――徐々に接近しつつあった足音が止まる。
自然と足音の主へ視線を向けていた。
その先には一人の男と女型の異形が立ち尽くし、こちらを観察するように見つめている。
「未亡人《ウィドウ》に同行者など聞いたことがないが――」
屍霊術師と思われる男が怪訝な表情をする。
表情と言いはしたが、サングラスによってその双眸は視認できない。
男は細身の長身に似合う、身綺麗できっちりとしたスーツを着用していた。
その容姿に見覚えがある。
「貴方は、あの時の――?」
船でのストレスに耐えきれずトイレで嘔吐した後、ほんの少し廊下ですれ違っただけの男。
それでも彼が、こちらを気遣い親切に扱ってくれたことを覚えている。
男は心底意外なものを見たように顔を歪ませた後、直ぐに納得する。
「君はあの時の――?なるほど、どういった経緯で乗船したのか分からなかったが、その女が原因か」
そう言った途端、傍らに控えていた女型の異形は反応する。
その容姿はこれまで視認してきた、あらゆる改造屍体のなかでも取り分け異質なものだった。
まず、衣服を着こんでいない――完全な全裸である。
局部は焼き消されたように凹凸に乏しいが、それが寧ろ石膏像のような調和を成立させていた。
加えて、その両腕は根元から切断され、完全に腕としての機能を喪失している。
頭部は薄い皮膜で作られた傘のようなヴェールに覆われて、その風貌を伺い知ることは出来そうもない。
そして、そのヴェールの中から、うねり狂う蛇を想起させる無数の腕が伸びている。
傘のようなヴェールと無数の蛇の如き腕――全体的なシルエットは、海を漂う海月《クラゲ》の様に見える。
切断された両腕を補うように接合された無数の腕。
それが、先程蒲牢を穿った伸縮自在の魔腕であることは想像に難くない。
「あなた、屍霊術師《ネクロマンサー》だったんですね」
敵意を何とか隠しつつ発する。
一挙手一投足が相手の逆鱗に触れば、瞬く間に魔腕にて蹂躙されかねない緊張。
自分だけの責任になるなら自業自得だが、傍らには機動力を失った蒲牢がいる。
「その通り。 大方そこに転がっている未亡人と似たような依頼――物品の代理購入を請け負って乗船した。そして、それについては順調に済んだ――が、何も私の本業はこんなお遣いじゃない」
男はサングラスで視線を隠してはいたが、恐らく白虎に対しても蒲牢に対しても警戒を止めていない。
逆に言えば、常人たる自分は彼の警戒の対象外である可能性すらある。
話をあわせて猶予を稼ぎつつ、彼の目的を少しでも聞き出さなければ。
場合によっては交渉次第で、危うげなく切り抜けることが出来るかもしれない。
「私の本業は賞金稼ぎだよ」
「賞金稼ぎ……?なんです、蒲牢さんがどんな罪を犯したって言うんですか?」
蒲牢についても、自分は何も知らない。
だから狙われる理由が分からなったが、彼女が実は罪人だとでもいうのだろうか。
「別に罪人かどうかは関係ないのさ。世界中の厄介事に首を突っ込んでは、数多の人間や組織に大損害を与えて去る強力無比の屍霊術師、未亡人《ウィドウ》」
未亡人《ウィドウ》。また、その通り名だ。
凶悪性をイマイチ欠いたような、異質な異名。
船内で遭遇したチンピラのような屍霊術師を追い払ったとき、そのうちの一人も口にしていた。
「その未亡人《ウィドウ》って何なんですか?」
そう問いながら、どう切り抜ければいいのか頭の中で必死に策を巡らせる。
本来ならこんなこと聞いている暇はないが、少しでも時間を稼いて打開策を考え、彼の目的を知る事だけが生きる道であると心得る。
油断していようとなかろうと、次の瞬間には魔腕によって反応もできずに殺されている可能性も視野に入れなければならない。
「その女と行動を共にしているのに知らないのか?未亡人はその女の通り名だよ。女の屍体のみを複数従え、剰《あまつさ》えそれを『妻』と呼ぶ変態性から名付けられた蔑称だ」
「パートナーに先立たれた女性を未亡人と呼ぶけれど、先立った者をパートナーのように扱っているから未亡人――ってことですか」
逆転の発想のような名づけである。
そういえば白虎の事を妻と呼んでいたような気がしなくもない。
あの時はそれどころじゃなくて、スルーしてしまったが――――。
詳しく質問を重ねる前に、魔腕遣いは蒲牢へ視線を移して薄く微笑む。
「クソッタレの厄ダネ共からクソほど憎まれているようだな、お前の身柄を引き渡せば金を惜しまないと――そう言っている者も多い。心底迷惑極まりないクソ共の集まりではあるが、それでも金を出すのなら立派なクライアントだ」
悪態混じりに語られた彼の目的。ようするに、蒲牢の身柄を確保して、彼女に恨みがある誰かに売ろうしている。恐らくは裏社会の誰かに。
交渉次第では――なんて、甘ったれたことを考えていた。
交渉の余地などどこにもない。頭のねじが外れた連中から恨みを買っている状況で、楽な死に方をさせてもらえるとは思えない。
