自傷するなんて正気の沙汰じゃない」
納得できるとも。頭がいいくせに自分が犠牲になる事には、向こう見ずに突っ走っていく――あまりにも花矢らしい決断だ。
優等生とは言い難い自分でも、彼女を見てると危なっかしくて何だかほっておけなかった。
「
狂っている。それでも誰かの為に自らを犠牲にせんとする行いは尊いものである筈だから。
だから、そんな彼女のことを尊敬していた。
「そして、その彼女が護ろうとした島民のうちには――君だって、確かにいた筈なんだ。僕は、ただあの娘の想いを無駄にはしたくないだけさ。あの娘が自傷してまで守った命を、私はどうにかして守ってやりたかった」
そして今、花矢に抱いていたような強い敬意の想いが身体の芯から沸き立ってくるのを肌身で実感する。
「だから、さっきも言った通り、君が気に病む必要はない。僕が勝手に感じ取って、勝手に大切にしようとしているだけなのだから。後生だから、君は一人で逃げてくれ。君をむざむざと殺してしまえば、彼女の想いが無駄になる」
大切な人が死んだ。
そして、その死に際の想いを今日会ったばかりの人が大切にしようとしてくれている。
この胸に去来する全てをどう表現すればいいのだろう。どう伝えればいいのだろう。
「なんです、それ。じゃあ、貴女はずっと――――っ!?
なんとか口にして、彼女の言葉を再確認する。
蒲牢の真意――隠された真心に触れて、その尊さに眼を眩ませそうになる。
胸中に沸き立つ全てに対し戸惑うなか、襲撃者――魔腕の屍霊術師の足音は既にすぐ傍まで近づいてきていた。