想起するのは船内で行われていた地獄絵図――滑稽に改造された屍体や、一時の娯楽用として消費される屍体たち。
あのような末路を遂げる可能性が、現実のものとして直ぐ傍までやってきている。
悪い想像に思わず背筋が凍る。
「さあ、どこに売られるのがいい?『柘榴秘食会《ざくろひしょくかい》』が最も好む人食方法を知ってるか?生きたまま頭蓋を開き、脳みそめがけて熱々のスープを流し込むそうだ。スプーンでかき混ぜながらスープと併せて啜るのが絶品らしいぞ」
「なッ!?」
続いて語られた内容は余りにも常軌を逸していた。
今日一日で惨たらしさのなんたるかを、悍ましさの極みを、骨の髄まで叩き込まれた自覚があったが、その中でも群を抜いて不快極まりない。
過剰に話を盛ってこちらの恐怖を煽る目的でもないのなら、これから訪れるかもしれない最悪の末路の一つなのだろう。
「――君の目的は大体わかった。目当ては僕で、彼のことは眼中ないんだろ?」
両脚に重傷を負い、一人では歩行すら困難になった蒲牢が口を開く。
声に反応して白虎は構えて、魔腕屍体に相対する。
「なら、僕がお相手しよう。それでいいはずだ」
身を捧げる殉教者のような面持ちの少女。
彼女を見ていると胸を裂くような苦しみが、身体の髄の底から湧いてくる。
この期に及んで庇われてしまっている現状に、どうしようもなく自己嫌悪に陥る。
「ははは、それは願ってもないがな。今の怪我の状況で私と戦う気か?」
男が嗤いながら語った内容、そこに違和感が生じる。
屍霊術師達は戦闘用の屍体を用意するわけだから、術者本人の怪我など大した影響はないと思っていたが――。
「屍霊術《ネクロマンシー》は、超人的な集中力による繊細なコントロールを必要とする魔術だ。少しの怪我が、少しの焦燥が、少しの憐憫が致命的なまでの隙と操作不良を引き起こす」
屍霊術師は魔力の循環により操作を行っていると、蒲牢は言っていた。
ほんの少しの外傷や心理的瑕疵であったとしても、その魔力循環に悪影響を与え、パフォーマンスに深刻な弊害を与えうるということなのだろう。
それなら、蒲牢の怪我の状況ならどうなるのか。
全身に走る激痛を想像すれば、彼女の操作精度がどれだけ失われているのか想像に難くない。
船内で屍霊術師達に襲われた時は軽くあしらっていたが、あの時の様にはきっといかないだろう。
「だが、それでも尚、お前なら私を下すこともあるかもしれない。お前とそこの屍体によって齎された被害の数々と乗り越えてきた危機を考慮すれば、更なる警戒を施すのは至極当然の事だろう。そこでだ――」
そういうと、男の視線の先から数十人が近づいてきて停止する。
新たに登場した数人と魔腕遣いによって、こちらは完全に挟み込まれたような位置関係になっている。
新たに参入した連中へ視線を向けると、人影と同数の異形存在達が直立していた。
魔改造された屍体を従える屍霊術師からなる追加戦力だ。
それぞれが殺意を込めた改造を施されている。
雰囲気でいえば船内でちょっかいをかけてきた三組の屍霊術師達に近いものを感じる。魔腕屍体ほどのプレッシャーは感じないが、いかんせん数が多すぎる。
魔腕屍体と大量の屍体に挟撃された時、白虎だけで戦い抜くことが出来るだろうか。
「彼らも屍霊術師だ。未亡人確保に先立って急遽雇った。全ては万全を尽くして、お前を確保し売り払うために――――だが、確かに未亡人以外はいらないな」
男は不意に思い出したかのように、そう言って優し気に微笑む。
そして、こちらの方へ視線を合わせる。
「君、今ここで退くというのなら見逃そうじゃないか。大方、未亡人とはそれほど親しいわけでもないんだろう?もし、交流が深ければ、この船についてあそこまで無知である筈がない」
悪魔のような誘惑。この場から今すぐ逃げ出したい、その想いは確かにあった。
しかし、彼の甘言が事実だとしても見逃されるのは俺だけなのだろう。
こちらを庇ったことで負傷し、危機を迎えている蒲牢の事を助けてはくれないのだろう。
「はあっ!?おいおいアンタ、何を悠長なことを――」
新たに参入した屍霊術師の一人が不満げに抗議をあげようとした時、魔腕屍体の屍霊術師が被せるように拒絶する。
「君たちは私によって雇われた。故に、私の方針に従ってもらう。文句があるならそれでも結構だが――私とメデューズに正面から戦いを挑む気か?」
有無を言わせぬ雰囲気にたじろぐ彼らを無視して、蒲牢へ視線を向ける。
自分のせいで怪我を負った命の恩人。
彼女を見捨てれば、一先ず自分の命は繋ぐことが出来る。
蒲牢は花矢の想いを察して、生き残りの島民である俺を救おうとしてくれている。
逃げたところで彼女は文句を言わないだろう。
躊躇いながらも、ゆっくりと口を開く。
「――少しだけ、蒲牢さんと話をさせて下さい」